第68話 女帝
俺たち五人は、セーフゾーンの祠をあとにした。
あれから――
リズリンドという冒険者は、微笑みを浮かべつつ、俺の分の弁当を三十秒フラットで完食し、さらに全員のお裾分けを流れるような動作で胃に収めていった。
さらに、政臣のマジックリュックには三日分の食材が入っていたのだが。
俺が「良かったら、何か作りましょうか?」と余計なことを言ったのが運の尽きだった。
合計十五人分の食料は、跡形もなく消えた。
少し休んでから国へ帰るという彼女に、明日また来て同行すると申し出たところ、返ってきた言葉は――
「モンスターに襲われたときは、道に迷ってお腹が空いていただけですから……。
いまは、腹八分。魔力が回復すれば大丈夫です」
憂いを帯びた、儚さをまとった表情。
……言っていることの意味はよく分からない。
だが、第四層の一人歩きなんて見過ごせるものではない。
非常用の乾パンと水を置き、明日また来ると約束した。
ウトウトし始めた彼女へ寝袋を手渡し、俺たちは帰還することにする。
ドアを閉める直前――
鼻腔と咽頭を空気が高速で駆け抜ける、盛大な炸裂音が響いたが、聞こえないふりをした。
来奈はしきりに「ねえ、あの中にモンスターいたって絶対!!」
とまくし立てたが、全員黙っていた。
***
翌日は山本先生のレベルアップ日……だが。
事情を話すと、山本先生は「自分も手伝う」と申し出てくれた。
早朝から二人で大量の弁当を作り、昨日の祠へ向かう。
リズリンドは祠の前で何かをしていたが、俺たちを見つけると小さく手を振った。
「この周辺の植生を調査していたんです。
国の農業振興プロジェクトに参加しているので」
ダンジョンの植物をそのまま外へ持ち出すのは禁止。
だが、精霊が採取用に用意した“アイテム化された素材”なら持ち帰りが可能だ。
多くはポーションなどの形で、有効成分だけ抽出されている。
リズリンドは、外の世界の植物の栽培に役立つ成分の調査――
そして水属性のブルーストーン採掘のために第四層で活動しているらしい。
「でも、どうして一人で……?」
半ば呆れ気味に尋ねると、
「採取チームから、はぐれてしまって……。
つい夢中になってしまって……」
リズリンドは、申し訳なさそうに眉を下げた。
その最中に狼に襲われ、逃げる拍子にバッグを落としたらしい。
スマホもその中だったため、連絡が取れず――
あのセーフゾーンでひたすら助けを待っていた、というわけだ。
そこへ、政臣がすっと手をあげた。
「あの、配信で呼びかけてみてはどうですか?
国の人も観ているかもしれませんし」
現在、他の冒険者を不用意に映さないよう、カメラは切ってある。
リズリンドはこくりと頷いた。
俺たちが“配信しながら攻略する日本SSRパーティ”だということすら知らなかったらしい。
ニュースでSSRの存在は知っていても、配信そのものには興味がないようだった。
「まさか日本のSSRパーティに助けていただくなんて……。私は、元気ですから」
そう言って、微笑みをカメラへ向ける。
五分も経たないうちに、政臣のスマホが震えた。
応対を終えた政臣が、少し驚いた表情でこちらを向く。
「父さんの秘書からです。
リズリンドさん――オーストラリア政府が昨日から非公式で、各国に捜索依頼を出していたらしくて。
すでに迎えが来てるので、指定ポイントに向かってほしい、とのことです」
そして、カメラの電源を切った。
どうやら、これ以上撮影しないように言い含められたらしい。
……国が“動いた”のか。
見た目によらず、なかなかの大物のようだ。
地図を見ると、目的地まではそこそこ距離がある。
「それじゃあ、向かう前に少し食べていきますか?」
昨日、あれだけ食べ尽くした後でまだ腹が減っているとは思えなかったのだが――
その心配は、完全な杞憂だった。
リズリンドは俺と山本先生が用意した大量の弁当を、相変わらずの儚げな笑顔で平らげ、食後のコーヒーまで綺麗に飲み干すと、ほっと満足そうに息をついた。
***
迎えのポイントに向かう道すがら、リズリンドはぽつりぽつりと自分のことを話し始めた。
「魔法使いガチャに当選してから……精霊とのチャンネルを維持するのに食べ物が必要で。
お腹が空いていると、うまく力が出せないんです」
魔法使いとなった人間の体質が変わることは稀にあるが、食べ物が必要とはなかなか大変だ。
そう言うと、リズリンドは「でも今は六割くらい満たされているので大丈夫」と微かに笑った。
来奈が、まったく遠慮のない調子で口を開いた。
「ねえ、リズリンドさんって、有名なフードファイターだったりするの?
あたし、あの大食い番組めっちゃ好きなんだよねー」
俺が来奈をたしなめようとしたとき。
気配を察したリズリンドは微笑んで首を横に振った。
「リズでいいですよ。
食べることは大好きです。でも……育てるほうが、もっと好きですね」
そう言うと、そっと手のひらを地面へ向ける。
すると――
手のひらから溢れた柔らかな魔力が土をなで、地面から“ポン”と小さな芽が顔を出した。
芽はみるみるうちに伸び、茎を伸ばし、葉を広げ、
そして数秒で、鮮やかな花を咲かせた。
「……こいつは、すごい」
俺の口から、思わず声が漏れた。
植物操作系魔法――。
世界でも滅多に確認されない、レア中のレアだ。
回復にも支援にも応用が利き、精霊との親和性が高ければ高いほど真価を発揮する。
確かに――
彼女が“国の支援を受けている人物だ”というのも納得だった。
世界中で進む砂漠化、異常気象による気候変動、慢性的な食料不足──。
モンスターを百体倒すより、ある意味ではリズの魔法の方が“よほど有用”だ。
そんなことを考えているうちに、水辺のエリアへと差しかかった。
ここからは、より注意が必要。
タブレットのマップには、一定周期で動く群れが表示されている。
進行方向と重なっていた。
「モンスターは、俺が対処する。みんなは水辺から離れて移動を……」
村正の柄に軽く触れたまま、いつでも抜けるように構える。
やがて敵が、由利衣の索敵に引っかかった。
「コーチ、水中から五体来ます。体長ニメートル」
昨日のアリゲーターよりは小さい。
だが──まったく油断はできない。
水辺から飛び出してきたのは、人間の手足の生えた魚。
その手には銛。凶悪な顎にはびっしりと鋭い歯が生えていて、見た目はそこそこグロい。
梨々花の肩がぴくりと跳ねる気配を感じた。
……この手のビジュアルは苦手なんだろうな。
四体が一斉に俺へ銛を突き出してくる。
背後に跳びながら、残像の刃で斬り伏せると、四体とも消し飛んだ。
「山本センセー!」
来奈の声に振り向くと──
一体のモンスターが山本先生に銛を突き出し、それを避けた拍子に、もう片手でジャージの裾をつかみ取っていた。
そのまま、水中へ引きずり込もうとする。
まずい。
山本先生はレベル28。今はステータスも落ちている。
俺たちが対処する間も与えずに、モンスターはグイッと山本先生を引っ張る。
あっという間に力負けし、短い悲鳴を残して、水面下へと消えた。
水中では、俺も戦闘能力が大幅に落ちる。
だが、そんなことを気にしている場合ではない。
即座に踏み込み、水へ飛び込もうとした──そのとき。
「私に任せてくださいっ!」
リズの声が、鋭く空気を裂いた。
振り返ると、彼女の瞳が黄金色に輝いていた。
次の瞬間──
水中の藻が爆発的に成長し、山本先生とモンスターをまとめて“持ち上げた”。
続いて、水辺の葦や木が一気にざわめき立ち、絡み合い、五メートル級の“植物の巨人”が形を取っていく。
巨人は山本先生を守るように抱え、つかんでいたモンスターだけを乱暴に引き剥がすと、そのまま地面へ叩きつけ──踏み潰した。
そして山本先生を、壊れ物でも扱うように慎重に抱えたまま、ゆっくりと俺たちの足元へと運んでくる。
……言葉が出なかった。
植物操作系の魔法自体が珍しいのに、これはもはや別格だ。
魔力で物質を創り出す召喚系とも違う。
目の前の光景に、ただ感嘆するしかなかった。
――そこへ、由利衣の声。
「コーチ、空からも来ます」
言うなり、銃口から魔力弾を放つ。
十体ほどの大型の鳥が滑空してきていた。
魔力弾を浴びても怯む気配がない。
タフなモンスターだ。
だが、リズの魔眼が再び光を帯びた。
地面がざわりと震え、ツタのような植物が一斉に立ち上がり、空中で鳥たちを絡め取る。
そこに梨々花が杖を振るうと、氷柱の弾丸が形成され、捕縛された鳥の身体を次々と貫いた。
光の粒となって消えていく鳥を見届けながら、梨々花が小さく呟く。
「リズさん……SSRだったんですか……?」
リズは照れくさそうに微笑んだ。
「本当は内緒なんですけど……人命優先ですから。
魔眼能力は“女帝”(The Empress)。
よろしくね、日本のSSRさん」
言った直後、膝をつく。
「大丈夫ですか!?」
ずぶ濡れで藻まみれの山本先生と三人が駆け寄ると、リズは儚げに笑った。
「魔眼を使うと……お腹、減っちゃって……すいません……」
あれだけ食べた後なのに……。
***
それからリズは、俺たちの持ち合わせの固形非常食をかじりながら移動することになった。
両手にチョコバーを握りしめた“ワンパクスタイル”は、儚げな美人に似つかわしくない。
「探索に出るときは、こういうのをたくさん持っていくんです。
……お金、結構かかっちゃって」
しょんぼりとため息をつく。
まあ、あの燃費では当然だ。
だが次の瞬間、顔がぱっと明るくなった。
「でも、政府のプロジェクトに参加できて良かったです。
食費は支援してもらえますし……!
日本にも美味しいものがたくさんあるって聞きますけど、うちの国だって負けてませんから!!」
そうして、自国の名産を次々と繰り出してくる。
食べ物の話題になった途端、その瞳は宝石のように輝いていた。
すると、来奈が余計な一言を放り込んできた。
「じゃあ、今度“第六層のクリスマスイベント”で大食い大会あるんだけど! リズさんなら優勝間違いないって!!」
そう言って、懐からチラシを取り出して手渡す。
日本語で書かれているのに理解できるのは――ダンジョンの仕様だ。
リズはチラシに目を落とした瞬間、ぱあっと頬が赤く染まった。
「参加費、けっこうしますね……。
でも、食べ放題……食べ放題なんですね……!
わあ……予選はお寿司なんですか……!」
完全に目の色が変わっている。
何か大会の趣旨を盛大に誤解している気がするが……参加費五十万Gの元は確実に取れるだろう。
山本先生もチラシを覗きこんでいた。
さっきまで水浸しだったのに、風と火の魔力で衣服はもう完全に乾いている。
「武闘大会……ペアの部……。
私、しっかりレベル上げておきますから!!」
きらきらの笑顔で、まっすぐ俺を見つめてくる。
だから教えるなと言ったのに。
***
先方との合流ポイントは、まだ比較的浅いエリアで助かった。
たどり着くなり、リズは仲間の冒険者たちにワッと囲まれる。
「教授!! 心配しましたよ!」
若い男女四人。
どうやら彼女は“植物学の教授”、彼らは大学の教え子らしい。
「フィールドワークに出ると、すぐいなくなるから困るんですよ……」
リーダーらしき青年は、呆れたようにため息をつきつつ、こちらに深々と頭を下げてきた。
しかし、当の本人はまるで気にしていない。
「ごめんなさい、リハルトくん。
でも、日本の方にいいこと教えてもらったの!
ほら! 食べ放題! みんなで参加しましょうよ!!」
いきなりチラシを掲げるリズ。
リハルトの眉がゆっくり吊り上がっていく。
そのまま彼は、リズをそっと視界から除外し、俺の方へ向き直った。
「……ありがとうございました。
あの、食費……どれくらいかかりました?
請求していただいて結構ですので」
もはや、苦笑いするしかない。
そして、儚げな微笑みで手を振るリズと別れ、俺たちは帰路についたのだった。
クリスマスイベントでの再会を約束して。




