プロローグ〈学園の少女〉
戦闘開始から五分。
ライエンティールは戦域マップに敵影がちらちらと映り込んでいるのをみて、自分が着ている甲冑の索敵能力の高さを改めて感じた。
「障害物の向こう側、〈風の魔女〉だったら見えなかったよね、うん」
高機動戦闘を主眼に開発されていただけあって、〈嵐の魔女〉の索敵機能は同年代の他国の錬装甲冑を較べて一段以上高い水準を持っていた。
より正確な索敵情報は、錬装甲冑が持つ機動力を最大限活用するために不可欠だ。戦場での相手の動きを相手よりもよく理解し、その機先を制するのが高機動戦闘の基本なのだ。
ライエンティールはその高機動戦を自らの生き方と認識し、講師たちもそれを認めている。彼女は戦域マップを読む訓練を人よりも多く課せられ、それは今ひとつの勝利として結実しようとしていた。
『ライエンティール・ヴィルトリア。相手の動きが止まった。通信波も傍受している。どうやら管制側揉めているようだ』
「じゃあ、終わらせてもいいってこと?」
ライエンティールは誰にも見えない笑みを浮かべ、両手の指を忙しなく動かした。
その動きに合わせて兵装の選択カーソルが動き、次いで〈嵐の魔女〉背部の飛翔制御翼の両脇にある兵装ラックから引き抜いた高周波振動銃剣付の突撃銃を両手に携えた。
ほんの一週間前に新たに取り付けた武装で、この公式戦はそのテストも兼ねている。高機動近接格闘型である〈嵐の魔女〉であるが、得意とする近接格闘戦に持ち込むためにも、それ以外の状況でも射撃武装が必要であると思われたのだ。
〈風の魔女〉の武装は〈血塗れ伯爵〉と戦うために調整されていた。実際それ以前の公式戦では、ライエンティールは射撃武装を用いたこともある。
自動で初弾が装填された突撃銃を手に、ライエンティールは獲物を前にした犬のように飼主からの号令を待った。
マイトはライエンティールの心拍などから過剰な興奮は見られないと判断し。彼女の新たな装備を使いたくて堪らないという欲求に応え、許可を与えた。
『牽制からの近接。この基本を外れるな』
「りょーかい!」
ライエンティールはマイトの許可が出た瞬間、今までの無秩序な飛行から一転、急激な上昇を行った。
〈嵐の魔女〉の周囲に張り巡らされた防御力場の向こうで、引き千切られた風が悲鳴を上げる。
ぐんぐんと高度計の数字が増え、やがて公式戦で許可されている最高高度である四〇〇メートルに到達した。これ以上の上昇は試合放棄と看做されてしまう。
ライエンティールは上昇そのままの勢いでUターンを決め、地上への落下軌道へと入った。
「とおおおおおおぉぉぉ!!」
気合い十分。
ライエンティールは雄叫びを上げながら射撃管制装置(F.C.S.)のスイッチを入れ、それが示すレティクルに対戦相手である第二八位の姿を捉えた。情報モニターに相手の登録名である〈翡翠の射手〉という文字が浮かぶ。
そして次の瞬間、ピーという合成音と共に照準がロックされた。
「フォイヤー!」
にやりと笑みを浮かべたライエンティールが両手の人差し指が突撃銃の引き金を引くと、それと連動した肩部連装機関砲も射撃を開始する。訓練弾四発と曳光弾一発を一セットとした弾雨が地上へと降り注ぎ、回避行動を取る〈翡翠の射手〉の周囲に次々と訓練弾が撃ち込まれる。
当然、相手も黙ってやられたりはしない。
地面すれすれの背面飛行をしながら、その手に掴んでいる長大な対物狙撃銃をライエンティールに向け、訓練弾を撃ち返してきた。
「おっとぉ」
身体を僅かに捻ったライエンティールの直ぐ横を、訓練弾が通過する。
相手の銃口の位置と周辺環境から弾丸の軌道を算出するシステムは、ライエンティールに玄人染みた回避行動を取ることを許していた。
そのシステムは〈嵐の魔女〉の索敵系に合わせてマイトが組み上げたものだ。経験を積むことでいずれは必要なくなるシステムだが、今のライエンティールにはありがたい。
「よ、は、ほぁああっ!」
回避のために幾度かのローリングを行うと、〈翡翠の射手〉の姿は随分と大きくなっていた。自然と両者の放つ弾丸の軌道は正確になったが、不安定な背面飛行を行っている〈翡翠の射手〉の弾丸は、相手が思っているほど簡単に〈嵐の魔女〉には命中しなかった。
そしてライエンティールの放った訓練弾の一発が相手の飛翔制御翼の端部に命中する。それは試合を管制する統裁コンピュータによって有効な攻撃と判断され、〈翡翠の射手〉の片翼が自動的に機能を停止する。
ライエンティールはその瞬間に勝利を確信したが、〈翡翠の射手〉の装着者も決して無能ではなかった。その場で身体を引き起こし、両脚の衝撃吸収システムを全開にして滑るようにして着地する。
「やるじゃない!」
〈翡翠の射手〉の両脚によって刻まれた二本の線を目印に、ライエンティールは一気に加速。
同時に左腕の突撃銃を兵装ラックに戻し、槍を構えるようにして残った突撃銃を構えた。肩部機関砲の射撃は継続したままだ。
「うりゃあああああああ!」
回避行動を取ろうとしても、機関砲の射撃がそれを許さない。
上位者であれば弾道を読んで回避することも、逆に相手の速度を利用して一撃を見舞うことも可能だが、〈翡翠の射手〉の装着者にはそれだけの技量はまだなかった。
もっとも、それだけの技量がある相手であれば、マイトはライエンティールの望んだ通りの攻撃など許可しなかっただろう。
ライエンティールはマイトが想定した通りの構えを取り、マイトが想定した通りの軌道で、マイトが想定した位置に銃剣の尖端をぶち当てた。
「――っ!」
訓練用の銃剣は高周波を発生させて〈翡翠の射手〉の装甲に幾らかめり込んだあと、その期待された衝撃度で破損して攻撃を受けた側の安全を確保した。
ライエンティールはその場でピッチを上げ、〈嵐の魔女〉の両脚で〈翡翠の射手〉の両肩を踏み付ける。
〈翡翠の射手〉は〈嵐の魔女〉の速度を殺すためのブレーキにされ、土煙を上げながら演習場の地面を削りつつ滑った。
ライエンティールがそのまま唇を噛み締めて衝撃に耐えると、やがて速度はゼロになり、同時にライエンティールが勝利したことを示すアナウンスが流れた。
〈勝者。赤、ライエンティール・ヴィルトリア〉
ヴァイザーにも同様のメッセージが表示され、〈嵐の魔女〉の機関出力が強制的に引き下げられる。
腰の辺りに感じていた導術エンジンの振動が少なくなったのを確認してから、彼女は総ての武装にロックを掛けた。
『相手側の武装ロックを確認した。起こしてやれ』
「はいはーい」
通信の向こうでタックの歓声が聞こえる。
その歓声はこれから待っている整備への現実逃避も兼ねていた。
「ええと、大丈夫ですかー?」
ライエンティールは相手の通信機が故障していることを考え、拡声器を使って呼びかける。
相手からの音声による応答はなかったが、右手をひらひらと振っているところを見ると大きな問題はないようだ。
「起こしますねー」
その右手を掴み、全身のモーターを駆動させて引っ張る。
〈嵐の魔女〉の重量は〈翡翠の射手〉よりも若干軽い。踏ん張るよりも身体全体で引いた方が強い力を出せた。
「よいっしょぉ」
ひしゃげた装甲板がギィと嫌な音を立てたが、〈翡翠の射手〉はその場で立ち上がるとライエンティールに何度も頭を下げた。
「え、そんなに気にしなくても……」
あまりにも恐縮している〈翡翠の射手〉に、ライエンティールも動揺する。
〈翡翠の射手〉はそのまま何度も頭を下げながら自陣へと戻っていき、ライエンティールの耳にもマイトの帰還命令が届いた。
『ライエンティール・ヴィルトリア。さっさと戻れ、早くしないと今日中に帰れなくなるぞ』
「うへぇ……」
ライエンティールは身体を翻して自陣へと戻りながら、自分を待つ戦闘レポートと整備レポートの存在を思い出し、心底不満そうな声を上げた。
だが、彼女の専属整備士は全く意に介さない。
『タック・イェーガーはもう仕事を始めているぞ。今日の損壊具合なら、奴の腕でも夕刻には自分の仕事を終わらせるだろう。君はどうする?』
「分かった! 分かりましたよ! 早く帰りますよ!」
ライエンティールの悲鳴染みた声が響くと、〈嵐の魔女〉は直立姿勢のまま僅かに浮き上がり、飛翔制御翼を開いて自陣への移動を開始した。
脚部で歩行するよりも飛翔制御翼を用いて移動する方が、機体へのダメージは少ないのである。もちろん、室内では使用は控えなくてはならないが。
「今日のご飯は!?」
『親子丼』
「ひゃほぉ! わたし早くおうち帰る!」
両手を上げ、入出場口へと戻っていく〈嵐の魔女〉。
ライエンティールは、自分が拡声器のスイッチを切ることを忘れていることに機体を脱ぐまで気付かなかった。
観客たちの間でライエンティール・ヴィルトリアが「アホの子」扱いされるのは、致し方ないことかもしれない。第十位に昇格するまでの彼女の境遇に較べれば、それでも“マシ”な扱いなのである。