第92話 毒沼作戦
第四層・中域の毒沼。
リズは戦闘と食事を終えると、間を置かずフィールドワークを始めた。
「ちょっとだけ、お時間くださいねー」
儚げスマイルをパーティに投げると、彼女はスタスタと沼の淵へ歩いていく。
「おい、勝手に——」
声をかけたが、もう聞こえていない。
リズはスマホを取り出し、しゃがみ込んで水辺に咲く草花を撮影する。
続いて、採取できるものはチャック付き袋へ。
油性ペンで日付を書き込み、バッグへと次々に放り込んでいった。
なお、完全な余談だが。
ダンジョン植物には、採取してアイテム化できるものと、できないものがある。
外の世界へ持ち帰れるのは前者のみ——それが精霊のルールだ。
夢中なリズを横目に、俺は由利衣へ声をかける。
「とりあえず、継続して索敵を頼む。
俺はリズを見ておく。はぐれられても困るからな」
以前、自国のパーティとはぐれてモンスターに襲われた経験が、まったく生きていない……。
思わず、ため息が出る。
だが、学者というのは、こういうものなのだろう。
そんなリズのもとへ、来奈、梨々花、アリサが近づき、興味深そうに手元を覗き込んでいた。
来奈が隣にしゃがみ、声をかける。
「あのー。この辺で採れる植物って、けっこう良い値段になるんですよねー?」
ど直球だ。
だが、お宝を求めるのが冒険者ムーブでもある。
リズは視線を草花から外さないまま、にこりと微笑んだ。
「そうですね。ここで採れるものは、そのままだと弱い毒性があるんですけど。
精製すれば、薬の原材料になります。
まだ化学合成ができないみたいで……けっこう貴重なんですよ」
その言葉に、来奈の顔がぱっと明るくなる。
そして、リズの丁寧な解説が始まった。
採取できる植物の種類、特徴、注意点——。
だが、来奈にとって種類などどうでもいいらしい。
「で、どれが一番高いんですか?」
質問は、終始それだけだった。
必要な情報を聞き出すと、来奈はさっそく採取に取り掛かろうとする。
俺は慌てて声をかけた。
「おい、ちょっと待て。最低二人一組だ。
単独行動は厳禁。常にスマホで連絡を取れるようにしろ」
素早く言い切ると、
「はーい」
軽い返事とともに、来奈はアリサを引き連れて走っていった。
その様子を見送り、俺は小さく息を吐く。
「……まあ、いいか」
素材採取も冒険者の仕事だ。
積極性そのものは、悪くない。
そう思った、そのとき。
静かな声がかかる。梨々花だった。
「先生。この後、いよいよ奥地ですよね。
ステータス弱体効果とか……対策は、あるんでしょうか?」
そう。
今いる中域の沼地は毒沼といっても、たいした影響はない。
しかし、奥へ踏み込むと——
ステータス低下に加え、継続ダメージを伴う“本物”の毒沼ゾーンへ変わる。
「対策か……」
俺は、少しだけ視線を上げた。
「ないな。少なくとも今のところ、効果的な回避策はない」
できるだけ素早く通り抜けるしかない。
モンスターからも逃げ切り、どうしても避けられない戦闘だけをこなす。
俺の言葉に、梨々花は切れ長の目を伏せた。
危険なエリアだということは、事前に伝えてある。
それでも、いよいよ踏み込むとなれば緊張も高まるのだろう。
そこへ、リズの声が割り込んだ。
彼女はしゃがみ込んだまま、背中をこちらに向けて言う。
「奥地ですけど。そこの植生も、調べたいんですよねー。
あまり分かっていないことが多いので」
……あのエリアで、のん気に植物採取をする物好きはいない。
最短一直線で抜けるのが最適解だ。
寄り道は、リスクを増やすだけ。
そう言いかけた、そのとき——
リズの言葉が、機先を制した。
「ここの植物。沼の毒性を吸収しているんです。
ただ、奥地の沼は毒性が強すぎて、吸収が追いついていない。
なら……」
リズが右手をかざす。
芽が、ぴょこんと飛び出した。
それは瞬く間に成長し、この沼地に咲く草花の姿へと変わる。
だが——色合いが、わずかに違う。
「毒性の吸収能力を、強化しています。
大気の浄化能力も。
これを大量に咲かせることができれば……」
そんな方法で奥地の毒沼を攻略する話など、聞いたことがない。
リズは、すっと立ち上がって振り向いた。
俺の目をまっすぐに見つめてくる。
そこにあったのは、いつもの温和で儚げな表情ではない。
真剣そのものだった。
「大将……奥地は、長年調査が進んでいません。
強力な毒沼に、トレントの群生。
皆さん、ボスまで全力で駆け抜けるだけで……
何があるのか、分かっていないのです」
梨々花の瞳が、ぴくりと揺れた。
——こいつに、この手のフラグ。
見えている釣り針に、全力でかかりに行くスタイルなのだ。
リズは、なおも続ける。
「日本と欧州のSSR。
そして、それを率いる実力者。
皆さんと一緒なら、未知のフィールドワークができるんじゃないか……。
いいえ、きっとできます。
協力していただけませんか?」
俺が何か言葉を発するより早く。
ずいっと、梨々花がリズの前へ歩み出ていた。
そして、その手を、しっかりと握る。
「リズさん……素晴らしい提案です。
映えるフィールドワーク。冒険のときですね」
——予想を、一ミリも裏切らない展開だ。
イベントの匂いがする。理由は、それだけで十分。
コンテンツこそが、成り上がりへの燃料。
それが、桐生院 梨々花。
リズの目が、一瞬だけ和らいだ。
だが、すぐに——
俺へと、力強い視線を向ける。
「ありがとうございます。
で、お願いがあるんですが」
その先の展開も、読めていた。
「大量の植物を生み出すには、魔力が必要でして。
大将、お昼はまだでしょうか?」
まだ朝飯を食って、三時間も経っていない。
というか、さっき弁当を食ったばかりだろう。
そんなツッコミを一切許さない、リズの揺るぎない眼差しが、そこにあった。
***
あれから。
奥地の、少し手前まで移動した。
俺と山本先生、リュシアンは、手早く食材の準備を整える。
由利衣と梨々花は周囲の索敵。
他のメンバーは採取を継続。
そして——
リズは七輪で餅を焼き続けていた。
餅をひとつ口に運ぶたび、リズの右手に魔力が宿る。
すると、ダンジョンの大地から小さな芽が、ぴょこんと顔を出した。
それは瞬く間に、するすると成長し、花を咲かせる。
やがて根を“足”のように使い、奥地へ向かって歩き出していった。
こうして、ここから——
沼地浄化用の植物が、次々と送り出されていたのだ。
異質な光景である。
そうこうしているうちに時刻は昼過ぎ。
採取に出ていたメンバーも戻り、全員そろって昼食となった。
メニューはスパイシーなチキンソテー定食。
「うちの定番メニューになりますね」
山本先生がにこやかに微笑む。
“うち”が何を指すのかは、あえて問わない。
だが、その味は皆に高評価だった。
来奈はホクホク顔で、肉を頬張りながらアリサと会話を弾ませている。
「けっこうたくさん採取できたしー。
今年も幸先いいじゃん。あたし、新しいスマホ欲しいんだよね」
武器・キュレネを手に入れてから、物欲がスマホへシフトしたらしい。
まあ、高校生だからな。
梨々花のようにコンテンツ創りへ全投資する方が、むしろ珍しい。
アリサも嬉しそうにうなずいた。
「私も、今年は配信したいから新しいスマホにしちゃおうかなー。
ねえ、マルグリットさん?」
話を振られたマルグリットは、興味なさそうに「あー」と生返事。
欧州パーティで配信に積極的なのは、アリサだけのようだ。
そんな様子を横目に。
俺と山本先生、リュシアンはリズに食料を供給し続けている。
またたく間に消えていく料理。
それに比例するように、次々と生み出されていく植物。
その光景を、政臣が興味深そうにカメラへ収めていた。
「視聴者さん、お正月から観てくれてますよー。
植物魔法は珍しいですからね。
何が起きるのか楽しみだって」
梨々花も、満足そうな表情を浮かべる。
おとそ気分の視聴者へ向けた毒沼浄化作戦。
狙いはバッチリ——そう言わんばかりだ。
やがて。
小さな体で鍋を振るうリュシアンの体力が限界を迎えたあたりで、リズの手がふと止まった。
「……そろそろ、でしょうか」
その一言を合図に、俺たちは手早く昼食を済ませ、全員で片付けを分担する。
いよいよ奥地の沼の攻略へ。
準備は整った。
***
俺がここへ来たのは、自身の第四層ボス攻略のとき。
そして妹弟子の理沙と麗羅に付き合ったとき——都合、三回。
今回で四回目だ。
正直に言えば——
あまり、来たい場所ではない。
ここの空気は、魔力制御の巧拙に関係なく、強い毒性でステータス弱体化と持続ダメージを引き起こす。
危険域を抜けるには、最短ルートを急ぎ足で——およそ十五分。
対策は昔から色々と試されていた。
俺も一度、酸素ボンベを担いで挑んだことがある。
そのときは動きが鈍ったところを巨大ザリガニに襲われ、ひどい目に遭った。
麗羅が毒沼に足を取られ、頭まで沈みかけたが、俺と理沙で必死に引き上げたものだ。
ボンベの重量もあり、本当にきつかった。
なお、奥地の毒沼に落ちると、危険域を抜けた後もしばらく継続ダメージが残る。
致命とまではいかないが、腕のいい治療師の回復魔法でも解毒に時間がかかった。
そのせいで攻略は一週間、遅れた。
——だから。
軽装で、急ぎ足。
あの経験から、今回はそれ一択だと考えていた。
しかし、俺の目の前では。
リズの生み出した植物が沼地の毒性を吸収し、大気まで浄化している。
俺と同じく攻略経験のある芹那も、目を丸くした。
「……えっと。ここが、あの毒沼?
入った瞬間にお腹痛くなって、三日くらい食欲なくなったんだけど」
体質によっては、そういうこともあるらしい。
それでも——
そんな状態でボス攻略までやってのけたのだから。
やはり、こいつの実力は本物だ。
芹那の言葉に、リズが反応する。
「食欲が……ない……?」
なぜかそこが気になるようだ。
そんな彼女に、俺は素直な感嘆を向けた。
「いや、驚いたな。
ここで普通に活動できるとは、正直思っていなかった。
この植物の浄化効果は、どれくらい持続するんだ?」
問いかけに、リズは儚げな笑みを浮かべる。
「この子たち、沼地の環境に適応しながら世代交替していきますから。
いつまで……という区切りは、特に」
言葉が、出なかった。
第四層の常識が——
根底から、覆った瞬間だった。
政臣がスマホを確認すると、コメント欄はすでに騒然としている。
『マジか!! 来週……いや、正月明けは第四層だな』
『未知の毒沼ゾーンだぞ!? お宝あんのか?』
『リリカさまああああああああああー!
明けましておめでとうございます』
その流れを追いながら、梨々花の瞳はいっそう強く輝く。
そして、ぼそりと呟いた。
「深層じゃなくても……ここにフロンティアがある。
そして——“私が”、一番乗り」
静かに口角を上げたまま、政臣のカメラへ歩み寄る。
「世界中のみんな、明けましておめでとう。
新年からの冒険、楽しんでいただけてるかしら?」
黒髪をかき上げる仕草。
「“第四層の奥地、毒沼を浄化してみました”企画。
いよいよ本番スタート。
何が出てくるか……当然、気になるわよね?」
そこへ、由利衣が合流する。
「うんうん、冒険の予感がするね!
みんな、一緒にワクワクしていこ。レッツゴーだよ!」
その合いの手に頷き、梨々花は締めに入った。
遅れまいと、来奈も慌てて駆け寄る。
「お茶の間の前でも。初詣の待ち時間にも。
チャンネルはそのまま、宝条学院冒険部。
よろしくね」
そして、三人で一糸乱れぬポーズを決める。
「見逃したら……シバいちゃうぞ!!!」
アリサがパチパチと拍手を送る一方で、マルグリットは呆れた顔で呟いた。
「なあ、日本の正月って……こんなんなのか?」
違う。
だが——
新しい冒険は、もう始まっていた。




