第93話 追うものと追われる者
第四層の奥地に広がる、毒沼。
少なくとも俺の知る限り、ここに何があるのかを示す記録は存在しない。
ただの沼地なのかもしれない。
あるいは、そうではないのかもしれない。
事実として言えるのは、ここが上位の解毒魔法ですら効果が薄れる、強烈なステータス低下と持続ダメージを伴うガスに満ちた空間だということだ。
高レベル冒険者であっても、命取りになりかねない。
ある意味では、深層と同等。
いや、それ以上に厄介なゾーンだった。
——つい、さっきまでは。
いまでは、リズが生み出した植物のおかげで大気は澄み、呼吸に問題はない。
本来なら、ボスまで一直線。
それが最適解だったはずだ。
だが、こうなってしまっては、ここを探索しないという選択肢はない。
なぜなら。
俺たちは、世界で初めてこの未知に踏み込む冒険者なのだから。
まずは情報収集だ。
由利衣は山本先生の背におぶさると、そのまま深い眠りに落ちた。
続いて、梨々花がペンを握らせ、タブレットを差し出す。
自動書記が始まり、未踏の地形が次々とマップに描き込まれていく。
作業が終わると、由利衣はむくりと起き上がり、今度は魔力弾のビーコンを連続で放った。
たちまち、マップ上にモンスター反応が浮かび上がる。
「はあー……」
アリサが、思わず感嘆の息を漏らした。
「やっぱりすごいね、ユリィ。
これが女教皇の能力……索敵と殲滅特化なんだよね」
……いや。
防御と回復特化。のはずだ。
気を取り直して、タブレットを覗き込む。
「このエリアは……毒蛙が多いな」
さきほど戦った蛙たちが、あちこちで群れを形成している。
それ以外の反応は、すべてUNKNOWN。
由利衣のフィールドスキャンでは、モンスターの魔力量も同時に測定されており、反応は点の大きさで表示されていた。
その中で。明らかに他とは格の違う反応がふたつ。
しかも、一か所に固まっている。
俺は、思わず唸った。
「……こいつは、第三層の巨竜以上だな」
脳裏に浮かぶのは、マグマの湖から姿を現した、全長三十メートル級のモササウルス。
あの圧倒的な存在感が、鮮明に蘇る。
——あれよりも、上。
いや、間違いない。
これは、この階層のボスをも上回る。
「第四層の精霊の試練、か」
あのときは、俺と山本先生と麗良、そしてうちの三人で攻略したが。
今回はSSRが七人。そこに山本先生と芹那。
芹那の実力は、麗良に決して劣らない。
性格云々はさておき、そこは公平な目でそう言い切れる。
だが——
即席チームで、どこまでいけるか。
タブレットを凝視していると、妙に穏やかな声が背中にかかった。
「先生。私の思った通り、精霊の試練ですね」
——梨々花。
冷静な表情を装ってはいるが、考えていることはダダ漏れだった。
「第三層では、精霊の試練を乗り越えた報酬がミスリル。
……今度は、何でしょう?」
「さあな。だが——この試練。
正直、SSRがこれだけ揃っていても、楽な相手だとは思えないな」
ポテンシャル最強のSSRとはいえ、戦闘魔法使いとしての実戦経験は、全員まだヒヨッコだ。
ベテラン戦力と呼べるのは、俺と山本先生、そして芹那くらいのもの。
賢い選択をするなら——
日本や欧州から実力者を呼ぶべきだろう。
麗良やクラリスが加われば、戦況は劇的に覆る。
だが。
ここは、スピード勝負だ。
配信で晒された以上、もたもたしていれば、他の冒険者が次々と押し寄せてくる。
精霊の試練は——先行者利益。
俺がそこまで考えを巡らせるより早く、梨々花の頬が、わずかに上気しているのが分かった。
……こいつは、一瞬で理解したのだ。
呼ばない。待たない。押して通る。
その結論に辿り着いた顔だった。
そこに、来奈の声。
「教官、まさかやめるなんて言わないよね?
あたし、タカケンに約束したし。お宝見つけて日本ウハウハにするって。
だろ? 委員長!」
——タカケンこと、高柳 健三郎総理。
その息子である政臣が、眼鏡の奥で静かに目を細めた。
「すでに各国で話はついてますよ。
お宝は日欧豪で山分け。このパーティなら……」
一拍置いて、はっきりと言う。
「行きましょう。映えとウハウハのために!」
来奈の顔が、ぱっと明るくなった。
「さすが! アリサたちはどうよ?」
アリサは両手をグッと胸の前で握りしめて言う。
「私も、映えるコンテンツつくりが今年の目標だし。
ねえ、リュシアン?」
リュシアンは、軽く微笑んだ。
そこに、マルグリッドの声。
「お宝があるなら、行かない手はないよなー。
オッサン、あたいは乗るぜ。あんたはどうするんだ?」
そこに、リズの声がかかった。
「大将。私もできることは尽くします。
未知の領域の植生の調査は、魔法使い……いえ、人類のためです」
俺は芹那と山本先生を見る。
二人とも、すでに覚悟は決めている顔だった。
軽く息を吐く。
「そうだな。行こう。時間勝負だ」
少しだけ、計算する。
「この配信を見た上位冒険者が割り込むなら……。
そうだな。早くて三時間前後ってところだな」
その言葉に反応したのは、梨々花だった。
彼女は迷いなくリズに歩み寄る。
「リズさん。その指輪……少しだけ、貸してもらえませんか?」
リズは何も聞かず、左手から指輪を外して差し出した。
梨々花はそれを自分の指にはめ、そっと魔力を流し込む。
両目が、黄金に輝いた。
そして——
「ありがとうございました」と、静かに返した。
——何を……?
と思ったそのとき、
「あ、モンスターが……」と、由利衣の声。
タブレット画面を見ると、毒蛙の群れが一斉に沼地入口へ向かって移動していた。
梨々花が、俺をまっすぐに見つめる。
「これで……駆けつけるまで四時間といったところですか?
さ、行きましょう」
その目は、はっきりと言っていた。
——キレイごとじゃあないんですよ。
えげつない。
実にやり方がえげつない。
だが、それでこそ梨々花だ。
そして梨々花は、政臣のカメラに向かって完璧に整った笑顔を作った。
「緊急企画!!
第四層の精霊の試練、お宝争奪チャレンジ〜!
冒険者さんの参加、どしどしお待ちしてますねっ!!」
一気に言い放つ。
フレームの外へ出た途端、その表情は、すっと消えた。
目だけに力を込めて、ぼそりと呟く。
「……取れるものならね」
俺は、わずかに口角を上げる。
そして、何も言わず——
一歩、踏み出した。
***
俺たちは、タブレットに表示された大きな魔力反応を目指し、歩を進めた。
本来なら配信映像とマップを同期させるところだが、今回は切っている。
もっとも、上位の冒険者なら、背景の地形や植生から俺たちの進行ルートを推測できるだろう。
完全に隠せるわけじゃない。だが、意味がないわけでもない。
進行の途中で、リズが足を止めた。
「ここ、採れますねー」
周囲の植物を素早くチェックし、採取可能なものを選別していく。
俺たちも手分けして作業に加わった。
由利衣の女教皇の能力は、採取アイテムの情報をマップと同期できる。
種類、品質、分布——それらはすべて記録され、後日リズへ共有する約束だ。
その説明を聞いた瞬間、リズの表情が一段明るくなる。
「あのー。ユリィさん、オーストラリアに来ません?」
間髪入れずの勧誘だった。
「日本人も多いですしー。
いっそ、国籍変えちゃいましょうよ」
SSRの移籍など、下手をすれば国際問題だ。
それを悪気もなく、さらりと言ってのけるのが彼女らしい。
由利衣は、曖昧な笑みを浮かべて誤魔化すだけだった。
そうこうしながらも、俺たちは奥地へと進んだ。
途中で戦闘もあったが——
この戦力だ。特筆するほどのピンチもなく、こともなげに切り抜ける。
巨大ザリガニ。
巨大水棲ヘビ。
巨大ヤドカリ。
etc……
撃破する端から、梨々花はリズに借りた指輪を使い、マップ上の同族モンスターを次々と使役した。
目的は、ひとつ。
後続の冒険者を妨害すること。
追撃の芽を、根こそぎ潰す。
徹底的に。
一マイクロミクロンも、手を抜かない。
それが梨々花の生き様だ。
「これも、精霊の試練ですよ」
きっぱりと、言い切る。
……まあ、確かに。
他人の発見の尻馬に乗ろうとする連中に、容赦は不要だ。
事実、追撃の可能性は杞憂ではなかった。
由利衣の索敵レーダーは、すでに中域の沼地に
人間の反応が現れたことを捉えている。
それも——ひとつやふたつではない。
梨々花は、スマートグラスを装着する。
その表情は、心底楽しげだった。
「私たちを追いかけて来ていますね……。
このドキドキも……素敵じゃないですか」
すべては、コンテンツを盛り上げるための肥やし。
ライバル冒険者すら利用しながら、俺たちはさらに先へと進む。
やがて、霧の濃いゾーンへと入った。
だが、由利衣と梨々花のナビゲートのおかげで、迷うことなく突破していく。
ここもまた、追撃の足を鈍らせるだろう。
――そう考えていたところで。
マルグリットの悪乗り提案が飛んできた。
「なあ、ここにモンスター忍ばせとくのはどうだ?
不意打ちさせてさー!」
来奈も、弾む声で同調する。
「おっ、それいいじゃん!
あとさ、リズさんの植物魔法で沼を隠して、落とし穴つくるとか!」
……どうして、そういうところだけ知恵が回るのか。
だが、勢いのままトラップ会議が始まった。
沼地は植物でカモフラージュ。
要所にモンスターを配置。
さらに、マルグリットの能力で——
このエリアへ踏み込んだ冒険者に、正月から不運マックスのありがたくない付与効果。
極めつけに、由利衣があらかじめ空中待機させている魔力弾五万発が、定期的に掃射される。
「上位冒険者さんなら、これくらい避けますよねー。
知らないけど」
由利衣の言葉に、芹那がニヤニヤと頷いた。
「このヒュージスパイダーの糸、貴重な素材なんだけど……
そこら中に、張り巡らせときましょうか」
――こいつらは、悪魔だ。
梨々花は、リズから借りた指輪へ魔力を流し込み、
モンスターへ微笑みながら指示を出した。
「死なない程度に、やっちゃってもいいけど……。
ほんとに殺さないようにね?」
俺は心の中で合掌しながら、その様子を見守っていた。
***
霧の濃いゾーンを抜けると、急に視界が晴れた。
俺たちの目の前にあらわれたのは——
「なんだありゃ?」
それは、ダンジョンの天を突くほどの巨大な樹。
先日戦ったトレントの親株は五十メートル級。
充分すぎる巨体だったが、目の前のそれと比較すれば可愛いものだ。
俺たちは、まだ充分に距離があるのに、その威容に圧倒される。
タブレットを覗きこむ。
やはり、というか。あの樹から魔力反応が出ていた。
「まさか、あれがモンスターなんて言わないだろうな」
思わず、唸るような声が漏れる。
レイドに出てくるモンスターにも、あれほどの巨大なものはいない。
日欧豪のSSR総当たりで、どうにかなる代物なのか?
不安がよぎったそのとき、後方からリズの声が聞こえた。
少しだけ震えていたが、はっきりと。
「——世界樹」
第四層の精霊の試練は、ここからが本番だった。




