第89話 年末コンテンツ
あれからセーフゾーンで一泊し、帰還した俺たちは、翌日の準備に丸一日をあてることにした。
……と言っても。
大晦日はリズの大食いスペシャルだ。
その開催地となる第六層イベントエリアには、文字どおり“山積み”の物資が搬入される。
俺と政臣は、会場設営から当日のタイムスケジュール確認まで大わらわ。
ひっきりなしに届く業者連絡への対応で、休む暇など一秒たりともない。
正月からの連泊冒険に向けた備えは、ほとんど全部、他のメンバーに任せるしかなかった。
朝から晩まで業者とのすり合わせ。
トラブルが出れば走り、別のトラブルが出ればまた走り――。
“骨休め”なんて言葉はどこかへ消えたまま、あっという間に一日が過ぎていった。
***
さらに翌日。
どうにか形になった会場で、俺たちはリズを待ち構えていた。
本日のバトルはカップ焼きそば。
目標はバスタブ百個分。バックヤードには山のような食材と調味料が積み上がっている。
そこへ欧州メンバーが合流すると、用意された物資を見てアリサが目を丸くした。
「今日の出演者って、一人ですよね?
……動画も観ましたけど……あれ、合成なんじゃないかって噂が……」
探るような、不安げな声だ。
――甘いな。
「うちのチャンネルは、ガチ・オブ・ガチだ。
フェイクかどうかは、すぐに分かる」
俺が言い切ると、アリサはリュシアンの手をギュッと握りしめ、武者震いした。
「リュシアン……。
トレント以上のモンスターなのかもしれないね……」
ぽつりと言ったあと、瞳に強い光が宿る。
「料理長! 私もお手伝い頑張りますから!!」
声を張ると、勢いよく冒険部メンバーのもとへと駆けていった。
マルグリットは「なあ、日本人は年末にこういうのやるのが楽しいのか?」と首をひねりながらも、きっちり手伝いに加わる。
なんだかんだ、付き合いは良いやつなのだ。
やがて、ダンジョンの日が沈みかけた頃――
リズと教え子パーティが姿を見せた。
政臣の案内でリズは用意された席につき、教え子たちは俺たちの作業に合流する。
いよいよ本番だ。
***
司会の芹那が登壇し、番組が始まった。
前回はリズの食欲に圧倒されて言葉を失っていたが、今日はひそかにリベンジに燃えているらしい。
その幕開けは、妙に厳かな宣言からだった。
照明が落ち、スポットライトが芹那を切り取る。
「夜の帳が下り、今年も暮れゆくこの第六層……。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
今宵、人類史上かつてない“食”の戦いが幕を開けます。
待ち受けるのは、致死級のカロリー。小麦粉とソースの暴力。
そして立ち向かうのは――奇跡の魔法使い、リズリンド・ホーソーン選手!!
どうぞっ!!」
ライトが一斉に輝き、リズの姿を照らした。
「……あ、開始なんですね。すいません」
持参した弁当をそそくさとしまいながら、リズが静かに微笑む。
「ちょっと待機が長かったもので。少しお腹に入れておこうかなーって。
それで、夕飯はどこにあるんでしょうか?」
芹那は一瞬にしてテンションを失った。
「……あの、これから大量のカロリーがアレするんですけど……自信のほどは?」
「あ、はい。クリスマスの時はごちそうさまでした。
今日も食べ放題なんですよね。ずっと楽しみにしていました」
にこやかに答えるリズ。
その視線がふと流れ、会場の“無数のバスタブ”へ向かう。
ファミリーも余裕のゆったりサイズ。
「新品ですからー」と、政臣は事も無げに言うが……。
比喩ではなく本物を用意するあたり、いろいろとおかしい。 だが、もうツッコミを入れても仕方がない。
バスタブの内部には、乾燥麺とかやくがぎっしり。 リズの教え子たちが必死でカップ焼きそばのパッケージを開け、投入していた。
湯沸かし役の梨々花が、水魔法と火魔法を同時運用してガンガンお湯を炊き上げる。 できあがった湯を欧州メンバーがバスタブに移し、三分経ったら――
俺と来奈が湯を抜き、ソースを注いで、全力でかき混ぜる。
由利衣は俺たちのアシストだ。
魔法使いたちの力技で回す、大規模オペレーションである。
そして今、俺たちはすでに五つ目の作成に取り掛かっていた。 バスタブは全部で十個。これをローテーションして回すわけだが――
リズの食べるスピードを考えると、これだけ先行していても油断はまったくできなかった。
芹那は気を取り直し、無理やりテンションを上げる。
「わあっ! これはまたすごいですねぇ!
カメラさん、もっと寄って視聴者さんにこの迫力を見せてあげてくださーい!」
バスタブに背を向け、明るく手を広げる芹那。
だがその背後では――
すでにリズが、音もなくマヨネーズを絞っていた。
「これはまた変わったビュッフェスタイルですね。
でも、タンクローリーからよりは……食べやすいです」
淡々と呟き、麺をなめらかに胃へ送り込んでいく。
芹那が目を剥いて硬直した。
「食うなっっ!!
……あっ、いえ、まだ開始の合図が……!」
慌てて取り繕って制止するが、遅かった。
バスタブの表面積が、数十秒で半分に削られている。
まずい……このスピード。
俺は後方へと声を飛ばす。
「桐生院! 湯を急げ!!
それと、作戦Aだ!!」
即座に由利衣が、二杯目へ粉唐辛子30kg袋をドサッと投入。
味変はノーカン。
速度を落とせるなら、どんな手でも使うしかない。
だが――
小手先で止まる相手ではなかった。
二杯目も、みるみるうちに消えていく。
「ちょ……まだスタートが……!
今回のチャレンジは、大銀河ドミニオン食品、幻想農林協会、美肌冒険生活でおなじみの――」
芹那はリズの細い腰にしがみつき、スポンサー名を絶叫。
だがその身体は、大地に根を張った巨木のようにびくともしない。
開始宣言前に、二杯が消滅していた。
***
「……ねえ教官。いま、何杯目?」
来奈が額にうっすら汗を浮かべ、ソースをかき混ぜながら問いかけてくる。
俺たちはもはやマシーンと化していたが、政臣の掲げるテロップにちらりと目をやった。
「九十二……だな」
あれから俺たちは、生卵五百個やウインナー二千本、タライいっぱいの紅生姜――といった各種トッピングを総動員し、なんとか陥落だけは免れていた。
来奈が口元を歪めて呟く。
「あのでっかいチーズの塊、トッピングってレベルじゃなかったんだけど。
バスタブにキャベツとモヤシだけってのは……もうヤケっていうかさー……」
「まあな。だが――あの歯ごたえは効果があった」
俺は淡々と答える。
後方では、山本先生と、気づけば戦列に加わっていた芹那が、食器洗いという名の“風呂掃除”に追われていた。
リュシアンがヤカンを手に駆け回っている。
「これも、修行……ですよね。料理長」
その言葉に、俺は一瞬だけ沈黙した――。
その通りだ。
映えるコンテンツをお届けするには、水面下で足をかく水鳥のような努力が必要だ。
……だが、リュシアンには何一つメリットはないんだけどな。
俺はリュシアンへ顔を向け、労いの言葉をかけた。
「後でローストビーフ、一緒に作ろうな。作り方教えてやるから」
そう言うと、視線の先の可愛らしい顔がパッと輝いた。
癒やし。天使。浄化。
この戦場で、唯一ほっとする瞬間だった。
――だが。
「わあ、ローストビーフもあるんですか?」
すぐ隣のバスタブを啜りながら、リズが儚げな笑みを浮かべていた。
俺と来奈の肩が、一斉にビクッと跳ね上がる。
……もう、こんな近くまで来ているのか。
「桐生院!!」
もうラストスパートだ。
出し惜しみしている場合ではない。
その声に反応して、梨々花の瞳が黄金に輝いた。
次の瞬間、瞬時に湯を生成し、残りのバスタブへ直接お湯が注がれていく。
一方その横では、由利衣・マルグリット・アリサが、リズが削った分だけマヨネーズを一斗缶から補充していた。
「コーチ、あまり持ちません……!!」
由利衣が声を上げる。
俺と来奈は目を合わせ、短く頷き合った。
そして、残り八個のバスタブへと全力で駆け出した。
俺たちの戦いは――これからだ。
***
「素晴らしいチャレンジでした!!
なお、今回ホーソーン選手が食べた分と同量の食材は、国際冒険者育成基金へ寄付いたしまーす!」
芹那がにこやかにカメラへ向かって締めの言葉を放つ。
「さて、チャレンジを終えてみていかがでしたか?」
そう言ってリズへマイクが向けられた。
「そうですね……。
いろいろトッピングがあって飽きませんでした。
で、この後はローストビーフだとか」
そう言って口元を拭いながら、床に転がる俺たちへ儚げに微笑みかけてくる。
……もうやめてくれ。
ヨロヨロと近づいてきたのは、リズの教え子のリハルトだった。
「ありがとうございました。
うちの先生、本当に楽しみにしていたので……またよろしくお願いしますね」
……それこそ勘弁してほしい。
そこへ、スマホを見ていた梨々花が弾けるような声を上げた。
「この視聴者数……!!
先生、大晦日のながら観需要を完全に捉えてます!
この瞬間、ここが世界の中心なのよ……!」
切れ長の目が潤み、頬まで紅潮している。
そのまま興奮に任せて続けた。
「この勢いのまま、私たちの冒険につなげるんです!!
チャンネルはそのままで!!」
……まあ、戦略は正しいかもしれないが。
タフだな、やっぱり大魔法使いってやつは。
半分呆れ顔で、リハルトが問いかけてくる。
「……あの、皆さんまだ冒険するんですか?」
その通りだ。むしろここからが本番。
「ああ。年明けから第四層の奥地の攻略だ。
中域のセーフゾーンまで移動する」
資材の撤収は業者に任せてある。
俺たち冒険部と欧州メンバーは、このあと再びキャンプ地へ戻り、正月から本格攻略だ。
現在、時刻は二十時前。
年が変わる前に着ければいいが……。
夜間行軍は避けたいところだが、今日に限っては“訓練”ということにしておく。
なお、本来未成年は活動時間外だが、監督省庁には事前に申請済みだ。
俺はリハルトの肩を軽く叩いた。
「そんなわけで、これから移動だ。
良い年越しを」
リハルトが笑顔で頷いた、その瞬間だった。
彼の目が、俺の背後を見て大きく見開かれる。
「あら?
ローストビーフは、ここじゃないんですか?」
……きた。
俺は振り向かず、低く呟く。
「……それはまた今度」
儚げな圧が、背中へしっとり降りてくる。
そこへ、リハルトが慌てたようにフォローを入れた。
「せ、先生! 日本のパーティはこれから四層の奥地を攻略なんです。
僕たちも、いずれ……ね?」
すると、背後でふわりと空気が明るくなるのが分かった。
「毒沼に行かれるんですよね?
あそこの植生、とても興味があって……。
いいですねぇ……私も行きたいんですよ」
……そんなテンションで言う場所じゃないが。
リハルトは必死に声を強める。
「で、でも、僕らはもう帰省で……チケットも取ってあるし……!」
「私は、新学期が始まるまでひとりなんですよね……。
新年なのに、ごはんも普通で……」
はぁ、と小さなため息が俺の背中に落ちてくる。
なんだろう。
仲間になりたそうに、こちらを見ている……気がする。
別にリズ本人が嫌だってわけではない。
しかし、肝心の食料が……。
ここは、悪いが諦めてもらうしかない。
「そ、そうなんですか……。
でも、ひとりでゆっくりも気楽で……いいんじゃないですか?」
牽制気味にそう返したところで、それまでリズにカメラを向けていた政臣のスマホに着信が入った。
短いやり取りのあと、政臣が俺へ告げる。
「学院長からです。
リズさんの希望に沿うように、と。
追加食料も準備しておいたから、取りに来いと」
……こういう時だけ、やたら行動が早いんだよな。
俺は、リズへ確認するように声をかけた。
「これからと言っても、装備も準備も……向こうで整えるのは大変だぞ?」
しかし、リズは弾むような声で返してきた。
「大丈夫ですー。
この前なくしたバッグの代わりに、マジックバッグを貰っちゃって。
フィールドワークの道具、いろいろ入ってるんです。
ずっと行ってみたかったんですよねー、毒沼」
……その言葉に、思わずリハルトと目を合わせた。
彼はゆっくりと首を横に振り、観念したように息を吐いた。
「……先生を、よろしくお願いします」
こうして俺たちは、新たにリズを仲間に加えて、第四層攻略へ乗り出すのだった。




