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第四章〈潜む奇跡〉4-3

「ふむ、たまには君の予想も外れるのかね?」

 副盟主の嗄れた声に、周囲の者たちから笑いが漏れる。

 この場で真の意味での“奇跡”が見られると期待していた彼らにしてみれば、単なる番狂わせの試合など余興にもならないのだ。

「ふん、これだから成り上がりは」

「さて、どうしますかな?」

「今日のところは“鍛神”の顔を見て帰るとするか」

“結社”の者たちがそうざわめく中で、サンジェルミは薄く笑みを浮かべたままひとりの人物を見詰めた。

 エウカリアだ。

「エウカリア殿、ここはひとつ皆様に楽しんで頂きませんか?」

 サンジェルミの言葉に、周囲のざわめきが静まっていく。

 まだ何か手を打ってあるのかと期待するような眼差しを、サンジェルミとエウカリアに向けてくる。

 エウカリアは忌々しげに舌打ちすると、サンジェルミをきっと睨み付けた。

「あの赤い木偶人形の中身、死なない程度に痛めつけてもいいんだね?」

「ええ、ぼくはしっかりと仕事を果たしました。それ以上は彼らの自己責任です」

「じゃあ、もう少しだけ夢に浸らせてあげる」

 酷薄な笑みを浮かべたエウカリアは、胸元から黒い宝石の嵌まったペンダントを取り出し、それに口付けた。

「さあ、ワタシのマリア。新しいお人形をあげましょう」

 ぼうっとペンダントの石が光り始める。

 それを確認したサンジェルミは、右手を前方に差し出した。その先には、地面にめり込んだままの〈血塗れ伯爵〉があった。

「まさか相手の甲冑にだけ細工がされているなどと思い込むなんて、軍人にあるまじき不手際ですよ、お坊ちゃん」

 ぱちん、とサンジェルミの指が鳴り、大型モニターに表示されたままの〈血塗れ伯爵〉が身じろぎする。

 それは中のパトリックが起き上がろうとしているように見え、大演習場にいる誰もそれが異常だとは思っていない。

「さあ、本当の戦いの始まりです」

 そう告げたサンジェルミの横を、細い光の糸が通過していく。

 光の発射元は、エウカリアのペンダントだった。

「うら若き乙女を襲う、一体の血塗れ死体ブラッディ・アンデッド。さあ、かつての聖人のように、あなたは乙女を救い出せますか?」

 サンジェルミは両手を広げて一回転し、“結社”の人々の注目を自分に集めた。

「さあ、我らが宿望の始まりです。皆々様、若き奇跡の活躍を祈ろうではありませんか!」

 それに続き、副盟主が杖を掲げる。そして、その体躯からは想像も出来ないような張りのある声で叫んだ。

運命剣ザ・ディステニーを我が手に!」

『運命剣を我が手に!!』

 一糸乱れぬ唱和の後、歓声と拍手が沸き起こった。



 最初に異常に気付いたのは、ライエンティール陣営の管制室だった。

 マイトは試合場でぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶライエンティールからの通信をタックに放り投げ、〈血塗れ伯爵〉の状態をモニタリングしていた。

 そのとき、彼に何らかの確信があったわけではない。

 ただ、勝利を喜ぶライエンティールとタックを横目で見ながら、未だ地面に倒れたままの〈血塗れ伯爵〉から何かを感じ取っていた。

 それは後になって考えれば、サンジェルミの“仕掛け”が発する独特の儀界弦振動――儀界がこの世界に干渉するときに発する振動――を感じていたのだと分かる。

 しかしこのときのマイトは、単なる胸騒ぎを覚えていたに過ぎない。

 だが、〈血塗れ伯爵〉が身動ぎし、ガクガクと人形のように立ち上がった瞬間には、ライエンティールに向けて通信を発していた。

「ライエンティール・ヴィルトリア! まだだ!」

『え?』

 その警告は、本職の軍人相手であれば十分だっただろう。

 しかしライエンティールはまだ十六の少女であり、ようやく一流の導術士となる一歩を踏み出したばかりだった。

 タックが困惑してマイトを振り返ったように、ライエンティールもマイトの言葉に疑いを抱いてしまった。

 そこでマイトを信じてすぐに行動に移っていれば、或いはもう少し彼女の怪我は少なくて済んだかもしれない。

「逃げろ!!」

 マイトの叫びは、ライエンティールに届かなかった。

 彼女は逃げるよりも背後を振り返ることを優先し、そのために自分に向かって突っ込んできた〈血塗れ伯爵〉の質量を真正面から受けることになってしまったのだ。

『がっ!?』

 通信が乱れ、その向こうでライエンティールの悲鳴が上がる。

〈風の魔女〉が吹っ飛び、試合場の地面を跳ね、転がり、何十メートルも移動する。

『あぅっ! がっ!? ぎゃっ!!』

 跳ねるたび、ライエンティールの悲鳴が通信から聞こえてくる。

「リリィ!?」

 その悲鳴を聞いたタックが顔色を真っ青にして悲鳴を上げ、管制室の大きな窓に張り付いた。

「何でこんな! くそっ! 統裁部は何を!?」

 タックは統裁官が座っているであろう観覧席上方の個室を見上げた。ちょうどそのとき、その個室の隣にあった大型モニターに慌てた様子の統裁官たちが映し出されていた。

 その中のひとりが、マイクに向かって怒鳴っている。

〈パトリック・グラント! 試合はすでに終了しています! 直ちに総ての行動を停止しなさい!! パトリック・グラント!!〉

 統裁部の様子にタックは呆然とした。彼らはこれまで常に冷静に試合を見詰めていた。誰もが正しいと思える裁定を下すため、一切の私心を捨てて試合を見詰めていたのだ。

 その統裁部が慌てているという状況に、タックのみならず観覧席の観客まで動揺し始めた。

 彼らはパトリック陣営の行動に抗議を上げ、ライエンティールを早く下がらせるようにと訴えている。

『ぎゃ!?』

 ライエンティールの悲鳴がタックの耳に飛び込んでくる。

 いつの間にかライエンティールは〈血塗れ伯爵〉に片脚を掴まれ、試合場にある岩に叩き付けられていた。

『いたい! 痛いよ! タック!!』

 管制室にはライエンティールの悲鳴が響き、何度も何度も繰り返される暴力に観覧席から悲鳴が上がる。

 中には導術の炎や風、光を纏って試合場に飛び降りようとする学園生も何人がいたが、防御シールドに阻まれてそれも適わない。

 タックもまた、先ほどよりも青白くなった顔でマイトを振り返った。

 もはや、縋るものがそこにしかないと思っていた。

 マイトは、いつもと変わらぬ表情でそこにいた。

「タック・イェーガー。掴まれている部分の装甲を強制パージしろ」

「は、はい!!」

 タックは慌てて自分用のコンソールに戻り、〈風の魔女〉の右脚の装甲板を強制排除するコマンドを打ち込んだ。

 実行を示す文字が浮かび、爆発ボルトの作動が表示された。

〈風の魔女〉の右脚が爆発し、観覧席から一際大きな悲鳴が上がった。

 だがその爆発はライエンティールを〈血塗れ伯爵〉から開放し、空中に放り投げた。

「先輩!」

「分かってる」

 マイトはインタフェースグローブを嵌めた両手を大きく広げ、続いてそれを打ち合わせた。すると彼の前に〈風の魔女〉に搭載されている総ての運動制御系が表示され、まだ半数ほどが生きていることを示している。

 マイトはその中の幾つかに指を這わせると、次にまるで指揮者のように忙しなく両腕を振った。

 その腕の動きに合わせて〈風の魔女〉の噴射器や加速器が光を吹き出し、重力式飛翔制御翼が生き物のように蠢いてライエンティールを〈血塗れ伯爵〉から引き離していく。

 さらに彼は、通信を統裁部に繋ぎ、相手が応答するよりも早く叫んだ。

「緊急事態コード六六六に基づき、統裁部に武装風紀部の出動を要請。要請者、マイト・ガルディアン!」

『要請を受諾した。すでにこちらも出動要請を出している。だが、到着まであと三分掛かる』

「そんな! 何でそんなに掛かるんですか!?」

 タックが通信機に噛み付く。

 統裁部の担当者は苦々しげに呻くと、吐き捨てるように言った。

『パトリック陣営からも同様の要請があった。暴走事故だ! しかも軍用錬装甲冑の暴走! 然るべき装備を調えるまでに時間が掛かる!! そちらも可能な限り時間を稼いでくれ!』

 担当者の言葉に、タックは言葉を失っていた。

 そう、〈血塗れ伯爵〉は軍用錬装甲冑をフルカスタムした代物だ。各リミッターが解除された状態の〈血塗れ伯爵〉を止めるには、それなりの準備が必要になる。

 だが、それまで〈風の魔女〉が持ち堪えられる訳がなかった。

 タックは自分のコンソールに映し出される〈風の魔女〉の情報に、目の前が真っ暗になったように感じた。

 もう防御能力はほとんどない。

 装着者であるライエンティールの状況も悪く、骨折はないものの重度の打撲が何カ所もあった。

 これでは満足に〈風の魔女〉を動かすこともできない。

 今はマイトが操作を代行しているが、それは操縦というよりも各運動系部品を個別に操作しているに過ぎない。関節、噴射装置、飛翔制御翼、それぞれを別個に作動させているだけなのだ。

「不味い、落ちる」

 マイトがそう呟き、〈風の魔女〉の高度が下がる。

〈血塗れ伯爵〉は近くにあった武装コンテナに向かっているらしく、〈風の魔女〉を追い掛けてくることはなかった。

 マイトは可能な限り距離を稼ぐべく〈風の魔女〉を操作し、少し離れた岩場に着地させた。ここなら、岩が邪魔をして直接〈血塗れ伯爵〉の射撃コースには入っていない。

「ライエンティール・ヴィルトリア。おい、起きろ」

『あ……マイト……?』

 通信の向こうから聞こえるライエンティールの声は、掠れ弱り切っていた。

 タックはその声を聞いた瞬間、思わずコンソールを蹴飛ばしていた。

 口汚く誰かを罵り、さらに近くの壁を殴り付ける。

 マイトはその様子を視界の片隅に収めながら、片手で自分の両目を隠した。

 そこには、仄かな光があった。

「ライエンティール・ヴィルトリア。君はどうしたい?」

 マイトは努めて冷静に訊ねた。

 それは、彼の儀界導術にどうしても必要なことだったからだ。

『なに……一体……』

 荒い息が聞こえてくる。

 タックが叫んで更に壁を殴る。

 マイトは熱を持ち始めた自分の眼を押さえ込むようにして、手のひらに力を込めた。

「何を願う」

『――ええと』

 ライエンティールは少し考えるように言葉を濁らせた。

 そのとき、〈血塗れ伯爵〉がライエンティールに向かって近付いていることへの警告を、タックのコンソールが発した。

 びくりとタックが身体を震わせ、マイトに怯えたような目を向ける。マイトは片手でタックを制し、言葉を続けた。

「何が見える」

『そら』

〈風の魔女〉は、試合場の地面に仰向けに倒れている。

 ライエンティールに見えるのは、青い空だった。

「決して届かないもの。君の理想と同じだ」

『うん』

 ライエンティールは素直に頷いた。

 彼女自身、父に関するあらゆる汚名を雪ぐことは無理だと理解している。

 彼女はライエンティール・ヴィルトリアであり、グルツ・エルマではないのだ。

「だが、少し顔を下げてみろ」

『うん』

〈風の魔女〉が顔を巡らせ、視線をゆっくりと下ろしていく。

 九〇度傾いた試合場と観覧席がライエンティールの視界に入った。

『みんなが見える』

「そうだ。ちゃんと見えるだろう。それが空という理想へと至る道だ」

 マイトは努めて冷静に言葉を発した。

〈血塗れ伯爵〉が残った機関銃を構えようとしていることに気付きながら、それでも自分を落ち着かせた。

「世界は繋がっている。だが、空という理想を見るために顔を上げている者は、そこに至る道を見ることが出来ない。そして、そのまま進もうとして転ぶ」

『うん。わたしも転んだ』

 ライエンティールは悲しげに呟いた。

 転んだ彼女を助け起こしたのは、今彼女を見守っている友人たちだった。

「もっと視線を下げろ」

 マイトの言葉通り、ライエンティールはもっと視線を落とした。

 そこには、岩の影から姿を現した〈血塗れ伯爵〉がいた。

「何がいる」

『おっかないのがいる』

「そうだ。だが、自分の運命を変えるには、避けられない相手だ」

『うん』

 ライエンティールは頷き、身体を起こそうとした。

 しかし、小さく悲鳴を発するだけで身体を動かすことはできない。

 再び彼女は、空を見上げた。

「ライエンティール・ヴィルトリア」

 マイトは両目を隠していた手を外し、光の輪が浮かぶ瞳で〈風の魔女〉を見た。その胸の装甲板の上に、小さな光があった。

「あれは……」

 タックはその光を見て、装甲板の奥にある光が漏れ出しているようだと思った。

 だが、金属の板を透過する光などタックはひとつしか知らない。

「精霊石?」

 空間を超越する光を発する鉱石。

 導術の素材として広く流通している鉱石だが、その中でも一際高純度な精霊石が発光すると、それはあらゆるものを透過する光となる。

「ライエンティール・ヴィルトリア。手を伸ばせ」

 マイトの指示通り、ライエンティールは空に向かって手を伸ばした。

 精霊石の光が彼女の胸を離れ、その手に向かって昇っていく。

「ライエンティール・ヴィルトリア。願いを抱き、吐き出せ」

『え』

 光がライエンティールの手のひらに達する。

 彼女はその穏やかな熱を感じ、目に涙が溢れるのを感じた。

 そして、自分の心が欲する願いを口にする。

『お父さん……』

 それは少女の原初の願い。

 理想の鎧の奥底に封じられた無垢なる想い。

『お父さんに会いたい……!』

 ライエンティールの叫びに、マイトは笑みを浮かべた。

 彼の内から、力が溢れる。

 同時に、〈血塗れ伯爵〉からの射撃が始まった。

 その衝撃に、ライエンティールの願いは一点に集束する。

『助けて……助けて、お父さん!』

 ライエンティールの悲鳴に、マイトは叫んだ。タックが驚くほどの声だった。

「掴め!」

 言葉通りに〈風の魔女〉の手が、光を掴み取った。

 光が爆発した。



『その奇跡、承った』

 真っ白になったモニター。

 その中で聞こえてきたその言葉。それに包まれるようにして、ライエンティールの意識は深い場所へと沈んでいった。


◇ ◇ ◇


 父との待ち合わせはいつもの駅前だった。

〈レイスマギルカ学園〉の制服の上に纏ったコートの前をしっかりと閉め、さきほどから舞い始めた雪に抵抗する。

「さむいーさむいーさむいよー、おとうさんさむいよー」

 ライエンティールはそう呟きながら、手袋を嵌めた両手を擦り合わせる。

 列車は到着しているはずなのに、一向に父は姿を見せない。

 まさか別の列車なのかと携帯電話を取り出したライエンティールは、ちょうどそのとき駅から出てきた父の姿を見付けた。

「お父さん!」

 ライエンティールはきょろきょろと周囲を見回す父に向け、大きく手を振った。

 そして父がこちらに気付いた様子を見せると、すぐに駆け出す。

「遅いよ!」

「悪かったよ。切符をなくしてしまってね」

「えー」

 苦笑するグルツの顔をふて腐れたように見上げながら、しかしほんの一週間前に同じことをしでかしたライエンティールは何も言うことが出来なかった。

 そのときは、父に迎えに来てもらったのだ。

「親子だな、俺たち」

「うー、ちょっと嫌な感じ」

 家に向かって歩き始めながら、ライエンティールは父の言葉に答えた。

 ライエンティールは父の腕に自分のそれを絡め、時々体重を掛けては父を傾けるという遊びを繰り返す。

 将官になってもトレーニングを欠かさないグルツがバランスを崩すことはなく、娘のやりたいようにさせていた。

「おいおい、袖が伸びる」

「大丈夫だよ、わたし軽いもん」

 苦笑するグルツと、けらけらと笑うライエンティール。

 道行く人々は親子の様子に笑みを浮かべ、そのまま通り過ぎていった。

 やがてライエンティールが遊びに飽きた頃、グルツはおもむろに切り出した。

「そういえば、前にちょっと話した新しい甲冑の名前は決めたのか?」

「新しい甲冑?」

「ああ、お前が学園で着る奴だよ。第十位になったから、軍からもお前をテスト装着者にする許可が出た」

「本当!?」

「ああ、本当だよ」

 グルツは部外者用の資料を鞄から取り出し、それをライエンティールに手渡した。

 連合空軍の次期主力錬装甲冑のひとつが、そこに記載されていた。

「〈フランベルジュ〉の後継だからね。正式な名前はあとから決まるだろうけど、お前の錬装甲冑のパーソナルネームは自由に決めて良いって言っただろう」

「あ、うん! 決めてあるよ。でも、わたしでいいの?」

 ライエンティールは声を落とし、立ち止まった。

 グルツは娘の顔を覗き込み、そこにある不安いっぱいの表情に苦笑した。

「俺ってお前のこと、あんまり褒めてなかったからな。不安になったんだろう? 悪かった」

「ううん、でも……」

 グルツは娘の言葉を最後まで聞くことなく、その身体を抱き締めた。

 この世界と同じくらい大切な命。彼が軍での栄達よりも新たな錬装甲冑を開発する道を選んだ理由。

 娘を自分の手で守りたい。その運命を切り開く剣を与えてやりたい。

「お前は俺の誇りだ。誰がなんと言おうと、俺の自慢の娘だ」

「――うん」

 頷き、ライエンティールは父の胸に顔を押し付けた。

 そしてややあって顔を上げ、父の笑顔を前にその名を告げる。

「わたしの決めた甲冑の名前は――」



「――〈嵐の魔女ゲヴィットール・ヘクセ〉!!」

 ライエンティールの声が大演習場に響き、光が嵐となる。

 試合場を巻き込む巨大な渦が、〈血塗れ伯爵〉の射撃をあらぬ方向へと逸らした。

 その渦の中心に浮かび上がった〈風の魔女〉。その姿が少しずつパズルのピースが入れ替わるように変化し始めた。

「あれは……」

 観覧席からその様子を見詰めていたメルライアが、彼女に似合わぬ呆然とした表情を浮かべていた。

 小さく反転するピース。最初は飛翔制御翼の末端から変化が始まった。

 六対の翼は大半がへし折れていたが、まるでそこに見えない翼があったかのように、新たな翼が姿を見せ始める。

 これまでの銀色ではなくより深い碧の翼は、薄い翼を幾つも重ねたような形状をしていた。

 ひとつひとつの翼が制御ユニットを内蔵した翼だとするなら、それはより高度で繊細な機動を可能とすることを示している。

 変化を終えた飛翔制御翼は六対ではなく四対に減っていたが、ふた回りも大きくなった翼は力強さを見る者に抱かせた。

「何で……」

 メイルフィードは、装甲板が弾け飛んでメインフレームが剥き出しになっていた〈風の魔女〉の右脚を見た。

 そこには新たな装甲板が現われていた。

 曲線と直線が融合し、優れた空力と剛性を併せ持つフォルム。

 鋭利な爪先には展開式の高周波切断爪が見え、脹ら脛には展開式の推進器があった。

「やりやがった」

 ジルアはそう呟きながら、〈風の魔女〉の腕部が真新しい姿に変わっていく様子を眺めた。

 腕の先にはシールドを兼ねた突撃爪付き大型ハンドガード。

 肩の両端には大型の装甲砲塔付外部推進器シールドキャノン・スラスターが装着され、肩部装甲の後部には大型の加速器が黒々とした口を開けていた。

「リリィ……」

 タックは窓に張り付き、〈風の魔女〉の胴体部がピースが反転するように入れ替わっていくのを食い入るように見詰めていた。

 空力を考え、衝撃を受け止めるよりも逸らすことを重視した流線型の装甲板。

 脇腹にあった廃熱口はなくなり、その代わりに頭部の後ろから伸びる廃熱索と、全身の装甲板そのものが熱伝導を行うようになった。

 頭部は鋭く精悍な表情を見せ、カメラアイを守る超硬度硝子は翡翠色。額には通信アンテナを兼ねた空圧制動翼が伸び、全身にある同じ目的の翼を合わせてその全体的な印象を『剣』というイメージに集約していた。

 人々が固唾を呑む中で、その錬装甲冑は手を伸ばした。

 やがて風は嵐となり、すべての光はその手のひらへと集束していく。

「奇跡、か」

 学園長室のモニターを見詰め、マクスウェルはそう呟いた。

 光は剣の形となり、それは光の消滅と共に両刃の曲刀になった。

 錬装甲冑はその剣を二度三度と振り回し、眼前で直立させる。

 それは古来より戦士が、剣を誰かに捧げるときに見せた姿勢だった。

 彼女は誰にそれを捧げたのか、マクスウェルはそれを考え、目を伏せた。



〈嵐の魔女〉は剣を構えたあと、自分に向かってくる銃弾を悉く回避した。

 これまでの常識ではありえない直角の機動を多用し、人の目に残像を生み出すような速度で〈血塗れ伯爵〉を翻弄する。

 観覧席からはどよめきが巻き起こり、続いて歓声が上がった。

「うわ、めちゃくちゃ喜ばれてる」

 ライエンティールは観覧席からの声に驚き、冷や汗を垂らした。

 実は錬装甲冑に振り回された結果が、あの変則的な動きだとは絶対に言えない。

 彼女は両肩のシールドブラスターを放ちながら、上空から〈血塗れ伯爵〉に迫った。

 相手が逃げようとすればそちらに光弾を撃ち込み、さらに自分が望む方向へと誘導する。

 今彼女が考えていることは勝利だが、如何に相手を傷付けずに戦うかということが大前提になっている。

 それだけの性能が〈嵐の魔女〉にはあった。

 総ての出力が二倍近くに跳ね上がり、少し油断しただけで思わぬ方向に飛んでいきそうになる。

 それを抑え込んでいられるのは、先ほどまでの父との会話を覚えていたからだ。

「誇り、か」

 それが幻であったとしても構わない。

 ただ、自分は願った通りに父に助けられ、新たな力を与えられた。

「だったら、応えてみせる!」

 ライエンティールは叫び、地上で逃げ惑う〈血塗れ伯爵〉に迫った。

 剣を引き、交差の一瞬に総てを叩き込む。

「ぁぁぁぁあああああああああああああああっ!!」

 叫んだ。

 涙が出た。

 父の笑顔が見えた。

 そして、彼女は剣を振り抜いた。



 交差は一瞬だった。

 一気に地上すれすれまで降下した〈嵐の魔女〉は、そのまま水平軌道に転じて〈血塗れ伯爵〉に突撃。その腹部に剣の腹を押し当て、速度を威力に転化してその巨体を吹き飛ばした。

〈うぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!〉

 観客の歓声は、ライエンティールの一撃に吹き飛ばされた結果、入退場口の大扉を破壊して強制退場させられていった〈血塗れ伯爵〉の姿によるものだ。

 皮肉の効いた痛烈な一撃に観客は総立ちとなり、嵐の如き雄叫びが大演習場を揺るがした。

「あ、何かウケてる」

 だが実際のところ、ライエンティールは狙って強制退場させたわけではない。

 偶然、弾き飛ばした先に大扉があっただけだ。

 だが、褒められて嬉しくないわけはなく、彼女は大いに調子に乗った。

「わーい、やほー!」

 空中で手を振り、観客たちに応える。

 ぐるぐると観客席の上空を回って愛想を振りまきながら、彼女は完全にのぼせ上がっていた。

 それは彼女にとって人生最高の瞬間だっただろう。

 だが、物事にはしっかりとした決着というものが用意されているのである。

〈ライエンティール・ヴィルトリア! すぐに着陸しなさい!〉

「ぴっ!?」

 最大音量の放送は、ちょうどライエンティールが巨大なスピーカーの前を通過するときに行われた。

 それは放送担当の統裁官が狙ったものだったのかは分からない。

 しかし、ライエンティールは横合いから叩き付けられた音撃によって操作を誤り、ひょろりふらりと墜落していく。

「わあぁぁ~~」

 一度でも操作を失えば、不慣れな錬装甲冑では致命的である。

 彼女は操作を回復することができないまま、〈嵐の魔女〉が自動で行う最低限の制動機動によって、ゆっくりと木の葉のように落ちていくのだった。

 その様は、彼女が生涯思い出すたびに恥ずかしくなるほど、間の抜けた光景だったという。


◇ ◇ ◇


「如何でしたでしょうか、皆々様」

 サンジェルミは大仰な仕草で背後を振り返り、“結社”の面々が表情を輝かせている光景を見た。

「素晴らしい! あれは別世界の可能性を引き出し、こちらの世界の情報を書き換えたということか!」

「まさに我らが望んだ、世界再誕の力だ!」

「見たところ、ほんの小さな精霊石であれだけの情報置換を実行したようだ。我らがより大きな精霊石を用意できれば……」

“結社”の者たちは興奮したように隣と意見を交わし合っている。

 中には新たな精霊石の発掘を行おうという声や、すぐにでも“鍛神”を迎えに行こうという言葉も聞かれた。

 だが、彼らの興奮を、副盟主は床を杖で突くことで霧散させた。

 カァンという音はそこにいる導術士たちの目を覚まさせ、人々は一斉に背筋を伸ばした。

「――よいものを見せて貰った。事前に一切の訓練を課さず、さして優れた術者でもない少女に類い希なる“奇跡”を起こさせた。紛うことなく、あのお方は我らの盟主に相応しい」

「では……!」

“結社”の人々の表情に歓喜が宿る。

 しかし老人は、ゆっくりと頭を振って見せた。

「まだ早い。みたところ、あのお方はまだ己の願いによる“奇跡”を認めていないようだ。他人の願いを叶えるだけならば、百年前のあのお方と変わりはしない」

「然り」

 副盟主の言葉に頷いたサンジェルミは、同輩たちを見渡しながら言う。

「我らの望みを叶えるならば、あのお方にはより一層、自分の望みに向き合って頂かなくてはならない。我らが欲するのは他者に命を捧げる聖人ではなく、己の望みのために世界を変える神なのだから」

 同意の声が上がる。

 サンジェルミは何度も頷き、その熱狂から外れたところに立つエウカリアを見た。

 女の目には、陶然とした情念が表れていた。

「さあ皆様、運命剣を手にするため、一層の修練を!」

 歓声が上がり、人々は満足そうに笑みを浮かべながら互いに握手をする。

 サンジェルミもまた握手を求められ、笑顔で応えた。

 だがその瞳の奥にある暗い野望に気付く者は、誰ひとりとして存在しなかった。

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