4(クライヴの決意)
それは本当に偶然だった。
学園の中庭で、遠巻きに生徒たちが見守るなか、マリアンナが婚約者に殴られそうになっていたのを見つけたのだ。
護るべき対象である女性に手を上げるなど、絶対にあってはいけないことだ。
周りもなぜ見ているのに止めないのか。
僕は急いで駆け寄り、男の腕をつかんだ。
僕が公爵家のものだとわかると、男は苦々しげに文句を言ってきたが、聞いてやる道理はない。
僕は、座り込むマリアンナに目を向けた。彼女はぽかんと呆けたような顔をしてまっすぐ僕を見つめてきた。
その頬が赤く腫れているのが見えて、なんとか守らなければと思った。
僕は彼女を公爵家で預かることを宣言し、彼女に手を伸ばした。
「さあ行こう」
まだぼんやりしたままの、よくわかっていないような顔で、マリアンナは僕の手を取ったのだ。
それから、公爵家に連れて帰ったマリアンナにひどい折檻の跡が見つかった。
まだ政治的な動きができるわけではない僕には手に負えない問題だ。マリアンナの実家については両親に対応をお願いし、僕はマリアンナの心のケアを担当することにした。
マリアンナはなにをしてもまったく無感動で、自分のことにとにかく頓着していなかった。
伯爵家が処分されたり、婚約が破棄されたりと、マリアンナの周りは慌ただしく動いていったのに、マリアンナ自身はそのどれも他人事のように報告を聞いていた。
自分でマリアンナになにかしてあげられるわけではない僕は、ただマリアンナに寄り添った。
なにかにつけてマリアンナのいる客間を訪ね、お茶を飲んだり庭に連れ出したり庭の花を部屋に飾ったり、できるだけ気が紛れるようなことをしたつもりだ。
マリアンナの表情が変わらなくても、嫌がっている素振りはなかったので根気よく続けた。
そうして共に過ごす時間が増えていくと、ふっとマリアンナが微笑む瞬間もあった。
ただ、自分が微笑んだことに気付くと、はっとしてまた無表情に戻る。何でもないような顔に見えるけれど、それはとても悲しいことのような気がした。
今までの家庭環境が彼女から表情を奪ってしまったのだ。
僕は、どうにかしてマリアンナに微笑んでほしかった。
そうしてしばらくマリアンナが公爵家に身を寄せているうちに、伯爵家のもろもろの処分が終わり、マリアンナの身分は酷く不安定なものになってしまった。
仕方なかったとはいえ、今まで苦労してきたマリアンナにはあまりにひどい仕打ちだ。
僕になにかしてあげられることはないだろうか。
自分の感情を閉じ込めて無表情になってしまったこの子のために。
処分の報告を受けても、無表情なままのマリアンナの力になれたら…。
「マリアンナ、どうか僕を頼ってほしい。悲しければ泣いてもいいんだよ。君は今までよくがんばったね」
何もできない僕は、せめて言葉でマリアンナを労った。
今までのことは君のせいではなく、君は精一杯がんばっていたんだ、ということをなんとかわかってほしくて。
そうしたら、マリアンナの瞳からぽろぽろと涙がこぼれだした。
無表情は相変わらずだったけど、次から次へと流れる涙がマリアンナの感情そのものだった。
「私……痛かった……」
マリアンナが静かに言った。
うん、そうだろう。あれだけの傷で痛くないわけがない。
「つらかったんです」
そうだね、僕には想像もできないくらいつらかったんだろうね。
マリアンナは声も上げずに泣き続けた。やっぱり僕にできることなんて何もなくて、ただそばにいるしかできなかった。
せめて、この涙が止まるまではそばにいたい。
しばらくして、やっと涙が収まると、マリアンナはふわりと笑顔を見せた。
その不意打ちに、僕の心臓がどきりと音を立てる。
「あの時、クライヴ様が助けてくださったおかげです。本当にありがとうございました」
なにかから開放されたようなマリアンナは、とても可憐な女の子だった。
ああ、この子は僕が守らなくては。
他の誰にもその役を譲りたくない。
僕が、一番近くにいたい。
「マリアンナ、これからは僕が君を守るよ」
自然にそんな言葉がこぼれていた。
マリアンナが僕を見つめる。
二人の視線がしっかりと絡んだのを感じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
僕がマリアンナに寄り添っていた間に、両親はマリアンナの身分を固めるために動いていたようだった。
そして、ある日突然聞かされたのは、マリアンナが僕の叔父…父の弟の婚約者になるという話だった。
「なぜですか父上!マリアンナは今まで散々嫌な思いをしてきたというのに、歳の離れた叔父上に嫁げというのですか!」
僕はカッとなって声を荒げていた。こんなに大きな声で父に意見したのは初めてかもしれない。
目の前が暗くなるような気がした。
父は軽くため息をついて言った。
「自分の叔父との婚約を罰ゲームのように言うんじゃない。それにアランは私とよりもお前との方が歳が近いくらいだ。そこまで不自然な縁組ではないだろう」
「確かにそうですが…!」
僕の叔父、アラン・ルロワは父の歳の離れた弟だ。確か今年31になったはず。
この歳まで結婚はおろか婚約すらせず、隣国で商売を興していた。拠点は隣国にあり、ごくたまに顔見せに帰ってくる。
貴族の政略結婚ではないことではないが、マリアンナとは10歳以上歳が離れている。これではマリアンナが売られて行くようではないか。
僕は胸にこみ上げるムカムカを飲み下すことができなかった。
「30過ぎても結婚もせずフラフラしているような叔父上に嫁がされるなんて、マリアンナがかわいそうです」
「お前、アランがなぜ結婚していなかったと思って…」
父の言葉を遮って、僕は力強く宣言した。
「マリアンナのことは僕が守ります!僕がマリアンナと婚約します!」
僕の言葉に父はぎょっとしたように目を見開いた。
「お前…何を言っているんだ、王女とマルテル公爵令嬢との婚約があるだろう」
「そんなの、僕はただのスペアではありませんか。一抜けしたところでどうとでもなるでしょう」
口に出してみて、それはいい考えだと思った。
今まで幾度も考えた。ベアトリスもレティシアも、スペアである僕との結婚を望んでいないことは分かっていた。
王女の婚約者はさすがに王子でないといけないだろうから、そうするとベアトリスが僕と結婚しなくてはいけなくなる。
ベアトリスだって、自分が望む相手と結婚したほうがいいに決まっている。
ベアトリスを、僕との望まない結婚から解放してあげよう。
「僕はマリアンナを愛しています。叔父上には渡したくない。ベアトリスだってきっとわかってくれます」
父は何も言わず、眉間に深くしわを寄せた。
そうだ、愛しているんだ。
マリアンナを誰にも渡したくない。
こんな気持ち、ベアトリスにもレティシアにも感じたことがない。これが愛なんだ。
実感したら、早くマリアンナに伝えたくなった。マリアンナは何というだろう?マリアンナも愛を返してくれるだろうか?
勢いで婚約したいと言ってしまったが、まずはマリアンナに告白することが先だった。
今の時間ならマリアンナは庭を散歩しているだろう。この話が終わったら花園で告白しよう。
僕がそんなことを考えていると、父は深くため息をついて、僕に言った。
「王とマルテル公爵に相談してからだ。それまではこのことを口外しないように。決して早まった行動を取るんじゃないぞ」
「はい!わかっております!」
父が相談するということは、僕とマリアンナとの結婚はほぼ決まったようなものだ。
僕は嬉しくなって返事にも力が入る。
「それでは、失礼します!」
僕は言い終わるとすぐ踵を返して父の書斎を出た。
マリアンナとの結婚が正式に決まる前に、ちゃんとマリアンナから許しを得なければ。
マリアンナだって、周りから先に聞いたらびっくりしてしまうだろう。僕がしっかり思いを伝えて、政略ではなく愛しているから結婚したいんだと分かってもらおう。
「本当にわかっているのか…?」
すでにマリアンナのことで頭がいっぱいだった僕には、背中越しの父のつぶやきは届かなかった。




