第57話 セレモニー
セリーナ大塚こと――大塚 芹那(旧姓・山本)。
世界的な魔法衣装家にして、政府のアドバイザーも務めているらしい。
ただ――具体的に何をアドバイスしているのかは知らない。興味もなかった。
分かったのは、恐ろしく強引で、自分本位だということだけ。
……それが“芸術肌”というやつなのだろうか。俺が一番苦手とするタイプだ。
芹那は、俺が元々着ていたスーツが紙袋に入っているのをちらりと見ると、「捨てなさい」と一言。
だが、それだけは断固拒否した。
鋭い視線を寄こされたが、譲る気配がないのを見て取ると、彼女は小さく舌打ちし、つぶやいた。
「こんなことしてる場合じゃないのに……」
そのまま俺を再び控室に押し込み、今度は芹那自らの手で髪をセットし始めた。
ドライヤーとクシを操りながら、文句が止まらない。
「まったく……冒険者ってこれだから。野蛮で汗臭くて。
いい? 配信時代は“見た目”が命なの。
あなたみたいなのが画面に映ると、それだけで視聴者数三割減。
顔の造形のことは可哀想だから言わないけど……せめて身だしなみくらい整えなさい。わかる?」
ルッキズムと失礼のオンパレード。
この世界には、“おじさん相手なら何を言っても許される法”でもあるのか。
……だが、面倒なので黙っていることにした。
やがて身なりが整うと、ようやく解放された。
「それじゃあ、後でね」
そう言い残すと、芹那はさっさと立ち去っていった。
できれば、もう二度と会いたくはなかった。
***
会議室に戻ると、全員の視線が一斉にこちらへ向いた。
来奈がニヤニヤしながら口を開く。
「教官! どしたの!? 三十歳は若返ったんじゃね?」
俺はまだ三十八だ。
「先生……まともな格好もできるんですね。意外です」
梨々花が目を見開いていた。
どういう意味だ? いつもスーツ姿だろうに。
そこへ、山本先生がにこにこと近づいてきた。
「佐伯さん、それ、ぴったりですね。
姉さんにサイズ伝えておいたんですよ。よかったです」
……なぜ俺の服のサイズを知っているのか。
気にはなるが、聞くのが怖かった。
「それ、第七層の金羊から取れる毛に、竜の表皮、毒蜘蛛の糸を織り合わせてあるんです。
物理も攻撃魔法も、幻術も呪術も……全部に耐性がありますよ」
……そいつはすごい。
すごいんだが――。
俺は、いつものスーツのほうが体になじむ。
今日はセレモニーだというから、仕方なく着ているだけなのだ。
そんな俺の表情を見て取ったのか、由利衣が、気持ちを代弁するように口を開いた。
「でも、コーチはあまり小洒落た格好じゃなくて、ちょっとくたびれてる方が落ち着きますよねー」
……ちょっと引っかかるが。
おおむね、間違いではない。
そうこうしているうちに、迎えの職員が入室し、俺たちは会場へと招かれた。
***
セレモニーは、両国首脳の挨拶に始まり、ミスリル売買契約の調印、記者団による写真撮影――と、流れるように滞りなく進んでいった。
……などと、第三者の俺から見れば実にスムーズだが、準備期間はたったの二日。
それでこの段取り。
冒険者をやっていた頃は想像もしなかったが、今では営業職も経験している身として、裏方職員たちの地獄のタスクが偲ばれてならない。
この世界は、魔法使いの超常の力だけで回っているわけではない。
むしろ、こういう“人間の底力”があってこそ成り立っている。
まさに――精霊も照覧あれ、という仕事っぷりだった。
SSRの三人は、今回のミスリル鉱床発見の立役者として、両国首脳と並び、カメラに囲まれて撮影に臨んでいた。
政臣もちゃっかり撮影側に混じっている。
いつも配信で姿を晒しているのとは勝手が違う。
来奈の笑顔は引きつり、梨々花は冷静を装っているものの――その口角の角度は明らかにテンパっている。
そして唯一、由利衣だけが陶然とした表情で、憧れの“ベア様”を見つめていた。
幸い、写真撮影だけでスピーチはなかった。
打ち合わせの時間もなく、まだこういう場に慣れていない学生だという点を、向こうも配慮してくれたのだろう。
来奈が下手に口を滑らせるような事態にならなくて――本当に良かった。
***
セレモニーの締めくくりは、立食形式のパーティ。
そこで、アメリカ側は“サプライズ”を仕掛けてきた。
リスティア・フェレナ。
世界的アーティストにして、SSR魔法使い。
彼女の登場により、会場の空気は一変した。
一瞬でライトが落ち、音楽が流れ、スポットライトが一点に集まる。
さながらコンサート会場だ。
だが、それよりも異様だったのは――。
この空間に、世界でわずか二十二名しかいないSSR魔法使いが、五人も揃っているという事実。
前代未聞の光景だった。
当然、報道陣の視線はすべてそこに集中する。
来奈や由利衣は目を輝かせていたが――
政治的に見れば、これは極めてしたたかな演出だ。
日本がミスリル鉱床を発見したタイミングで、アメリカがちゃっかり便乗。
その式典で自国のスターSSRを送り込み、お祭り騒ぎ。
翌日のニュースで報じられるのは、批判か、それとも“日米蜜月”か。
……そこまでは考えすぎかもしれないが、熱狂の輪の外で冷めた目をしている自分に、少しだけ年を感じた。
俺は常にSSRの三人のそばにいた。
特に周囲と口をきくこともなく、ただ淡々とボディガードに徹する。
飲み食いは一切しなかったが、三人には「気にせず好きなものを食べろ」と声をかけておいた。
最初は遠慮がちだったが、そのうち皿を抱えて談笑し始める。
人類最強の魔法使いといえども――まだ高校生だ。
無邪気な笑顔を見ていると、保護者気分になってしまう。
そんなふうに、すっかり後見人モードで周囲を眺めていたその時。
「修司!」
芹那の声。
また何か文句を言われるのかと思いきや、彼女の隣には一人の老紳士が立っていた。
男は英語で何かを言う。
芹那がすかさず通訳した。
「あなたが、あの“村正使い”の剣士か?……だって。
ゼファスさん、知ってるわよね?」
知っているも何も――。
ゼファス・レイヴン。
アメリカが誇る伝説のガンマンにして、SR魔法使い。
俺が子供の頃に読んでいた冒険者マガジンの特集記事を、今でも覚えている。
銃一丁でグリフォンの群れを撃退する早撃ちの技。
ページをめくるたび、胸が高鳴ったものだ。
その英雄が、目の前にいる。
当時のフリンジ付きカウボーイスタイルは影もなく、いまは落ち着いたダークグレーのスーツに身を包み、銀縁メガネに長髪オールバック。
……理想的な歳の重ね方だった。
俺は思わず声が上擦った。
「ゼファスさん、子供の頃ずっと応援していました!
格好を真似して、ビニール紐を脇に縫い付けたりなんかして!!」
芹那が途端に嫌な顔をした。
どうやら通訳する気はあるらしいが、どこまで正確に伝えているのかは怪しい。
ゼファスは軽く笑うと眼鏡をクイっと押し上げる。
芹那が次の言葉を継いだ。
「日本の少年が知っていてくれて光栄だって。
それと、先日の巨竜戦。あれには久々に血が騒いだ……って。
良かったわね、ヒーローが観てくれてたじゃない。
だから、もっとマシな格好で映れって言ってるのよ」
通訳のくせに一言余計だ。
そして、ゼファスはまた芹那に向かって苦笑まじりに何か話しかけた。
リスティア――確かにその名が聞こえた。
「あなた、たしか第一層ボスエリアでリスティアさんと会ってたわよね?
あのときは失礼したって。
いま、彼女のマネージャー兼トレーナーをやってるのよ」
……あのとき。
リスティアの石化能力を動画で配信して、世界が混乱に陥ったあの日。
通話の向こうで彼女を叱っていた、あの声――
そうだ、あれは“ゼファス”と呼ばれていた。
だが、そのときはそんな余裕もなかったのだ。
ゼファスは、こちらの視線に気づくと、軽く肩をすくめて笑った。
芹那がすぐに通訳を添える。
「やり過ぎには困ってるけど、日本のSSRと会えて嬉しそうだったって。
リスティアさん、それまでダンジョンにもバトルにもあまり興味なかったけど、今はやる気を出してるの。
“トレーナー同士、レイドの舞台で、お互いの弟子がいい勝負をできるように、よろしく”――だって」
まさか、子供の頃の英雄が――ライバルになるとは。
胸の奥が、じんわりと熱くなった。
ゼファスが静かに手を差し出す。
その大きな手を、両手で力いっぱい握りしめた。
「日本のSSRを――誰にも負けない戦闘魔法使いに育ててみせます。
あなたのように、強く、優しく、フェアな戦いで……世界中の子供たちに夢を与えてみせます」
自分でも驚くほど自然に、その言葉が口をついて出た。
芹那は一瞬だけ瞳を揺らし、そして――初めて、優しい目をした。
正確に、丁寧に、言葉を伝える。
ゼファスは軽く手を挙げ、穏やかな笑みを残して去っていった。
「言うじゃない。――さすが私の義弟だわ」
芹那が唐突に口を開く。
そして、まるで当然のように続けた。
「で、式はいつなのかしら? もう関係各所に招待状を送る準備ができてるんだけど」
……何を言っているのか分からない。
俺が口を開きかけたところで、山本先生がにこにこと近づいてきた。
「姉さん。すっかり佐伯さんと仲良くなって」
仲良くなってなんかいない。
しかし、山本先生を見ると、芹那は破顔した。
妹には甘いらしい。
「美鈴抽。姉さんはね、そこらの頭の固い人たちとは違うの。
小汚いオッサンでも受け入れる度量はあるわ。
でも――ものには限度があるじゃない? ねえ。
任せておきなさい、磨いてあげるから」
勝手に話を進められるのは困る。
「あの……何か誤解があるようだけど。俺と山本先生は別に、そういう関係じゃ――」
その瞬間だった。
姉妹の瞳から光がすっと失せ、黒目だけが広がる。
二人の視線が、同時に俺を射抜いた。
「佐伯さん。……私と指輪交換して、“姫と永遠に”って誓ってくれたじゃないですか」
「あなた。――美鈴抽に手を出しておいて、まさか逃げる気じゃないでしょうね?」
どちらも心当たりが一ミリもない。
背中にも視線を感じる。
来奈と由利衣が、修羅場にワクワクした目を向けていた。
梨々花は、半ば呆れ顔だった。
そこに、おずおずとした声がかかった。
「……あの、お取込み中申し訳ありません。……うぅ」
一見して気の弱そうな女性だった。
長い前髪に隠れた瞳、少し猫背で、声も小さい。
こちらを上目遣いで見上げている。
芹那が慌てて取り繕う。
「セルジュさん! す、すみません。お見苦しいところを!」
セルジュ駐日大使――
アメリカの代表者でありながら、この覇気と存在感のなさ。
“超”が三つはつくほどの有能な実務家らしいのだが、おそらくその穏当すぎる性格ゆえに、“最も衝突の少ない同盟国”――日本に派遣されたのだろう。
セルジュはオドオドと、消え入りそうな声で続けた。
「……あの、ベアトリス大統領が、日本のSSRとお話ししたいと。
付き添いのみなさんも……どうぞ」
――大使自らが使いっ走りとは、どうなっているんだ。
だがそんな俺のツッコミをよそに、場の空気が一変する。
一瞬で緊張が走った。
そしてその中で、
由利衣だけが――天にも昇りそうな顔をしていた。




