第88話 ひとつの場所
戦闘開始前は全高五十メートルを優に超えていたトレントの親株。
だが今は――上部十メートルほどが丸ごと消失している。
パイルバンカーが吹き飛ばしたのは枝葉だけではない。
幹ごと抉り取り、残っているのはむき出しになった残りの幹と根の塊と言ってよかった。
だが、追い詰めたはずの怪物は、そこで終わらない。
根のあちこちから、新たなトレントの子が次々と分裂して生まれてくる。
分裂のたびに親株は魔力を消費する。
通常なら、一日に一体。魔力を回復させて、もう一体。
その程度のペースだ。
しかし今は違う。
俺たちの猛攻で“生存の危機”と判断したのだろう。
親株はなりふり構わず、異常な速度で増殖を始めた。
俺は来奈とアリサを引き連れ、親株へ向かって駆け出す。
「あの増殖速度……中の人間が危ないな」
モンスターも精霊とのパスは持っている。
だが――魔法使いを取り込むことで、パスを“強制的に拡張”しているのだろう。
あの異常な分裂能力。
内部の人間の魔力を、無理やり“搾り取って”いるに違いない。
そして、すでに何人かを喰って、この巨体を維持してきた可能性もある。
だが、由利衣の索敵が示す“人間の反応”は――ひとつだけ。
完全に同化してしまえば、もう救えない。
意識だけ残され、死ぬことも許されず、巨大樹の一部として彷徨い続ける。
いま“まだ人間でいられる”その一人は――必ず助ける。
そして、やつに囚われた魂を解き放つ。
それが、今の俺にできる全力だ。
霧に霞む地を蹴りつけながら、そんな思考が一瞬で胸をよぎった。
風のように駆ける三人。
来奈とアリサもリュシアンの補助魔法を受け、俺のすぐ後ろをぴたりとついてくる。
「アリサのバフもすごいけど……これもヤバくね!?」
来奈が嬉しそうに声を上げた。
気分が上がるのは悪くないがな……。
浮かれずに、きちんと前を向いてくれ。
俺は振り返らず、声を投げる。
「お前たち。桐生院の付与、まだ切れてないな?」
二属性付与――水圧カッター。
短い肯定の声が、後方から返ってきた。
子トレントとの接触まで、あと五秒。
「行くぞ。俺が道を開く」
村正を抜き放つ。
軽く振るたび、残像の刃が幾重にも生まれ、空気が震える。
そのままトレントの大群へ突っ込んだ。
視界に入るだけで二十体はいる。
今回は物量で押すつもりか、三メートル級の低木ばかり。
とはいえ、この密度……。
枝が迫る前に、次々と村正の残像が切り裂いていく。
俺は進路の確保だけに徹し、細かい殲滅は捨てて速度を優先した。
群れを抜け、振り返った瞬間――
俺たちと子トレントの間に、淡く光る半透明の壁が展開される。
遠くに黄金の光。
由利衣の結界だ。
生み出された子トレントは、壁を突破できない。
親株と分断された群れの向こうで――再び黄金の光。
梨々花が上空へ向けて炎弾を連射。
それは空中で散り、子トレントへ絨毯爆撃のように降り注いだ。
そこへマルグリットの雷撃が轟音とともに落ちる。
あちらは任せるしかない。
俺は親株へと向き直る。
まだ子を生み出そうとしているが、明らかにペースは落ちていた。
「お前らは根を処理してくれ。
俺は――本体だ」
来奈とアリサは手分けして、形になりきれていない子トレントと繋がる根を水圧カッターで刻んでいく。
……さて。
この巨体だ。
どう料理したものか。
そのとき、内ポケットのスマホから声が響く。
芹那だ。
「修司! ちんたらやってる暇はないわよ!
中の人の魔力反応が、かなり弱まってるみたいだから!」
通信の向こうからは、激しい戦闘音が漏れてくる。
水龍鞭の唸り、山本先生の矢の風切り音、攻撃魔法の轟音――
その中に混じる、政臣のハイテンション実況。
……あいつは揺るがないな。
向こうでは、トレントの群れを一手に引き受けてくれている。
こちらも、逡巡している時間はない。
「教官、こっち片付いてきたよー!」
前方から来奈の声が飛ぶ。
アリサと一緒に、見える根はすべて切断したようだ。
「よし」
俺は村正を振るい、地上十メートルあたりへ残像の刃を叩き込む。
一撃、二撃……。
削れてはいるが、腕とは比べものにならない太さだ。
切断までにどれほど時間がかかるか。
「料理長、あれ……」
アリサが巨大樹を見上げ、指を伸ばす。
視線の先――二十メートル付近に、小さな枝がピョコンと生えていた。
その先端に、無数のトゲを持つ果実のような塊がひとつ。
見る間に、みるみる膨らんでいく。
嫌な予感が走り、俺は幹に駆け寄ると手を当て、魔力反応を探った。
――こいつは。
「爆裂の魔法か。しかも、ありったけの魔力を込めてやがる」
最後は自爆とは……やってくれる。
「破壊力は未知数だ。
しかも、あのトゲをばらまく気だな。
パイルバンカーのお返しってところか」
俺が分析を口にすると、来奈の慌てた声が返ってくる。
「ちょっと、ちょっと。
のんきにしてる場合じゃなくね?」
来奈の言葉を受けながら、俺は手にした刀へ視線を落とした。
ぶっつけ本番だが……。
以前から考えていた、村正の使い方。
やるしかない。ピンチのときこその大技だ。
「まあ、そう焦るな入江。
二人とも、俺の後方に下って離れていろ」
来奈は何か言いたげだったが、指示に従う。
アリサも後ろへ下がった。
若い魔法使いたちの前で、少しだけカッコつけたくなる。
「……冒険者やってりゃ、こんなことくらいザラだ。
この経験は、きっとお前たちの糧になる」
腰を落とし、村正を後方へ反らせる。
ありったけの魔力を刀身へ注ぎ込む。
残像の刃を分散させず、極限まで集中――。
青白い光が妖しく脈打ち、刃は数十メートルもの長さへと伸張した。
背後で、二人が息をのむ気配。
「いい加減、往生するんだな」
言い放つと同時に、逆袈裟で斬り上げる。
残像の刃が奔り、果実爆弾のすぐ下の幹を斜めに一刀両断。
魔力供給を絶たれた果実は、みるみる萎み、切断された幹ごと滑り落ちていった。
そして――巨大樹の表面から、光の粒がふわりと立ち昇る。
勝負あり、の合図だ。
その粒たちは次々と村正へ吸い込まれていく。
だが……。
モンスターの消滅とは明らかに異なる、大きな光の玉がいくつも、トレントから離れ浮かび上がっていた。
村正が青白い光を帯びる。
引き寄せられるように漂う光の玉を見て、俺はそっと刀身を撫でた。
「あいつらは、いいんだ。
……ダンジョンに、流れに還してやってくれないか」
脳裏に浮かぶ。
理沙の姿をしたラミアが告げた、精霊の言葉。
――すべては、一つの場所に還る。
ならばあの冒険者たちの魂も。
きっと、またどこかで。
いつか、また魔法使いとして……。
俺たち三人は、光がゆっくりと消え去るまで、ただ静かに立ち尽くしていた。
***
救出できたのは、カップル冒険者のうち男性だった。
親株に魔力を奪われ、かなり危険な状態だったが――
幸い、命に別状はない。
体力も、リュシアンが丁寧に回復させたおかげで持ち直している。
それでも自力で動くのはまだ無理だ。
結局、俺がおぶって運ぶことになった。
そのとき、タブレットを操作していた山本先生が小さく息をつく。
「メッセージが来ています。
もう一名も、無事に救出されたようです」
どうやら残っていた子トレントも、向こうの冒険者パーティが討伐したらしい。
なら、この中域からは、ひとまず脅威は去ったと見ていい。
俺たちはセーフゾーンへの帰還を開始した。
時刻はすでに、正午に達しようとしている。
――あと数時間遅ければ、危なかった。
背中に感じる重みと、人間の温もりに、ようやく安堵の息が漏れた。
***
セーフゾーンに到着すると、俺たち一行は冒険者たちの大歓声で迎えられた。
どうやら配信を観ていたようで、その光景は彼らの冒険者魂を大いに鼓舞したようだった。
救出した男性を預けると、捜索隊のリーダーの男が深く頭を下げた。
「親株に挑むって聞いたときは……正直、無茶だと思ったが。
助かったよ。本当にありがとう」
そう言って、俺の肩に手を置く。
冒険者は助け合いだ。
国益だのなんだの、しがらみは多いが――
現場に立つのは、命を張っている者同士。
困ったときに手を貸すのは、特別なことじゃない。
俺がそう返すと、彼は大きく頷いた。
「礼と言ってはなんだが……ブルーストーンとグリーンストーンの素材、寄付させてもらうよ」
と申し出てくれる。
俺は笑って「できる範囲で頼む」と答え、握手を交わした。
こうして彼らは、救出した仲間を連れて自国へと帰っていく。
年末年始は家族のもとで過ごすのだという。
俺たちは、まだもう一泊だ。
セーフゾーンを後にする一行へ、来奈が精いっぱい手を振る。
「早く元気になってねー!」
そして、うちの三人娘とアリサの大声がひとつに重なる。
「チャンネル登録よろしく!!」
……ちゃっかりしてやがる。
笑いながら手を振り返す他国パーティを見送りつつ、俺は口元をわずかに歪めた。
思わぬ予定変更ではあったが、奥地のトレント群との予行と思えば無駄じゃない。
それに、何よりも。
冒険者として、一番大切な心。
強く勇ましく、そして優しくの精神を若い魔法使いたちが実地で感じてくれたなら、何にも勝る未来への投資だ。
俺はそいつを忘れていたんだ。
……理沙。
お前もひとつの場所に還ったんだろう。
いつか、また、俺も。
そのときが来たら、受け入れてくれるか?
けれども、それは今じゃない。
いまは、あいつらと。
去りゆく他国のパーティに、いつまでも手を振る教え子たちの姿に目を細め――そんなことを考えていた。




