第四章〈潜む奇跡〉4-2
〈風の魔女〉は、ライエンティールの身体をいつも以上にしっかりと受け止めてくれた。
インタフェーススーツも新調されていたし、ヴァイザーを被ればモニターの視野角が大きく広がっているのも分かった。
再戦の場合、錬装甲冑を変更することはできない。しかし、ライエンティールのように再戦に伴って修理を伴うことがあるため、それを構成する部品の中には規格変更が可能なものも少なくない。ヴァイザーに埋め込まれている広角モニターもそのひとつだった。
高機動戦闘を得意とするライエンティールにとって、その変化はプラスの方向に大きく傾いている。
試合場へと向かう通路で、係員の誘導を受けながら進んでいく間、彼女はずっと同じことを考え、呟き続けていた。
「勝てる、勝てる、勝てる……」
唯一人鎧に身を包み、己の呼吸だけを聞く中で、彼女の精神はその一点を指向していた。幾つもの勝ち筋を頭に浮かべ、それを砕かれるたびに別の勝ち筋を打ち立てる。
これまでの人生で繰り返してきたことだ。
「勝てる」
正面の大扉が開放され、試合場に進み出る。
陽光が降り注ぐ試合場は、これまでの戦闘で耕されては修復されるということを繰り返してきた歪な地形だ。
それ故に、より一層“戦場らしさ”を感じることができると言われている。
〈赤。ライエンティール・ヴィルトリア〉
大演習場に響き渡る放送。名を呼ばれたライエンティールは片手を上げ、学園生たちに自分の存在を誇示する。
彼女の身上を知るために罵声を送る者もいれば、この場に立った彼女への敬意をもって歓声を送る者もいる。
彼女の耳には、後者の方が大きく聞こえた。
〈青。パトリック・グラント〉
続いて、正面の青い大扉から深紅の錬装甲冑が姿を見せる。パトリックの〈血塗れ伯爵〉は、一〇日前に戦ったときと何ら変わらない姿でそこにいた。
〈血塗れ伯爵〉は一二・七ミリ機関砲を携えた右手を掲げ、観覧席をぐるりと見渡すことで人々の歓声を受けている。
その姿を余裕と捉えるか、それとも虚栄と見るか。
ライエンティールはどちらとも思わなかった。
「そんなことはどうでもいい、か――確かにマイトの言う通りね」
マイトは試合前、パトリックの戦術は変わらないと断言していた。
むしろ対ライエンティールに特化し、以前の試合の勝ち方を踏襲するだろうと言った。
それは試合までの準備期間が短く、錬装甲冑の変更ができない再試合ならではの判断だ。この短期間で戦術を変えることは、学園生の身では難しい。裏を掻こうとしても付け焼き刃の戦い方で勝てるほど、昇格戦は楽な戦いではない。
「だからこそ、君は君の戦い方をすればいい」
自信に満ちた顔で言い切るマイトに、ライエンティールの方が面食らったほどだ。
しかし、マイトの説明を聞くにつれ、ライエンティールも彼の言い分が正しいと思うようになった。
(一〇日前のわたしと戦うつもりなら、それこそが勝機!)
これと言った戦術はない。
新たな対抗手段を生み出した訳でもない。
しかし、勝てる。
〈両者、前へ〉
放送に従い、ライエンティールはしっかりと地面を踏み締めて前進する。その背後で彼女が出てきた大扉が閉じ、対熱対衝撃シールドが観覧席を覆い尽くす。
戦闘フィールドは、試合場とその上空に漏斗状に広がる空域。それがヴァイザーの中で視覚化された。
その片隅に、専属整備員のいる管制室がある。彼女の背後、およそ一〇〇メートル。その距離は少しずつ開いていくが、後背モニターの映像を拡大すれば、彼女をしっかりと見詰めるマイトと、その背後で右往左往するタックの姿があった。
「通信:HQ」
ライエンティールの発した命令言語に従い、通信回線が開かれる。ざざっという雑音のあと、明瞭なマイトの声が聞こえてきた。
『異常は無いか』
「ない。各部操作系から武装までオールグリーン」
『こちらの状況モニターも同じだ。従って通信も異常なしだな』
モニターの中のマイトが両手を動かすと、彼とライエンティールの間に、幾つもの投影立体図が現われる。
それは〈風の魔女〉の状態と公開されている〈血塗れ伯爵〉のステータス図だった。使用している武装が分かれば、残弾や発射間隔なども推測することができる。
それを試合場にいる選手に伝えることこそが、管制室にいる者たちの仕事だ。規則ではいなくても構わないとされているが、ライエンティールですら予備選後はきちんと依頼を出して人員を用意した。
もっとも、それはつまり前回一度きりのことだが。
『相手側の外観と移動姿勢から重心分析をしたが、武装はほぼ変化がない。命中精度を落としたのか、スコープが広角タイプに換装されているぐらいだ』
「この間散々振り回してやったから、怒っちゃったんでしょ」
ライエンティールはそう言って獰猛な笑みを浮かべ、マイトもまた頷いた。
『射撃管制システムは君専用に特化されているだろう。良かったな、モテて』
「お断りよ。あんな醜男に較べたら、あなたの方がまだマシ」
ライエンティールはそう口にしてから、あっと声を上げた。余計なことを言ったと少し焦った。
しかし、マイトは苦笑して再び頷いた。
『比較対象があんなのでも、君のような美人に俺の方がいいと言われれば悪い気分はしないな』
「そ、そうでしょ!」
ライエンティールはマイトの背後で口元を押さえて震えているタックに気付いた。どうやら笑いを堪えているようだ。
「タック! ちゃんと働いてよ!」
『分かってるよ! グッドラック!』
タックは背中を向けたまま親指を立て、友人の勝利を願う。
ライエンティールは「よし」と小さく呟き、開始位置として指定された杭に片脚を置いて大きく深呼吸をした。
〈両者開始位置〉
放送に合わせ、ヴァイザーの表示が総て移動状態から戦闘状態へと移行する。
管制室からは音声のみが繋がった状態だ。
〈血塗れ伯爵〉が両脚を開いて機関砲を構え、〈風の魔女〉は脚部に力を溜めるように膝を曲げ、背部の重力式飛翔制御翼が大きく広がる。
〈試合……〉
深紅の頭部に刻まれたスリットの向こうで、ふたつのカメラアイが煌めいた。
射撃管制装置が〈風の魔女〉を捉えているのだ。
出力が上昇した銀色の飛翔制御翼は、周囲を通った光を偏向させ陽炎のように揺らめかせる。
それは試合開始直前の証。
機械であるはずの錬装甲冑が見せる。『戦意』の現われだ。
〈……開始!〉
そして、光が迸った。
〈血塗れ伯爵〉が放った初弾は、腕部の一二.七ミリ機関銃ではなく肩に装備された四〇ミリ散弾砲だった。深紅の錬装甲冑の両肩にマズルフラッシュが煌めき、轟音が広がる。
「これで!」
空中で球状から針へと変化した子弾が〈風の魔女〉の周囲を覆い尽くすように広がり、迫る。
〈風の魔女〉の防御性能を考慮した場合、試合開始直後にその装甲を削ることが出来れば、以降の試合展開はパトリックに有利なものになる。装甲がなければ、大した威力のない攻撃や、炸裂した破片であっても有効なダメージになるからだ。
そして高機動性能を重視し、標準的な錬装甲冑よりも僅かに防御性能が劣る装甲を装備している高機動型の錬装甲冑を相手にする場合、その弱点をもっとも容易に突くことのできるタイミングは、試合開始直後。
完全に停止した状態から攻撃を避けられる速度まで加速する時間は、どれだけ短くても確かに存在するのだ。
パトリックは〈風の魔女〉におけるその時間を、前回やそれ以前のライエンティールの試合から分析した。
その結果、〈血塗れ伯爵〉の肩部に搭載されている四〇ミリ散弾砲ならば、決定打にはならなくとも、ある程度有効な攻撃を行えると結論した。
しかし、それは相手も知っていることだ。
「いない!?」
〈風の魔女〉はこれまでの試合で見せた動き以上の速度で直上方向へと急上昇していた。
「よし!」
相手が試合開始直後の一瞬を狙ってくることは、ライエンティールもよく知っている。これまでも同じような展開が何度もあった。その都度、彼女は様々な方法で相手の第一撃を回避してきた。
『いいぞ、そのまま高機動戦に入れ』
「了解!」
今回は直上への回避行動を選んだが、それは〈風の魔女〉が上昇機動をもっとも得意――噴射装置の配置のため――とすることに加え、相手の射撃管制装置の観測範囲を考慮してのことだった。
〈血塗れ伯爵〉に搭載されている射撃管制装置は、横方向への観測範囲が広く取られている。広範囲に弾をばらまくには、こちらの方が都合がいいからだ。
それに、ある程度距離を取れば、たとえ上方向でも十分に観測範囲に収めることができる。パトリックが相手と距離を取る戦い方をする理由はここにもあった。
「洒落臭い小娘が!」
パトリックの目には、ライエンティールの姿が一瞬で消えたかのように映った。
モニターには上方注意の警告が出るが、パトリックは怒鳴り声を上げながら両腕の機関銃を構えた。
「クーゲル・フランム!!」
パトリックは自分が得意とする炎熱系儀界導術の呪文を脳裏に呼び出し、さらに口唱することでそれを実行。
その効果はすぐに発現し、彼の放つ一二.七ミリの弾丸は銃口から飛び出した直後に炎の槍となり、赤い光を帯びて飛び散った。
そして、炸裂。
「うわわわわ! 撃ってきた! 前より早い!」
放たれた銃弾が一定距離に到達すると同時に次々と爆発する様を見て、ライエンティールは相手が様子見を行うことなく一気に勝負を付けようとしていると判断した。
「まだ来る!?」
自分の後を追うようにして迫る爆発から逃れるべく、ライエンティールは加速器の出力を上げる。腰の辺りに振動を感じ、モニターに表示される速度計が一気に跳ね上がった。
『随分モテるな』
「嬉しくない!」
加速と旋回によって目まぐるしく変わる光景。
上昇から下降へ転じ、次いで右旋回。観覧席の直前で旋回したために、正面モニターに驚いたような観客の顔が大写しになった。
それがすぐに横に流れていき、観客は雑多な色合いとしか認識出来なくなる。背後で自分のすぐ後ろを通過した銃弾が観覧席のシールドに衝突して炸裂している音を聞きながら、彼女は更に加速した。
『まだいけるぞ』
「分かってる!」
〈風の魔女〉はライエンティールの要求する急加速に応え、更に上の速ささえ許容している。以前までの試合であれば、すでに限界速度だという警告が出ていたはずだ。
「もう少し!」
更に踏み込む。
速度計がもう一段跳ね、これまでライエンティールが授業の耐加速練習でしか感じたことのない慣性が、彼女の身体を締め付ける。
息が苦しい。
「あ、ちょっと快感……!」
しかし、それが良い。ライエンティールの偽らざる本音は、マイトにだけ聞こえていた。
『おい』
マイトの呆れたような声をライエンティールは無視する。そんなことを気にしている場合ではない。
「もっと、もっといける!」
爆発に追い立てられながら、彼女は笑った。
「このまま消耗させる!!」
炎熱系導術の中で対象物を爆発させる導術は珍しくないが、機関銃の弾丸という高速で、しかも多数射出されるものを対象とした場合、導術士に掛かる負担は大きなものになる。
その点、ライエンティールはこれといった攻撃を行わず、移動にのみ集中しているため、この時点での消耗はほとんど移動していないパトリックの方が上という状況になっていた。
「足場形成! フィールド・オン!」
ライエンティールは空圧制御導術で空中に足場を作り、それを基点にして更なる変則機動に入る。
「ふふッ!!」
ライエンティールは思わず笑いを零した。
望む通り、一切の狂い無く錬装甲冑が動く。
錬装甲冑を纏う者の中で一定の力量に達し、半身とも言える甲冑を纏った者だけが感じる全能感。
特に高速戦闘を得意とする儀界導術士は、その感覚に到達しやすいとされる。
それでも、一六歳という年齢はそこに至るには若い。
彼女に流れる血がそれを可能としたのか、それとも彼女自身の才能なのかは分からない。
だが、彼女と敵対する者にとっては、どちらも面倒事である。
「何だあの速度は!」
パトリックはそうがなり立てた。
先ほどから幾度も弾倉を交換し、銃弾を放ち続けているのに、一発も命中していない。射撃管制装置の示すレティクルに〈風の魔女〉を捉えても命中しない。
まるで過去の残像を狙っているかのように、翡翠の錬装甲冑はひらりひらりと銃弾を躱し続けている。
「おい! 射撃プログラムの修正はまだか!」
『すでに行っています! しかし、追い付きません!』
その言葉の通り、パトリック陣営の管制室はリアルタイムでの射撃プログラムの修正を行っている。
修正しているにも関わらず、捉えることができないのだ。
「だが当たらんではないか!」
『修正するよりも、相手の機動の方が速いとしか……!』
「ふざけるな!! 帝国軍の最新システムだぞ!」
連続する爆音。
牽制代わりの機関銃を放ちながら近付いてくる〈風の魔女〉を、多連装ロケットで狙う。炸裂範囲の広いロケット弾を網のように広げ、ライエンティールを捕らえようとする。
「これで――なっ!?」
だが煙を曳いて飛翔するロケット弾の空隙を、真正面から〈風の魔女〉が潜り抜ける。ロケット弾と〈風の魔女〉の間にあった隙間は、拳一つもなかった。
また最も相対速度の速い方向への回避だったため、近接信管が作動して弾頭が爆発するときには、そこに獲物はいない。
「あのアバズレがぁあああああああッ!!」
パトリックは吼え、さらに銃弾を放つ。
同時に両肩に内臓されていたマイクロミサイルを全弾放出した。
神聖帝国国営造兵廠が製作した高機動マイクロミサイル。
炸薬を減らしてセンサーを強化し、可動ノズルを採用したことでより高度な運動を行えるようになった代物だ。本来ならこんな場で使うつもりはなかったが、背に腹は替えられない。
(サンジェルミはああ言ったが、二度も同じ事が起きれば学園だってこちらに疑いの目を向ける。この戦いで勝てても、次は……)
マイクロミサイルが〈風の魔女〉を追い掛ける様子を見ながら、パトリックは背中に嫌な汗が浮かぶのを感じた。
彼は今、後輩たちからの猛烈な追い上げに晒されている。
ライエンティールだけではない。彼女を退けたとしても、すぐに次の相手が現われるだろう。次から次へと彼を脅かす存在が現われる。
その現実は、絶対的な恐怖としてパトリックにこびり付いていた。
「急いで修正しろ! アレで終わるわけがない!!」
『はい!』
パトリックの言葉通り、マイクロミサイルは進行方向と速度をそのままにぐるりと身体を回転させたライエンティールの射撃によって、次々と撃墜されていた。
腕部搭載の小口径機関銃でも、ミサイルを相手にするには十分過ぎる威力がある。
さらにライエンティールはマイクロミサイルを引き連れたまま急降下し、地面の直前で足場を使って直角に軌道変更。
いくら高機動を謳っていたとしても、そんな動きにミサイルが追従できる訳もなく、残ったミサイルは総て地面に激突、爆発した。
「クソ!」
パトリックはその光景を忌々しげに睨み、次いでモニターの片隅に表示されている残弾表示が危険領域に入っていることに気付いた。
盛大に弾をばらまいた結果だった。
「くそ、まだだ! まだだ!」
パトリックはそこではじめて大きく移動を始めた。
試合場には両陣営の予備武装を収めたコンテナが点在している。
それは実際の戦場でパラシュート投下されるコンテナよりも小さなものだが、実際のコンテナと同じように位置情報を送り続けている。
パトリックはそのコンテナに向けて全速で移動した。〈血塗れ伯爵〉は運動性能は決して高くない。だが、前後への移動に関しては決して鈍足ではなかった。
自分の得意とする距離を維持するためには、ある程度の足の速さが必要なのだ。
「あった!」
地面から突き出した岩の影に、灰色のコンテナがある。
コンテナはパトリックが近付いてくるのを確認すると、上部扉を開けて中の武装を見せた。
「よし」
パトリックはそう言ってコンテナに近付く、念のためにと後背を確認したが〈風の魔女〉の姿はない。
同じように予備の武装を取りに行ったのかと思ったとパトリックが安堵した瞬間、直上注意のアラートがヴァイザー内部に響いた。
「っ!?」
轟、と推進器の光を撒き散らしながら直上より迫る〈風の魔女〉。レーダー範囲ギリギリから一気に降下してきたのだ。
パトリックは慌てて両手の機関砲を指向、射撃を開始する。
だが高速で移動する〈血塗れ伯爵〉は、その射撃性能を十全に発揮できない。
銃弾は悉く逸れ、辛うじて〈風の魔女〉に到達した銃弾は、炸裂導術を纏っていないために相手の空圧系防御シールドに遮られてほとんど効果が出なかった。
空圧系の防御導術は真正面からの高威力攻撃を受け止めるほどの防御性能はない。しかし斜め方向から放たれる攻撃であれば、逸らしたり弾いたりすることはできる。
〈風の魔女〉は一直線にコンテナに向かっている。
パトリックは、銃弾が切れて戦闘不能になるという最悪の負け方を思い浮かべた。
「それだけはできない!」
互いにダメージが伯仲した状態であればいい。全力で競り合って勝てなかったのならば、名誉は守られる。
しかしこの戦いでは、未だに相手側に有効なダメージを与えることができていない。そんな状態で弾切れとなれば、パトリックの本国での評価は大きく下がることになるだろう。
彼は唇を噛み締め、この戦いで勝つことのみに全力を注ぐ決断を下した。
これから先に自分に降り掛かる不名誉と、向けられるであろう疑惑を天秤に掛け、後者を選んだ。疑惑であれば払拭できるかもしれない。
あと一年だけ持ち堪えればいいのだ、と自分に言い聞かせた。
「――――」
パトリックは視覚センサーを用いてある命令を送った。
〈風の魔女〉の中枢ユニット内に仕掛けられている“装置”に向かって。
警報。
「――!?」
ERROR。
ライエンティールは再びその表示を目にすることになった。
直前に迫ったコンテナに模擬高周波ブレードを叩き付けようとした直前のことだった。
彼女はすぐに模擬ブレードをコンテナに投擲し、効果を確認することなく上昇に転じる。どこか甲冑が重く感じた。
「何が起きたの!?」
『落ち着け、すぐに対処する』
悲鳴のような声を上げたライエンティールだが、彼女の声にすぐ答えたマイトの冷静な声に少しだけ落ち着きを取り戻した。
前回と違い、今回は実際の戦場での対処を心得たマイトがいる。実戦では同じようなシステムエラーが発生することは決してあり得ないことではない。
あり得ないならば、それに対処する方法を考え出すのが彼ら武装導術士の仕事だ。
『分かったぞ』
マイトの声は随分早く聞こえてきた。異常発生から僅か三秒である。
「どうなの?」
『大丈夫だ』
マイトは運動制御システムに異常が発生し、彼女と錬装甲冑の同調に齟齬が発生していると説明した。
そしてすぐに対処するとも。
『こんな事もあろうかと、システムを二重にしておいたからな』
『お陰でオレは睡眠不足っスけどね!』
『お前じゃなくてメルライア・ロシェードのお陰だろう』
『そっスね! あははははははははっ!』
通信の向こうでタックが狂ったように笑っているのが分かる。
ライエンティールは友人の献身に感謝しつつ、次々とシステムが書き換わっていく様をモニターで確認した。
『だが、完全には復旧できない。エラーの原因が甲冑に仕掛けられてる以上はどうにもならん』
「でも、戦えるんでしょ?」
ライエンティールは再び軽くなった甲冑を纏い、空を大きく旋回した。
予備の模擬ブレードを確認し、機関銃の残弾を確かめる。
まだ、十分に戦える。
『当たり前だ。しかし現物が確認できない以上、侵食されたメインシステムを遮断するのは危険だから、逐次システムを入れ替えながら戦うことになる』
「それでもいい。あとはこっちで何とかするから」
ライエンティールは自分が驚くほど冷静なことに気付いた。
前回は動揺した挙げ句に地面に激突することになったが、今はまだ確かな勝ち筋を捉えている。
『ああ、君ならできる』
マイトの言葉ははっきりとライエンティールの胸に染み込んだ。
自分を信じる誰かがいる。それだけで十分だった。
パトリックは動きが鈍った〈風の魔女〉を見て勝利を確信した。
「上手いもんじゃないか!」
完全に相手の動きを止めるのではなく、鈍らせる。
それならば統裁官が試合を止めることもなく、またパトリックが証拠となる装置を破壊する機会も得られる。
彼は嬉々としてコンテナに近付き、突き刺さった模擬高周波ブレードの柄を掴んで引き抜いた。
破損したのは一二.七ミリ機関砲の予備弾倉の半数と、四〇ミリ散弾砲の予備弾だった。四〇ミリ散弾砲の補給が出来なかったのは痛いが、動きの鈍った〈風の魔女〉を相手にするのであれば十分だ。
「これで勝てる!」
パトリックは予備弾倉を腰の固定ラッチに嵌め込み、さらに手持ちの機関銃の弾倉も交換した。残段数のメーターが回復するのを確認し、彼は再び加速する。
「何処だ!」
パトリックはレーダー画面を睨み、〈風の魔女〉の位置を確かめようとする。
そして上空を大きく旋回する光点を見付け、空を睨んだ。
ほんの一瞬目に入る光が増したが、すぐに光量調整が行われて照準用のレティクルが〈風の魔女〉を円の中に捉えた。
先ほどまでの速度は出ていない。
パトリックは歓喜に顔を歪め、機関銃を空に向けて構えた。
だが、その歓喜はすぐに困惑へと変化する。
「何だ」
〈風の魔女〉の動きが、少しずつ良くなっていく。
こちらの仕掛けた罠に対処されている。パトリックは確信した。
「くそっ! 早過ぎる!」
パトリックは仮に対処を行うとしても、かなりの時間が掛かると思っていた。
それの予想は決して的外れではない。
わざわざ制御システムを丸ごとふたつ用意し、それぞれを入れ替えることができるよう構築するという手間を掛けるなど、少なくとも常識の範囲ではない。
しかし、パトリック陣営が何か仕掛けるとしたら痕跡が残りにくいシステム内だろうと予測することはできる。それに備えるならば、決して無駄ではないのだ。
「落ちろ!」
彼は空に向けて銃弾を放ち、儀界導術の口唱準備に入る。
これ以上の継戦は自分に不利だと判断した彼は、ライエンティールが対処を終えるよりも早く勝負を決着させることを選んだ。
「フランム・ツヴァイ!!」
口唱と同時に先ほどよりも大きな炎が銃弾を包み込み、導術の演算を行うパトリックの頭に痛みが走る。
先ほどの儀界導術よりも高威力で、攻撃範囲も広い上級導術だった。
パトリックは戦えば戦うほど自分が不利になっていくと思っていた。
そしてそれは、ライエンティールも全く同じだった。
〈風の魔女〉は加速器から大きく焔を吐き出すと、模擬ブレードを構えて地上へ向けて加速する。
地上から放たれる炎を纏った銃弾は、ライエンティールに回避技能の限界を超えさせるほどに正確だった。
少しでも回避機動がずれれば、そのまま一撃を受けてしまう。空圧系高機動を得意とする導術士は、その適性として高い空間認識能力と高速の思考能力を持っている。
前方から迫る銃弾を認識し、それを回避するという行為は、まず常識的ではない。だが、彼女たちはそれができる。
それができなければ、戦場の空を支配する高速機動など不可能だからだ。
「いい加減にしろぉっ!!」
細かく軌道を変化させることで銃弾を回避する。
相手が自分を正確に狙ってくるからこそ、回避する道筋が生まれるのだ。
だが、機械から放たれているだけあって、時折予測軌道を逸れる銃弾が現われ、回避しきれずに至近で炸裂する。
たった数発であっても、〈風の魔女〉の表面を焼き、軽装甲であるが故にダメージは確かに蓄積した。パトリックは決して無能な儀界導術士ではない。
上位者には満たないかもしれないが、中堅より上の実力は有している。そんな導術士が放つ攻撃だ。直撃せずとも一発一発のダメージは小さくない。
「あと少しで!」
そして、敗北の基準となるダメージまであと一発分。
ライエンティールはそこで、一瞬だけ思考の中に逡巡が生まれるのを感じた。
(負ける?)
加速した思考に、そんな疑念が浮かぶ。
あと一発受ければ負ける。
(違う)
ライエンティールはちらりと視線をずらし、管制室を見た。
その奥にあるマイトとタックの顔は見えないが、確かにそこには、自分の勝利を信じている人がいる。
彼女は、再度加速した。
(あと一発喰らうまでは負けないでいられるんだ!)
地表接近のアラート。
ノイズが多くなった正面モニターには、マズルフラッシュと共に深紅の錬装甲冑の姿があった。
そのカメラアイはライエンティールを睨んでいた。
「やぁぁぁああああああああああああっ!!」
ライエンティールも睨み返した。
絶対に勝ってやるという意志を込め、そのカメラアイに模擬ブレードの切っ先を向ける。
加速。加速。加速。相手が後退を始めたため、それを追尾する形で直降下からの水平飛行へ。
「いける!」
だが最後の一瞬、〈血塗れ伯爵〉の構える機関銃の銃口が、回避しきれない位置に近付いて来た。
届くか、相手が早いか。
(間に合わない!?)
発射間隔を考えれば、相手の一撃の方が速い。
だがそれでも、ライエンティールは速度を緩めなかったし、軌道を変えることもしなかった。
全力で突っ込んだ。
錬装甲冑そのものの防御力と、装着者保護のために搭載されている緊急防御システムを信じた突撃だった。
「くっ!」
巨大な衝撃がライエンティールを襲い、モニターが明滅する。
攻撃を受けたのかと思ったが、それを確かめる術がなかった。
そのまま地面を二〇メートルほど転がり、ようやく〈風の魔女〉は止まった。
ライエンティールはモニターを見た。
横倒しになった観覧席が映っていた。
「あ、わたしが倒れてるんだっけ」
ライエンティールはそう呟き、腕を動かして起き上がろうとする。
だが装甲板が歪んでいるらしく、なかなか腕が動かない。
修理が大変そうだと思いながらようやく身体を起こし、ライエンティールは〈血塗れ伯爵〉がいるはずの背後を振り返った。
そこにはもうもうとした土煙が漂っており、先を見通すことができない。
だからライエンティールは、残った武装である模擬ナイフと腕部機関銃を構え、それが晴れるのを待った。
「あ、風で飛ばせば良いじゃん」
それに気付いたライエンティールは、機関銃の内蔵された腕の先に基点を作り、そこから風を起こした。
突風が土煙を吹き飛ばしていく。
そして、完全に土煙が消し飛んだとき、そこには地面にめり込んだまま動きを完全に止めている〈血塗れ伯爵〉がいた。
「ええと?」
ライエンティールはナイフと機関銃を構えたままぐるりと首を捻り、どうすればいいのかと観覧席を見た。
その仕草は大型モニターにもしっかりと映っていた。
まるで子どもが親の反応を待っているかのような動きだが、大演習場に響いた放送がそれに対する答えだった。
〈勝者。赤、ライエンティール・ヴィルトリア!〉
「ほあ?」
呆けるライエンティールを、大歓声が包み込んだ。