第25話 過去からの誘い
俺は、現実的な問題にさらされていた。
昨日――土曜のダンジョン第二層攻略で、唯一のスーツをボロボロにしてしまったのだ。
幸いにして、もうすぐ夏休み。
それでも、仕事着を失うのは痛かった。
だが、今日は日曜。
俺は学院に外出許可を申請し、なんとか受理された。
ただし、条件付き。
都内から離れないこと。
定時連絡を入れること。
そして――。
SSR三人を同行させ、片時も目を離さないこと。
さらに、不測の事態に備え、もう一名職員をつけること。
……スーツを買いに行くだけなのに、大げさすぎる。
だがSSRの警護も俺の役割だ。仕方ない。
それに、下手に抗議でもしようものなら、せっかく関係修復したあいつらと、どんな悶着が起きるか分かったものではない。
それはいい。問題は――。
「佐伯さんとお出かけなんて……。
今日、頑張っておしゃれしちゃいました」
山本先生。
玄関ロビーで待っていた俺に、嬉しそうに声をかけてきた。
そして、どこが違うか当ててみなさい――とでも言いたげな顔で、ジャージ姿を一回転させる。
……分からない。
襟元のワンポイントのラメ、だろうか。
しかし、次にやってきた来奈は、山本先生を見るなり言った。
「お、センセー。今日はキメてるじゃん!
大人の色気ってやつ? おしゃれな格好してるの、初めて見たよー」
頬に手を当て、「もう、からかわないの」と山本先生。
……もしかして、俺とは別の姿が見えているのか?
幻術の一種か?
謎が深まるばかりだ。
そして、由利衣と梨々花も合流。
三人は制服。
タンクトップにアロハのおじさん。
そしてジャージの妙齢女性。
学院からは「くれぐれも目立つな」と言われていたのだが――無理な注文だった。
山本先生が同行することで梨々花は不満顔を見せるかと思ったが、昨日の“冒険者パーティ”発言で少し肩の力が抜けたのか、特に気にした風でもない。
だが、俺の格好を見るなり、きっちり釘を刺してきた。
「個人のファッションは自由ですけど……。
落ち着いた色の方が良いと思います」
分かっている。
私服のシャツとスラックスも調達する予定だった。
そうして俺たちは出発。
季節は夏。
うだるような暑さに顔をしかめるが、若い三人は久しぶりの外出にうれしそうだった。
話題のSSRが街中にいる。
だが、誰も気づいた様子はない。
来奈が少しだけ残念そうに言った。
「ちえー。あたしたち、オーラないのかな」
あえて郊外を選んだというのもある。
繁華街の人混みで何かあったら、対処しようがないからだ。
少しだけ安心したが、油断はできない。
これがダンジョンなら由利衣の索敵が使えるが、いまは無理だ。
入ったのは行きつけの紳士服量販店。
質と品揃えと価格、三拍子そろった庶民の味方。
おじさんの買い物なんて興味はないだろうが、付き合ってもらうより仕方がない。
店員の落ち着いた雰囲気のマダムは、俺たち一行の姿に一瞬、営業スマイルの仮面をはがしかけた。
彼女の顧客データベースには登録されていない取り合わせだったのだ。
若い奥様と、大きなお嬢様……?
その言葉のチョイスに自信が持てなかったのか、曖昧な笑みだけを浮かべて応対してきた。
そして、俺はいつもの黒スーツ。
念のために、同じものを二着買うことにした。
案の定、来奈がケチをつけてくる。
「いつもと同じ格好じゃん。おじさんくさいなー。
銀色とか渋いんじゃね? 配信映えするって!!」
由利衣は花柄を推してきたが、そんなものはここには扱っていない。
配信受けを狙うつもりはない。
これがいちばん心穏やかに過ごせるのだ。
それ以上の属性付与は、俺には無用。
裾上げはお急ぎサービスで夕方に。
ついでに、私服もここで買い物を済ませる。
奇をてらうわけでもない、ひたすら間違いのないものを選ぶ。
――それが、中年の流儀だった。
会計を済ませると、梨々花がおずおずと紙袋を差し出してきた。
「昨日、シャツ破れたから……それと、ネクタイ」
山本先生と店内をうろうろしていたのは見えていたが、まさか買い物をしてくれていたのか。
ここは素直に受け取ることにした。
「そうか、悪いな。ありがとう」
受け取ると――シャツとネクタイの割に、ズシリとした重量。
中を見ると、黒いジャージが一着。
…………。
視線を上げると、喜びのリアクションを期待する熱っぽい目つきの山本先生と、目が合った。
「あ、あの……ありがとうございます。
部屋着なんかに使わせてもらいます」
できるだけナチュラルな表情を作る。
すると、山本先生は「佐伯さんにきっと似合うと思うんです」と、満足そうな笑みを浮かべた。
「ペアルックだねー。コーチも年の割にやるぅー」
由利衣のピントのずれた冷やかしを皮切りに、来奈も加わり、やんややんや。
山本先生は「んもう……」と頬を染めて、来奈の肩をバシバシ叩く。
店員のマダムは、はっきりと苦笑いを浮かべていた。
***
せっかくの外出なので、お昼は外で。
学生に対して、少しは大人の甲斐性を見せねばなるまい。
超高級店とまではいかないが、そこそこ値の張る中華で食事をとることを提案した。
店に入り、メニューを見ると、梨々花が俺の財布の心配をしてくる。
そんなことは気にしなくても良いと伝えると、来奈の能天気な声。
「教官、あまりお金持ってるようには見えないもんな!」
無遠慮に抉ってくる。
だが、由利衣は不思議そうな顔をする。
「コーチくらいの高レベル冒険者って、すごく収入があるイメージなんですけど……麗良さんだって」
確かに、国内SR魔法使い最高峰の麗良は、下手な芸能人よりよほどセレブだ。
ダンジョン深層の高価な素材を採取できる上位冒険者は高収入――その認識は間違いではない。
だが、金の話に関してはあまり深掘りしてほしくはなかった。
俺は、いつかの九条の言葉を思い出していた。
──さんざん稼いでたのに、ずいぶん慎ましい暮らしをしているんですね。
……俺は、金のためだけに冒険者を続けることに、嫌気がさしたのだ。
前の会社だって、別に給料なんていくらでも良かった。
ダンジョン攻略で溜め込んだ金も、車も、高級マンションも――すべて手放していた。
独りボロアパートに住み、安月給でも細々と生きていく。
……それが贖罪だと思っていた。
とんだ勘違いだと、今は思うが。
そんな暗い話を、輝かしい未来が待っているこいつらにはしたくなかった。
あるいは、恐れているのかもしれない。
梨々花は俺のことを“尊敬している”と言ってくれたが、尊敬に値する人間なんかじゃない。
知られることで、離れていってしまうのでは――。
来奈も、由利衣も、政臣も。
新たなパーティメンバーは、俺の過去を知ったら、何を思うのだろうか。
そんな思考とは裏腹に、俺は一見穏やかな笑みを浮かべながら、料理に舌鼓を打つ彼女たちを静かに眺めていた。
――そのとき。
耳に、若い女性の声がふたつ届いた。
ひとつは冷静で落ち着いた印象。もうひとつは、気だるげでヘラヘラとした感じ。
何を言っているのかは分からない。俺は日本語しか知らないから。
背後の席。いつの間に。
過去の思考にとらわれて、気付かなかったのだろう。
それに、誰がいようと何だと言うのだ――そう思った矢先。
聞き覚えのある男の声が、俺の鼓膜を刺した。
「どうです? 日本のお店だって、なかなかのものでしょう。ミアさん、セラさん」
……背筋に、氷が流し込まれた。
振り返らなくても分かる。
九条。
俺は首を一ミリも動かせず、背後の会話に耳を傾けた。
こちらに気付いていない――?
……そんなわけ、ないだろう。
こいつはわざと日本語で喋ったのだから。相手は中国語なのに。
その九条が、今度は俺に日本語を聞かせながら、二人へと中国語で話しかける。
「日本のSSR……いまや大注目ですね。魔術師と星。そして女教皇」
静寂が、一瞬、空気を支配した。
続いて、気だるげな女の声。
意味は分からない。だが――嘲笑と挑発。
音の端々に、舌で転がすような余裕があった。
「いやはや、手厳しいなあミアさん。まだ魔法使いになったばかりだっていうじゃないですか。
……まあ、“あの程度”という点では同意しますがね」
別の女の声が応じた。
澄んでいて、どこか高貴な響き。支配者の威厳。
「さすがセラさん。そう。今はまだ可愛い雛鳥。
ですが、いずれ大きな翼で風を得る――それがSSR、魔眼の力。
……あなたたちのように、ね」
汗が止まらない。
SSRだと? しかも二人。
ハッタリなんかじゃない。こいつのことは、分かっているつもりだ。
来奈たちはまったく気づかずに談笑している。
だが、梨々花だけは俺の口数が急に減ったことに、不思議そうな目を向けた。
……店の中では妙なことはしないだろう。
それも、知っている。
「おや」
わざとらしく、九条が俺の背中に声をかけた。
動けない俺に、コツコツという靴音が近づいてくる。
やがて、その足音は俺たちのテーブルの前で止まった。
紳士的な笑み。休日だというのに、きっちりと仕立ての良いスーツ。
真夏にネクタイまで締めているが、汗のひとつもかきそうにない涼しげな顔。
「佐伯さんじゃないですか」
優しげな声。
九条は、梨々花たちに軽く頭を下げた。
「お食事中、失礼します。
私、九条と申します。佐伯さんには昔いろいろとお世話になりまして」
その言葉に、皆は「はあ……」と曖昧な表情で会釈する。
九条はテーブルをぐるりと見渡し、破顔した。
「いや、佐伯さん。こんな美人と可愛らしいお嬢さんたちと食事なんて、羨ましい」
来奈が、すかさずいつもの調子で返す。
「えー、おじさんだってすごくキレイな人連れてるじゃん!」
「ちょっと、来奈。失礼だよ」
由利衣がたしなめる。
しかし九条は、まるで気にした様子もなく笑った。
「いやいや、おじさんですから。
それに、僕は彼女たちの観光のエスコート。
気の休まるときなんてありませんよ。
……あ、彼女たち日本語分からないので、ここだけの話ですよ」
目を細め、冗談めかした口調。
来奈は「ははっ、大変だね」と能天気に応じる。
そんな中、山本先生がふと気づいたように口を開いた。
「あの方たち……確か、中国のSR魔法使いの。
黄世羅さんと、李美亜……さん?」
聞いたことはある。最近、急成長の有望株だ。
九条は肩をすくめ、軽く笑った。
「よくご存じで。
日本のSR魔法使いとの親善戦のために来日されて。
ダンジョンでやるので、わざわざ来る必要はないんですけどね……。
この機会に日本を見たいとか」
梨々花が九条に話しかける。
「あ、知ってます。第六層闘技場エリアで今夜開催の」
ゆっくりと九条は頷いた。
「ああ、そうだ」
そう言って懐に手を入れると、封筒を取り出す。
「もし良かったら。チケットなんですけど。
でも魔法使いしか入れないか……」
来奈が元気に手を挙げる。
「あ、あたしたち魔法使いだから大丈夫!
それ、プレミアものじゃん! おじさん太っ腹ー!」
九条は笑って、俺の前に封筒を置く。
「佐伯さんも、来ていただけます……よね?」
俺の返事を待たずに、九条は「では、失礼」と言葉を残して踵を返した。
何か中国語でセラとミアに話しかけると、二人は立ち上がり、店を出ていく。
俺はその間、視線を封筒に落としたまま、指一本動かせなかった。
来奈は、
「あのおじさん、あたしたちがSSRって気づいてなかったけど。バラしたら、きっとビックリするんじゃね?」
と、笑っていた。
その夜、俺は三人にせがまれて六層へ。
山本先生も。
政臣は、コネを使ってちゃっかり手に入れてきた。
そこで、俺たちは――いや日本は、信じられない圧倒的な力の差を見せつけられることになる。




