1(マリアンナの物語)
あるところに、マリアンナという女の子がいました。
金髪と緑の瞳が美しい女の子でした。
マリアンナのお父様は伯爵で、マリアンナは伯爵令嬢でした。
お父様はお仕事が忙しくあまり家にいませんでしたが、優しいお母様と使用人たちにかこまれて、幸せに暮らしていました。
しかし、マリアンナの幸せは5歳のときに終わってしまいます。
マリアンナの大好きなお母様が、風邪をこじらせ、肺炎で亡くなってしまったのです。
マリアンナは泣きました。たくさんたくさん泣きました。
しばらく泣いていると、お父様が帰ってくると知らせがありました。
マリアンナは、悲しくてしかたがありませんでしたが、お父様が帰ってくることは嬉しく思いました。
いつもお仕事が忙しいからと、本当にたまにしかお顔を見ることができないお父様。
でも、お母様が亡くなってしまった今なら、きっと時間を作ってマリアンナと一緒にいてくれるはず。
マリアンナは泣きはらして真っ赤になった目を擦りながら、お父様を出迎えるため、玄関に急ぎました。
そこにいたのは、お父様と、知らない女の人と、マリアンナより小さな知らない女の子でした。
知らない女の子はキラキラと緑の目を輝かせてはしゃいでいます。ふわふわとウェーブした金髪はマリアンナと似ていました。
お父様と知らない女の人は、女の子を優しい笑顔で見ています。
「さあリリアンナ、今日からここがお前のおうちだよ」
「ほんとうに!?おしろにすむのね!ありがとうおとうさま!」
お父様と金髪の女の子がお話しています。
マリアンナは涙も引っ込み、目を白黒させて、びっくりしていました。
今、女の子はお父様を「おとうさま」と呼びました。どういうことなのでしょう。お父様はマリアンナのお父様なのに。
声を掛けることもできずに棒立ちになっていると、やっと気付いたお父様がマリアンナを見ました。しかし、その顔からは笑顔が消えてしまいました。
「いたのかマリアンナ。今日からメリダとリリアンナがこの家に住む。お前の義母と義妹だ」
お父様の言葉に、知らない女の人がふんっと鼻で笑います。
「あらやだわ旦那様、あの女の子供に母なんて呼ばれたくありません。私のことは伯爵夫人と呼んでちょうだい」
「おお、それはいいな。ではリリアンナのことも『お嬢様』とでも呼んでもらおうか」
「まあ!それはいい考えですわね!今までリリアンナが受けるべき恩恵を受けていたのですもの、そっくりリリアンナに返してもらわなければ」
お父様と知らない女の人が笑いながらそう話すのを、意味も分からずぽかんと聞いていました。
そのまま、気がついたらマリアンナはいつもの部屋から使用人棟の部屋へ移されていました。
以前の部屋は、中身もそっくりそのままあの女の子のものになりました。
なにひとつ持ち出すことは許されず、その日着ていた黒い喪服代わりのワンピースだけがマリアンナの持ち物でした。
それから、マリアンナは使用人のように扱われ、綺麗だった手はボロボロになり、ふっくらとした頬も痩せこけていきました。
優しかった使用人たちは次々解雇されていき、お母様がいたときの使用人は残らずいなくなってしまいました。
笑ったり泣いたりすれば、メリダに鞭で打たれました。
マリアンナはどんどん表情をなくして、お人形のようになっていきました。
マリアンナは使用人のように仕事をさせられるのに、それと同時に伯爵令嬢としてのお勉強もしなければなりませんでした。
メリダは平民で、この国の法律では貴族と平民の間に生まれた庶子には家を継ぐ権利がありません。
つまり、どれだけリリアンナが愛されていようが、伯爵家を継げるのはマリアンナだけなのです。
お勉強のためにマリアンナにつけられた家庭教師は厳しく、少しでもマリアンナが間違うと鞭で打たれます。
お父様は昔とは違って毎日家に帰ってきます。
お父様とメリダとリリアンナは、毎日楽しそうに夕飯を一緒に食べます。
リリアンナたちが食事をする間、マリアンナは給仕の仕事をしながらそばに立っていなければなりません。
自分のご飯とは比べ物にならない豪華な食事に、お腹が鳴ってしまい、卑しいとメリダに鞭打たれることもありました。お父様は興味がなさそうで、見向きもしません。リリアンナはマリアンナが打たれてうめくと、きゃっきゃと声を上げて喜びます。
そうして、10年の月日が流れました。
来年から貴族学校に通うという年、マリアンナは珍しくお父様の部屋に呼び出されました。
「お前の婚約が決まった。顔合わせをするからけして粗相がないようにしろ」
用件だけ言うと、お父様はマリアンナを部屋から追い出しました。
婚約と言っても、どこの誰とも言われませんでした。
ただ、その日から夜に使用人がきて、髪と肌の手入れをされるようになりました。
使用人たちはマリアンナの世話をさせられることに不満を言いながら、乱暴な手つきで作業をこなしました。
手が荒れるから、水仕事はしないようにと命令されました。
マリアンナがしない分の水仕事を任された使用人が、マリアンナのそばで文句を言っていました。
時々抜かれていた食事も、ちゃんとお腹が膨らむまで食べられるようになりました。
食事を取りに行くと、料理人たちが嫌そうな顔でマリアンナを見てきましたが、お腹が膨れるなら気になりません。
そして、ガリガリの体にもうっすら肉がつき、手荒れも治ったとき、急にいつものお仕着せからドレスに着替えさせられて、婚約者と顔合わせをしました。
ドレスは昔メリダが仕立てさせたものを手直ししたようで、型落ちした流行遅れのものでした。
しかし、普段ドレスを着ないマリアンナにはそんなことはわかりません。
庭園の四阿に連れて行かれ、そこで別の伯爵家の次男であるジルベールに会いました。
ジルベールはマリアンナと同い年で、黒い髪と水色の瞳の、整った容姿の少年でした。
ジルベールは、野暮ったいドレスを着た、表情も暗いマリアンナとの婚約が嫌でしかたないという顔をしていました。
ジルベールはたいして話もせず、数分でお茶を飲み干し帰っていきました。
マリアンナは、ジルベールに気に入られず、この婚約はなくなると思いました。
しかし、1週間ほどするとまたジルベールがやってきて、数分だけ席に着くと去っていきます。
その後も、およそ1週間ごとにジルベールはやってきており、婚約は解消されていないことがわかりました。
マリアンナとしては、普段飲めない美味しい紅茶と、もう何年も食べていなかった甘い茶菓子にありつけるので、文句を言うでもなく従っていました。
そもそも、拒めば鞭打ちです。反抗する気はありませんでした。
ある日、マリアンナはリリアンナに呼び止められました。
「なんであんたにジルベール様みたいな素敵な婚約者がいるのよ!私にはいないのに!!」
「申し訳ございません。お父様のご意向ですので」
「許せない!ジルベール様を私にちょうだい!お父様に言いつけるわよ!」
マリアンナは頭を垂れました。
淡々とした態度が気に入らなかったようで、リリアンナはキィキィわめいていましたが、マリアンナにはどうすることもできず、ただ嵐が去るのを待つしかありませんでした。
その後もジルベールがマリアンナのもとにやってきていたので、婚約者の変更はされていないようでした。
ジルベールとマリアンナの婚約は、伯爵家を存続させるため、お父様が仕方なく結んだものなので、当然解消されることはありません。
ある日、ジルベールが、マリアンナとの数分の茶会を終えたあと、リリアンナとふたりきりで笑い合っているのを見かけました。
マリアンナの前では険しくしかめられているその顔は、リリアンナに向けて優しくとろけているようでした。
マリアンナは遠くからその様子を見ましたが、特になにも思いませんでした。
リリアンナが愛されて、マリアンナが疎まれるのは普通のことでした。
それから月日が流れ、マリアンナとジルベールは貴族学園に入学しました。
表情の乏しいマリアンナは学園で不気味がられ、誰も近寄りませんでした。
友達はできませんでしたが、学園にいる間は鞭で打たれることもないので、マリアンナはほんの少しだけ心安らかに過ごすことができました。
学校では勉強し、家に帰ったら使用人のように働く生活が2年続きました。
忙しくて毎日寝不足でしたが、お母様が亡くなってからは一番落ち着いて過ごせる2年間でした。
しかし、その生活も3年目になると崩れてしまいます。
貴族学園にリリアンナが入学してきたのです。
庶子でも貴族の推薦があれば貴族学園に入学することは問題ありません。
それまで、マリアンナは周囲から浮いてはいましたが、それだけでした。伯爵令嬢という低くはない地位に、お高く留まっていると言われて腫れ物のように扱われてはいましたが、悪意は向けられていませんでした。
リリアンナは、学園に入るとその可憐さと明るさであっという間に人気者になっていきました。
周りも、リリアンナのことを伯爵令嬢だと思っているようで、リリアンナをちやほやします。
リリアンナは庶子ですので、正確には貴族令嬢ではありません。しかし、それをわざわざ言ったりはしませんでした。リリアンナも、自分こそが両親に愛された伯爵令嬢だと振る舞いました。
もしかしたら、リリアンナは自分が庶子であるということを理解していないのかもしれません。
学園では、リリアンナとジルベールが仲睦まじく寄り添う姿をよく見かけました。
周りには義姉のせいで引き裂かれた恋人同士だと話しているようでした。
次第に、リリアンナが、家で義姉に虐められているのだと周囲に相談するようになりました。
ジルベールも、昔からそう聞いていると話し、生徒たちはその話をすっかり信じたようでした。
真に受けた人たちが、果敢にマリアンナに虐めをやめるように言いに来ました。
「そのような事実はありません」
マリアンナにはそう言うしかありませんでした。
マリアンナが家で自分からリリアンナに関わることはありません。
それ以上の弁解をする相手も言葉もなく、マリアンナはますます孤立していきました。
そんなある日のこと。
マリアンナはジルベールから中庭に呼び出されました。
今まで学園でジルベールと話したことはありませんでした。何事かと思いましたが、マリアンナに断るという選択肢はありません。
マリアンナが中庭に着くと、ジルベールとリリアンナがいました。ふたりは腕を組んでいます。
「お前との婚約を破棄する!私の婚約者には心優しいリリアンナがふさわしい」
「お姉様、ごめんなさい、わたしジルベール様を愛してしまったの」
「幼い頃からリリアンナを虐めていたそうだな?リリアンナに謝って伯爵家を出ていってもらおうか!伯爵家はリリアンナと結婚して私が継ぐ!」
2人の言い分に、マリアンナは目を見開きます。
2人が愛し合っているのは知っていましたが、まさかマリアンナを追い出そうとしているとは思いませんでした。
しかし、そんなことはできません。
「私が伯爵家を出ていくことはできません。お二人で伯爵家を継ぐこともできません」
マリアンナは、ただ事実を述べました。
だって、リリアンナは庶子です。リリアンナと結婚してもジルベールは伯爵家を継げません。
リリアンナが理解していないのはわかっていましたが、まさかジルベールまでわかっていなかったとは知りませんでした。
「なんだと!?口ごたえするのか!」
「口ごたえではありません。事実です」
「この…っ!」
マリアンナの淡々とした態度が癇に障ったのでしょうか、ジルベールは怒りに目を真っ赤にし、大きく手を振り上げました。
ジルベールがマリアンナの頬を張る音が大きく響きます。
マリアンナはその強さによろけて尻もちをついてしまいました。
学園の中庭は開けており、他の生徒も大勢いました。野次馬となっていた生徒たちも、さすがにジルベールが手を上げたことでざわざわとしています。
しかし、カッとなって頭に血が上ったジルベールは、そんな空気に気付きません。リリアンナもかすかに口元がにやついているようでした。
マリアンナが泣きもせず、ただ感情のない顔でジルベールを見上げると、ジルベールはさらに顔を赤くして怒ります。
「くそっ、不気味な女め…!」
ジルベールはもう一度手を振り上げました。
また打たれると、マリアンナの体が無意識に強張ったとき、ジルベールの手は何者かによって掴まれました。
「どんな理由があったとしても、女性に手を上げることは見過ごせないな」
ジルベールの手をつかんでいたのは、キャラメルブラウンの柔らかそうな髪を揺らした、すらりと背が高い男性でした。
「クライヴ様…」
マリアンナはその顔に見覚えがありました。
同じクラスの公爵家嫡男、クライヴです。
直接会話をしたことはありませんが、容姿端麗で将来公爵家を継ぐことが決まっているクライヴは女生徒にとても人気があります。
「な、なぜ止めるのです!関係ない方は口を挟まないでください!」
格下のジルベールがクライヴに口ごたえするのは問題がありましたが、今のジルベールはそんなことも思いつけないほど興奮しているようでした。
行き場のなくなった手をクライヴからひったくったジルベールの横で、リリアンナが「きゃ〜!かっこいい方!クライヴ様っておっしゃるの?」と言っているのが聞こえました。
「とにかく、暴力はいけない。彼女は公爵家で預からせていただく。人目がないところでまた暴力を振るわれては大変だ。君たちには追って沙汰が下るだろう」
さあ行こう、とクライヴがマリアンナに手を差し出します。
マリアンナは、太陽の光を受けてキラキラ輝くクライヴの髪に目を奪われ、何も考えられずにその手をとりました。
クライヴの宣言通り、マリアンナは公爵家に連れてこられました。
尻もちをついたときに汚れたドレスも着替えてしまったほうがいいと、マリアンナは侍女に引き渡されました。
マリアンナは普段自分で着替えているので、手伝ってもらって着替えるときにどう振る舞えばよいかわかりませんでした。しかし、立ち尽くしているうちに、優秀な侍女たちが手際よくマリアンナのドレスを脱がせていきます。
すっかりドレスも下着も取り去って肌があらわになったとき、侍女のかすかな悲鳴が聞こえました。
「この傷は一体…!?」
その場にいた2人の侍女が口元を押さえて戦慄いています。
マリアンナは、そう言えば背中やドレスで見えないところには鞭で打たれた傷があったな、と思い出しました。
学園に入ってからは鞭打たれる暇すらなく、勉強と仕事に明け暮れていたので、すっかり忘れてしまっていました。
「クライヴ様に報告して参ります…!」
侍女の一人が部屋を飛び出していきました。
もう一人の侍女は、濡らした柔らかい布で背中を拭いてくれました。
今はほとんど傷まない傷ですが、優しく拭われたのは初めてでした。
マリアンナがゆったりしたワンピースに着替え終わったとき、ドアがノックされ、クライヴが入ってきました。
「マリアンナ嬢!無数の傷があったと聞いたが、大丈夫なのか!?」
たいそう焦った様子のクライヴに、マリアンナは申し訳なくなります。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。新しいものではありませんので、痛むわけではありません」
マリアンナが表情を変えずにそう言うと、クライヴは黙り込んでしまいました。
しばらく考えたあと、クライヴはとにかく医者を呼ぼうと言いました。
「我が家の両親にも報告する。これは…少しことが大きくなるかもしれないが、許してくれ」
クライヴが申し訳無さそうにマリアンナを見ましたが、マリアンナはどうするのが正解なのか、わかりませんでした。
そのあとは、あっという間の出来事でした。
公爵家から王家に話が行き、伯爵家が娘を虐待していたことが知られました。
さらにそこから、伯爵家の杜撰な経営が明るみになり、伯爵家は処分を受けることになりました。
現伯爵であるマリアンナの父は除籍、メリダとリリアンナは平民であり伯爵家の籍に入っていなかったのでそのまま放逐。
伯爵位は王家預かりとなりました。
ジルベールとの婚約はジルベール有責で破棄となり、兄がおり継ぐ爵位がないジルベールは家から出されたようでした。
マリアンナは、王家の温情で一代限りは伯爵令嬢として貴族位を保持する、という中途半端な立場となりました。
怒涛のように過ぎゆく日々の中で、マリアンナは何も考える事ができずに取り残されてしまったようでした。
やっと状況が落ち着いてきたある日、マリアンナが借りている客室にクライヴが訪ねてきました。
「マリアンナ、どうか僕を頼ってほしい。悲しければ泣いてもいいんだよ。君は今までよくがんばったね」
クライヴが優しく目を細め、マリアンナを見つめます。控えめに背中に手が当てられました。
その暖かさを感じて、マリアンナは今まで忘れていた感情がこみ上げてくるようでした。
ぽろり、と一度涙が落ちると、それは堰を切ったように溢れ出しました。
「私……痛かった……」
「そうだね」
「つらかったんです」
「うん、そうだろうね」
マリアンナは、静かに涙を流し続けました。
クライヴは、マリアンナが泣き止むまで、そっと側に寄り添いました。
しばらくして、目を赤くして泣き止んだマリアンナは、何かから解放されたように笑いました。
「あの時、クライヴ様が助けてくださったおかげです。本当にありがとうございました」
クライヴは、今まで無表情だったマリアンナの笑顔に見惚れてしまいました。
「マリアンナ、これからは僕が君を守るよ」
「クライヴ様…」
ふたりは、見つめ合って微笑みました。




