第55話 日本の魔法使いたち
洞窟を抜け、開けた場所に出た瞬間――体感気温がぐんと下がった。
……いや、実際にはここも五十度近いサウナ状態だ。
それでも、あの溶岩地獄から解放された俺たちには、この熱気すら“涼しい”と錯覚できるほどだった。
自然と、全員の肩の力が抜ける。
灼熱の息苦しさが、ようやく遠のいていく。
しかし、油断はできない。
ここには数百のモンスター反応があるのだ。
「黒澤……モンスターはどこだ?」
地図上ではあちこちに分布していたが、姿が見えない。
どこかに隠れているのだろうか。
そのとき、梨々花の声がかかった。
「先生……見つけました」
彼女の視線の先――山肌のあちこちに、金属の結晶が顔を出していた。
青白く光る輝き。見間違えるはずがない。ミスリルだ。
それもこんなに大量に。深層でも滅多にお目にかかれない。
「……やったな」
俺はすぐに、政臣から通信用の魔導ギアを受け取った。
見つけ次第、学院長を経由して高柳総理に報告する段取りだ。
調査ポイントの座標はすでに共有済み。
あとは、日本政府を動かして――精霊から採掘権を勝ち取るだけ。
任務の終着点が、ついに目の前にある。
だが――。
そう簡単に“ゴール”へ辿り着かせてくれないのが、精霊という存在だ。
空気の層がビリッと震えた。
直後、由利衣の鋭い声が飛ぶ。
「コーチ! 上です――空中!!」
その一言で全身が跳ねた。
俺は即座に学院長へ、目標発見の報告だけを短く入れる。
「了解」の声を聞くやいなや、通信機を政臣に押し付け、村正を抜き放った。
――なるほど。
視界の上方に、無数の影が浮かぶ。
翼竜。第三層では滅多にお目にかかれない種だが、数が尋常じゃない。
あの最初にミスリルを落とした“はぐれ”も、こいつらに住処を追われたのかもしれない。
……そう考えると、この巡り合わせに感謝のひとつも言いたくなる。
礼として――村正を存分にぶち込んでやろうじゃないか。
右手には村正。
そして左手には飛燕。
やはり昔馴染みはしっくりくる。
浮気したわけじゃない。お前にも、ちゃんと活躍してもらわないとな……。
そう思っていると、由利衣から「なんか、やらしー」という声が飛んできた。
……なぜ考えていることが分かった?
しかし、そういうものじゃあないんだ。
「入江、桐生院、黒澤……魔眼はできるだけ使うんじゃない。
魔力切れを起こすぞ」
さっきの巨竜戦で、すでに魔眼能力を使っている。
まだ魔法使いとしての経験が浅いこいつらに、連続使用は負担が大きい。
「先輩……飛行魔法は、もう……」
麗良の声がかかる。
それも分かっている。あれは短時間で連発できる代物じゃない。
「大丈夫だ。麗良は攻撃に専念してくれ」
その俺の声に重なるように、ジャージ姿から太い声が放たれた。
「近藤先輩!! ワシがおりますけん!! みとってつかあさい!!」
ギリギリと矢を引き絞り、翼竜の群れを切り裂いた。
ここにきてようやく、山本先生のエンジンが温まってきたようだ。
頼もしい限りだ。
「高柳ぃ! 矢ぁ持ってこい!!」
マジックリュックには、山本先生用の矢のストックがある。
政臣はカメラマン兼、供給係となった。
「ミレーヌさん……あの頃のままね」
麗良が懐かしそうに目を細めた。
「私たちも、負けてられないわね……」
梨々花が呟くと、由利衣の銃と来奈のグローブに風魔法を付与する。
そして自らは、アイシクルワンドに水属性を流し込んだ。
杖をブンッと振り抜くと、氷柱が翼竜の翼を貫く。
由利衣の自動追尾魔力弾が次々とヒットし、モンスターを撃ち落とした。
来奈の拳から放たれた風の斬撃が、それをさらに切り裂いていく。
……恰好よく決めたはいいが、こっちまで回ってこない。
俺と麗良は顔を見合わせ、互いに苦笑した。
***
あれから、どれほどの時間が経過したのか。
翼竜の群れは、一向に減る気配を見せない。
さすが――精霊が用意した最後の試練だ。
皆の顔には、明らかな疲労の色が浮かんでいた。
山本先生の矢と、由利衣の魔力弾をすり抜けた個体が迫るが、俺と麗良が一閃のもとに真っ二つにする。
まだ、押し負けてはいない。
しかし、こちらまで届く数は、じわじわと増えていた。
……やはり懸念した通りの物量攻撃。
このまま、擦りつぶされるのか。
梨々花が俺に目配せを送る。
「先生……このままじゃ――」
「だめだ。魔眼は使うな」
梨々花の能力を解放すれば、一時の優勢は確保できるかもしれない。
だが、そこで魔力が枯渇した瞬間、一角が崩れる。
それが致命傷になることも、十分に想定できた。
「黒澤、モンスターの残りは?」
由利衣に問いかけるが、首を横に振るだけだった。
まだ終わりは全然見えない――そんな表情だ。
帰還のための魔力確保も考えなくてはならない。
ここで全力を消耗してしまえば、第三層といえどもモンスターの餌食。
……ここまで、か。
「教官! まさか諦めるってわけじゃないよな!?」
来奈の怒声が響く。全身汗まみれで風の斬撃を繰り出している。
その闘志はいささかの衰えもない。
「入江。俺はこのパーティの指揮官だ。全員の命を預かる責任がある」
来奈はギリッと奥歯を噛みしめた。
――こんなところで、絶対に折れない。
そう言い聞かせているようだった。
そのとき、翼竜が数体こちらへ飛来する。
俺は駆け寄り、村正と飛燕で瞬く間に斬り伏せた。
まだ、なんとか対処できる。だが、どうにもならなくなってからでは遅い。
撤退――そう告げようとした、そのときだった。
「おーす! 佐伯くん、ひっさしぶりー!」
洞窟の出口の方向から、女の声がかかる。
……誰だ?
俺は女性の年齢を見分ける能力はさっぱりだが、麗良よりは年上だろう。
ポニーテールに浅黒く日焼けした肌。ヘソ出しルック。短めのダメージジーンズ。
見事なシックスパックがのぞいていた。
そして、その手には巨大な戦斧。
背中には――赤ん坊。
「あー、よそ見しちゃ危ないってー」
自分で声をかけてきたくせに、女はそう言うと戦斧をブンと投げた。
ブーメランのように弧を描き、俺に迫っていた翼竜を切り裂き、そのまま戦斧は女の手に戻る。
「……あの、どちら様?」
間抜けな声を上げる俺に、女は豪快に笑った。
「旦那に聞いてたとおりだわ! 佐伯くん、すっかりオッサンじゃん!
ほら、同級生の蛭田。覚えてない?」
――蛭田 杏子。
戦闘狂ぞろいの連中の中で、唯一の文化枠だった女子。
クラス全員の憧れ。
書と生け花を嗜み、訓練がつらいと毎日泣いていた……可憐に咲く花。
あの蛭田、か?
俺が声も出せずにいると、さらに洞窟の奥から声が上がった。
「おい、杏子ー。走るなって」
……日村。
元SR魔法使いの番長で、俺の喧嘩相手だった男だ。
日村は俺に気づくと、年甲斐もなく照れたような笑いを浮かべた。
「あ、うちのワイフ。……知ってるよな?」
何がワイフだ。
「日村。どうしてここに?」
俺の問いに、ニヤリと口角を上げて答える。
「どうしても何も、高柳総理直々の依頼だからな。
やったぜ――精霊との契約交渉は成功だ」
そして、上位冒険者まで派遣してくれたとは。高柳総理の計らいに感謝だ。
それにしても、子連れの夫婦冒険者とは……。
杏子が戦斧の柄をドンと地面に突き立て、言葉を放つ。
「佐伯くーん、安心するのは早いんだな、これが。
精霊との契約締結条件は――ここにいるモンスターの殲滅。
めっちゃいるみたいじゃん」
日村が腰の剣を抜き放つ。
刀身が赤く輝いた。
「まあ、そういうこと……ここから先は、俺たちも遊ばせてもらうぜ。
心配するな。人手は多いからよ」
二人だけじゃない――?
そう思った瞬間、「兄さーん!」という高坂の声が響いた。
魔戦部キャプテンの高坂、そしてSR魔法使いの獅子丸、鷲尾、犬養、熊耳の姿。
その先頭に立つのは――尾形。
尾形は、いつもの爽やかなニコニコ顔だ。
「佐伯さん、僕にも声をかけて欲しかったですよ。こんな楽しそうなこと。
山本先輩まで一緒になって……ずるいなあ、もう」
そして、表情を引き締めると、魔戦部の部員たちに指示を飛ばした。
「全員、配置! 作戦は翼竜の殲滅!
そして――冒険部の英雄を守ること! かかれ!」
「お、イケメンやる気じゃん! こっちの分も残しといてよね!」
杏子が嬉しそうに翼竜の群れへ飛びかかる。
日村が慌ててその後を追った。
……完全に尻に敷かれてやがるな。
そして――それからも戦いは延々と続いた。
だが、日本の魔法使いたちの勢いを止めることは、もはや誰にもできなかった。
***
「……モンスターの反応、ゼロ。終わりました」
由利衣の報告の声は、すぐに歓声にかき消された。
俺は杏子に背中をバシバシと叩かれる。
「いやー、同級生がSSRを育ててるなんてね!
うちの娘も魔法使いになって、ガンガン深層攻略して欲しいわ!」
あれだけの戦闘にもかかわらず、杏子の背中の赤ん坊はずっとスヤスヤと眠っていた。
……たしかに、戦闘魔法使いの素質は十分すぎる。
来奈がキラキラとした目で、その小さな手をそっと握っていた。
一方その頃、獅子丸が山本先生に絡んでいた。
「まったく、先生よー。
訳わかんねぇ理由でいなくなったと思ったら、こんなことやってたのかよ。
明日から、魔戦部ちゃんと頼むぜ」
山本先生は笑って頷く。
どうやら最近は、あの生意気だった獅子丸も、山本先生をそれなりに敬うようになってきたらしい。
それにしても、今回は皆の協力がなければ凌ぎきれなかった。
俺が感謝の意を伝えると、全員きょとんとした表情を見せた。
「そんなの当たり前だろ」――日村。
「あのとき言っただろ、投資だって。見ろよ、もうこれだけの成果だ。
俺の勘は確かだぜ。SSR、これからも応援してるからな!」
そう言って、三人にビッと親指を立てる。
次の瞬間、杏子の戦斧の柄が脇腹に突き刺さり、日村は悶絶しながら転がった。
「まったく。やだねぇ、男ってのは。若い子にヘラヘラして。
でも――私も応援してるからさ。うちの子が大きくなったとき、弟子にとって欲しいよ」
その言葉に、三人はそろって目を細めた。
ここに、後進がいるかもしれない。
――希望の連鎖は、確かに続いていた。
そのとき、政臣のスマホが振動した。
もう精霊との契約は成った。通信を秘匿する理由はなかったのだ。
「……あ、父さん? うん、こっちは大丈夫だけど。
…………えっ!? あ……うん。伝えとくから」
そう言って、通話を切る。
「今のは、高柳総理か?」
俺が問いかけると、政臣は複雑そうに口角をひくつかせた。
「そうですけど……。ベアトリス大統領が緊急来日されるので、SSRも出席するようにって」
ミスリル鉱床の波紋は、世界を巻き込みつつあった。




