第80話 クリスマスイベント(5)
第三層で出会った、あの怪しい女――エステル。
その名を思わず呟いた途端、リュシアンが取り乱したように俺へ詰め寄ってきた。
そこに、クラリスの冷静な声が落ちる。
「落ち着け、リュシアン」
リュシアンはハッとして俺から手を離し、今にも泣き出しそうな表情で目を伏せた。
代わって、アリサがぽつりと言う。
「エステルさん……リュシアンのお姉さんの名前なんです。
もし何か知っているなら、教えてもらえませんか?」
――そうか。
どおりで、あの面影が重なるわけだ。
俺は、第三層の洞窟でエステルに遭遇したことを告げた。
その時期は、ちょうど欧州パーティがボス攻略をしていた頃と重なるようだった。
「魔導ギア・グリムリーパー……まさか、そんなところにあったとはな」
クラリスが顎に手をやり、低く呟く。
あれは神話伝承級の武具。数年前に盗難にあった、いわくつきの一品だ。
そして判明したのは――エステルの能力。
“死神(Death)”の魔眼。
アリサの“力(Strength)”とは正反対の、強烈なデバフ。
相手のステータスを根こそぎ弱体化させる、危険性の高い魔眼だった。
「魔法使いのその先の、さらに先……?」
アリサは、俺がエステルから聞いた言葉をそのまま繰り返した。
この中で、その“先”――精霊の特典を得たのは俺と、一時的とはいえアリサだけだ。
俺は頷く。
「さらにその先ってのが何を指すのか、正直まったく分からない。
だが、何か目的があって失踪したのなら、そいつが関係しているんだろうな」
アリサは、俯くリュシアンの髪にそっと手を添えた。
「でも、お姉さん、生きてたね。一緒に探そ?」
第三層で見たエステルが、欧州SSRの攻略を伺っていたのだとしたら。
その目的も不明だが――案外、近くにいるのかもしれない。
だが、その考えは飲み込んだ。
そして、努めて明るく声をかける。
「俺たちもまた会ったら声をかけてみるさ。
何かあれば連絡する。
……せっかくだ。今日は食べていってくれ」
アリサはぺこりと頭を下げ、リュシアンを伴って料理の並ぶテーブルへと消えていく。
クラリスがぽつりと問いかけてきた。
「……その、第三層の洞窟だが。
場所は分からないか?」
俺は政臣と由利衣を探し、二人を呼び寄せて簡単に事情を話す。
由利衣の瞳が、ふっと黄金色に淡く輝いた。
女教皇の魔眼能力は、ダンジョン内で遭遇したモンスターや宝物、人物までを“地図として記録”している。
「あの女の人……覚えてますよ」
そう言いながら、政臣の差し出したタブレットの地図に指を滑らせ、ある一点を示した。
俺はそのポイントをクラリスに送るよう、政臣に伝える。
「……探すのか?」
静かに問うと、クラリスは微かに笑った。
「うちのパーティメンバーには内密にしておいてくれないか。
目的が分かるまでは、リュシアンには近づけない方が良い。――そんな気がするからな」
正直、危険だ。
最強の戦闘魔法使いと名高いクラリスに、聖剣エクスカリバー。
その実力に疑いはないが――
あの女は、単純な戦闘能力では測れない“何か”を持っている。
対峙した俺は、そう感じていた。
そう告げると、クラリスは軽く頷いた。
艶やかなブロンドの髪が、すっと揺れる。
「……感謝する。
無理をするつもりはないさ」
そう言うと、クラリスはアリサたちの姿を追うように、静かに歩いて行った。
「コーチ、クラリスさんのこと……」
心配そうな由利衣の表情。
彼女も、エステルの底知れない不気味さに触れた一人だ。
「分からんが……判断を任せるしかないな」
これ以上、今はできることはない。
だが、いざとなれば相手が何だろうとクラリスの側に立つつもりだ。
そう言って軽く笑うと、由利衣は「……私も」と、瞳に強い光を宿した。
「そうだな。頼りにしてる」
思わず口にしたその瞬間、背後から声がかかった。
「先生、私もいますが」
梨々花。
こいつは本当に、俺の後ろを取る癖でもあるのか。
「魔法使いのその先の、さらにその先……。
正直、あの人とはまた会いたいとは思いませんが、興味はありますから」
そう言って、切れ長の目を細める。
「桐生院、どこから聞いていたんだ?」
呆れたように問いかけると、由利衣が苦笑して言った。
「ずっとコーチの後ろにつけてましたよ」
……何なんだ一体。
そこへ、来奈が笑いながら近づいてきた。
「いやー、リズさん強すぎっしょ。
あたしと魔戦部の全員がかりでも相手にならなくてさー」
どうやら、こいつはリズに「いまなら勝てるかも」と踏んで、大食い勝負を挑んでいたらしい。
だが――大会の覇者は、並ではなかった。
タンクローリー三台分の牛丼を食べ尽くした後だというのに、まだ余力を残していたのだから。
俺は軽く笑い、そしてふと思い立った。
「そうだ、お前たち。
ちょっと待っててくれ」
そう言ってテーブルを離れ、部屋の隅に置いていた紙袋を手に取る。
午前中に魔法彫金師の店を回り、発注していたものを、さっき受け取っておいたのだ。
冒険部の面々のところに戻る。
「これからの冒険の助けになるかと思ってな」
そう言って箱をひとつずつ手渡す。
来奈が箱を開けると、そこには五百円玉よりやや大きいサイズの金色のメダル。
鎖を通す穴が開けられ、繊細な紋様が光を反射している。
来奈は、ぱっと目を輝かせた。
「これ、星(The Star)の絵?」
梨々花と由利衣も、自分の手のひらのメダルをじっと見つめていた。
それぞれ、魔術師(The Magician)と女教皇(The High Priestess)の絵柄が刻まれている。
政臣には杯(The Cup)の絵柄を。
そして俺は、剣(The Sword)のメダルを手に取った。
「こいつにはエンチャントがかかっているんだ。
……まあ、気休めみたいなもんだが、それでもいつかお前たちの役に立つかもしれない」
ぶっちゃけ、こんな小さなものでもマジックアイテムとなれば、そこそこの値段になる。
だが幸い、昔なじみの彫金師のじいさんがいて――
“SSRのためなら”と格安で引き受けてくれた。
おかげで、山本先生へのプレゼントに回す金が残ったのは、本当に助かった。
「……へえ、魔法のメダル。
佐伯くんにしては悪くないかもね」
またもや背後から声がして、肩がビクリと跳ねる。
赤ん坊を背負った杏子が、俺の手元を覗き込んでいた。
……こいつも誘っていたな。
旦那の日村は、このところダンジョンに潜りっぱなしだというので、飯でも食っていけと声をかけたのだ。
「ところでさー、佐伯くん。
あたしのあげたやつ、どうした?」
ボソリと耳元で小さな声。
……そういえば、何かもらっていた気がする。
上着のポケットに突っ込んだまま忘れていた。
どうせ菓子か何かだと思っていたが――。
俺が微妙な顔をすると、杏子は呆れ顔を隠しもせず、
「まあ、がんばんなって」
と軽く肩を叩き、冒険部の面々に笑いかけて去っていった。
あいつも、よく分からんやつだ。
杏子の背中を見送っていると、梨々花の声が聞こえてくる。
「ありがとうございます、先生……。
大切にします」
梨々花はメダルに細い鎖を通し、黒髪をかき上げて首にかけた。
それを手に取り、胸元へそっとしまう。
見ると来奈は右手首に短い鎖を通し、由利衣は左手首。
政臣はスマホのストラップにしていた。
俺は自分のメダルを上着の内ポケットにしまい、皆に声をかける。
「冬休みだからな……。第四層攻略もガンガン行くぞ」
四人の元気な返事が重なった。
***
食事も終わり、本日のイベントは終了。
クラリスは、すっかり酔いつぶれたマルグリットを背負いながら、ぶつぶつと文句を言っている。
それでも、なんだかんだ面倒見の良いやつだ。
リュシアンが、静かに近づいてきて頭を下げた。
「あの、姉さんのこと。ありがとうございました」
胸の奥に一瞬、複雑な思いがよぎる。
だが、リュシアンは姉を探すために冒険者になったのだ。
その気持ちに水を差すようなことはしたくない。
「まあ、元気そうだったからな。
俺たちも協力するから、そちらでも何か分かったら連絡してくれ」
そう言うと、リュシアンは人懐っこい笑顔を見せた。
……可愛い。
いや、俺はそっち側じゃないぞ……。
誰に向けたものとも分からない言い訳が、ふと脳裏をかすめる。
アリサは、うちの三人と連絡先を交換していた。
年も近いし、良い友人関係になれそうだ。
そして、欧州SSRパーティは、それぞれの国へと帰っていった。
次に声をかけてきたのはリズだ。
「今日はたくさん食べ放題で、楽しかったですー」
儚げな笑顔を向けてくる。
しかし、不意にその表情に影がさした。
「でも、明日からまた普通の食事なんですよね……」
……そっちの心配か。
すると政臣が、コンテンツの匂いを嗅ぎつけてアタックを開始。
「じゃあ、定期的にリズさんの特別コンテンツ撮らせてもらえませんか? 食材は用意しますから。
ダンジョンを舞台に食べまくる!! これはバズるなあ!!」
何を勝手なことを……。
止めようとしたが、すでに遅かった。
「あらあら、まあまあ……そんな素敵なコンテンツを?
じゃあ、明日……ううん、今からでも」
キラキラとした表情で、完全に食いついている。
政臣が俺に目配せし、勝手に話をまとめる。
「大食い系は数字が取れるんです。
食品会社のスポンサーも引っ張ってきますから、任せておいてください。
で、調理の方はよろしくお願いしますね」
冗談じゃない。
どれだけ食うと思っているんだ。
口をぱくぱくさせていると、リズの教え子のリハルトが、スッと目の前に滑り込んできた。
「うちの先生、さっきから明日のことを考えて元気なかったんですけど……ありがとうございます。
ものすごく面倒かけると思いますけど、よろしくお願いしますね」
にこやかな顔で、丸投げする気満々だ。
そうして、政臣と連絡先を交換したリズは、足取りも軽く去っていった。
……どうして、次から次に。
肩を落とす俺に、山本先生の声がそっとかかる。
「私も協力しますからー。
一緒に頑張っていきましょうね」
……こういうときは、本当に頼もしい。
そう思った矢先――山本先生は、脈絡もなく頬を染めた。
「私たちの“夢”のためですから……。
一緒に料理修行して、冒険者向けに小さくても暖かな定食屋さんを出すんです。
……佐伯さんが厨房で、私は子供をあやしながらカウンターに立つの」
ぼそっと言い残すと、タタタッと魔戦部の連中のほうへ駆けて行ってしまった。
……何だ今の未来予想図は。
なぜダンジョンで定食屋を家族経営することになってるんだ?
完全に思考停止している俺に、由利衣がそっと声をかける。
「それじゃあ、わたしたちも帰りましょう」
ふわりと笑うその顔に、少しだけ落ち着きを取り戻した。
「……そうだな」
俺たちは、すっかり日が落ちたイベント会場を歩き出した。
ここは明日には、精霊の手によって跡形もなく更地になる。
スケールが異常すぎて、ときどき脳がバグりそうだ。
そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか梨々花が隣にいた。
冒険部の他のメンバーは、少し前を歩いている。
「あの……」
控えめな声で話しかけてきた。
横を見ると、目を合わせないまま、手提げの紙袋をすっと差し出してくる。
小声で呟くように。
「みんなからです。山本先生や魔戦部のみんなからも」
「……俺に?」
梨々花はこくりと頷いた。
俺は立ち止まり、近くの街灯に照らされたベンチに目を留めた。
梨々花と並んで腰掛け、さっそく中を確認する。
「へえ……冒険者ナイフセットか」
特殊鋼で作られた立派な包丁セットだ。
これからのダンジョン攻略は長丁場になることも増えるだろう。
キャンプ道具を揃えねば、と思っていたところだ。
梨々花は、まっすぐ前を見ながらぽつりと言う。
「先生の料理、いつも美味しいので……。
これからの冒険も、よろしくお願いしますね」
半年前まで包丁すらまともに握れなかった俺が、今やこいつらの“専属料理人”だ。
苦笑しながらも、悪い気はしなかった。
「ありがとう」と言いかけたそのとき――
横から、小さな袋を突き出してくる。
「……で、これは私からです。
芹那さんにお願いして……」
相変わらず、こちらをまともに見ようとしない。
袋の中には、赤い紐――いや、刀の鞘の下緒だ。
梨々花は、少し恥ずかしそうに俯いた。
「すいません、お小遣い少ないので。
これくらいしか買えなくて……。
芹那さん、タダで良いって言ってくれたんですが、そういうわけにはいかないので」
だが、見ただけで分かる。
これにも確かなエンチャントが施されている。
決して安物ではない。
冒険部の月の小遣いは一万円。
来奈なんて、いつも“足りない足りない”と騒いでいるほどだ。
そんな枠の中から、わざわざ買ってきてくれたのか。
……素直に嬉しかった。
俺は梨々花に笑いかける。
「なかなか良いじゃないか。ありがとう。
村正の相棒だ。こいつも一緒にダンジョン攻略だな」
梨々花は、ほんの少し口元をゆるめ、こくりと頷いた。
――お返しを。
何か軽いものでもいいから。
そんなことを考えた瞬間、杏子から貰った包みの存在を思い出す。
“オマケ”なんて言っていたが……。
懐から包みを取り出す。
「……桐生院。これ」
もったいぶらず手渡すと、梨々花の横顔の瞳がふっと揺れた。
「私に、ですか?」
……あまり期待されても困るが。
袋を開けると――
鮮やかなターコイズブルーの細身のバングル。
ガラスとも金属ともつかない、不可思議な素材。
細かな意匠と宝飾が織り込まれ、華美すぎず、それでいて目を奪う。
街灯の光を受けて、淡くきらめいていた。
竜玉の腕輪。――上位のマジックアイテム。
杏子のやつ、何がオマケだ。
俺が目を丸くしているのには気づかず、梨々花は濡れたような瞳で小さく息をつき、そっと腕輪を撫でた。
そして、そのまま腕に装着し、俺の目をまっすぐ見て――
花が咲くように柔らかな笑顔を浮かべた。
「これも、ずっと大切にします……」
……まあ、いいか。
大魔法使いによく似合っている。
俺は立ち上がり、軽く目を閉じて静かに頷いた。
そして歩き出す。
ダンジョンの中だというのに、きらめく星明かりがやけに綺麗で。
第六層に、ふたつの影が寄り添うように落ちていた。




