第12話 上位種
高坂がボスエリアに足を踏み入れた瞬間――警告音が鳴り響いた。
甲高く、鋭いブザー音。
このアラートは、挑戦パーティがボスエリアに入ってから一定時間が経過した後、他の冒険者が侵入した際に作動する。
その昔、挑戦者が苦労してボスを弱らせたところに、“横入り”してトドメだけ奪う輩が現れた。
その一件が国家間トラブルにまで発展した――という笑えない前例がある。
以来、バトル中の強制侵入を防ぐため、「封鎖結界を張るべき」という意見も精霊たちの間であったらしい。
だが、それでは撤退すらできなくなる。
妥協の結果、いまのような“侵入警告”方式に落ち着いたのだ。
本来なら、単なる警告。
だが今はそれ以上の意味を持っていた。
デーモンロードの足元――魔法陣がじわじわと輝きを増していく。
ボス起動のトリガーが走る合図。
だが、少し様子が異なる。
俺はふと、ゲンさんの言葉を思い出した。
――“精霊はイベント好き”。
見る間に、ボスの肌が赤銅色から深い青に変わっていく。
その全身に走る紋様が淡く発光し、禍々しいオーラが立ちのぼる。
あれは――“デーモンロード・改”。
第五層で出現する上位種。
名前とデザインこそ手抜きくさいが、ステータスは強化されている。
今の学生たちで挑むには、完全に無謀な相手。
それでも――もうボスの起動は止まらなかった。
獅子丸が焦ったように叫ぶ。
「おいっ、てめぇ何やってくれてんだ!!
責任取れんだろうな!?」
高坂も額に汗を浮かべていた。
「まさか……上位種が出るなんて……」
だが、すぐに覚悟を決めたように腰の日本刀を抜き放つ。
「ボスエリアに侵入しておきながら、ボスに挑まない腰抜けは――
さっさと逃げればいいだろう」
刀身が、魔力を帯びて唸りを上げる。
なかなかの胆力。
だが、今は蛮勇というやつだろう。
獅子丸は「ああっ!?」と声を荒げて高坂を睨みつけたが、すぐに舌打ちして取り巻きに怒鳴った。
「おい、てめぇらは撤退しろ! 俺は――Rなんぞに舐められたままで引き下がれるかよ!」
その言葉を待っていたかのように、取り巻きの男女がわらわらと逃げ出す。
犬養だけが逆に、高坂の背中を追って前へ出た。
その手には、小ぶりな杖。
……まいったな。
あれは、中途半端な学生が二、三人でどうにかできる相手じゃない。
しかも頭に血が上っている。止めても聞く耳は持たないだろう。
俺が片をつけようと、相棒の短刀・飛燕を鞘から抜き放ったそのとき――
背中に、来奈の声が飛んできた。
「教官、手を出さないんじゃなかったんですか?」
振り返ると、彼女は腕を頭の後ろに回し、肩甲骨をほぐしていた。
その瞳は、挑発的な光を宿している。
「あれは、あたしたちの獲物。
魔戦部、逃げちゃったんだし――代わりに入っていいでしょ?」
「逃げてねえよ!!」
獅子丸の怒声が響く。その両手には二本の細身の剣が魔力を帯びて淡く光を放っていた。
俺が口を開きかけたところで、梨々花の冷静な声が遮った。
「先生、あれの特徴は?」
本気か……?
俺は簡潔に答える。
「特殊能力に変更はない。ただしステータスは倍近くに強化されてる。
五層じゃ、それでも通常モンスター扱いだがな」
「なるほど。じゃあ、あれに楽勝できたら――五層でも通用するってことですね」
梨々花はさらりと黒髪を払うと、わずかに口角を上げた。
「……高柳くん、いいところ撮り逃さないでね」
もう時間がない。
デーモンロード・改の周囲に、黒い霧の渦が五つ――
眷属召喚。あれが完了したら、戦闘開始だ。
「黒澤……突入後、全員に防御結界を。
一人も死なせるな……頼む」
由利衣が、静かに頷いた。
それを合図に、三人は一斉に駆け出す。
ボスエリアに突入。
――戦いが、始まった。
***
来奈がズイッと獅子丸と高坂の間に割り込んだ。
「あのデカいのは、あたしの担当だから。
攻撃魔法はあんまり効かないって言うし。
自信ないなら――ワンちゃんと遊んでれば?」
視線の先では、黒い炎を纏ったフレイムドッグが唸り声を上げていた。
「はあ!? 誰に向かって言ってんだ」
獅子丸の手に握られた双剣が、挑発に呼応するように光を放つ。
高坂は、ふっと息を吐いて気持ちを整えた。
「すまない。こんな事態になってしまって……。
だが、君が一緒に戦ってくれるなら心強い。
――獅子丸、入江さんに合わせて動くぞ」
「俺に指示してんじゃねぇよ!」
獅子丸の怒声が響く。
一方、後衛陣。
梨々花と由利衣、その少し後ろに犬養。
「犬養さん。あなた、得意魔法は補助系……だったかしら?」
梨々花の言葉に、犬養は緊張した面持ちで頷く。
「は、はい……。攻撃魔法もあまり強くないし、SRのくせに地味だって……」
そう言って視線を落とす。
「そんなの、役割の違いよ」
梨々花はサラリと流し、ふっと笑みを浮かべた。
「前衛の金髪と来奈は、頭が良くないから。
犬養さん、きちんとフォローしてあげてね?」
その瞬間――
「コイツと一緒にするな!!」
来奈と獅子丸が、まったく同じタイミングで叫んだ。
梨々花はくすっと笑って肩をすくめる。
その横で、由利衣が静かに目を閉じた。
途端に全員の体を不可視の防御が包みこむ。
――由利衣が眠っている間は、結界は完璧。
ここは、私が守らないと。
梨々花は、杖を握る手に魔力を込めた。
***
俺は、陣形を整える六人を見守っていた。
バランスは悪くない。
前衛が来奈だけなら不安も残るが――
あの高坂という生徒、剣の構えからして相当な訓練を積んでいる。
そして獅子丸。口は悪いが、さすがSRランク。
剣に流し込む魔力の質は、今の来奈にはまだ真似できない域だ。
後衛の犬養茜。
補助魔法――いわゆるバフ・デバフ系を得意とするタイプ。
単体では戦力不足だが、パーティの戦術の幅を広げる貴重な存在。
そんなことを考えていると、政臣が嬉々とした声を上げた。
「さーて! いよいよ始まりました、第一層ボス戦!
解説はおなじみ、冒険部コーチ・佐伯さんです。本日もよろしくお願いします!」
……完全に配信モードだな。
政臣はスマホを手早く操作し、何やら読み上げる。
「出ました、デーモンロード・改! 推奨レベル★1のSRで――65!?
これは、さすがに不利なんじゃないですか?」
仕方なく、俺も解説役を買って出る。
「まあ、そうだな。うちの戦力はレベル25。
魔戦部の連中のレベルは知らないが、ボスから見れば誤差みたいなもんだ――このままだと、削り切るのは難しい」
そのとき、犬養の杖が淡く輝き、前衛三人の体を光が包んだ。
「あれは……攻撃力の底上げ。
もう第二階梯の強化魔法を使えるのか――たいしたもんだ。ざっと1.5倍アップだな」
「茜ちゃんサンキュー!」
来奈が叫び、地を蹴った。
デーモンロード・改の杖に魔力がこもる――その瞬間。
来奈の拳が閃き、杖を持つ手元を正確に打ち抜く。
杖の輝きがフッと消える。
そのまま腹部に蹴りを叩き込み、巨体が一瞬たわんだ。
「入江、どけっ!!」
獅子丸が吠える。
二本の剣に魔力が走り、刃が閃光を放つ。
交差する斬撃がデーモンロード・改の脚を裂き――
姿勢が崩れたところへ高坂の刀が続けざまに胴を狙った。
「やった!?」
政臣の興奮気味な声。
――が、その刃は止められた。
杖。
やすやすと防がれ、高坂の肩を弾き飛ばす。
そのまま来奈を薙ぎ払い、獅子丸の腹を打った。
衝撃が床を走る。
「やはり……ステータス差は歴然だな」
俺は呻くように呟く。
幸い、三人のダメージは浅い。
由利衣の防御結界が効いていた。
一方、後衛の梨々花は、五頭の眷属を相手に奮戦していた。
「水弾のコントロールはさすがだな。
眷属の強化は軽微――今の梨々花なら力負けはしない」
水の弾幕が、燃え上がるフレイムドッグを撃ち抜く。
蒸気が上がり、視界がゆらめいた。
梨々花は涼しい顔を崩さずに魔法を放ち続ける。
「……まだまだ。こっちは大丈夫だから、犬養さんはあっちをお願い。
あのデカブツに、来奈たちの攻撃通せる?」
犬養は即座に魔法を展開する。
「私が一瞬抑えます! お願いします!」
床から細い影が這い出し、デーモンロード・改の足元に絡みついた。
黒い蔦のような影は、すぐにブチブチと引き剥がされたが――
ボスの注意は一瞬、逸れた。
来奈が跳躍。
空中で身体をひねり、顔面へ渾身の肘を叩き込む。
「入江!」
獅子丸が吠える。
二本の剣が交差し、閃光のように左膝を裂いた。
高坂も駆け抜けざまに右の膝を斬る。
膝をつく巨体の前に、来奈が着地。
その拳に淡い光が弾けた。
犬養の土属性付与魔法――局所硬化。
「うらあ!!!」
腹を全力で殴りつける。
一撃、二撃、三撃――。
デーモンロード・改が腕を伸ばし、払い落とそうとする。
だが獅子丸の剣と高坂の刀が時間を稼いだ。
「チッ、入江のやつ……いい位置取ってやがる。
しっかりぶち込めよ!」
獅子丸の声が響く。
だが来奈の耳には、ジーンとした耳鳴りだけが残った。
次第に感覚が研ぎ澄まされ、音のない世界へと潜っていく。
――身体が軽い。
右拳を撃ち込み、次に左拳。
格闘技なんて習ったこともない。
滅茶苦茶な殴り。だけど、止まらない。
――何もなかったんだ。
梨々花みたいに頭が良いわけでもない。
由利衣みたいに気遣いができるわけでもない。
前の学校では陸上部。選手としては中の中。
勉強もダメ。何をやっても中途半端。
――でも、今は違う。
あたしはツイてる。ブッチギリに。
この力。もらいものだろうがなんだろうが――
戦う力を手に入れた。
拳が、唸りを上げる。
目の前の巨体に吸い込まれるように叩き込まれていく。
――絶対に駆け上がってやる。
梨々花と由利衣と、一緒に!
「うぁぁぁーーー!!!」
来奈は叫び、落ちてきた顎に最後の一撃を叩き込んだ。
巨体が崩れ落ちる。
感覚が戻ってきた耳に、自分の荒い息づかいとボスモンスターが倒れる音……
そして爆発するような心臓の鼓動が響く。
それを聞きながら、自分の拳を見下ろした。
「……けっこう、いけるかも。あたし。うん」
ポツリ呟く。
そして、ハッと気付いたように犬養へ振り返った。
「茜ちゃん、すごいじゃん! ナイスフォロー!
ねえ、冒険部こない? 大活躍できるって!」
獅子丸がすかさず主張する。
「おい、俺のフォローも忘れんなよ!」
ブツブツ言いながら、高坂の方を向く。
「おい、さっさと首でも落としといた方がいいんじゃねえの?
まだ生きてるじゃねえか」
高坂が「ああ……」と息を吐き、二人は巨体に歩み寄った。
そこに、由利衣の叫ぶような声が背中に突き刺さる。
「みんな、離れて!!」
だが、次の瞬間には前衛三人の動きがピタリと止まり――
起き上がったデーモンロード・改の杖の一撃が薙ぎ払った。
ボスエリアの端まで吹き飛ばされる来奈たち。
睡眠魔法からの攻撃。回避も許さない一撃だった。
俺は転がったままピクリとも動かない三人を見て、政臣に声をかける。
「あいつらの意思は尊重するがな。ここまでだ。配信もだ……」
攻略失敗。だが、よくやった。
誰にも文句は言わせない。
「ビキニでも裸エプロンでも、何でも着てやるよ……」
そう言って、ボスエリアに侵入しようとする。
だが、そのとき梨々花の視線と交差した。




