第67話 セーフゾーン
湿地帯に足を踏み入れた俺の背に、由利衣の声がかかる。
「キレイなところですね。ダンジョンに入って、一番好きかも」
言わんとすることは分かる。
第一層は地下洞窟、第二層は鬱蒼とした森林、第三層は荒涼とした火山帯。
それに比べ、この第四層は開けた土地に湖沼が点在し、花も咲いている。
柔らかな日差しに、風もどこか涼しい。
「……まあ、浅いエリアはな。
奥に行くと毒沼だの濃霧だの、えげつなくなってくるが」
もちろん、まだそこまで行くつもりはない。
俺は背後の三人に声をかけた。
「今回の目的の一つは、武器解放素材の確保だ。
この第四層には、“ブルーストーン”と“グリーンストーン”がある。
そいつらも回収していくぞ」
水属性のブルーストーンと、風属性のグリーンストーン。
外の世界では緑地化やクリーン発電など、用途は多岐にわたる。
湿地帯で鉱石の採取?
――そんな疑問は、“ここはダンジョンだから”の一言で片がつく。
この空間は、自然法則そのものが別物なのだ。
すると、さっそく梨々花が声を上げた。
「先生、モンスターが一体、十字の方向から高速で接近中です」
梨々花は、政臣が首から下げているタブレットの地図を覗き込んでいた。
気づけば政臣は、カメラマン兼・来奈と梨々花のパシリ兼・荷物持ち兼……
今や“移動型デジタルサイネージ”に進化していた。
由利衣の索敵レーダーは三百メートル。
だが、中継機を介した“魔力ビーコン”は、その三倍以上をカバーしていた。
……なんというツールだ。
ただし、ビーコンの信号は一秒に一回。
どうしても、わずかなタイムラグは避けられない。
だから、三百メートル以内に入った敵は由利衣のリアルタイム索敵の指示で対処。
それより外の動きは、定期的にタブレットで監視する――
それが現状もっとも安全で精度の高い運用だった。
「ここは魚系や鳥系が多いんだ。どっちだろうな……」
地図は二次元表示のため、上空なのか水中なのかまでは分からない。
だが、そのうち3Dに対応してきそうな気がする……。
数秒のち、由利衣の声が響く。
「コーチ、水中からです! 体長約三メートル!」
デカいな。
村正をすらりと抜き放つと同時に、水面が盛り上がった。
巨大な顎が弾丸のように飛び出してくる。
アリゲーターだ。
そういえば先日、芹那から第四層に行くなら、ワニ皮を採取してこいというメールが届いていた。
……連絡先なんて教えていないのに。
個人情報をどこからハックしたのかは知らんが、あの女にプライバシーという概念はないらしい。
恐ろしいやつだ。
そんな思考を脳の片隅で転がしながらも、体は当然のように動いていた。
まずは前脚を一太刀で飛ばす。
すかさず尾が大蛇のように迫りくる――あれをまともに食らえば、アバラが粉砕だな。
身を反らしてかわし、尾も切断。
残像の刃を目の奥に突き立てると、アリゲーターはビクリと痙攣し、動きを止めた。
俺は三人へ視線を向ける。
――さすが、第三層でティラノサウルスとやり合っただけはある。
巨大爬虫類ごときに怯える段階は、とっくに過ぎていた。
俺は三人へ向けて、要点だけを簡潔に伝える。
「第三層の亜竜と違って、こいつらは“水中に引きずり込んで捕食する”習性がある。
ほんの少し衣類を噛まれただけでも、簡単に足を取られるぞ。
だから、俺みたいに接近戦を挑むのはできる限り避けろ。
遠隔攻撃でしっかり弱らせる。これが基本だ。
ただし、逃げようとしたからって深追いはするな。
あいつら、“弱ったフリ”で油断させてくることがある。
そのまま水中に引きずられたら終わりだ」
三人は、神妙な面持ちでこくりと頷いた。
熟練の魔法使いなら、風属性をまとわせて水中呼吸くらいはできる。
だが、いまのこいつらにそれを求めるのは無理な話だ。
そもそも、水中は完全にモンスターのフィールド。
こちらの動きは、あいつらの足元にも及ばない。
政臣のタブレットを覗き込むと、さっき倒したアリゲーターと同じ魔力反応を持つ個体に、すでにモンスター情報が自動で付与されていた。
――これが俺の現役時代にあればな……。
思わずそんな感想が漏れる。
由利衣は、さらに魔力弾を散布していく。
これを定期的に続けることで、広域の魔力反応マップが常時更新されるというわけだ。
俺はドロップ品の皮を回収しておく。
芹那のお使いというのは癪だが、政臣の装備を作ってもらう以上、今は機嫌を損ねるわけにもいかない。
さらに奥へ進もうとしたところで、梨々花の声が響いた。
「先生、この群れ……さっきから動きませんね」
彼女が指すのは、湖沼から少し離れた位置にある魔力反応。
動かないということは――地上のモンスターか。
「そうだな……。はっきりとは言えんが、こういうのは“何かを守っている”可能性が高い。
鉱石とか、レア素材とか……あるいは、お宝とかだな」
その一言に、全員がぴくりと反応した。
「行ってみようよー!! お宝見つけてこその冒険じゃん!」
来奈が嬉しそうに叫ぶ。
単純なやつ……だが、その通りだ。
俺は小さく頷いた。
「何もないかもしれない。だが、何かあるかもしれないなら――探しに行く。
それが冒険者魂だ。分かってるじゃないか」
そう言って、地図が示す方向へ歩みを進めた。
進むにつれ、徐々に木々が生い茂りはじめる。
第二層ほどの密林ではないが、湿った土と緑の匂いが濃くなる。
慎重に足場を確かめながら進むと――ふいに視界が開けた。
そこにあったのは、小さな祠。
「……セーフゾーンだな。地図には載っていないが」
俺は懐から紙の地図を取り出し、広げた。
日本政府が発行している公式マップで、ゲンさんのところで無料配布されているやつだ。
だが、このダンジョンは固定ではない。
精霊による“刷新”が定期的に行われ、採取ポイントも施設も配置が変わる。
当然、地図の更新コストもバカにならない。
だから公式地図を参照しつつも――
実際の地形を見て、自分で地図を作るのが冒険者の常識だ。
それに俺が引退してからもう十年。
当時の記憶にない祠があっても、不思議じゃない。
そんな折、来奈の声が飛んできた。
「セーフゾーンって?」
ここに山本先生がいたら、アイアンクローが炸裂しているところだ。
授業で何を聞いているのか。
……いや、決まっている。
何も聞いていないのだろう。
そんな俺の心情をよそに、梨々花がすっと前へ出て、カメラに向けて解説を始めた。
「画面の前のみんなは、当然知っているわよね。
――答えてみせて?」
耳をそばだてるポーズ。
五秒後、くるりとカメラに向き直り、完璧な笑顔。
「そう。第四層から設置されている、モンスターが入ってこれない特別エリアね。
第三層までは冒険者の基礎を磨く階層。ここからは本格探査としてエリアも広大になっていくの。
だから、各国政府が借りている安全地帯以外にも、精霊が“共用の避難場所”を用意してくれているわけ。
――以上、“教えて!リリカ様”のコーナーでしたー!」
そこへ由利衣が、ひょいと横から滑り込む。
二人は息ぴったりにポーズを決めた。
「分かった良い子の臣民は、花丸満点!!」
由利衣の弾む声。
「できなかった子は、シバいちゃうゾ☆」
梨々花がきれいに締めた。
……………。
呆気にとられる俺の目の前で、政臣が拍手を送り、渾身の解説をやり切った二人がハイタッチ。
来奈は、「あー、あたし抜きにしてずっこいじゃん!」と、羨ましげに抗議の声を上げる。
そして――視聴者さんは、いつの間にか臣民になっていた。
気を取り直して、祠の方へ視線を戻す。
入口をふさぐように、巨大な狼が五体、座り込んでいた。
第二層にいたやつの上位種だ。
角が生えただけ──デザインは明らかに手抜きだが、ステータスだけはしっかり強化されている。
「なんだろうな。セーフゾーンを守ってる……わけじゃないよな?
いや、本来ここを使うのにモンスター討伐なんていらないはずなんだが」
まあいい。
俺は村正と飛燕をすらりと抜いた。
「ここらで昼にするか。セーフゾーンなら弁当を広げても安心だしな。
あいつらは第二層のやつよりは素早く、雷撃を放ってくるが……
水棲モンスターよりは与しやすい。お前らもやってみるか?」
三人の目がぱっと輝く。
来奈がポイズンクローを装着し、俺の横へ並び立った。
「入江。あの角が光ったら三秒後に雷撃だ。
少なくとも十メートルは下がれ。いいな?」
「はーい!」
元気な返事と同時に、俺の横を魔力弾が通り抜ける。
続けて氷の弾丸が、狼の群れへ撃ち込まれる。
……うちの後衛は血の気が多いな。
狼の群れはたちまち混乱し、三体がバラバラにこちらへ駆けてきた。
あいつらは群れでの狩りが本分。
統率できていないなら、もう敵じゃない。
俺は一体の狼に正面から走り込み、衝突寸前に脇へずらす。
そのまま村正を口へねじ込み、飛燕で脳天をひと突き。
続けて、二体目に回転しながら斬撃を浴びせる。
来奈は右手の装備で爪撃を受け止め、左手のポイズンクローが喉笛を抉っていた。
残り二体。
視界の端で、角を光らせた狼。
──が、魔力弾がバスバスッと頭蓋にめり込み、光はあっさり消失。
最後の一体は、すでに梨々花の氷魔法に貫かれ絶命していた。
「……まあ、与しやすい方ではあるけどな」
初めての第四層で、これだけ動けるなら上出来だ。
刀を鞘に戻し、祠へと歩みを進める。
祠と言っても、見た目は平屋のログハウス。
精霊も外界のデザインをいろいろ取り入れてアップデートしているらしい。
ドアを開けると──簡素な何もない部屋。
ただ、奥の暗がりに人影が一つ。
向こうもこちらを警戒している気配がある。
俺は無用な摩擦を避けるため、低い声で呼びかけた。
「俺たちは日本の冒険者パーティだ。悪いが休ませてくれないか」
わずかに空気が緩む。
「あの……外の狼は?」
女性の声だ。
第四層を一人で?
第三層で会った、あの怪しい女が脳裏をよぎったが、声も雰囲気もまったく違う。
違和感は残るが、とりあえず質問に答えた。
「ああ、片付けた。……どうしてこんな所に一人なんだ?」
返答はない。
俺は小さく息を吐く。
「まあいい。こっちは学生連れだ。怪しい者じゃない。警戒しないでくれ。
政臣、ランタンを出してくれないか」
政臣がマジックリュックからキャンプ用ランタンを取り出し、室内が明るくなる。
そこにいたのは──
ダークブラウンの長髪、薄い茶色の瞳。細身で、どこか儚げな女性。
腕や足に怪我が見える。
……狼に追われて祠へ逃げ込んだが、出られなくなった。
ほぼ状況はそれだろう。
「黒澤。怪我を見てやってくれ。
ええと……俺は佐伯だ。あんたは?」
「リズ……リズリンド・ホーソーン。国は、オーストラリアです」
儚げな笑み。
……うちの三人とも、山本先生とも違う。
戦闘民族ばかり見てたから、こういうタイプが逆に新鮮だ。
その瞬間、梨々花の手が俺の肩にぐいっとめり込む。
「先生……女性をそんなにジロジロ見るのは、失礼だと思いますけど?」
そんなに凝視したつもりはないのだが……。
梨々花の圧に屈して、リズリンドから視線を逸らす。
「……失礼。俺たちは昼休憩を取ったら退散するので」
その後、由利衣が傷を診ながら微笑む。
「そんなに深くなくてよかったですね。化膿もしていませんし」
リズリンドは、ほっと息をついた。
「ありがとうございます……。狼に襲われたとき、バッグを落としてしまって……。
手持ちの薬草では、応急処置しか」
どうやら由利衣の回復魔法で対応可能のようだった。
こっちのスキルは全然伸ばしていないので不安だったが、ひと安心だ。
回復が終わると、リズリンドは何度も礼を述べた。
「あの、治療費は……。
手持ちはありませんが、必ずお支払いしますので……」
冒険者は持ちつ持たれつ。困ったときはお互い様。
金など要らないと伝えると、リズリンドは恐縮しきりだった。
そして一息ついたところで、さっそく昼飯にすることにした。
来奈がウキウキで寄ってくる。
「教官! 今日も唐揚げ作ってきてくれたんだよね?
ハンバーグも!!」
まるで娘を育てている気分だ。
だが、楽しみにしてくれるのは素直に嬉しい。
マジックリュックから弁当箱を取り出した、その瞬間――
祠の中に、盛大な腹の音が響いた。
リズリンドが慌てて顔を赤らめる。
「い、いやだわ……みなさん気にせずどうぞ。
私は三日間何も食べていませんが……冒険者ですし……空腹くらい……。
ほんと、お気遣いなんて……」
儚げスマイルのまま、視線は完全に弁当箱にロックオンしている。
さすがに、そういうわけにもいかない。
「ああ、その……多めに作ってるから。良かったら――」
俺の言葉が言い終わらないうちに、ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえた。
リズリンドの目に、異様な輝きが宿っていた。




