第一章〈侵入者〉1-2
ドンドン、と工房のドアが叩かれる。
「もし! どなたかいらっしゃいませんか!?」
切羽詰まった様子の声に工房内に居たマイトとタックが顔を上げ、奥にある台所で夕食の片付けをしていたライエンティールがひょっこりと顔を出す。
彼女の顔は盛大に引き攣っていた。
「タック、あんたまたなんかやらかしたんじゃないでしょうね!? これ以上面倒事起こしたらわたし破産しちゃう! 宿舎の冷蔵庫の中にはバターとジャムしか入ってないのに!」
悲痛な悲鳴だった。
しかもそのバターやジャムを付けるものも、パンよりもパンの耳の方が多いという現実が彼女を苛んだ。
工房で夕食を摂るようになったのも、アルバイトの終業時間が遅いからというより、工房にある食材を調理した方が良いものが食べられるからという切実な理由があった。
「な、何、俺なんかしたっけ!? 飲み屋のツケはちゃんと払ってるよ!」
「他にも色々あるでしょう!」
わぁわぁと騒ぎ始めるふたりを背に、マイトは機械油に塗れた軍手を取ってドアに近付く。ドア横のコンソールを押して外部映像を確認すると、彼の眉はぴくりと動いた。
「――メイド、か」
彼が見たもの、それは切羽詰まった表情でドアを叩くメイドの姿だった。
メイドそのものは様々な形で学園内にも存在しているが、少なくとも彼の工房に訊ねてくるような心当たりはなかった。
だが、助けを求めてきた者を明確な理由もなく拒絶する訳にもいかない。
「今開ける」
マイトはコンソールに付いているマイクに向かってそう告げると、四つの鍵をそれぞれ解錠してドアを開いた。
「夜分に申し訳ありません!」
体当たりするかのような勢いで飛び込んできたメイドの身体を、マイトがしっかりと受け止める。
乱れた息を整える間もなく、彼女はマイトに縋り付くようにして言った。
「連れが襲われているんです! 学園の警備部に連絡を……!」
「ああ、それは構わないが、場所と、あと相手は何人だ?」
マイトはタックに目配せし、学園警備部に事件発生の連絡を入れさせる。
同時に警備部に伝えるべき情報を引き出そうと、メイドに問い掛けた。
「場所は、ここから三〇〇メートルほど西に行った路上です。人数は……十人以上はいたかと思うのですが……」
「十人!? こんな辺鄙な場所にそんなに沢山集まるなんて、普通じゃない」
いつの間にかマイトの傍らにやって来たライエンティールが驚きの声を上げる。
無理もない、学園の敷地内は協定によって学園独自の治安維持組織が安全を担保する形になっている。
学生主体の風紀部と、各国の軍や警察から派遣された者たちで構成される警備部。そのどちらも決して無能ではない。学園生に対しては厳格に過ぎるほど厳格であり、一切の手加減が期待できないため、学園生たちも無茶はしないものだ。
今回の場合なら、校則によって禁止されている無許可の集会に当たり、まともな学園生ならそのような危険は冒さない。少なくとも、ライエンティールの常識ではそうだった。
「――もしかして、学園生が相手じゃないのか?」
「わ、分かりません。マスクで顔を隠して、武器も持っていたし……」
メイドの言葉に、マイトとライエンティールが顔を見合わせた。
武器を持ち、集団を作り上げて学園敷地内で誰かを襲う。これは学園生の場当たり的な行動ではありえない。
マイトは目を細め、メイドの肩を掴むとその顔を覗き込んだ。
そのときにはもう、彼が纏っている雰囲気は工房の店主のそれではなく、戦場を前にした軍人だった。
「西に三〇〇メートルの路上だな?」
「は、はい」
メイドはマイトの雰囲気に呑まれながらも頷く。
「ライエンティール・ヴィルトリア。このメイドは任せる」
マイトはそう言ってメイドをライエンティールに押し付けた。
「え? うん、分かったけど……」
メイドの肩を抱き、小さく「大丈夫だよ」と告げるライエンティールだが、マイトは彼女が予想もしていなかった行動を始めていた。
「タック、ちょっと出てくるから念のために戸締まりはしておけ」
「う、うッス」
タックに指示を出しながら、壁際の保管棚に入っていた右腕部のみの錬装甲冑を嵌めるマイト。
続いて奥にある兵装保管庫の扉を開けると、〈風の魔女〉時代にライエンティールが使っていた大直刀型高周波振動刀を引っ張り出した。
「それって、試験用の腕部装甲じゃ……って何考えてるの!? まさか……」
「そのまさかだ」
大直刀型高周波振動刀を肩に担ぎ、マイトはドアを開ける。
身体強化系導術を自らの身体に掛け、強化した視覚で暗闇に沈む前方を睨んだ。
「どうやら警備部が出張ってくるだけでは済みそうもない。降り掛かる火の粉は全力で払うのが俺の主義だ」
「あー、火の粉どころか火元吹き飛ばすっていうミズホ・ドクトリンでしょ? 知ってる知ってる……ってここ学園! 治外法権! お国の兵法なんてやらかしたら怒られるだけじゃ済まないわよ!」
「――――」
メイドを抱えたまま怒鳴るライエンティールだが、マイトはすっと腰を落として両脚に力を溜め込んでいる。
「ちょ……」
そして無言で放置されたライエンティールが怒鳴り声を上げる前に、マイトの姿は僅かな残像を残して消え去る。
「え、こら……!」
一瞬遅れて室内に風が逆巻く。ライエンティールの声にPDAから顔を上げたタックは、彼女の風で逆立った髪と怒りの表情のコラボレーションに腰を抜かしそうになるのだった。
「いい加減、しつこい……!」
繰り出されたナイフの突きを避け、すれ違いざまに膝を叩き込む。
その隙を狙って背後から襲ってきたナイフを寸でのところで回避し、彼女は地面に膝を突いたまま大きく肩を揺らした。
周囲から襲ってくる追っ手たちに対し、彼女は必要最低限の動きでそれを捌き続けていた。優れた身体能力もそうだが、殺意と共に繰り出される刃をしっかりと見極めて回避するその技量に、追っ手たちは動揺していた。
ただ、必要最低限の動きによる回避であるために、僅かずつではあるが少女の身体は傷を負っていく。
その服は何本ものラインで寸断され、その奥に見える肌には血が滲んでいた。
「はぁ、はぁ、その程度なの? ま、お貴族様の私兵なんてそんなものかもしれないわね」
軍用ナイフを構えたまま、周囲に意識を向ける少女。
普通の少女ならばとうの昔に集中力が途切れ、追っ手たちに捕縛されているだろう。しかし、追っ手たちの前にいる少女はそうではなかった。
「こんな田舎まで追い掛けてきて、アタシは本国での後継者争いなんてどうでも良いって言ってるでしょ? 良いからさっさと帰ってよ」
追っ手たちは、目の前にいる勇敢な少女が予想よりも遥かに手強いことに気付いていた。
学園の敷地内に逃げ込まれたこともそうだが、こうして実際に戦うような状況になると、より一層その印象が強くなる。
「――はいはい、どうせアタシの言葉なんて誰も信用しないって言うんでしょ? アイツら普段アタシのことバカにするくせに、こういうところビビりなんだから」
「君も大変だね」
溜息を漏らす少女に、白いスーツの男の声がどこからか聞こえてくる。
「ああ、あんた、分かってくれる?」
「ああ、分かるとも。バカはバカであるほど自分を利口だと思う。それに較べたら自分がバカだと認識している連中は賢者だろうね」
「はは、なかなか言うじゃん。そのままアタシを助けてくれても良いんだけど?」
頬の傷から血を流しながら、少女は黒い影の向こうにいるであろう白いスーツの男に話し掛ける。
男は自分に近付いてくる者には攻撃を仕掛けるものの、積極的に少女たちの戦いに介入しようとはしなかった。
追っ手たちもすぐにそれに気付き、男を無視して少女に対して全力を注いでいる。
「それは無理かな」
「何故?」
そう訊ねつつも、少女は男が決して自分を助けることはないだろうと確信していた。
男の言葉には全く感情が見えない。
まるで人形が喋っているかのようであり、その言葉もまた空虚で意味のないものなのだろう。
しかし、少女の疑問に答えたときのその言葉だけは、僅かな感情を読み取ることができた。
「それは、ぼくの役目ではないからだよ。誰かを救うという役目は、あの方にこそ相応しい」
隠しきれない歓喜がそこにはあった。
少女はその言葉にあった『あの方』が誰であるのか再び問おうとしたが、それは叶わなかった。
「――欧州では随分と過激なナンパが流行っているんだな」
一陣の風と共に現れた男がそう呟いたとき、白いスーツの男の気配はどこにもなかったのである。