第58話 悠久の太陽
俺たちは、とある応接室に案内された。
廊下を進むと、扉の前にはSPが二名。
セルジュ大使の姿を認めるや、彼女の全身に淡い光が走る。
本人確認と――同時に、精神干渉の有無を調べる魔法だ。
これは生体情報の照合だけでなく、催眠・幻術・憑依などの「操り」を防ぐための高度な術式。
魔法使い社会では、最も確実なセキュリティ手段とされている。
もちろん、金属探知やボディチェックは一切ない。
魔法使いにそんなものは無意味だ。
だから、俺は堂々と村正を腰に帯びたままだった。
通された部屋に、ベアトリス大統領の姿はなかった。
セルジュが「ど、どど……どうぞ」と、おずおずと示したのは――ダンジョンゲート。
携帯式?
こんな代物があるなど、噂にも聞いたことがない。
日本のダンジョン攻略が第八層止まりなのに対し、アメリカはすでに第十二層まで到達している。
その先の深層には、このような不可思議な魔導ギアがあるということなのだろうか……。
だが、ダンジョン内なら精霊の“謎仕様”で言語の壁は消える。
お互いの意思が、自然に通じ合う。
俺たちをこの中へ案内した意図は、つまりそういうことだ。
ゲートをくぐると、空気が一変した。
そこは――静謐な部屋だった。
白いクロス張りの壁に、天井まで届く本棚がびっしりと並び、まるで小さな図書館のようだ。
温かみのある板張りの床は、一歩踏み出すたびに柔らかく靴音を返し、オレンジ色の照明が、空気そのものをやさしく照らしていた。
本の背表紙には、英語でもない、俺の乏しい知識のどれにも当てはまらない――未知の文字列。
意味は分からないが、ひと目で「古代の叡智」と分かる風格がある。
部屋の奥には重厚な執務机。
中央には、広々とした応接セット。
そして――そこに、ベアトリスがいた。
彼女はスーツではなく、金糸の刺繍をあしらった黒のローブ。
肩から流れるプラチナブロンドが光を受けてやわらかく揺れる。
政治家というより――
まるで物語から抜け出してきた幽玄の魔女だった。
ベアトリスは俺たちを認めると、柔らかく微笑んだ。
由利衣はそれだけで、膝から崩れ落ちそうになる。
「日本のみなさん、お待ちしていました。
ここは私の執務室です。どうぞ、ゆっくりしていってください」
鈴のような声が、心の奥にすっと染み渡った。
威圧ではない。
しかし――彼女には逆らえない。いや、逆らいたくない。
従いたいという衝動が、胸の奥から湧き上がるのを、どうにも抑えられなかった。
これが――「太陽」の能力か?
人が生まれるより遥か以前から、あらゆる生命を照らし続けてきた神秘の光。
心までも溶かされていく。
意識が霞みかけた、そのとき。
「ちょっと、べーちゃん」
軽い声が空気を弾き、現実に引き戻される。
いつの間にか、俺たちの背後にリスティアが立っていた。
隣にはゼファスの姿もある。
「そういうの、ちょっとずるいんじゃないかなー?」
リスティアはイタズラっぽく唇を尖らせる。
するとベアトリスは、相変わらず穏やかな笑みのまま頬に手を添え、軽やかに言い返した。
「魔眼なんて使っていませんよ。……私の美しさが怖いわ」
――どうやら、こういう性格らしい。
この場にいるのは――
日本側が、俺と山本先生、芹那。
そしてSSRの三人に、政臣。
対するアメリカ側は、大統領のベアトリスを筆頭に、駐日大使セルジュ、リスティア、そしてゼファス。
魔法使いたちだけによる会合。
国家や政治の思惑を超えた、超常の力を持つ者たちの――静かなる集いだった。
ベアトリスは、俺たちにソファーを勧める。
腰を下ろすのを見届けると、柔らかな声で言う。
「セルジュさん。お茶をお願い」
「は、はははい……」
セルジュが控えめな所作でティーポットを手に取る。
――大使にお茶を淹れさせるなど、いくらなんでも恐縮にもほどがある。
出された紅茶は香り高かったが、喉を通りそうになかった。
ベアトリスは、うちの三人を順に見つめ、やわらかく微笑む。
「こうして、両国のSSR魔法使いが顔をそろえるなんて……嬉しいわ」
……ちょっと待て。
たしかアメリカにはもう一人――“能力名すら非公表”のSSRがいるはずだ。
梨々花も同じ違和感を覚えたのだろう。
おずおずと手を挙げ、遠慮がちに口を開く。
「あの……ニュースで見たのですが。もうお一人、いらっしゃるはずでは?」
次の瞬間。
ベアトリスとリスティアの視線が――ゆっくりと、セルジュへ向いた。
「セルジュさんは、私の後継者なの。
政治家としても、魔法使いとしても。
いまは少しずつ、経験を積んでもらっているところなの」
にこやかに告げるベアトリスの言葉に、セルジュは恥ずかしそうに小さくなる。
……そのわりには、使いっ走りやらお茶汲みやら。
彼女の性格ゆえか、あるいはベアトリス流の“教育”なのか。
そして――明かされたセルジュの魔眼能力名は、
“世界(The World)”。
もっとも、能力の詳細は非公表。
その名の響きに、場の空気がわずかに張りつめる。
ベアトリスもリスティアも、それ以上の説明をしようとはしなかった。
やがて、リスティアは面白そうに意味深な笑いを見せる。
「たぶん、最強なんじゃないかなー。
……いや、ちょっと違うか。あれはズルよズル。
セルジュちゃんだから悪用しないだけでさー」
いや、リスティアの能力も充分チートだ。
心の中で、そうツッコまずにはいられなかった。
しかし、SSRもずいぶんと増えてきたものだ。
俺が把握しているのは……。
■日本
星(The Star)
能力:身体能力強化
能力者:入江 来奈
魔術師(The Magician)
能力:四大元素魔術(火・水・風・土)
能力者:桐生院 梨々花
女教皇(The High Priestess)
能力:回復・結界(絶対防御)
能力者:黒澤 由利衣
■アメリカ
恋人(The Lovers)
能力:石化、他・不明
能力者:リスティア・フェレナ
太陽(The Sun)
能力:不明(精神系?)
能力者:ベアトリス・リリエンタール
世界(The World)
能力:不明
能力者:セルジュ・ウィルソン
■中国
皇帝(The Emperor)
能力:軍団創造
能力者:黄 世羅
戦車(The Chariot)
能力:武器創造
能力者:李 美亜
■欧州
?
能力:不明
能力者:クラリス・ヴィエール(イギリス)
力(Strength)
能力:精神高揚・強バフ
能力者:アリサ・グランフィール(イタリア)
運命の輪(Wheel of Fortune)
能力:確率操作
能力者:マルグリット・エルンハルト(ドイツ)
法王(The Hierophant)
能力:誓約の力
能力者:リュシアン・ベルナ(フランス)
以上の十二……。
いや、第三層で会った大鎌の謎の女もおそらくSSR。十三人か。
そして――ここで、はたと気づく。
これまで登場したSSR魔法使いは、唯一の例外であるリュシアンを除けば全員が女性。
しかもそのリュシアンですら、中性的というより、少女と見間違えるほどのビジュアルだった。
……もしかして、SSRというのは――
精霊的に「映え」重視なのか?
いやいや、まさか。そんなバカな。……しかし……。
俺の思考をよそに、来奈と由利衣のミーハー魂が炸裂していた。
なにしろ、憧れのリスティアとベアトリスの揃い踏みだ。
「リスティアさん! あたし、早くレイドで戦いたいんですよ!!
どんな武器使うんですか!?」
来奈の言葉に、リスティアがゼファスをちらりと見る。
「それは秘密……なんだけど、特別に!!
ゼファスから射撃訓練を受けてるの。
早撃ち、見せてあげるわ。――ユリィと勝負ね」
由利衣がぱぁっと顔を輝かせる。完全にアイドルイベント状態だ。
その横で、政臣がせかせかとメモを取っていた。
ここは撮影禁止だが、得た情報を一字一句漏らすまいと必死なのが見て取れる。
――そこへ、芹那の割って入る声。
「リスティアさんの戦闘服も、もちろん私のデザインよ。
日米対決で両陣営の衣装を手がけられるなんて、光栄だわ」
そう言って胸を張り、続けざまに俺へ鋭い視線を突き刺す。
「……修司、間抜けな顔で映ったら――義姉さん、許さないわよ」
なぜいちいち俺を下げに来るんだ。
そもそも、義弟になった覚えはない。
その横で由利衣が、ごくりと喉を鳴らす。
両手をぎゅっと握りしめ、勇気を振り絞ってベアトリスに声をかけようとしている。
なにしろ――彼女は、
ベアトリスのファンクラブ会員・第759,975,432号なのだ。
「あの……ベア様の、その……若さと美しさの秘訣って……?」
わりと月並みな質問だ。
だが、返ってきたのは――想像の斜め上だった。
「黒澤さん。……あなた、精霊の“特典”はご存じかしら?」
俺の肩が、ぴくりと震える。
由利衣は、少し眉を寄せて恐る恐る言葉を返した。
「え……はい。あの。
精霊エネルギーとの融合とかで……確か、SSRの場合は“亜精霊化”が起きる……とか」
ベアトリスは目を細めた。
その微笑は変わらない――けれど、先ほどとは違う。
どこか、底の見えない妖しさをはらむ。
「そう。知っているなら話が早いわ。
亜精霊化はダンジョンの外でも有効なの。本人の意思で解除しない限り、戻ることもない。
……そして、“魔法使いガチャ”に当選した当時の年齢に戻り、以後は歳をとらない。
ここまで言えば、わかるかしら?」
――つまり。
ベアトリス・リリエンタール。
魔法使いランクSSR、星5、レベル99。
正真正銘の、現代に生きる“神話”だった。
「能力は伏せるのに、それはあっさりバラすのだな」
ゼファスが呆れたように肩をすくめる。
ベアトリスは、その横顔を愉快そうに見つめながら、軽く口角を上げた。
「魔眼の能力だって、別に教えても構わないのだけれど……。
少しは“ミステリアス”なほうが、楽しいでしょう?」
軽くウインク。
そして――ふと、その笑みの奥に影が差す。
「だって……私一人だけだなんて、寂しいじゃない?
ようやく、これだけのSSRたちと巡り会えたのよ。
――科学技術の発展のおかげね」
そう言って、ソファに座る面々をゆっくりと見渡す。
その眼差しは慈しみにも似ていた。
「私はずっと、待っていたの。
一緒に時を歩み、魔導を極めていける仲間を。
独り占めなんて、もういいの。……そういうのは、とっくに飽きたわ」
そして、遠い目をして続ける。
「SSRの仲間も何人かいたのよ。
でもみんな――時の流れに還っていった。
愛する人と共に生きるために人間へ戻ったり、生きることそのものに見切りをつけたり……。
不老不死なんて、良いことばかりじゃないわね」
――スケールが違いすぎた。
まさに“超越者”。
どれほどの歳月を、この人は生きてきたのだろう。
部屋は水を打ったように静まり返った。
誰もが息を呑む。
梨々花の横顔が目に入る。
その瞳は何かを見据えるように揺らぎ、膝の上の拳を固く握りしめていた。
魔法使いの究極の姿が、そこにある。
しかし、それは祝福と同じだけの孤独を伴う――
ベアトリスの背中が、そのすべてを語っていた。
やがて、ベアトリスはふっと柔らかく笑う。
「これは私の希望。
誰かに強制するつもりはないわ。
でも――希望を抱くくらい、いいでしょう?」
そう言って、ゆっくりとソファへ身を預けた。
「日本もアメリカも関係ないの。
魔法使いは、みんな私の子供のようなもの。
年を取るとね……そう思うようになるのよ。
――セルジュさん、お茶が冷めてしまったわ。おかわりをお願いできる?」
その言葉に、弾かれたようにセルジュが立ち上がる。
そしてそこから先は――この話はおしまい。
日本チームのミスリル探索談義に、華が咲いた。
どうやら俺は、ベアトリスという人物を少し誤解していたらしい。
“太陽”のようなその眼差しに宿る陰を見て、彼女が辿ってきた数奇な運命に、思いを馳せずにはいられなかった。




