第16話 新しい日常
梨々花がSSR宣言をしたその日から、俺は寮の一室をあてがわれた。
アパートにはもう帰らなくていい――荷物はすべて業者が運んでくれる、という学院長の“ありがたい”申し出を、丁重に断ろうとしたが。
……あの目の奥が笑っていない微笑みを前に、俺は黙るしかなかった。
早朝は寮夫。朝から昼すぎまでは学食勤務。
午後は部活コーチ。
夜はまた寮父。
そしてダンジョン攻略時は付き添い。
──もはや、逃げ場なし。
学院長は穏やかな眼差しのまま、にこりと告げた。
「いやあ、佐伯くんがいればSSRの子たちも安心。
まったく、勲章ものだねぇ。
……欲しいなら、口をきいてあげるよ?」
そんなものはいらない。
営業職時代は、夜に適当に飲んでテレビ観てゴロゴロしていた。
かわりばえも刺激もなかったが、少なくとも“自由”はあった。
失って初めてわかる――それがどれほど尊いものだったのか。
ちなみに、土日は三人娘の付き添いという形であれば外出許可も出るらしい。ありがたくて涙が出る。
麗良は、表面上だけ申し訳なさそうな顔を崩さずに言った。
「一年に一日くらいなら、休日の付き添いを代わってあげますよ」
……もう、好きにしてくれ。
俺はフラフラと学院長室を出ると、沈んだ気分のまま寮へ向かった。
そこにいたのは――学食の小林リーダー。
エプロン姿で、相変わらずのニコニコ顔だ。
「あらー。動画観たわよー。あの子たちと佐伯さんの部屋、もう用意できてるから。
私は通いだけど、手伝ってくれるなら助かるわー。人手、全然足りないの。
じゃあ、さっそく夕飯の準備やっちゃいましょうか」
……タスク積み上げの鬼。
にこやかに仕事を振ってくる姿は、ここでも健在だった。
***
この学院は、昔は全寮制だったが、いまは通学がほとんど。
地方から上京してきた生徒、五十名ほどが寮生活を送っている。
俺の時代の寮は――戦前に建てられた木造建築。
隙間風は容赦なく入り込み、土壁は崩れ、畳には謎のキノコが自生。
六畳一間に二段ベッドを三つ押し込み、六人で寝起きしていた。
それがどうだ。
いまや鉄筋コンクリート造のピカピカの新築。
ひとり一室あてがわれ、そこには最新式の家電設備。シャワールームとトイレも完備。
見た目はちょっとした高級ホテル。
……正直、俺のアパートよりグレードが上だ。
卒業して二十年。
この待遇の差はいったい何だ。
何がどうなれば、こうなるんだ。
そんなボヤキを胸に、食堂へ向かっていたそのとき――。
背後から元気な声が飛んできた。
「兄さーーーん!!」
魔戦部キャプテンの高坂。
キラッキラの瞳を輝かせながら、勢いよく駆け寄ってくる。
「聞きました!! 兄さんと一緒に寮生活できるなんて!!
夜は語り合いましょう! どうすればそんなに強くなれるのか、全部教えてください!!
あっ、自分、朝五時から自主練してるんですけど、兄さんもどうですか!? 一緒に汗をかきましょう!!」
……こいつ。
魔法使いランクRでも強くなれる――そう知った途端、憧れの感情が完全に暴走している。
俺は生返事で高坂を振り切ると、食堂に入る。
既に小林リーダーが待ち構えていた。
それと、学食の同僚も。
何しろ、寮生だけで五十人分の食事。
手がいくらあっても足りないらしく、みんな総出で立ち働いていた。
しかし……なぜか、落ち着く。
俺のホームは学食メンバーなのかもしれない。
デーモンロード・改とのバトルなんて最初からなかったかのような、穏やかな時間が流れていた。
***
食事の支度ができると、SSRの三人が食堂へ入ってきた。
ここは基本的にセルフサービス。
料理の準備まではこちらの仕事だが、配膳も片付けも洗い物も各自でやる。
何しろ人手が足りないし、寮生活なのだから上げ膳据え膳ではいけない。
生活力を鍛えるのも教育の一環――という建前だ。
すでに寮生活を送っている来奈は、すっかり慣れたものだった。
トレイを手に、ヒョイヒョイとご飯や味噌汁をよそい、手際よくテーブルにつく。
たちまち周囲の寮生たちが群がり、質問攻めと写真攻め。
来奈は得意満面の笑みでそれに応じていた。
一方で、新入りの由利衣は所在なげに立ち、小さく会釈を繰り返している。
しばらくは、この騒ぎが収まりそうにない。
そんな中、梨々花が俺のところへやってきた。
「まあまあの部屋ね……。ところで、ダージリンティーをいただけるかしら? もちろん、一番摘みで」
そんなものはないし、ここではSSRだろうが何だろうが、自分のことは自分でやる。
俺がそう伝えると、梨々花は信じられないといった様子で目を丸くした。
「そんな……。セバスチャンは私専属の家政夫じゃなかったの?」
誰がセバスチャンだ。
さっきの発言は本気だったのか。
梨々花は、仕方なさそうにご飯を茶碗によそう。
だが、ふと思いついたようにこちらを振り返った。
「そうだ。あとで部屋に行っていいですか?
今後のダンジョン攻略の打ち合わせしたいので」
冗談じゃない。
三十八歳が自室に女子高生を連れ込んだなんて話が広まったら、事案どころの騒ぎじゃない。
「あのなあ。この上、俺の社会的立場まで破滅させる気か。
そういう話は部活の時間でいいだろう?」
「先生、冷たいんですね……。やっぱり怒ってるんだ」
フッと目を伏せる梨々花。
その仕草に一瞬、胸がざわつく――が、二度は通じない。
「俺の時代は夜九時に消灯だったからな。さっさと寝て明日に備えるんだ」
そう言うと、梨々花は肩をすくめてテーブルへ歩いて行った。
やる気があるのはいいんだけどな……。
扱いづらい年頃だ。
***
寮生たちの食事が終わると、学食メンバーは後片付けを済ませ、それぞれ帰宅していった。
残された食堂で、俺はひとり遅い夕飯にありついていた。
……食費は全額学院持ち。おかわり自由。
それが学院長からの温情――いや、慰労金みたいなもの。
これくらいかと思うと泣けてくる。
湯気の立つ味噌汁をすすりながら、俺は思考を切り替えた。
――次は第二層。
第一層なんて、こう言っちゃなんだがレジャー施設みたいなものだ。
各国の冒険者の共用ゾーンにすぎない。
まだまだ、これから。
最初の壁は、モンスターの強化が一気に跳ね上がる第四層。
多くのRランク冒険者が、そこで足止めを食う。
さらに五層以降は、ダンジョン内での縄張り争いと資源奪取が激化する。
上位冒険者の主戦場に、不用意に踏み込めば命はない。
来奈と梨々花の“魔眼”の力も、まだ短時間しか維持できない。
ここ一番の切り札としては期待できるが、安定して使えなければ攻略はおぼつかない。
……それに、SSRを狙う勢力も確実に現れる。
Rの平凡な魔法使いのままでいてくれた方が、どれほど動きやすかったか。
まあ、仕方ないことだ。
俺は懐から冒険者カードを取り出す。
★5・Lv.99の記念――精霊からの特典。
これを使う事態だけは、できれば避けたい。
そんなことを考えていると、正面の椅子が静かに引かれた。
由利衣が腰を下ろしていた。
「コーチ、今日はありがとうございました」
ふわりと微笑むその顔に、思わずこちらも頬が緩む。
「今日は俺は何もしていないだろう。
全部、お前たちがやり遂げたことだ」
由利衣は、静かに首を横に振った。
「ううん。コーチが後ろにいてくれたから戦えたんです。
来奈も梨々花も……。
梨々花、あんな強気なこと言ってたけど、コーチが来るまでは自信持てなくて。
前だったら、きっと諦めてたよ。
わたしだって……」
SSRという規格外の力を授かった瞬間、きっと“バラ色の人生”を夢見たはずだ。
だが、現実は最弱スタート。
誰も、力の使い方なんて教えてくれない。
……そう考えれば、自信をなくすのも当然だ。
「梨々花、ボスを倒せたら、きっと変われるって……。そしたらSSRとして堂々と宣言してやるんだって。
来奈はあのノリなんだけど、私はちょっと怖くて。
SSRだってバレたら何されるか分からないから、許可が出るまでは絶対に話すなって言われてたから」
由利衣は小さく息を吐き、視線を落とす。
確かに――彼女の懸念のとおりだ。
だが、次の瞬間には顔を上げ、俺をまっすぐに見据えた。
その瞳には、もう迷いも曇りもなかった。
「そしたら、梨々花ってば。
“先生がいるのに、何が怖いの?”だって。
あんなにアッサリ言われちゃうと、わたしも力抜けちゃった」
くすくすと笑いながら、テーブルに頬杖をつく。
笑みの奥に、年相応の無邪気さがあった。
俺もつられて笑顔になる。
……ほんと、まいったな。
こうまで頼りにされたんじゃ、嫌とは言えないだろう。
静まり返った食堂に、二人分の笑い声が小さく響いた。
そこに、来奈の元気な声。
「おっ、何か楽しそうじゃん。あたしも入れてよ!
いやー、配信見返したら、パッと消えてボス倒しちゃってるじゃん! 超びっくりでさー!
あれが、あたしの魔眼? 最強じゃね!?
でー、それよりも!! 生リスティア!! 握手しちゃったなんて信じらんない!
部屋で五回石化してきたんだー! あれクセになるかも!」
ワーッとまくしたてる来奈に、俺と由利衣は顔を見合わせて苦笑した。
そこに、不満そうな声が重なる。
「ミーティングなら、私にも声かけて欲しいんだけど」
梨々花が俺の隣に腰を下ろす。
「配信視聴者だって、今日は物珍しさできてくれたけど、飽きさせないようにしなくちゃ……。
登録者一億超えの“プラチナダイヤモンド勲章”、狙っていくわよ」
スマホを操作しながら、政臣のカメラワークをチェックしている。
……ほんと、休む暇もない。
こうして、静かな夕食の時間すら許されずに、俺の“新しい日常”が動き出していくのだった。




