第53話 焦燥と緊張と交渉
第三層の未踏領域を目指す俺たち。
タブレットの地図を頼りに、山本先生のナビで進む。
フォーメーションは、俺と麗良が前衛。
来奈は由利衣を背負い、防御結界を常時展開。
その隣で梨々花が水属性を重ね、結界内の空気を冷やしていた
後衛は山本先生と政臣だ。
政臣は、麗良の合流に興奮を抑えきれない。
「これはすごいなあ!
日本のトップランカーとSSRの共闘なんて!
動画を公開したら何億再生いくか、想像もつかないよ!!」
鼻息の荒さに、麗良も若干引き気味だった。
途中のモンスターは、俺と麗良で次々と屠る。
最短で駆け抜ける方針だ。
俺が村正を振るうと、幾重もの残像が実体化し、迫る亜竜を片っ端から切り裂いた。
一息の間に、群れは沈黙。
「……相変わらず化け物じみてますね。先輩の強さは」
麗良が感心したように呟く。
「それで、これが――妖刀・村正。
とんでもない性能ですよ。ミレーヌさんに感謝しないと」
分かってる。
あれを一発で引き当て、俺に託した山本先生には感謝しかない。
……が、口に出すのは危険だ。俺は苦笑いでごまかした。
由利衣が作成したマップに記された、あの広大な空間――。
俺たちはそこへ、徐々に近づいていく。
熱と硫黄の匂いが濃くなり、岩壁の色も赤みを帯びていった。
そして、ついに見つけた。
「先輩。……出ました、ミスリルです」
麗良が落ち着いた声で告げる。
ミスリル――三百グラム。
量はわずかだが、ようやく二度目のドロップ。
この一欠片が、確かな証拠になる。
俺たちの進路は、間違っていない――そう確信できた。
胸の奥の焦りが、ほんの少しやわらぐ。
「……やっとか」
安堵の息を漏らす。
見ると、梨々花はそれを愛おしげに撫で、「これが、私たちの希望……」と懐にしまっていた。
その目はもうその先を見据えている。
そして――由利衣の地図が示した“洞窟内の開けた空間”へ。
俺たちは、ついに辿り着いた。
圧倒的な光景。
眼下には煮えたぎる溶岩の湖。赤い光が岩肌を揺らめかせる。
その中央を突っ切るように、一本の細い道が橋のように架かっていた。
幅は大人ひとりがやっと。
一歩でも滑れば即、奈落。骨すら残るまい。
「……こいつは、また」
思わず息を吐く。
だがすぐに仲間たちへ声を向けた。
「落ち着いて通れば大丈夫だ。焦るな」
皆の表情が引き締まる。
確かに、通り抜けるだけなら不可能ではない。
問題は――この場所に潜む“何か”だ。
由利衣のマップにも、はっきりと記録されていた巨大な魔力反応。
それが今も、この空間のどこかに潜んでいる。
……だが、姿は見えない。
音も、気配もない。
それが逆に恐ろしい。
まるで、この灼熱の沈黙そのものが、獲物を待つ怪物の息遣いのように感じられた。
「黒澤。索敵を頼む」
ここまではスピード優先で、由利衣は結界維持に専念していた。
来奈の背で、彼女がゆっくり目を開ける。
索敵結界を展開すると、眉をひそめた。
「コーチ……私たちの他に誰かいます。ふたり……」
途端に、緊張が走る。
やはり焦りがあったのだ。――迂闊すぎた。
どこのどいつかは知らないが、俺と麗良に感知されずここまで来るとは、相当の手練れ。
だが、手を出してこない以上、何か目的があるはずだ。
俺は、何が来ても首を飛ばせるよう村正を構えた。
そんな俺を見て、来奈の顔色が変わる。
だが、冒険者同士の争いは、甘いものじゃないのだ。
このダンジョンにおいて“殺し”は禁じられていない。
ただし、レベル1に戻るペナルティ付き。
倫理云々はもちろんある。
だが、いざとなれば――理屈など言っていられない。
俺にとっては、仲間の命より優先すべきものなど、ひとつもなかった。
急いで皆を俺の背後に下がらせる。
麗良だけが、雷切に手を添えて並び立っていた。
しばしの沈黙――そして、張りつめた空気。
やがて、観念したのか。
向こうから二つの影がゆっくりと姿をあらわす。
音ひとつ立てずに、この開けた空間へと入ってきた。
二人組の男。
国籍は分からないが、どちらもアジア系。
武器は構えていない。
装備は特殊部隊を思わせる戦闘ベストとブーツ。
一人は痩身で、全身の動きに一片の無駄もない。
鍛え上げられた身体、静かな重心――中級どころか、上位冒険者クラスだろう。
もう一人は、背が低く、横幅が異様に広い。
だが、その筋肉の密度は尋常ではなかった。
まるで岩を削り出したような肉体。
麗良が小さく息をのむ。
「あなたたち……どうして」
俺は麗良に横目だけ向けた。
「知り合いか?」
麗良は軽く肩をすくめる。
「アリアドネ・カンパニー。……先輩も知ってるでしょ?」
知っているどころではない。
魔導と科学テクノロジーの融合で世界を牽引する、多国籍巨大企業だ。
情報通信、エネルギー、半導体――その事業領域は多岐にわたる。
その関係者がどうしてここに。
麗良は苦笑いを浮かべた。
「すみません、私、尾行されてたみたいです。
以前からスカウトを受けてて……ずっと断ってたんですけど」
それも珍しい話ではない。
SSRは別格としても、SRも希少。
有能な魔法使いを囲い込もうとする勢力は、国であれ企業であれ、常に存在する。
俺は思考を巡らせながらも、視線は男たちから外さなかった。
やがて、痩身の男が静かに口を開く。
「近藤さん。急に第八層から消えたと思ったら、こんな低層で何をされているのやら」
その声音は柔らかい。だが探るような目。
そして、唇の端がわずかに吊り上がった。
「それにしても、まさかSSRともお会いできるとは。実はあなたたちも探していたんですよ。
リアルタイムで配信されては、少しお話がしづらいので」
学院にいる以上、マスコミも外部勢力も完全にシャットアウト。
会うならダンジョン。しかし、全世界に姿を晒すリスクがある。
配信停止の期間を狙って動いていたということか。
麗良を泳がせて、望外の収穫。
そう顔に書いていた。
痩身の男は両手のひらを軽く開き、無害さを示すように見せた。
「いやいや、そんなに構えないでください。 我々は、SSRと親しくなりたいだけなんです。
支援は万全ですよ。武装、攻略補助、それに――専用武器解放の素材までも提供できます」
来奈が「えっ?」と歓声を上げる。能天気というか、恐ろしく単純というか。
それが良いところでもあるのだが。
だが、俺は村正を構えたままだ。
ダンジョンでは一瞬の油断が命取りになる。
モンスターだけではない。人間相手も同じ。
ましてや相手は上位冒険者だ。
「で、見返りは何だ?」
俺は、無駄に感情を混ぜずに問うた。
SSRを囲い込みに来る者にとって、目的が曖昧なはずがない。
男は少し言葉を探してから答える。
「詳しくは契約を交わしてから、ですね。
要点だけお伝えすると――深層攻略への協力をお願いしたい。
もちろん、今すぐ現地へ突入してほしいという話ではありません。充分な実力を積んでからということで」
それは大方の予想通りの答えだ。
深層攻略は国家だけの専売特許ではない。アリアドネほどの企業が独自ルートで利権確保を目論むのは自然なことだし、そのために有能な腕を囲おうとするのも当然だ。
……まあ、別に相手は悪の秘密結社ってわけでもない。
世界征服だの、人類支配だの――そんな三文SFの話でもない。
単に、営利企業が営利を追って動いているだけだ。
利害さえ一致すれば、悪い話じゃない。
――うちの“あいつ”と、利害が一致すれば……だが。
俺の思考を読んだかのように、梨々花がスッと割り込んだ。
「それも悪くはないけど――
あれもこれも“与えられる”冒険は、性に合わないの。
欲しいものは、自分の手でつかむ。……それが、私たちのやり方よ。
ねえ、来奈?」
「え? …………そ、そりゃそうだ!!
あたしたちは、アイドルとして――成り上がり伝説まっしぐらなんだから!
……ま、素材をどうしても提供したいってんなら、寄付はウェルカムだけどな!」
本音を隠さない来奈に、思わず苦笑がこぼれる。
その横で、由利衣が柔らかく言葉を添えた。
「わたしたち、コーチと一緒に、少しずつ強くなっていきたいんです。
嫌だってわけじゃないんですけど……ごめんなさい」
実に由利衣らしい。角を立てず、芯は譲らない。
問題は――相手がそれで引き下がるかどうか、だ。
痩身の男は肩をすくめ、作り笑いを浮かべた。
「……まあ、すぐに決めろとは言いませんよ。
ただ――我々の側に付いたほうが、“得”なのは確かでしょうね」
梨々花の声が、凛と響いた。
「損得だけで動いちゃ、視聴者さんの“推し”にはなれないの。
端金に目がくらんで企業の犬になるなんて――この大魔法使い・桐生院 梨々花の“品格”が許さないわ」
隣で麗良が小さく囁く。
「耳が痛いですねー、先輩」
……古傷を抉るんじゃない。
そこに、政臣が慌てて口を挟んだ。
プロデューサーとして、黙ってはいられなかったのだ。
「……ま、ま、まあまあまあ!
スポンサー提案を、頭ごなしにお断りするつもりはないんですよ。
ただ、その……方針はまだ検討段階でして。
申し訳ないんですけど、いずれ日本政府の方で正式な窓口を設ける予定ですので、その際に――改めて、ということで……」
言葉を選びながら、額にうっすらと冷や汗。
分かっている。「うちのロゴをつけて戦ってくれ」程度の提案話ではないことくらい。
だが、それでも――この場を丸く収めようと、必死だった。
痩身の男は、ふう、と息をついた。
「……今はここまでのようですね」
そして、これまで黙っていた相棒に視線を送る。
横幅のある男が、低く響く声で口を開いた。
「――まあ、ゆっくり考えといてくれ。
……それで? こんなとこで何やってんだ?
第三層に、こんな空間があるなんてな」
その一言で、空気が変わった。
背筋を走る緊張。息を呑む気配。
……気づかれた。
こいつら、冒険者の勘で“何か”を嗅ぎ取っている。
ミスリル鉱床があると知れたら、見逃すはずがない。
一生分の金が転がり込むチャンス。
アリアドネの使いっ走りより、“割がいい”。
そう判断された瞬間、この場は戦場になる。
恐らく、やつらに対抗できるのは俺と麗良くらい。
だが、SSRと山本先生を加えれば、こちらが優勢だ。
……問題は、モンスター相手とは異なり、相手は狡猾な人間。
横幅のある男が、政臣から視線を外さない。
狙いは一目で分かった。
――うちのウィークポイントを、正確に見抜いている。
人質に取られた瞬間、形勢はひっくり返る。
その先は、何が起こるか分からない。
もし奴らが腹を括って“行くところまで行く”と決めたら――
最悪、SSRを誘拐する可能性だってある。
犯罪組織が手ぐすね引いて迎えてくれるだろう。
俺は、冒険者を決して甘く見ていない。
超常の力を手にして、理性を置き去りにし、冷徹に利だけで動く人間を何人も見てきた。
そして、そういう人間ほど……一線を越えると、ためらいがない。
梨々花の声が、張り詰めた空気を静かに裂いた。
「スカウトにきたわりには、雰囲気が怪しいですけど……。
目的が変わったんですか?」
心中は分からないが。
その声音は冷静で、揺るぎがない。
痩身の男が、唇の端を上げて笑った。
「いやいや、そんな。
すいませんね、うちの相棒、見た目が怖いもんで。
――でも、気になるんですよ」
そして、口調が変わる。
「お前ら……何を隠してる? ボス攻略じゃないだろ?」
じりっ――と、二人の男が間合いを詰める。
魔力が静かに、爆発を待つように膨れ上がっていく。
殺るなら、ためらわずに瞬時に……。
呼応するように、俺と麗良の魔力も吹き上がった。
だが。
「はあ……。まったく」
梨々花が大きく息を吐き、緊張を断ち切った。
「人間同士で殺し合いなんて、バカバカしい……。
先生、残念ですけど、仕方ないでしょう」
そして、ずいと俺と麗良の前に出る。
懐から取り出したものを、男たちに放り投げた。
「これが目当てのものです。
この先にあると思いますけど……早いもの勝ちがダンジョンのルールですよね?」
スッと道を譲る。
パーティ全員が、それに倣った。
ふたりの男は、梨々花が投げたものを見て――目の色を変える。
横幅のある男が喜声を上げた。
「おい、お前ら! やるじゃねえか!
ミスリルが第三層で!? 嘘じゃねえだろうな!!」
梨々花は、呆れたように肩をすくめる。
「勝手にストーキングしてきて、何を言ってるんだか……。
疑うなら、さっさと帰ったらどうですか?
私たちは冒険の続きをしますから」
うやうやしく手を差し出し、どうぞ――と譲る。
二人は顔を見合わせ、狭い一本道を踏み出した。
そして途中まできたとき、異変は起きた。
――ゴゴゴゴ……。
眼下の溶岩の湖から、不気味な唸りが響いた。
空気が震え、足元の道がわずかに揺れる。
「な、なんだ!?」
男たちが体勢を崩し、狭い橋を踏み外した。
重力に引かれるように、影が落ちる。
直後、煮えたぎる湖面が爆ぜた。
紅蓮の炎を切り裂いて――巨大な竜が姿を現す。
灼熱の鱗が光を弾き、数メートルはあろうかという口蓋が開く。
落ちてくる二人を――まるごと、呑み込んだ。
巨竜はそのまま溶岩に沈む。
残されたのは、静寂の世界。
わずかな硫黄の匂いと、波紋の痕だけ。
そこに来奈の素っ頓狂な声が、響き渡った。
「モササウルスじゃん。かっけー」
梨々花が軽く鼻を鳴らした。
「悪いけど、同情はできないわね。
……まさに、冒険は命がけだわ」
冷徹に突き放したような声。
どこまで計算していたのだろうか……いや、すべて計算通りなのだろう。
「先輩、末恐ろしいですね」
麗良の苦笑が、静かに洞窟へ溶けていった。




