パノ
僕はぬいぐるみ。小さなぬいぐるみ。
赤いとんがり帽子に金色の髪。笑った目と大きな口にはチャームポイントの八重歯があって、緑の服に黄色のズボン。
右手には笛を持った小さなぬいぐるみ。
名前は…えっと。
『パノ』
そう、パノって呼ばれてた。
ずっと暗い箱に閉じこめられたままで、もうどのくらい経ったんだろう?
ずっと前、僕はゲームセンターのUFOキャッチャーの中で、他のぬいぐるみ達に埋もれてたんだ。
ある日、二人の男女が僕らの前にやって来た。
『あー!あれパノッティ?』
女の人が僕を指さしてそう言うと。
『あ、ホント。パノッティだ!!』
男の人はちょっと興奮気味に財布を取り出しながら相槌を打った。
僕はどうやらパノッティというキャラクターらしい。僕のどこが良かったんだろ?
カチャンカチャンと小銭を投入する音が聞こえると、僕の上から小さなクレーンが降りてきた。
あ…挟まれた。持ち上げられる…あ、落ちた。
『あー、惜しい』
男の人は悔しそうにそう言うと、続けざまに小銭を投入してる。
『今度は取る!』
僕はそれからも何度も落ちてはコロコロ転がって、ちょっとイライラしちゃったけどね。
でもそのうちにクレーンにしっかり掴まれて、丸い穴の中へ放り込まれたんだ。
スルスルっと滑り落ちると、すぐに暖かい手で抱き上げられた。
目の前には綺麗な女の人。
『可愛い〜♪パノ君だあ』
僕は『パノ』と、その時名付けられたんだ。
その後家に連れてこられると、僕はサイドボードの上の馬のぬいぐるみにもたれかかるようにしてポンと置かれた。
そのお馬さんにはライスシャワーって名前が書いてある。
なんだか居心地が良いので、僕はここが気に入った。 男の人と女の人は一緒に住んでいるようだ。
男の人は『シュウ』って呼ばれていて、女の人は『ミカ』って名前らしい。
二人はいつも楽しそうに喋って、料理を作って、洗濯して掃除している。すごく仲が良くて幸せそうだ。
『あたしたちの子供みたい』
『そうだね。こんな子供作ろうね』
時折二人して僕を見つめてはそんな事言ってくれたんだ。
少し照れるけどすごく嬉しかったよ。
何日かすると僕はシュウに抱かれて外に出た。
どこ行くの?捨てられちゃうの?
二人は大きな荷物を抱えて車に乗ってね、僕を手に取ると
『はーい、ここがパノの席』
…て、ダッシュボードの上に前を向いて座らされたんだ。
僕一番前♪
車が走り出すと今まで見たことない外の景色が流れていく。
うわあ、すごいなあ。どこまで行くんだろう?
僕は嬉しくて持ってる笛を吹きたくなった。
でも僕はぬいぐるみだから吹けないんだ…
車はどんどんどんどん走っていって色んな所に行ってね、たくさんたくさん色んな珍しいものを見たんだ。
車を降りるとき、シュウは僕をシャツの襟元に突っ込んで顔だけ出してくれたの。
二人で見てる景色を僕も一緒に見てたんだ。
海の上に浮かぶ島から煙がモクモク出てた。
夕日が沈むところも顔を赤くして三人で見てた。
星がすごく近くに見える山の上で、首が痛くなるくらい三人で夜空を見上げたりもした。
楽しいな♪楽しいな♪
僕は良い家族に出会えたんだな。
それからすごく賑やかな所にも行ったんだ。
空を飛ぶ乗り物でね、遠くまで行ったよ。
広いところに珍しい建物がたくさんあって、ネズミとかアヒルの着ぐるみ着た人が手を振ってる。
『次、スプラッシュマウンテンね!』
『だいぶ列ぶんじゃないの?』
『これは乗っとかないと!』
なんだか長い行列に入ってずーっと待った。時折すごい叫び声が聞こえてくるんだけど…
『パノ濡れない?』
『大丈夫だろ。それに最後の写真にコイツ写ってなかったら可哀想じゃん』
うわ〜い♪写真大好き。僕はいつもニコニコ笑って写るんだ。
やっと僕らの順番が回ってきた。
大きな丸太みたいな乗り物に乗り込んで、水の上をプカプカ浮かんで進むんだ。
でもすごく暗いトンネルを進んでくと…
『キャーっ!』
て歓声の中、一気に下に落ちるんだ!
スゴい!面白い!
やっと光が見えてきて、もう終わりかな?って思ったら最後にドーンと下の池に向かって落ちた。
水しぶきがキラキラ光って僕らに降り注いできたけど気にならない。だって面白いんだもん♪
シュウもミカもすごく楽しそうに笑ってる。
降りるときにはもう僕らの写真が出来ていた。最後に落ちるところだ。いつの間に撮ったんだろう?
うん、ちゃんと笑って撮れてる。えらいぞ、僕。
シュウとミカが行くところには必ず僕も一緒に連れて行ってくれた。
北海道に行くと、馬に食べられそうになった。
沖縄に行くと、突然の雨でびしょ濡れになった。
ずっと僕はここの子供で、ずっと色んな所に連れていってもらえるんだって…ずっと、ずっと思ってた。
ある日ミカがすごく怒ってシュウに食いかかった。シュウは口数少ないけど何度も謝ってるみたい。
そのうちミカは大声で泣き出した。
泣かないでよ。泣かないで。ミカが悲しいと僕も悲しいよ。慰めてあげたいけど喋れないんだ。
僕はぬいぐるみだから…
それから二人は何度となくケンカをするようになった。僕はあれ以来ずーっとライスシャワーにもたれかかったままだ。そしてそのケンカを悲しい気持ちで見てたんだ。
ある日、またケンカが始まって、ミカが家を飛び出していったんだ。
ねえシュウ、追いかけないの?
シュウは僕を抱き抱えるとベランダに出た。下には車に乗り込むミカの姿が見える。
ミカが車に乗ってどっかに行くよ?なんだか悲しいよ。ミカはどこに行くの?泣かないで答えてよ。僕は三人で暮らしたいよ。
夜の帳の中へミカの車は消えてしまった。
俯いたまま何時間も何時間もシュウは動かないんだ。
でもそのうち玄関のドアが開いた。
シュウは玄関に飛び出していって、そこでミカに何回も叩かれて怒られてた。
ミカは泣きながら怒ってて、でもやっぱり二人抱き合って仲直りしてた。
僕はすごくホッとしたよ。
でもそれからも二人のケンカは時々あって、何度も『浮気』って言葉が出てくる。
浮気ってなんだろう?シュウは何をしているんだろう?
そのうち今度はシュウが家を出ていった。
出ていくときにミカは居なかったけど、僕を最後に抱きしめて
『ミカをよろしくな。さよならパノ…』
って言ったんだ。
シュウ、どこに行くの?僕は嫌だよ。
僕しかいない部屋にミカが仕事から帰ってきた。
シュウが置いてった手紙を読むと、すごくうろたえて泣きながら電話してた。
他にも色んなとこに電話してて、すごく可哀想で見ていられないよ。
なんでミカをこんなに悲しませるの?
なんで僕をこんなに悲しませるの?
それから何日も何日もシュウは帰って来なかった。
ミカは毎晩泣きながら僕を抱きしめてシュウの携帯の留守番にメッセージを入れている。
シュウはもう帰ってこないんだろうか?
あんなに三人で賑やかに過ごしてた夜は、今は火が消えたみたいに静かなんだ。
でもある日、ミカの携帯から着信音が鳴ったんだ。
あ、これシュウだよ!ミカ、この音はシュウからの電話だよ!
『シュウ!どこにいるの?早く帰ってきて。帰って来てよ…』
ミカは泣きじゃくりながら『うん、うん』って頷いてる。でも少し笑ってるからきっと帰ってくるんだろう。
よかった。シュウが帰って来る。
それからまた何日かすると玄関からシュウの声が聞こえた。『ただいま』って。
ミカは泣きながら、でも嬉しそうにシュウに飛びついてね、二人でずーっと抱き合ったままだった。
こんなに好きならなんでケンカするんだろ?
二人ともこんなに好き合ってるのにね…
それからしばらく二人は静かに暮らしてたんだ。
ある日、シュウとミカが荷物の整理を始めた。
たくさんの荷物を引っ張りだしてはダンボール箱に詰めている。
何してんだろ?
だんだん部屋の中がガランとしてきた。
そしてあらかた片付いたとき、シュウが僕を手にとってこう言ったんだ。
『ミカ。パノを連れてって』
連れてって?
僕はどっかに行くの?
シュウは一緒じゃないの?
なんで三人一緒じゃないの?
そして僕はミカと一緒に新しい部屋に来たんだ。
シュウの居ない新しい部屋。
『ごめんねパノ。あなたを見てると悲しいことばかり思い出すの…』
ある日ミカはそう言って、僕をダンボールの箱の中に入れてしまった。
蓋がゆっくり閉まって光がだんだん小さくなる。
最後に見たミカの顔、すごく悲しそうな表情だったことは覚えてる。
そして真っ暗になった。
僕はあれからずっとここにいるんだ。
もうミカの顔もシュウの顔もおぼろげになってきた。
二人とも僕のこと忘れちゃったのかな?
僕はずっと忘れてないよ。僕は今でもここに居るんだよ。