第75話 霧の中の戦い(2)
各国の冒険者パーティが、今回のクエストの目的であるラミアを狩っていた。
そんな中、シンガポールのパーティから支援要請が入る。
獲物の数が多く、分け合わないか――という誘いだ。
こちらとしても、引き上げの時間までに、もうひと稼ぎしておきたいところ。
乗ることにした。
湿地を移動していく俺たちに、由利衣の声がかかる。
「モンスターは、向こうのパーティの方に移動しています。
このままだと、もうすぐエンカウントですね」
向こうは五名。
皆若いが、第四層まで来られるだけの腕はある。
そう簡単に崩されるとは思わないが、油断はできない
「少し、急ぐか」
俺の一言で、全員の足取りが早まった。
***
現場に到着すると、すでに戦闘は始まっていた。
霧は晴れないが、頭上は明るく五十メートル先まではなんとか、といったところ。
こちらからは、正面に冒険者パーティを見る形になる。
下半身がヘビのモンスター――ラミアが放つ火炎を、大盾が受け止めていた。
魔法攻撃の間隙を縫い、双剣を構えたリーダーの女性が盾の影から踊り出ると、後方からバフを受けながら、湿地とは思えない軽い足取りでラミアの首を狙って駆ける。
だが、その前に突如、大蛙が跳び出して立ちはだかった。
双剣の一閃で大蛙を斬り伏せる。
その瞬間を狙い、ラミアの幻術が叩き込まれた。
幻術は装備している指輪がレジストするものの、勢いを殺された状態で第二波を食らうのはまずいと判断したのか、彼女は大きく後方へ跳躍し、いったん自パーティの射程内まで下がっていく。
その間、仲間の攻撃魔法がラミアたちの侵攻を押しとどめていた。
来奈と梨々花の攻撃がまともに通らなかった大蛙を、一撃で落とすとは――なかなかの腕だ。
リーダーを軸にした、ヒット・アンド・アウェイの編成。
一体ずつ確実に削る戦法は堅実だが、物量で攻め込まれ始めると分が悪いだろう。
「よし。まずは俺が大蛙を中心に落とす。
黒澤、魔法攻撃に備えて防御結界いけるか?」
由利衣がこくりと頷いた瞬間――
瞳がうっすら金色に輝き、空気が張り詰める。
その場の全員に女教皇の防御結界が展開される。
広範囲に張るには魔力も神経も使うはずだが、さすが由利衣は微動だにしない。
向こうのパーティは、急にモンスターの魔法が弾かれ始めたことで一瞬だけ戸惑っていた。
だが、霧越しに俺たちを認めたリーダーの女性が大声を張った。
「助かったよー!」
その声に合わせるように、大盾の男が地を蹴る。
バシャッ、と派手な水飛沫。
そのまま大蛙を体ごと弾き飛ばし、一直線に距離を詰める。
双剣の女が大盾の背中から飛び出した瞬間――
ヒュッ、と銀の軌跡が霧の中に走る。
ラミアの首が、軽い音を立てて湿地へ落ちた。
……さすがだな。
ああいう戦い方は、うちにはできない。
だが、感心して眺めているだけでは――
何のためにここへ来たのか分からない。
「先生。今日のここ一番、少し力を出していきますので。
……高柳くん、しっかり撮ってね」
帰還の分も残しておいて欲しいが。
だが、一気に畳みかけたいところではある。
梨々花の瞳の光が、霧の中に灯台のように輝く。
杖を構えると、上空に渦巻く風が生まれ、霧を吹き飛ばしていった。
俺たちの周囲に不意に生まれた明瞭な視界。
モンスターたちは明らかに戸惑っている様子だ。
大蛙は――ざっと十体ほどか。
俺は水飛沫を上げて駆けながら、村正を振るう。
ぬめる粘液も厚い皮膚も、何の抵抗も生じずに刃を通し、次々とモンスターは光の粒と化していく。
チラリと目をやると、ラミアの攻撃魔法を結界で弾きながら来奈が距離を詰め、一撃を入れていた。
――あの調子なら大丈夫か。
大蛙をあらかた片付けた後、俺は残っていたラミアへと斬りかかった。
身に着けているスーツが淡い紫の光を放つ。
幻術も相変わらずレジストできているようだ。何の問題もない。
だが。
視界をラミアに戻すと……いない。
いや、目を離したと言っても一秒にも満たない。
それに幻術は効いていないはずだ。
はずなんだが――視界を乗っ取られた?
嫌な汗が背中を伝う。
仲間は?
視界を巡らすと、来奈がドロップアイテムを手に喜んでいる。
そこに、一体のラミアが迫っていた。
俺はすぐさま村正を振るおうとして――ピタリと止まる。
もし、今見ている“映像”が偽物だったら。
“どっちが本物のラミア”なんだ?
……どうする?
何かあれば山本先生が対処できる。
下手に動かないほうがいいかもしれない。
そのときだ。
背後から声がした。
「あら。慎重なんですね」
ゾクリ、と背筋が震えた。
――やはり。
“レジストできたと錯覚させる”ところから、もうハックされていたわけだ。
これだから幻術は恐ろしい。
そして、いるはずのない“人間”がここにいる。
幻術か、変身魔法か。その区別すら、もはやつかない。
「佐伯さん、お久しぶりー」
にこやかに軽く手を振る――ラミア。
俺は村正を構える。
ラミアは微塵も動揺した様子もなく、言葉を続けた。
「モンスターだと、思います?
そうかもしれないし、もしかするとパーティメンバーかもしれないしー。
……“また”仲間を殺しちゃうんですか?」
そして、にこりと首を傾げるしぐさ。
奇妙だ。
俺の知っている幻術は“ありもしない感覚”を作るもの。
だが目の前のコイツは、俺の“記憶”に触れている。
未知の魔法だ。
頬にかかった髪を押さえつけながら、ラミアは柔らかく笑った。
「何もおかしくありません。
すべては一つの場所に還るんです。それがダンジョン。
佐伯さんが戻ってきてくれて嬉しいんですよ。
あのときの続き、やっと廻りはじめたんです」
意味が分からない。
霧が止まり、湿地の音が消え――時間まで静止したような“異様な沈黙”。
俺は、村正をいつでも振り切れるよう構えたまま言う。
「なあ、もう少し分かる言葉で話してくれ。あいにく要領がいいほうじゃなくてな。
……なんで“その姿”なんだ?
何の意味があるんだ? 答えてくれよ、理沙」
その名を口にした瞬間、胸の奥がずきりと痛む。
鷹見 理沙。
俺の昔のパーティメンバー。
同じ師匠の下で長年共に育った、妹弟子。
理沙の形をしたラミアは、薄く笑った。
「あの時、佐伯さんも死ぬはずだったんです。でも、生きている。
それは運命や理を超えた力なんです。
あなたは特別なんですよ。それなのに、いなくなるなんて……。
……SSRの存在が、物語を動かすカギなんですね」
そして、目線を落として自分の両手を眺めた。
「それにしても、この姿。面白いですね。
佐伯さんは影に怯え、もう一人は……神にも挑まんとしている」
――面白い、だと?
その言葉に、俺の中で何かが切れた。
「おい。分かる言葉で話せと言ったよな?
それに、俺の大事な教え子に手を出すんじゃねえぞ」
ラミアは、わざとらしく肩をすくめた。
「面白い子たちじゃないですかー。
残念ですけど、たくさん手を出しちゃう予定なので。
だって、目指すんでしょう? 魔法使いのその先のその先を――」
楽しそうな目。そこに正邪は感じなかった。
「……おい、理沙」
一歩、踏み出そうとしたその瞬間――。
理沙の形をしたモンスターの胸に、太い氷柱が突き刺さった。
光があふれ、ラミアは粒子となって消えた。
同時に、停止していたかのようだった世界へ音が戻る。
俺は一歩も動けず。
耳を澄ませ、目だけをぐるりと動かした。
どうやら戦闘は終わっている。
俺の目の前にいた一体が、最後だったのだろう。
そして、ポツリと声が届く。梨々花だ。
「……先生、終わりました」
その声音には、敵を仕留めた爽快さではなく――
“何かを見てしまった”者特有の揺らぎがあった。
俺は立ち尽くしたまま、梨々花に問う。
「……何がいた?」
梨々花は一瞬だけ迷ってから、ぽつりと答える。
「何って……先生が、ラミアの前で動けなくなっていて。
幻術にかけられたのかなって……思って。
それで、慌てて……」
そこで言葉を切った。
それ以上は言わない。
あるいは、言えないのかもしれない。
……どこまでが現実で、どこからが幻術なのか。
理沙の姿をしたラミアとのやり取りすら、俺の脳内で生成されたものでは――
そんな疑いすら頭をよぎる。
何か言おうとしたそのとき、シンガポールのパーティが近寄ってきた。
リーダーの女性が快活に声をかける。
「いや、この風魔法もすごいね。視界が一気に開けたし!
うちら、ラミア三体いただいちゃったんだけど……なんだか悪いねー」
俺は曖昧に笑い返した。
「……いや、俺たちも目標は達成した。
ドロップは討伐したパーティのものだ。気にしないでくれ」
そう言うと、彼女は迷いなく手を差し出してきた。
俺がその手を握り返すと――
それが自然と、クエスト終了の合図となった。
***
帰還も油断せず、由利衣の索敵で可能な限り戦闘を避け、避けられない敵は、俺が淡々と片付けた。
平常通りを装っていたが……
意識し始めると、来奈がふとした瞬間、じっと俺を伺っている気がする。
何も言わない。
だが、あいつがこれだけ気づくなら――他のメンバーには丸わかりだろう。
それでも俺が黙っている以上、誰も深入りしてこない。
……今日の“あれ”は、一体何だったのか。
ただの幻術ではない。
そこには明確な“意思”があった。
ダンジョンの――いや、精霊の意志。
ラミアを媒介にして、俺に働きかけてきた?
そんな話は聞いたことがない。だが、他に説明のしようもない。
転移陣にたどり着いた頃には、すでに18時を回っていた。
スタート地点のゲンさんは、いつも通りにこやかな顔。
だが、俺の顔を見ても何も聞かず、「お疲れさま」の一言だけ。
こういうところが、本当にありがたかった。
寮へ戻ると、泥だらけの衣服は山本先生が「クリーニング出しますね」と回収してくれた。
そのまま俺は部屋に戻り、シャワーを浴び、ベッドに腰を下ろす。
……断片的な冒険の記憶が蘇る。
理沙がいた頃の記憶。そして、九条の顔。
あの頃、あいつは他パーティ所属の“期待の若手”で。
七階層どころか、その先の攻略すら夢じゃない――
そんな空気を一身に背負っていた。
その将来を潰したのは、俺だ。
そんなことをぐるぐる考えていると、ドアをノックする音がした。
「佐伯さん、よかったらご飯できてますから」
山本先生の声だった。
正直、食欲はなかったが――好意は無駄にできない。
食堂に向かうと、三人は手伝いをしていた。
「今夜はあったかいものがいいかなーって」
山本先生が、にこにこと鍋焼きうどんを運んでくる。
心がほぐれるような匂いと湯気。
……だが、席についてからが妙に静かだった。
うどんをすする音だけが、部屋にぽつぽつと響く。
すると、来奈が耐えきれなくなったように、箸を置いて「あーーーっ!」と声を上げた。
「ねえ教官! 今日は宝玉十個ゲットで大勝利っしょ!?
なんでそんな不景気な顔してんのさ!」
直球すぎるが、ありがたいきっかけだ。
ふと気づくと、いつもなら俺の器に容赦なく唐辛子をぶち込んでくる由利衣も、今日は何もしてこない。
梨々花は、じっと切れ長の目をこちらに向けている。
そして山本先生だけは、気のない風を装ってうどんに箸を運んでいるが――
聞き耳を立てているのは、どう見てもバレバレだ。
「……そうだな。これ以上黙ってるのもあれだしな」
観念して、要点だけ話すことにした。
「昔、俺の失敗で……以前のパーティメンバーをダンジョンで亡くしたんだ。
いや、失敗というより――エゴだな。どうしようもないほどの」
空気がわずかに揺れる。
「理沙って言ってな。
麗良より少し年上で、俺のもう一人の妹弟子だ」
そこまで一気に言ったところで、少し息をつく。
細かい経緯まで話し始めれば長くなる。だが、核心は同じだ。
「いや、理沙だけじゃない。
あの作戦で大勢死んだ。……全部、俺の判断のせいでな」
椀の湯気が、ほんのりと顔を暖める。
視線を落としたまま、続けた。
「それで冒険者を引退して、全財産を処分して、遺族基金に寄贈した。いまも少しずつ……。
それで償えるとは思っちゃいないが……他にできることも思いつかなくてな」
第七層の事故はいまも極秘扱い。遺族は真相を知らされていない。
いつか公開されたとき、やっと本当の意味で贖罪の機会が来るのかもしれない。
「そういうわけだ。
そんなやつが……どの面下げて今さらSSRの面倒見てんだって話なんだよ」
そこで、言葉が途切れた。
由利衣が、ぽつりと問いかけてくる。
「……あの。それで、その理沙さんって。
コーチの恋人だったんですか?」
山本先生は涼しい顔でレンゲから汁を一口。
だが、爆発的に高まった魔力が、部屋の空気を震わせていた。
俺はその迫力に気圧されそうになりながらも、
「いや、俺じゃなくて……九条の婚約者だった」
と、小さく返す。
――魔力がおさまった。
由利衣は横目でちらりと梨々花を見る。
「すいません。変なこと聞いて。
でも、話してくれてありがとうございます」
そう言って、唐辛子の瓶の蓋を開け、バサバサと俺の器にふりかけ始めた。
「そうだよ、教官。水臭いなー。
確かに昔はろくでもない冒険者だったんだろうけど、いまはうちのパーティメンバーなんだから。
メンバーの不始末は、キャプテンであるあたしの責任でもあるんだからさー。
まあ、任せときなって」
来奈はそう言って、ぐっと親指を立てた。
何を任せるんだか、まったく分からないが――その言葉は妙に暖かかった。
梨々花は顎に手をやり、思案顔になる。
「それで、今日のラミア……。
でも、SSRがカギだって、何でしょうね、いったい。モンスターがあんな言葉を」
――どこからどこまで聞いていたんだ?
俺が焦った表情を見せると、梨々花は微笑んだ。
「大切な教え子に手を出すな、ってあたりからです。
この先、どうやら未知の冒険が待っていそうですね。先生」
来奈が、うどんをすすりながら嬉しそうな声を上げる。
「おっ! そんなセリフキメたの? 教官。
いやー。こっちが照れるなー」
山本先生は頬に手をあて、なぜかうっとりとしていた。
「愛しの姫に手を出すな、の聞き間違えじゃないですか。ねえ、桐生院さん」
由利衣はにこにこと、俺のうどんを真っ赤にし続ける。
――どうやら、皆の態度は変わらないようだ。
新しい仲間も、お前と同じで、どうしようもなく良いやつらだ。
心の中で、静かに呼びかける。
俺の心は、地の底から伸びる無数の手に掴まれ、腰まで沈みつつある。
それでも理沙、お前は俺の側でそっと笑っていた。
それが地獄へ突き落とす偽りの微笑みだったとしても――
今だけは、その温もりにすがっていたかった。




