第87話 巨大樹を穿て
巨大樹との攻防が、ついに始まった。
相手は全高五十メートルを優に超える怪物。
霧を割ってそびえる幹と樹冠は、まるで山のよう。
しかも“ただの木”じゃない。
左右に伸びた二本の太い枝は、完全に腕だ。
付け根は肩のように盛り上がり、節の連なりは筋肉のようにうねっている。
俺の存在なんぞ、目障りな蚊──その程度に思っているはずだ。
……だが、その手で払おうとしているのは、案外、蜂かもしれないぜ。
身を沈め、跳躍。
リュシアンの魔法のおかげで、重力を忘れたように、俺の身体が一気に上へ吹き上がる。
手にした村正も飛燕も、まるで空気の塊のように軽い。
これは麗良の飛行魔法より階梯は下だ。
だが、重力系の補助魔法は扱いが難しい。
それを、この年齢と経験でここまでの精度に仕上げてくるとは……たいした才能だ。
──そんな思考は、一瞬で後ろに流れた。
0.5秒前まで俺がいた空間を、巨大樹の拳が抉り取っていく。
風圧で上着がフワリと浮き上がった。
俺はすでに、その拳のさらに上。
跳躍の勢いを殺さず村正を振りかぶる。
霧の空間に青白い残光が五閃。
斬撃は樹皮を滑るように走り、電車並みに太い手首を断った。
巨岩の塊のような拳が、落下の弧を描く。
着地はその上腕。
腕一本で二十メートルほど。デタラメな巨体だ。
肩口へ向けて駆け上がる俺を、右腕の掌が叩き潰しに来る──速い。
だが、それより俺の方が速い。
村正に魔力を込める。
刀身の青白い光が、霧の中で妖しく脈打つ。
掌撃をすり抜けた瞬間、上空から細枝の雨が降り注いだ。
……“細枝”といっても家の柱サイズだが、それでもまあ細い方だ。
全回避は不可能。
躱せる分は躱し、飛燕で軌道だけを弾く。
肩までは、あと十数メートル。
間合いに入った。
迷いも溜めもなく、村正を振り下ろす。
鋭い風切音とともに──トレントの左腕を屠った。
そのとき、ゴゴゴ……と地鳴り。
見ると、トレント手前の空間に、地面から足場が迫り上がっていく。
マルグリットのマジックアイテムだな。
俺は迷わず跳ぶ。
足場から足場へと飛び移りながら、迫りくる右腕と細枝の攻撃をいなし続けた。
こんな動きができるのも、リュシアンの補助あってこそだ。
「あいつら、やるじゃないか」
ぼそりと独りごちる。
巨大怪獣との対決が興に乗ってきて、喉の奥が自然と鳴った。
――そのとき。
上着の内ポケットから、冷静すぎる声。
「……先生、楽しそうなのは結構ですけど。
目的を忘れないでくださいね」
後方との連絡用に入れていたスマホのスピーカーホンだ。
***
場面は後方へ。
マルグリットが「信じられねえオッサンだな……」と呟きつつ、短杖を振って足場を形成する。
山本先生は双眼鏡とタブレットを手に、マルグリットへ足場の指示を飛ばしていた。
そんな中、梨々花がスマホを持ち、隣の由利衣へ問いかけた。
「……で、取り込まれた人の位置はわかる?」
由利衣は顎に手を当て、「うーん」と短く唸ったあと――
「根元あたり、かな」
と答える。
梨々花は小さく頷き、スマホへ口を寄せた。
「聞こえていましたか?
根元付近にいるそうなので、私たちは上部を中心に攻撃します」
『分かった』
スピーカーから返ってきたのは、短い返事。
梨々花はマイクを切り、スマホから視線を上げて、霧の向こうの巨木を見据えた。
「あんなのを相手に……。やっぱり先生は……」
口元がわずかに歪み、頬が紅潮する。
だが、その色はすぐに引いていった。
切れ長の目に、再び鋭い光が宿る。
梨々花は山本先生へと声をかけた。
「山本先生とマルグリットさんは、そのままサポートお願いします。
私たちは、パイルバンカーで行きます」
そして、手にしているアイシクルワンドを構えた。
「パイルバンカーVer2……ってとこね」
杖に水属性の魔力を流し込むと、空中でベキベキと音を立てながら氷が形成されていく。
山本先生が、ちらりと視線を送り、呟いた。
「氷の……杭」
***
背後の異音に気づき、俺は振り返りざまに状況を確認する。
――なるほど。
元のパイルバンカーは、土魔法で形作ったランスを由利衣の結界で硬化させ、来奈の怪力で叩き込む、という運用だった。
土のランスは形状の維持が困難で、大型化に限界があった。 梨々花の魔眼を完全解放すれば制御はできるが――
フルパワーの乱用は避けたい。
そこでアイシクルワンドで水属性の魔力を氷に変え、巨大な杭を形成。
氷のほうが、形状維持がはるかに容易だ。
――さあ。ブチ抜けるかどうか。
見せてくれよ。
俺は振り下ろされてきたトレントの右腕へ飛び乗り、もう片腕ももらうつもりで、肩めがけて駆け出した。
***
「来奈。行ける?
……そろそろ限界かも」
アイシクルワンドの性能で、地上付近の空中に氷塊を形成し続けていたが、制御が徐々に難しくなっていた。
来奈は、氷の先端を持ち上げながら山本先生に声をかける。
「山本センセー、こんな感じ?」
山本先生は双眼鏡とタブレットの計算アプリを忙しなく行き来させ――
「ええ、その角度で。
まっすぐ、打ち抜いてね、入江さん」
来奈は頷き、氷の杭の真後ろへ。
そこへ芹那とリュシアンが駆け寄り、来奈のグローブへ魔力を通す。
アリサの瞳がふっと金色に染まった。
「来奈! カッコいいとこ見せてね!!」
――力(Strength)の魔眼。
強バフが来奈の身体に一気に流れ込み、ステータスが跳ね上がる。
「キタキタ!!
いっちょやったりますかー!」
腕をぐるりと回し、拳をポキポキと鳴らし――
次の瞬間、来奈の笑みがすっと消えた。
腰を沈め、脚のバネを限界まで圧縮する。
まるで、世界が一瞬だけ静止したかのような“間”。
一拍の後。
その溜めが弾ける。
杭と一直線の角度に右腕を叩き込んだ。
そして――
爆ぜた。
キュレネから放たれた衝撃が空気を裂き、氷の杭の背面に、轟音とともに“破砕のインパクト”が叩き込まれる。
由利衣の結界で硬化された氷の杭が、霧を突き抜けて超高速で射出された。
「ナイスショット!!
……でも、ちょいとフックかかってんなー」
マルグリットの声が響く。
その横で、先生は眉間を寄せた。
「このままでは、トレントを逸れてしまうかもしれませんね」
そう言った矢先だった。
氷の杭が突風に乗って、すっと軌道を修正する。
「……今のは」
ちらりと横を向くと、そこには黄金に光る瞳。
「いやー、ピンポイントでダンジョンに風が吹くなんてこともあるんだなー。
なあ、キャディさん?」
無邪気に言い放つ彼女に、山本先生は小さく肩をすくめて笑った。
「……本当に、なんでもありですね。SSRは。
あの軌道なら、大丈夫でしょう」
視線の先では、巨大樹を突き破らんと、氷の塊が勢いそのままに突進していた。
***
こいつはまた――デカいのが来たもんだ。
肩付近まで上がった俺の視界に、飛来する巨大な杭が映る。
トレントが右腕を振り上げ、それを弾こうとした瞬間――
村正を一閃。肩ごと切り落とした。
そのまま身を離し、落下に転じる。
二十メートルの距離を落ちながら、村正を幹に突き立て、縦に裂くように滑り降りた。
行方不明の冒険者は、この根元付近に捕らわれているはず。
地上数メートルで刃を引き抜き、幹を蹴って着地する。
土に足が触れた途端、
トレントの“頭”――頭と言っていいか分からないが、その相当部位が氷の杭に抉られた。
轟音を引きずりながら、杭は巨体の向こう側へ抜けていく。
上着の内ポケットで、スマホ越しの大歓声が震えた。
だが、息をつく暇などない。
空から枝葉や破片が、雨のように降り注ぐ。
パイルバンカーの余波だ。
巻き込まれぬよう地を蹴る。
リュシアンの補助魔法がまだ効いているおかげで、霧の中を驚くほどの速度で駆け抜けた。
背後では、折れた木材が次々と積み重なる轟音。
どうにか危険域を抜け、パーティの元へ戻る。
そこで、梨々花が声を上げた。
「先生。お疲れ様です」
大技を決めた手応えと、まだ終わらない緊張が声に混じっている。
俺は短く息を整えた。
「……たいした一撃だ。
あのサイズになると、俺でも幹にダメージを与えるのは難しい。
チームプレイができてきたじゃないか」
その言葉に、カメラを構えた政臣が興奮気味に叫ぶ。
「日欧全員一丸の巨大トレント討伐!!
視聴者さん大喜びですよ!!
このまま救助いっちゃいましょう!」
その勢いに、俺は小さく息をつく。
……肝心なのは、そこだ。
振り返って、トレントの巨体を確認する。
両腕は落ち、樹冠は吹き飛んでいる。
攻撃手段はほぼ消えた。それでも倒れない。
光の粒となり消えない限り、中の冒険者は救えない。
そのとき──由利衣の叫ぶような声。
「コーチ、多数のトレント反応……三、五……いえ、増えてます。止まりません!」
「付近の子を呼んでいるのか?」
問いかけると、由利衣は首を横に振る。
「発生源は、あの親株からです」
目を凝らすと、巨大樹の根から次々と湧き出すトレントたち。
――攻撃能力を失った代わりに、子を生んでいるのか。
さらに由利衣が続ける。
「コーチ、親株の魔力が少しずつ減っています」
トレントは、増殖の際に魔力を分け与える。
時間が経てば回復するだろうが、あれほど急激に増殖している以上、親株の弱体化はさらに進んでいると見るべきだ。
そこへ芹那が割って入った。
「修司、あなたはもう一度親株へ。
仕留めてきなさい。子トレントは、こっちで対処するから」
水龍鞭を構えるその姿を見て、山本先生も静かに頷く。
ならば、斬り込み隊の出番だ。
俺は来奈とアリサへ声をかけた。
「行くぞ。次で親株を倒し、冒険者を救出する。
遅れるなよ」
二人は元気よく応え、左右に並ぶ。
怪物との決着は、もう迫っていた。




