第86話 霧の中の怪物
第四層の奥地に潜む妖樹トレント。
そいつが、中域にまで出没している。
行方不明になった二人の冒険者が、トレントに襲われたという確証はまだない。
だが、山本先生が得た情報によれば──
あの二人はこの中域での活動実績は十分にあったらしい。
ならば、初見のモンスターに不意を突かれた可能性を考えるのは、筋が通っている。
俺は捜索隊をまとめていた、リーダー格らしき男に声をかけた。
日本のSSR攻略チームのことは知ってくれていたようで、向こうもすぐに耳を傾けてくれた。
トレントの仕業である可能性は理解してもらえたものの、第四層奥地のモンスターにまともに対抗できるのは、リーダー格の男を含めて数名だけらしい。
他のメンバーは、まだ実力に不安があるという。
いたずらに被害を広げるわけにはいかない。
俺たちの配信で公開しているマップ情報を元に、ほかの冒険者たちはトレントのいない地域を重点的に捜索。
トレント討伐は向こうの精鋭と、こちらであたる──
その方針で意見が一致した。
ダイレクトメッセージでの連絡手段を交換し、俺は自分のパーティへと戻る。
その道すがら、隣でぼそりと声が落ちた。
「急ぎましょう、先生。
ここは人命が最優先です」
……梨々花。いつの間にいたんだ。
だが、今はこいつの隠密術にツッコミを入れている場合じゃない。
俺が軽く頷くと、梨々花は続けて尋ねる。
「トレントと同化する前なら……助かるのですか?」
歩みを止めずに答える。
「そうだな。完全に同化するとモンスターの一部になってしまうが。
その前なら、トレントを倒せば“やつだけ消えて”、中に取り込まれていた人間は助かる」
一拍置いて、付け加える。
「……ただ。取り込まれてる間に、下手に火炎を撃つのは危険だ。
中の人間ごと焼きかねない。
同様に、広範囲攻撃も傷つける恐れがある。
一点集中の斬撃もしくは刺突だな」
梨々花は、切れ長の目を細めた。
要点は理解したようだ。
パーティに戻ると、山本先生とリュシアン、そしてアリサがトーストとコーヒー、ハムエッグの簡単な朝食を用意してくれていた。
ほかのメンバーは、すでに朝食を終えてキャンプ用品の片付けに回っている。
俺と梨々花も、手早く腹に収める。
人命最優先──とはいえ、これから厳しい戦いが待っている。
こちらが倒れてしまっては話にならない。今のうちにしっかり補給しておく。
パーティメンバーには山本先生と由利衣から、すでに“作戦変更”は伝わっていた。
誰ひとり異論はないようだ。
食後、片付けを買って出てくれたリュシアンの言葉に甘え、俺は自分の準備を手早く整える。
そこに、芹那の声。
「修司、これ」
差し出されたのは、昨日背中を大きく裂かれたはずの上着とシャツだった。
継ぎ目がまったく分からない。
……さすが、一流の魔法服飾デザイナーだ。
「すごいな。助かった、芹那」
すると芹那は、目をキッと吊り上げた。
「私にこんな安物修復させるなんて!
リュシアンくんの頼みじゃなかったら、燃やしてるところよ。
あと、“義姉さん”と呼びなさいって、何回言わせる気!?」
相変わらず、面倒くさいやつだ。
軽く手を振っていなすと、芹那は憮然とした表情のまま言葉を投げた。
「……で、まずは親株からよね。
手強いわよ」
トレントは根を分裂して数を増やす。
大元を叩かない限り、枝葉をいくら潰しても脅威は消えない。
問題は、その“親株”が──
ボスを除けば第四層最強のモンスターだということだ。
「問題ない……とは言わない」
俺は静かに言う。
「まだ未熟な連中ばかりだからな」
いまやうちの三人は、星1のレベルマックスが見えてきている。
欧州組も、この冒険期間中にそこまで持っていくつもりだ。
ステータスの数字だけなら、対抗できなくもない。
だが──戦闘魔法使いとしての“練度”と“経験”は不足している。
俺は、腰の村正に手を添える。
「だが、あいつらは逃げないみたいだからな。
“地獄上等”の覚悟なら……突破させてやるよ」
芹那は大げさに息を吐いた。
「ほんと、たいした戦闘狂ね……。師匠も教え子も」
……そいつは、褒め言葉だな。
受け取った上着をはおる。
やっぱりこいつが一番しっくりくる。
「……ん?」
一瞬、上着が淡く光ったような気がした。
芹那が腕組みし、顔をしかめて言い放つ。
「私の仕事が、単なる修復なわけがないでしょ。
特別に防御のエンチャント、かけといてあげたから」
余計なことを……。
いや、まあ──ありがたいのか?
俺は複雑な気持ちのまま、芹那に軽く頭を下げた。
***
霧の立ちこめる森を、親株の位置めがけて一直線に進む。
ナビゲーションは、スマートグラスを装着した梨々花。
親株は俺たちが討伐する──その旨は、捜索隊を組織するあちらの冒険者に伝えてある。
向こうの精鋭には、俺たちの戦闘中に“子トレント”を呼び寄せられないよう、周囲の個体を引きつけてもらう手筈だ。
もちろん、彼らも親株の危険性は承知している。
何度も本当に大丈夫なのかと確認されたが──
これも“精霊の試練”というのなら、受けて立つまでだ。
途中で現れる獣型のモンスターは、俺と芹那でさっさと片付けて進んだ。
戦闘は最小限。ドロップ品も魔石も、そのまま捨て置いて歩みを止めない。
行軍の速度を崩さずに進んでいると、背中に梨々花の声がかかる。
「先生、三キロ地点まで接近しました」
あいつらは──空気の流れだか、魔力の波長だか知らないが、獲物を嗅ぎつける範囲が広い。
そろそろ、向こうもこちらの存在に気づいているはずだ。
数は、親株一体と、その護衛二体の計三体。
俺はパーティの進行を止めると、一同へと振り返った。
「……よし、ここで待ち受けよう。
桐生院、黒澤、頼む」
来奈とアリサへの属性付与だ。
梨々花と由利衣が来奈へ近づき、静かに二属性付与を施す。
第三層の火竜戦で使った“水圧カッター”。
芹那の水龍鞭ほどではないが、迫りくる木の枝に対抗する手段としては、現状これが最適と言える。
続けて、梨々花と由利衣はアリサにも付与した。
アリサは淡く光るロンギヌスを見つめ、息を呑む。
「動画で観てたけど。
本当に二属性の高等魔法を使えるなんて……」
そしてロンギヌスを力強く握り、目に決意の光を宿す。
前衛の準備は整いつつある。
最後に、梨々花は来奈のグローブをそっと両手で包み込んだ。
切れ長の目が黄金色に淡く輝く。
それに呼応するかのように、来奈のグローブも強い光を放ち出した。
やがてその瞳の光がおさまると──梨々花は手を離し、黒髪をかき上げるしぐさ。
来奈をまっすぐに見つめ、不敵に笑う。
「初弾から全力でブチ抜くのよ、来奈」
魔力を受け取った来奈は、ニカッと笑って拳を構えた。
梨々花はすぐに後衛へ戻り、索敵を再開。
「来ます……もう一キロ先。
総員、戦闘準備!!」
そう叫ぶと、スマートグラスを懐にしまう。
索敵を由利衣へと引き継ぎ、自らは杖を構えて迎撃態勢に入った。
***
「……ねえ、教官。
あたし、なんとなく、このパターンかなーって気がしてたんだよね」
すぐ後ろから来奈の声が飛ぶ。
「……言っただろ。昨日のやつは“中くらい”のサイズだって」
「いやいやー。
あれに比べたら“小型”じゃね?」
そのやり取りに、アリサがぽつりとつぶやく。
「料理長、あれCGじゃないですよね?」
──もはや、由利衣の索敵など必要ない。
迫りくる“巨木”は、霧の彼方からでも異様な存在感を放っている。
全高は、優に五十メートル。
広葉樹の樹冠が霧を割り、空を覆い隠す。
そして幹──直径が何メートルあるのか、見当さえつかない。
村正で一刀のもとに斬り伏せる。というのは……さすがに難しいか。
そこへ、後方から由利衣の声が飛んだ。
「いました。人間の魔力反応──
一人、親株に取り込まれています」
もう一人は、ここにいない個体に襲われたか。
俺は息を整え、静かに指示を更新する。
「まずは、お供の二体を先に沈める。
やはり火は使うな。親株に燃え移ったら厄介だ」
親株は──俺が引きつけるしかない。
「一体は、芹那……いや、義姉さんと来奈とアリサ」
屈辱に耐えての“義姉さん”呼び。
ここでくだらないことで揉めている余裕はない。
「もう一体は、後衛組が遠距離から削ってくれ。
親株は俺が対処する」
短く指示を出し切ると、迷いなく地を蹴った。
向かう先に立ちはだかるのは、お供のトレント二体。
片方はイチョウ、もう片方はケヤキ。
どちらも全高十メートル級。
分裂して増えた“子株”が、なぜ別種の樹木になるのかは分からない。
だが、親株からは実に様々な木のモンスターが生まれる。
この戦闘中に増殖しない保証もない。
──できるだけ、時間はかけたくなかった。
駆けながら村正と飛燕を抜く。
露払いの二体の脇をすり抜けながら、迫りくる枝の迎撃は最小限に抑える。
一気に親株との距離を詰めていく。
後方に視線を走らせた。
イチョウとケヤキの追撃は、パーティメンバーが完璧に抑えてくれている。
芹那の水龍鞭が低い唸りを上げ、枝という枝をまとめて刈り落としていく。
ロンギヌスが幹に大きな斬撃痕をつけると、トレントの体が一瞬ぐらつく。
その機を逃さず来奈がアリサの背から跳び出し──
光をまとった拳が、イチョウの幹にクリーンヒット。
轟音とともに、幹が爆裂四散した。
もう片方では、山本先生の矢の三連撃が星座を描くように幹を穿つ。
続いて、梨々花とマルグリットの氷槍が傷口を容赦なく抉っていく。
彼女らは距離を維持しつつ、確実に“削り”を積み重ねていた。
あの様子なら問題はないな。
そう確信した瞬間。
「コーチ!」
由利衣の声と同時に、俺の体が何層もの防御結界に包まれた。
そして、手にした村正と飛燕が羽根のように軽くなる。同時に、身体も。
リュシアンの補助魔法か。
大型トレントを正面に見据え、さらに加速。
その異形が否応なしに目に飛び込んでくる。
──あれは、やっぱり腕なんだろうな。
二十メートル地点あたりの幹の左右から生える、太い枝。
付け根は肩のように盛り上がり、二の腕や上腕、手首から手のひらまで形作っていた。
指一本が電信柱よりも太い。
そいつが拳を握り、俺の方を狙っていた。
現役時代に潜っていた時にも、これほどのサイズの親株はそうそうお目にかかったことはない。
俺の口角が最大限に吊り上がる。
……あいつらが後ろにいて、本当に良かった。
おじさんの嬉しそうな顔は、あまり見れたもんじゃないからな。
跳躍。
リュシアンの魔法で、まるで翼が生えたかのように上昇する。
眼前に迫りくる巨大な拳へと跳ぶ。
村正の青白い光が、霧の中で一層の輝きを帯び始めていた。




