第18話 魔境
森林エリアは視界が悪く、同じような景色が続くため迷いやすい。
先人たちが設置した石塔を目印に地図と照合しながら進めば遭難はまずない――のだが、厄介なのは一部ゾーンに「目印を移動させるモンスター」がいることだ。
あれにやられると、方角感覚が一気に壊れる。
火炎魔法は禁止。不用意な火は延焼し、他の冒険者の命をも巻き込む。
攻撃魔法は、梨々花が磨いてきた礫の速射が有効だ。可燃物を増やさず、樹間でも通る。
索敵は由利衣の役目。
ここは昆虫と動物のテリトリー。
木上、地表、土中――上下左右、あらゆる方向から奇襲がくる。
結界レーダーの有無で、生存率はまるで違う。
来奈は“目”となる由利衣の情報を即時に把握し、全方位への構えを取る。
やること自体は第一層と大差はない。だが、ここからは反射ではなく、連携がものを言う。
まずは基本フォーメーションの確認。
それが完了すると、俺は全員に声をかけた。
「黒澤、索敵開始だ。まずは睡眠状態で五百メートル。
大きな反応がなければ、起きて近距離を頼む。入江と桐生院は自分と黒澤、そして高柳の身を守ることに集中。
モンスターを倒すのは俺がやる。焦る必要はない」
まず教えるべきは、モンスターの特徴と間合いの見極め方。
いきなり対応させるわけにはいかない。
訓練は、あくまで“生き残る練習”だ。
俺の言葉が終わると同時に、由利衣は目を閉じた。
一瞬で深い眠りに落ちる。
森の空気がわずかに変わった。
数秒後、由利衣はスッと目を開き、地図を指さして静かに言った。
「進行予定方向、五百メートル圏内に反応なし。
ただ、右手に大きな反応が三つ。これに警戒しながら進む必要があります」
「了解」
俺は手を上げ、移動の合図を出す。
全員が無言で頷き、足を踏み出した。
湿った土を踏む音が、低く吸い込まれていく。 フォーメーションを崩さぬまま、森の奥へ――。
広範囲索敵は五百メートルごとに行う。 いまの由利衣の能力はここまでが限界。
「コーチ。さっきの反応は遠ざかっています。
でも、進行方向に新しい反応がふたつ。約二百メートル。こっちへ向かっています」
途端に、空気が張りつめた。
「……ここで迎え撃つ。黒澤、空中と土中もカバーしてくれ」
由利衣が小さく頷く。
瞬時に、彼女を中心に完全円形の結界レーダーが展開された。
淡い光が地表を這い、薄霧を切り裂いてゆく。
「……二体、来ます」
由利衣の声が落ちる。
だが、その瞬間にはもう目視できていた。
正面から、黒い影。
ぬめる音とともに現れたのは、大蛇。全長五メートルはある。
体表を伝う艶やかな鱗が光を反射し、森の中で生々しく蠢いていた。
「ひいいいいっ……」
来奈の悲鳴が、裏返った。
俺は一歩前に出て、背中越しに声を張った。
「慌てるな。あれに毒はない。だが、打撃には強い。
有効なのは斬撃。お前たちが戦うときは――入江が引きつけ、桐生院が風魔法で頭を落とす。黒澤、魔力反応は覚えたか!?」
「はいっ!」
由利衣の短い返答を確認するや、俺は短刀・飛燕を抜き、地を蹴った。
そして、大蛇に一瞬で距離を詰めると飛燕に風魔法を乗せて二閃。
二匹は頭を落とされる。さらに二閃で、その頭も水平に断ち切られた。
「首だけになっても食らいついてくるからな……油断するなよ」
バタバタと、太い胴が地面を叩く。
湿った土と血の匂いが、森の霧に混じった。
振り返ると、梨々花が大きな口を開けていた。
「あんな……精密な風魔法展開なんて……」
俺は苦笑して梨々花に言葉をかける。
「やつの動き自体はそこまで早くないから、落ち着いてやるんだ。外しても俺が控えている。自信持っていけ」
その声に、梨々花の呼吸がいくぶんか整った。
だが、次の瞬間、由利衣の強い声が響く。
「きます! 右方向――さっきの大きな反応がひとつ!」
血の匂いに引き寄せられたか。
木々の間を割って現れたのは、体長三メートルの虎。
低く唸りながら、こちらの出方をうかがっている。
「あれは打撃が通るが、素早いからな……けど、入江なら対応できるさ。
牙と爪に注意。見ておけ」
俺は飛燕とは別に、麗良から譲り受けた短刀を抜いた。
二刀の構えで踊りかかる。。
虎が立ち上がるように前脚を振りかぶる。
その爪を一本の短刀で受け止め、もう一方の飛燕で喉元を一閃。
地響きを立てて巨体が沈んだ。
「入江の装着しているアイアングローブなら、きちんと魔力をとおしておけば爪も通さない。打撃なら顎か喉に入れるのが有効。
不安なら、桐生院の杖の力で眠らせてからだな。獣系は睡眠系がかかりやすい」
来奈を見ると、青ざめた顔でゆっくりとうなずいていた。
……無理もない。
第一層のジャイアントバットだって、中型犬くらいのサイズ。
ついこのあいだまで普通の女子高生だった子に、こんな巨大生物を討伐しろと言うのも酷な話だ。
たしかに、デーモンロード・改も大型モンスターではある。
だが――あれは“異形”だった。
こうして普通の動物の形をしたものが数メートルの巨体で牙を剥くと、人間の原初の恐怖心を刺激する。
それは、遺伝子に刻まれた“狩られる側”の記憶だ。
俺がやれやれ、と思っていると政臣のスマホが振動する。
「佐伯さん……ちょっとやりすぎです」
政臣が苦笑する。
スマホの画面を見ると、配信コメントの嵐。
『あのオッサン、マジで何者!? やばいって』
『Oh! Japanese NINJA!!!!』
『いやいやいやいや、SRだってあの虎一撃は無理じゃね?』
『サラっと女子高生に無茶振りしてんじゃねえよ』
『リリカ様ああああああああああああああああああああ』
……そう言われてもな。
俺は視聴者にも聞こえるように、三人に向かって声を張った。
「このエリアはいずれSSR単独で攻略しなくちゃならないんだ。
言っとくが、ここだってまだ低層。この程度でビビってたら話にならないぞ」
案の定、梨々花がすぐに強気を取り戻した。
「確かに、驚きましたけど。
でも、落ち着いて見ていれば一層ボスほどの強さじゃないのは確かです。
……来奈、しっかりしなさいよ」
すると、来奈も負けじと意気が上がる。
「はあ? 梨々花こそ怖がってたじゃん!!
あたし、教官の動きしっかり見てたから。やるときはやるよ!?」
いつの間にか、由利衣も笑顔を取り戻していた。
この調子なら大丈夫だな。
一通りの出現モンスターの対処法を教えて今日のところは撤収……。
と思っていたところ、今度は俺のスマホが鳴った。
山本先生。定期連絡だ。
「……はい、佐伯です。先生、そちらは大丈夫ですか?」
隣で、梨々花があからさまに不満顔を見せる。
「私に連絡するように言ったのに」
……なぜそんなに山本先生に厳しいんだ。
別に何かされたわけでもないだろうに。
「わかりました。では、また後ほど」
通話はあっさり終わった。
俺は皆に状況を伝える。
「魔戦部の方も戦闘はあったが、ケガ人なし。
ただ、高坂と獅子丸以外はまだレベルがそこまで高くない。
今日はレベルアップを中心に、入口付近で活動。一時間後に撤収するそうだ」
入口付近なら何かあっても安全地帯に逃げ込める。
こちらはこちらで、予定どおり進めるまでだ。
スマホを上着の内ポケットにしまい、俺は由利衣に索敵の再開を指示した。
***
その後。
俺は三人に、第二層の地形とモンスターの特性を実地で教えていった。
水辺の生息モンスター、毒持ちとそうでない蛇の魔力反応の違い、巨大ザリガニの釣り上げ方。
「……ザリガニ釣りに、何か意味があるんですか?」
梨々花が首をかしげる。
ロマンを解さない奴だ。
配信コメントを確認すると、思いのほか好意的だ。
特に新人冒険者からは、『参考になる』『マニュアル化して欲しい』といった意見が相次いでいる。
日本政府も、こういうコンテンツ作りに力を入れるべきだろうに。
タレントとの対談も悪いとは言わないが……。
つい、おじさんくさいボヤキが出てしまう。
だが、穏やかな空気は長く続かなかった。
梨々花のスマホが鳴った。
「……犬養さん? どうしたの?」
梨々花の表情がみるみる青ざめていく。
「わかった。落ち着いて。すぐに向かうわ」
通話を切ると、動揺した視線が俺に向けられた。
「犬養さんから。山本先生が――はぐれたって。
モンスターの襲撃で……!」
空気が一瞬で冷えた。
これが、ダンジョンの怖いところだ。
高レベル冒険者でも、足元をすくわれることがある。
「戻るぞ。黒澤、索敵は前方だけでいい。
何か来たら教えろ。……いくぞ!」
号令とともに駆け出す。全員、後に続いた。
***
途中で遭遇したモンスターは、障害になるものだけを排除。
それ以外は無視して突き進む。
地図のナビは梨々花。
その指示を聞きながら、俺たちは走り続けた。
二十分後。
魔戦部との合流地点に到着。
そこにいたのは、犬養・鷲尾・熊耳の三人。
犬養が涙目で駆け寄ってくる。
「突然オオカミみたいなのが襲ってきて! 山本先生、自分が引き付けている間に逃げろって別の方向に走って行って。
桐生院先輩に電話した後、高坂先輩と獅子丸先輩が探しに出て……」
下手すると二重遭難だ。
「わかった。俺が探しに行く。冒険部は魔戦部といっしょに転移陣でスタートポイントに戻ってゲンさんに知らせてくれ」
梨々花が一歩前に出るが、押しとどめた。
「時間との勝負だ。言いたくはないが――邪魔だ。わかるな?」
グッと何かを堪えるように、梨々花はこくりと頷いた。
由利衣が心配そうに声をかけてくる。
「あの……私の索敵があれば探せるんじゃないかって」
「必要ない」
俺は即答した。
そして、政臣へ向き直る。
「高柳。カメラの電源を切ってくれ。
それと――これから起きることは、絶対に口外しないと約束してくれないか」
魔戦部の三人にも視線を送る。
「君たちも。山本先生を助けるためだ。いいか?」
全員が、理解しないまでも頷いた。
俺は上着と短刀を梨々花に預ける。
「武器も? ……どうして」
彼女の視線がまっすぐ俺をとらえる。
深く息を吐く。――まさか、こんなに早く披露することになるとはな。
「★5・Lv99の精霊からの特典ってやつ。
言葉で言っても、冗談だろ? で済まされるのがオチだから黙っていたが……」
その言葉を終えると、俺の体に変化が訪れる。
感覚が研ぎ澄まされていく。
森の気配が沁み込み、一体化していくような感覚。
そして――霧を裂いて、俺は駆け出した。
風のように。




