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第49話 灼熱の中の冷気

第三層・火山帯エリア。

通常モンスターの強さこそレベル五十〜六十帯で対処可能――とはいえ、それはあくまでパーティ戦を前提とした話だ。


由利衣の索敵結界が捉えた反応は、ひとつ。

単独で第三層に潜り、この灼熱の環境をものともしていないとすれば、実力は少なくとも中堅。

あるいは上位冒険者クラスと見ていい。


一瞬、俺の高校時代の同級生――現在は第八層を探索している日村の顔が脳裏をよぎった。


第八層に潜る実力者なら、不思議じゃない。


だが、やつは来奈たちの武器を解放するためのレッドストーンを寄付してくれたが、こんな場所に用があるとは思えない。

まさか熱心な追っかけミーハーというわけでもあるまい。


そんなことを考えながら、由利衣の指し示した方向へ進む。

すると、人影が見えた。


いや、視界に入るよりも先に届いたのは――歌、だった。


火山活動が生み出した洞窟の空間。

教室ふたつ分ほどの広さで、壁には淡く光を放つ鉱石が散りばめられ、ところどころを溶岩の流れが煌々と照らしている。

その光と熱のただ中で――確かに、誰かが歌っていた。女の声だ。


――バンシー?


第五層に棲む嘆きの亡霊。死の宣告者。

一瞬、そんな錯覚が脳裏をかすめた。


モンスター、ではない。

由利衣が「人」だと言ったのだから。

だが、この光景は――。


その歌声は、どこまでも伸びやかで、柔らかく、そして澄んでいた。

だが、魂を凍らせる冷気を帯びている。

この灼熱の中、その女の周囲だけが――まるで世界が停止しているかのような冷たさに支配されていた。


年の頃は、山本先生と同じくらいか。

だが、不思議と少女にも見えるし、老女のようにも感じられた。


原初の胎動を刻む灼熱の溶岩世界には、まるで似つかわしくない装い。

白衣に、黒いタートルネック。

タイトな黒のスカートに、黒のタイツ。

こんな足場の悪い場所で、ヒールを履いている。


そして――見惚れるような長い銀髪に、海の底のような深い青の瞳。

折れそうなほど細い肢体。

病的なほどに肌は青白く、それなのに、唇だけが鮮やかに艶めいていた。


目に映るすべてが、どこかアンバランス。

それでも、美しい。危ういほどに。


本能が警鐘を鳴らしている。

それでも俺の心は……いや、俺たちの心は、その歌声に掴まれていた。

来奈も、梨々花も、政臣も――表情から色が消えている。

唯一、来奈の背の由利衣だけが深い眠りの世界の中で、必死に抗っていた。


その手にあるのは――巨大な鎌(デスサイズ)

刃を下にして、柄にもたれかかるように静かに立つ。


あれは、魔導ギア・グリムリーパー。

数年前に盗難に遭ったはずの、神話伝承級の武装だ。


溶岩の光を受けてもなお、刃は青く輝き、その冷たい光が首筋を撫でていく。


暗示にかけられたかのように、俺の意識がさらに彼方へと滑っていく。


皿の上に載せられた男の首へ、少女がそっと口づけをする。

――どこかで見た、そんな絵画を思わず連想していた。

静謐で、神秘的で、それでいて狂気の混沌……。


次の瞬間、イメージの中の皿の上にあったのは――俺の首だった。


歌声に陶然としていた意識が、一気に現実へ引き戻される。

背中に冷たい汗が流れた。

今の映像は……なんだ。


俺は村正の柄に手をかける。

正体は分からない。だが――とてつもなく異質。

それだけは、断言できた。


そのとき、女がふと目を細める。

まるで、(はや)る俺を(いさ)めるように。


歌声が止む。

刹那、暗示が解けたように、来奈たちの瞳に光が戻った。


女は、整いすぎた顔の口角を、ほんの少しだけ上げた。

楽しげに、そしてどこか退屈そうに。


「いきなり斬りかかる気? 何もしていないじゃない」


敵ではない……?

それにしても、この人数差をまるで意にも介さない余裕。


俺は村正の柄から手を離し、両手を開いて見せる。

女に向かって声をかけた。


「俺たちは日本の冒険者パーティ。第三層攻略のための訓練中だ」


女は興味なさげに、ちらりと目線を寄越した。

そして、わざとらしく拗ねた口調を作る。


「それくらい知ってるわ。有名だもの、日本のSSRパーティさん……でも、今は用はないの。

せっかく気分が良かったのに。邪魔しないで欲しいわね」


一瞥されただけで、体感温度が一気に下がる。

溶岩エリアだというのに。


ふと気づくと、梨々花が俺の裾を掴んでいた。

微かに震えている。


……ここは、引くに限るか。

“今は用はない”という言葉は引っかかるが。


「わかった。俺たちに無意味な争いの意思はない」


踵を返したその瞬間、女の声が静かに背へとかかった。


「それじゃあね。中途半端な超越者さん」


歩き始めた足が、ピタリと止まる。


……精霊の特典のことか?


俺の特典のことを知っているのは、ごく一部。麗良でさえ知らないはずだ。


「あんた、何者だ?」


俺は振り向かずに問いを放つ。

背後で、ふぅ、と小さく息を吐く音がした。

氷結地獄から漏れる風のように、冷たく、静かで――


その息に重なるように、声が落ちる。


「答える必要はない……って言いたいけど、私から話しかけたんだしね。

私の名前は――エステル。どうぞよろしく、佐伯さん」


柔らかく、包み込むようで――そして、すべてを拒絶するような声だった。

今まで触れたどんな音とも違う。

言葉にできない温度が、胸の奥に残った。


「エステル……さんは、どこで俺のことを?」


俺の質問には答えず、淡々と意味深な質問を返してきた。


「そんなことはどうでもいいの。

ねえ、魔法使いの“その先”にいる佐伯さんは……さらに先には行こうと思わないのかしら?」


……意味がまるで分からない。


俺は首だけ振り向いてエステルの方へ向く。

彼女は横を向いて目線だけをこちらによこしていた。


すると、エステルはクスクスと笑いだした。


「ごめんなさい。興味ないから引退したんですものね。

でも……ダンジョンからは逃げられなかった。

どう足掻くのかしら。とても楽しみ」


俺は何も言わずに、四人を急かすようにしてその場を後にする。

相手はまともに問答する気はない。なら一秒だって長居は無用だ。


何がなんだかまったく分からないが、あれは――怪物。

俺ひとりならともかく、いまのレベルの三人を守りきれる自信はなかった。


しばらく黙々と歩き続け、あの女の気配が完全に消えたあたりで、ようやく緊張が解ける。


すると、来奈が大声を上げた。


「暑っっっっ!! なになに、死にそうに暑いんだけど!」


どうやら、由利衣の結界による断熱効果はとっくに切れていたらしい。

気づかずにいたようで、慌てて梨々花が属性付与を行い、氷の杖を振るった。


ひと息ついたところで、今度は政臣の悲痛な叫び声。


「あーっ、熱でカメラもスマホも止まってる!」


だが再起動してみると故障はしていなかったらしく、政臣は胸を撫で下ろした。


ただ――


「さっきの人は映ってませんね……リアルタイム配信にも残ってないです」


残念そうな声が飛ぶが、俺は……見たくはなかった。


梨々花が伏し目がちに、不安げな声を漏らした。

「先生、あの人……たぶん」


言いたいことは分かっている。

俺はこれまで、上位SR冒険者を何人も見てきた。

だが――あれは違う。

得体のしれなさも、存在の格も、明らかに上だ。

はっきりとは言えない。だが、間違いなくSSR。

そうだとしても、まったくおかしくない。


中国SSRのセラとミアが持つ、圧のような威容。

欧州SSRクラリスが纏っていた闘気。

そのどれとも違う。

けれど、彼女は――同等か、それ以上だ。


来奈が深く息を吐き、苦笑まじりに言葉を吐いた。

「エステルさんだっけ?

あたしにも分かったよ。あんなの、勝てっこないって。

どうやって逃げるか考えてたもん」


その反応は正常だ。

うまく言葉にできないが、魂の奥を直接つかまれたような感覚。

戦闘力の問題じゃない。

“未知の領域”に対する恐怖だ。


俺は皆を落ち着かせるように、努めて明るく言う。

「まあ、目的は俺たちじゃなかったみたいだし。気にせず行こう。な」


……それでも、心のどこかがざわついていた。

こんな低階層に、何の目的がある。

気にはなる。

だが――関わらないこと。

それが、この世界で生き残る知恵だ。


俺たちは余計な寄り道をせず、まっすぐに洞窟を抜け、第三層を後にした。


スタートポイントのゲンさんの顔を見て、ようやく現世に戻ってきた気がした。

そう、黄泉の道を歩いていたのかもしれない。


「少し早いが、明日に備えて休もうか。

……今日は土曜日だけど、夕食は俺が作るぞ。何が食べたい?」


ようやく三人の心も和らいだようで、次々にリクエストが飛んでくる。


その晩は三人も手伝いながら食事を作り、テーブルを囲んだ。

みな明るく振る舞っていた。

あれは、なんでもなかった。何も見ていない。

そう言い聞かせるように。


ただ、それでも――

あの澄んだ歌声だけが、いつまでも魂の奥底をそっと揺り動かしていた。


***


時間は戻る。


エステルは、日本パーティが黙って通り過ぎるのを横目で見送った。

そして、誰にも届かないほどの小さな声で、ぽつりと呟く。


「あれが特典、ね。

その先は、亜精霊……さらには精霊……そしてさらに――」


フッと唇を歪める。


「そこまでには、どれだけの対価が必要なのかしら……。

ねえ、私のリュシアン。

もっと強くなってね……男の子だもの」


カツ、カツ、とヒールを鳴らしながら、エステルは静かにその場を去る。


その先、さらに奥へ奥へと進んだ先の火口では、クラリス指揮のもとで欧州SSRと第三層ボスとの戦いが繰り広げられていた。


だが、その戦いのことを日本パーティが知るのは、もう少し先のことになる。

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