第19話 銀狼
来奈は森の奥を茫然と見つめながら、自分が見たものを確認するように声を上げた。
「なあ、あれって教官……だよね?
あたし、視力けっこういいほうだと思うんだけどさ。なんかおかしなものが見えたっていうか……」
犬養も信じられないといった顔をしている。
「佐伯先生、人間離れした強さだと思ってましたけど……いまのは……」
全員、顔を見合わせた。
だが、誰も理解できないし、説明もできない。
梨々花は、預かった上着から冒険者カードを取り出した。
「“精霊からの特典”って言ってたけど……」
カードに目を落とすと、そこに追加の文字が浮かび上がっていた。
【佐伯 修司 ★★★★★】
ランク:R
レベル:99
体力 :B 4,712(+9,999)
攻撃力:A 7,084(+9,999)
魔力 :C 2,832(+9,999)
耐久力:C 2,945(+9,999)
魔防 :D 1,519(+9,999)
敏捷 :B 4,890(+9,999)
幸運 :C 2,194(+9,999)
特典 :A/人狼
由利衣がまじまじと覗き込み、眉をひそめた。
「えーと……ステータスって、確か9,999が上限なんだよね?
さらに“+9,999”って、どういう……」
「うわっ!! 何これエッグぅー!! 精霊、遊びすぎじゃね!?」
来奈のツッコミが、森の静寂を破る。
そして、梨々花のカードを持つ手は震えていた。
「なんてことなの。こんな“先”があるなんて……信じられない。
来奈、由利衣……先生がいれば、私たちなんだってできるわ。レイドだって、攻略だって」
目に尋常ではない輝きを宿し、熱を帯びたように言葉を継ぐ。
「私の魔眼と、先生の……なんだかよくわからないこの力。
これがあれば……絶対に逃がさないから」
来奈と由利衣は、苦笑いを浮かべるしかなかった。
***
……いま、すさまじい悪寒がしたが。
まあいい。
そんなことよりも山本先生の捜索だ。高坂と獅子丸も心配だしな。
今の感覚は、人間のときの軽く数倍。
視覚も聴覚も、あらゆる情報の解像度が段違い。
由利衣の索敵を借りるまでもない。
森の羽音ひとつ、草を踏む音ひとつ、すべてが見えるように“聞こえる”。
そして、とりわけ嗅覚は犬並みなのだ。
――いた。
山本先生。
さっき近づいてきたときに嗅いだ……いや、自然に感じとってしまった匂いだ。
能動的に嗅いだわけじゃない。あれは不可抗力。仕方のないことなのだ。
必死に言い訳を考えながら、俺は霧の森を風のように駆け抜けた。
やがて開けた場所に出ると、高坂と獅子丸の姿が目に入る。
大声で山本先生を呼んでいた。
「おい、お前たち。森の中で騒ぐとモンスターが寄ってくるだろ」
後ろから声をかけると、ふたりはビクッと肩を震わせてこちらを振り向く。
即座に獅子丸があとずさり、剣を構えた。
「って、なんだよ! 喋るモンスターなんて聞いたことねえぞ!
おい、高坂! どうなってんだよ!」
その言葉に高坂も動揺を隠せない。
「わからんが……やるしかないだろ!」
そのまま斬りかかってきた。
まったく、こっちは会話しているってのに。
俺は片手で高坂の日本刀を受け止め、そのままひょいと取り上げる。
いまの感覚なら、止まって見える。
「とりあえず落ち着け。山本先生の方向はあっちだ。お前らもついて来い」
刀を返し、彼らの追いつける速度で再び走り出す。
が、振り返ると、ふたりは顔を見合わせたまま固まっていた。
「おい、早く来いって! この上、遭難されたら面倒なんだよ。
俺もあまり時間がないんだ」
恐る恐るついてくる高坂と獅子丸を「急げ!」と促しながら進む。
途中、巨大猿だのムカデだのを一撃で片づけ、森を駆け抜けた。
そして、ついに辿り着く。
――よかった。
無事……ではないが。
山本先生の右脚のジャージは大きく裂け、そこから出血していた。
それでも魔法で傷を癒しながら、なお矢を構えている。
周囲には二メートル級の狼が三頭、矢を受けて倒れていた。
だが、まだ同サイズが五頭。さらにひと回り大きなボスらしき一頭がいる。
このままでは、時間の問題で狩られるのは明らかだった。
「山本先生!!」
俺が声を上げると、狼たちは一斉にこちらを向く。
と同時に、山本先生が――俺に矢を射かけた。
ある意味、無理もない。
新手の“喋る狼”が現れたと思ったのだろう。
まずはモンスターの排除が先決だ。
「高坂、獅子丸! 手伝え! 俺はデカいのをやる!」
叫びながら、群れのボスめがけて――駆けた。
行く手を遮るように、二頭の狼が同時に跳びかかってくる。
「邪魔だ」
左右の手でそれぞれの首根っこを掴み、頭から地面へ叩きつける。
湿った土が弾け、狼たちの体がずぶりとめり込んだ。
その勢いのまま、俺は振り向きもせずボス狼へ突進。
右手の爪を振るう。
今の俺の爪は、飛燕と同じ長さと鋭さを持っていた。
武器など不要だ。
血しぶきが舞い、ボス狼が沈む。
振り返れば、高坂と獅子丸が、最後の一頭を仕留めたところだった。
山本先生の方を見ると、何が起きたのか理解できないまま、ただ茫然と立ち尽くしている。
矢をつがえることも忘れているようだ。
俺が近づくと、彼女は「ひっ」と短く息を呑み、硬直した。
……無理もない。
いまの俺は、体長二メートルを超える銀色の毛並みの狼だ。
怖がるなという方が、無茶な話だろう。
とはいえ、このまま放っておくわけにもいかない。
まずは落ち着かせる必要があった。
「山本先生。佐伯です。
細かい話は後にします。今は入口まで戻りましょう。
……歩けますか?」
背後で獅子丸の「オッサンかよ!?」という声が上がるが、無視。
脚の傷――見た感じ、浅くはない。
無理をさせるより、早めに治療した方がいい。破傷風でも起こしたら洒落にならない。
俺は山本先生を抱き上げた。
いわゆる――お姫様抱っこというやつだ。
この年になるまで、そんなことをやったことは一度もない。
だが、恥ずかしがっている余裕なんてなかった。
「高坂、獅子丸! 山本先生の装備を回収! 遅れずについて来い!」
走り出す俺に、慌てて続くふたり。
さすが鍛えているだけあって、なんとかはぐれずに追ってきている。
森を駆けるあいだ、山本先生はしばらく硬直していた。
やがて、恐る恐る口を開く。
「あの……佐伯さん、なんですよね?その姿……?」
説明しないわけにはいかないが――。
「それは追々。まずは安全なところまで行きましょう」
そのあいだも、蛇だの何だのが容赦なく襲ってくる。
蹴りでまとめて沈めると、山本先生が体勢を崩す俺に思わずしがみついた。
首筋に、柔らかい感触。
……無心だ、と言い聞かせる。
そうして、ようやく俺たちは第二層の転移地点にたどり着いた。
――間に合った。
ギリギリだったかもしれない。
俺は山本先生をそっと降ろし、後続で追いついてきたふたりに声をかける。
「山本先生を頼む。俺はこの姿で戻ったら大騒ぎだ。しばらくここにいる」
高坂は何か言いかけたが、「早く行け」とだけ告げると、素直に従ってくれた。
三人が転移光に包まれ、消えていく。
それを見送って、大きく息を吐いた。
……まずは、よかった。
「でも、問題はこの後なんだよな」
思わず独り言が漏れた、そのとき。
「何が問題なんですか?」
物陰から声がした。一番、厄介なやつ。
梨々花は黒髪をかき上げ、興味津々といった目で俺を見上げた。
「先生にこんな隠し玉があったなんて……みずくさいじゃないですか。
精霊って、ほんと何でもありなんですね」
うっすらと口角を上げて、微笑む。
その笑みを見た瞬間――背筋に、あの悪寒が再び走った。
「なあ、桐生院。わかってると思うけど、これは秘密なんだ」
梨々花は微笑みを崩さない。
「もちろん。来奈と由利衣だって。
魔戦部の連中には、あらためて“分からせて”おきますから」
“分からせ”に、妙に強いイントネーションが乗る。
……なら、安心、なのか?
「……で、何が問題なんですか? 知りたいわ」
その声色に、ぞくりとする。
ここから先は、言葉を慎重に選ばなくてはならなかった。
「この特典ってやつは――万能じゃない。副作用があるんだ。
できれば、見られたくないんだけどな。
一日経てば大丈夫だから……放っておいてくれないか?
俺は、安全なところで隠れてるからさ」
人間の姿に戻ったら、ゲンさんにかくまってもらうつもりだった。
梨々花に弱みを握られたら、この先どうなるか分からない。
――いや、分かる。
ろくでもないことにしか、ならない。
「副作用、ですか。それは大変ですね。でも、私は気にしませんよ?」
「なあ、頼むよ。困らせないでくれ」
梨々花の目をまっすぐに見る。視線がしばらく交差した。
やがて、彼女はふうと息を吐き、首を振る。
黒髪が左右に微かに揺れた。
「そうですね……すみません。先生に嫌われたくはないんです。
でも、本当に一人で大丈夫なんですか?」
どうやら、折れてくれたようだ。
思わず安堵の息が漏れる。
「ああ、大丈夫だから。先に戻ってくれ。
明日の夜には戻れると思う。
……悪いが、明日は俺はいないから、みんなは外出もダンジョンもなしでお願いできないか? 寮なら安心できるからさ」
梨々花はこくりと頷き、踵を返して転移陣へ向かう。
――乗り切った。
そう思った、その瞬間。
体に違和感が走り、思わず呻き声が出る。
「……先生?」
梨々花が振り返った。
あと少しだったのに――。
意識がかすれ、力が抜けていく。
「あらあら……まあまあ……」
梨々花の楽しげな声が残響するなか、俺の変身は静かに解けていった。
***
精霊の特典の副作用は、星とレベルの一時的なリセット。
これは一日経てば元に戻る。
ダンジョンに潜らず、安全な場所でやり過ごせばいい。
……問題は、姿だ。
なぜか“精霊ガチャ当選時”の姿に戻るという、謎仕様。
そして――俺が当選したのは、小学五年生のときだった。
***
視界の高さが違う。
見上げた先に、来奈の顔があった。
「なあ、梨々花。教官まだ帰ってこないの?
てか、この目つきの悪いガキンチョ何? ダブダブの服なんか着てさー」
由利衣はしゃがみ込み、目線を合わせてくる。
「んー。でもどっかで見たような。梨々花の知り合いの子なの? お菓子食べる?」
俺は――満面の笑みを浮かべた梨々花に手を引かれ、スタートポイントへ戻っていた。
魔戦部員は山本先生の付き添いで医務室へ行っている。
……屈辱だ。
だから、見られたくなかったんだ。
ゲンさんは、「おや、懐かしいねぇ」と目を細めて俺の姿を眺めていた。
俺はSSR三人に頭をぐしゃぐしゃな撫でられながら、ただ俯くしかなかった。




