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第54話 巨竜

第三層のミスリル鉱床の探索は、いよいよ大詰めを迎えていた。


だが――目の前に壁が立ちはだかっている。


俺たちの視線の先には、巨大な穴。

その底では、煮えたぎる溶岩の湖が赤く脈動していた。


穴の中央には、一本の岩の橋が架かっている。

幅は大人ひとりが通れるほどで、下から吹き上がる熱気が肌を焼く。


渡るだけなら難しくはない。

だが――誰も、一歩を踏み出せずにいた。


理由は明白だった。

つい先ほど、二人の冒険者をまるごと呑み込んだ“あの巨竜”。


橋を揺らし、獲物を落とし、捕食する。

あきらかに、精霊が仕掛けた初見殺しのトラップだった。


山本先生がぽつりと呟く。


「……すいません、私、何もできなくて。

でも、あの人たち、何も死ななくても……」


スイッチが入っていないときの彼女は、きわめて常識人だ。

言いたいことは分かる。それが、普通の感覚。


だが、ここはダンジョン。


麗良がゆっくりと口を開いた。


「ミレーヌさん。教育者として、あなたの言葉は正しいと思います。

でも、彼らの論理は“力で奪う”。冒険者としては、それも一つの選択。

……だけど、こっちだって黙ってやられるつもりはないわ」


山本先生は目を伏せ、大きく息をつく。

彼女もベテラン冒険者。分かってはいるのだろう。

ただ――慣れるのが難しいだけだ。


俺はもう、とっくにその感覚が麻痺していた。


それにしても、梨々花の胆力。

麗良の言葉どおり――末恐ろしいやつだ。


最強の魔法使いになると決めたその日から、堂々とSSRであることを公表し、格上相手にも大見得を切る。

そして、立ち塞がる障害を眉ひとつ動かさず葬り去る冷徹さ。


まさに、日本SSRトリオの支柱。

彼女がいるかぎり、このチームは揺るがない。


……とはいえ、俺は知っている。

その精神は、まだまだ未成熟で危うい。


来奈の底抜けの明るさと、由利衣の包容力。

――それが、桐生院 梨々花という少女を支える両翼なのだろう。


梨々花は、あえて淡々と次の行動へ踏み出そうとしていた。


「……それで、問題はあの巨大な竜ですね。

由利衣、どう?」


名を呼ばれた由利衣は、一瞬だけ肩を震わせる。

けれど、すぐに胸に手を当て、静かに息を整えた。


言葉にはしない。

だが、その瞳に宿った光がすべてを語っていた。


――恐れはある。

けれど、それを受け入れたうえで前に進む。戦闘魔法使いとして。


彼女の覚悟も、とうに決まっていたのだ。


由利衣は、すぐに索敵を開始した。


「…………うーん、位置は分かるけど」


タブレットを持ち、地図の一点を指し示す。

ただ――この地図は二次元情報。湖の深度までは読み取れない。


とはいえ、位置が特定できただけでも大きな前進だ。


俺は麗良に向き直った。


「お前、飛行魔法が使えたよな?」


第七階梯――上級魔法だ。

俺は魔法使いランクR。どれだけ星を重ねても、扱えるのは第六階梯まで。


さっきの男たちのランクもレベルも結局わからずじまいだった。

だが、魔法にも系統と相性がある。上位のSR冒険者でさえ、飛行魔法を扱える者はそう多くない。


麗良は静かに頷いた。


「そうですね……この状況で橋を渡るのは無謀。

でも――あの竜を避けるために飛ぶわけじゃないですよね?」


さすが、分かっている。


飛んで向こう岸まで行く。それだけでは不十分だ。

その先には、由利衣のマップで確認した通り、数百のモンスター反応がある。


いざというときには撤退も視野に入れなければならない。

だが、その退路を――あの巨竜が塞ぐ。


ならば、答えはひとつ。


「こいつは、ここで叩く」


不安定な橋の上ではなく、空から仕掛ける。

飛行魔法を最大限に使って。


麗良が静かに魔力を解き放つ。

瞬間、俺たちの身体が淡い光に包まれた。

空気が震え、肌に心地よい圧が走る。


「効果は、私の魔力が続く限り大丈夫です」


そう言って、彼女はふっと笑った。

頼もしさと、自信。――どちらも本物だ。


麗良は魔法戦士として、超一流。

そして、あの理不尽な学院体制を生き抜いた“最後の世代”でもある。


簡単に魔力切れを起こすようなヤワな鍛え方は、していない。


俺たちは素早く作戦を決めた。


俺は巨竜を湖からおびき出す囮兼アタッカー。

麗良は飛行魔法に集中。

SSR三人はパイルバンカーであの巨体を貫く主力。

山本先生は弓による遠隔支援。


「黒澤……断熱の防御結界と索敵、パイルバンカーの同時展開。行けるか?」


俺と麗良、山本先生は熱への耐性を持っているが、

SSRと政臣は由利衣の結界が頼りだ。

さらに索敵を維持して俺に作戦情報を送りつつ、梨々花の“土のランス”を硬化――その負荷は常軌を逸している。


心配の色を隠せない俺を見て、由利衣がフッと笑った。

いつもの柔らかい笑みではない。挑む者の――不敵な笑み。


「コーチ、いつまでも過保護ですね。

そういうところ、好きですけど。

でも……SSRと魔眼の力、信じてください」


その瞳の輝きが、じわりと増していく。


「梨々花、来奈――お宝は目の前。

立ち塞がるのは巨大な恐竜。……燃える展開じゃない?」


戦闘民族・黒澤 由利衣が、静かに解放されていく。


来奈がすかさず叫んだ。

その目もまた、淡い金光を放っていた。


「当たり前じゃん!!

委員長、あたしの活躍バッチリ撮ってよね!!」


政臣は興奮がちに何度も頷く。

巨大恐竜との空中戦――この上ない素材だ。

カメラを構える手が、わずかに震えている。


そのレンズの前に、梨々花が立ちふさがった。


「えー。全世界のみなさん。

“これぞ戦闘魔法使い”というバトルを、今から見せつけるから。絶対に見逃さないように」


そして、にぱっと笑顔でポージング。


「瞬きなんかしたら――リリカ、シバいちゃうから☆」


……最初は恥ずかしがっていたくせに、吹っ切れたらしい。

さっき、“大魔法使いの品格”がどうとか言っていたような気がするが。


「私も、ああいうのやってみようかなー」


麗良がぽつりと呟いていた。


***


麗良の飛行魔法は、かけられた者の意思で自在に操れる。

――さすが、上級魔法だ。


俺は、由利衣の示したポイントで待機する。


位置は、煮えたぎる溶岩の湖の上――およそ十メートル。

熱気が下から吹き上がる。断熱の魔力を体表に巡らせていても、肌の奥が焼けるようだ。

生身なら、とっくに蒸発しているだろう。


汗が額を伝って落ちる。視界が揺らぐ。


――いつ、どこから来るのか。

一瞬でも気を緩めれば、そのまま“巨竜の胃袋行き”だ。


俺は溶岩に向かって、村正を振るった。


残像の刃が、吸い込まれるように湖面へ沈む。


……相変わらずの沈黙。


構わず何度も撃ち込む。

灼熱の空気を裂くたびに、熱波が弾けた。

手応えはまるでない――だが、他に手段はない。


「コーチ、動いてます! 深度は……まだ」


由利衣の声が飛ぶ。

魔眼の金色の光が、淡く脈打つように揺れていた。


女教皇の魔眼は、防御結界と索敵を同時に維持している。

この熱気の中、来奈たちの顔に汗ひとつ浮かんでいないのが、その証拠。

だが、防御結界優先で索敵範囲と精度は落とさざるを得なかった。感じ取れるのは、おおよその位置。


反応あり――か。なら、もう少し刺激してやろう。


村正の刃を、さらに深くぶち込む。


「コーチ!! 近づいてます!! 離れて!!」


由利衣の声が、今度は鋭く怒気を帯びた。

その瞬間――肌を刺すような嫌な気配。


溶岩の湖面が、ねっとりとした粘性を帯びて盛り上がり、やがて、ドロッと弾けた。


俺は村正の連撃を止め、即座に上昇に転じる。


次の瞬間。

――俺のいた場所には、巨大な顎があった。


オレンジ色の光を反射してテラテラと輝く表面。

開かれた口には、二メートルはあろうかという鋭い歯がびっしり並ぶ。

その歯の隙間に、戦闘用ベストの切れ端が挟まっているのを、視界の端でとらえた。


――あれは、どちらの男の装備だったか。


そんな場違いなことを考えている自分に、思わず苦笑が漏れる。


だが、現実は笑えない。

大顎は、凄まじい勢いでこちらへ迫っていた。


もちろん、ボーッとしていたわけではない。

飛行魔法で上昇を続けている――だが、この巨竜、跳躍力が異常だ。


天井まで百メートルはあるだろうか。

すでに天井が迫っているというのに、勢いは止まらない。


溶岩の光を反射させながら、巨体が宙を舞う。


だが、天井ギリギリで――ようやく大顎の追撃が止まった。


今度は、ピタリと空中で静止している。


麗良だ。


上級魔法の重力操作。竜の全身を空中に縫いとめている。

これを見るたびに、嫌でもあの顔を思い出して胸がざらつく。


――九条の得意魔法だ。


「これ、あんまり持たないんで!!

さっさと決めちゃってください!!」


麗良の声が耳を刺し、雑念を追い払った。


俺は飛行魔法で横にスライドしながら、巨体の全容を視界に収める。


……デカい。

本物がどの程度の大きさか知らないが、このモンスターの体長は優に三十メートル。

それが今、垂直に浮かんでいる。


上昇も自由落下もできず、重力魔法に縛られた巨竜。

だが首だけは動かせるらしく、うねるように俺へ襲いかかろうとした。


そこへ――山本先生の矢が飛ぶ。


パアンッ、と音を立てて目玉を撃ち抜く。

人の背丈ほどもある眼球が破裂し、竜はもんどり打った。


続いて響く、「由利衣!!」の声。


梨々花の魔眼の光が弾け、洞窟を金色に染め上げる。


現れたのは――十メートル級の土のランス。

それも、巨竜を囲むように十数本。


由利衣の魔眼が強く輝き、ランスに淡い光が走った。


と同時に――金色の残光だけを残して、来奈の姿が視界から消える。


ドンッ!


空気が一瞬、爆ぜた。

ランスの群れが一斉に射出され、衝撃波が洞窟の空間を震わせる。


そして、俺の視界に映るのは――巨大なランスに串刺しにされた痛々しい姿。


巨竜の残った片目の光が、かすれる。

首を動かす力も、あきらかに弱まっている。


だが、まだ油断はできない。

相手は大型モンスター。その生命力は侮れない。

ここで逃がせば、やがて回復する恐れもあった。


「先輩!! 私!! いっぱいいっぱいなんですけど!!!」


麗良の悲鳴まじりの声が響く。


俺は口角を少し上げて返した。


「トップランカー様が、情けない声出してんじゃねえよ」


もちろん、本音じゃない。

七人全員の飛行魔法を維持しつつ、この巨体を宙に固定している――

そんな真似、凡百の魔法使いにできるものか。


麗良がいなければ、この攻略は不可能。

……さすが俺の妹弟子だ。


俺は村正の刀身に魔力を最大まで込めた。


ヴンッ、と微かな音。

刃に青く冷たい光が走る。


巨竜へ向かって飛ぶ。


その横をすり抜けざま、村正を閃かせた。


一切の抵抗もなく、鱗を裂き、肉を断つ。


空中を駆け抜けた後、背後で巨竜の首が胴体からゆっくりと離れた。


麗良が重力の魔力を解除する。


首のない杭打ちだらけの体が、ゆっくりと落ちていく。

やがてそれは光の粒になり、空中に霧散――そして、村正へ吸い込まれていった。


***


「すごいよ!! あのでかいのを速攻で決めるなんて!!

いやぁ、この動画の公開が楽しみだなぁ。渾身の編集に期待しててよ!!」


政臣が興奮した声でまくし立てる。


俺たちは、溶岩湖の向こう岸で休憩していた。


さすがに、あの環境での長期戦は不利だ。

ましてや相手は、溶岩の中に潜むモンスター。

姿を見せた瞬間に、最大火力で仕留めるしかなかった。


「動かない相手だったとはいえ、あのパイルバンカーは圧巻だな。

もっと練度を上げれば、レイドでも通用するんじゃないか?」


俺が同意を求めるように麗良へ声を向けると、彼女は汗を拭いながら静かに頷いた。


「そうですね。あれだけの貫通力に特化した攻撃魔法は、そうそうありません……。

大型モンスター相手には、大きなアドバンテージになります」


褒められた三人は、嬉しそうに顔を見合わせた。

こういうところは――まだ年相応だ。


そして、俺たちの前に選択肢が残る。


このまま先に進むか、それとも一旦戻るか。


だが、後者はリスクが高い。


もし、あの男たちが発信器を持っていたとしたら。

やつらの仲間に位置を捕捉されている可能性もある。


本当のところは分からない。

遺体すら、もう残っていないのだから。

だが、最悪の事態を想定して動く――それが冒険者だ。


「麗良……まだいけるか?」


不安は彼女の魔力だ。

さっきの戦闘で、大魔法を連発している。


だが、あれがなければ切り抜けられなかったのも事実。


麗良は、政臣から受け取ったスポーツドリンクを一気にあおり、肩で息をつきながら小さく笑った。


「珍しい。心配してくれてるんですか?

その優しさが、あの頃もあったらなー」


俺は口の端を歪めた。


「俺はいつだって優しかっただろ?」


返ってきたのは、ジトっとした眼差し。

……なんだよ、その目は。


「まあ、いいですけどね。

ここまで来たら行きましょう。お宝は取れる時に取る。

それが冒険者ってやつですよ!!」


その通りだ。


俺は一同を見渡す。

疲労はあるはず。だが誰一人弱音を吐かず、目の光は力強い。


「……行くか」


俺の言葉に、元気な返答。


この先何が出てくるか――だが、きっとやれる。

俺の冒険魂についた火は、もう消えそうになかった。

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