第127話 飢えたる亡者
五階のボス、餓鬼王がいると思われる玄室の前に、俺たちは立っていた。
行く手を阻むのは、大きな鋼鉄の扉。
押しても引いても、びくともしない。
四階のように転移して裏側から開けるのかとも思ったが、それらしき転移ポイントも見当たらなかった。
すると、梨々花が何かに気付く。
「この扉、丸い窪みがありますけど。
餓鬼魂と同じ大きさですね」
確かに。
ちょうど百個分の窪みが並んでいる。
リズが解放した餓鬼から抜けた死霊は、小さな透明の玉――餓鬼魂へと変わっていた。
それを、ひとつずつ鋼鉄の扉にはめ込んでいく。
すべてを埋め終えると、厳つい扉は音もなく消失した。
通常ならば、それで餓鬼魂の役目は終わり――だろう。
しかし。式神の依代を得た今は、その先があった。
ティナが、スマホの振動に気付く。
画面に表示されたのは、
『暁鶴』
震える指で、召喚ボタンをタップする。
空間が揺れ、やがて巫女装束の女性型式神が、実体化した。
額に二本の小さな角があり、伏し目がちの深い紫色の瞳。
白い肌に、唇は血のような鮮やかさ。
整った細面の美人が、静かに空中に浮遊していた。
アプリの説明によると、主な能力は回復と防御だという。
ティナは小さく息を吐き、暁鶴の手を取った。
「式神が、こんなところで手に入るなんて……信じられない」
そして、梨々花を見る。
「決めた。私はあなたたちとコラボする。
これからも何かあったら、一番に話を持ってきて……お願い」
梨々花は、静かに頷いた。
「ティナ。私はね、アイドルとして視聴者さんに愛と正義と笑顔を届けていきたいの。
冒険とビジネスを、力強く前に進めながらね」
冒険でコンテンツを作り、ビジネスで次の冒険を支える。
それが、日本SSRパーティだ。
「国籍も人種も関係ない。
いいものは、いい。面白いものは、面白い。
ワクワクで世界を湧かせたいの」
そこまで言って、小さなため息。
「SSRになったときは、簡単にできると思ったけど。全然だめだった。
私たちは弱いし、何も知らない」
そう言って、視線を落とす。
数秒の沈黙の後、ゆっくりと目線を上げた。
「でも、先生がきてくれた。
先生がいてくれれば、どんな無茶でもできる。
私たちはもっと先へ行ける。
こちらこそ、力を貸して欲しいわ、ティナ」
二人の間で、確かな何かが結ばれていく。
……言っていることは、何か良い感じだ。
だが。その無茶を被るのは、だいたい俺。
小さく心の中でツッコミを入れるが、口に出せる雰囲気ではなかった。
そして、ボスへの挑戦が始まるのだった。
***
広い玄室の真ん中に、そいつはいた。
奇妙な姿だった。
目と口が吊り上がった鬼の面を付けている――おそらく男。身長は二メートルほど。
黒衣を纏い、組まれた腕は胴体のバックルにベルトで固定されている。
両脚も同様だ。
まるで、拘束着だった。
その姿を見て、リズが緊張を帯びた声音で言う。
「あの人……好みは中華でしょうか。
私は、望むところですよ」
……いや。
さっきまでとは違う雰囲気。
だが、あんな状態で何ができるのだろうか。
そこに、ティナが暁鶴を従えて前に出た。
「私の式神を手に入れるためだから……。
汗かかないとね」
暁鶴が懐から静かに扇子を取り出す。
スウッと広げると、舞踊のように、ひらりと要返し。
手首を返しながら円を描くように扇子を回した。
俺たちを包み込むように、防御魔法が張られていく。
由利衣も、それに重ねていった。
来奈が、いつものように羨ましそうに声を上げる。
「いいなー、召喚」
そして、何かを思いついたように政臣へ振り向く。
「委員長!
あたしも召喚バトルやるからさー。あれ、お願い!!」
政臣は心得た様子で、マジックリュックから吸魂符を五枚取り出した。
事前にアンデッドを封じていたものだ。
政臣は興奮を隠しきれない。
「召喚なんて、大受け間違いなしだって。
正義のモンスターテイマー、バトルスタート!!」
中に封じているのはゾンビだけどな。
正義のヒロインに見えるかは、疑問だ。
来奈はカメラに向かってポーズを決め、吸魂符を次々と破った。
「出てこい!
あたしのモンスター!!」
五体の、銃で武装したゾンビ小隊が現れる。
緩慢な動きのまま銃を乱射し、餓鬼王へと進軍していく。
対する餓鬼王は、ぴくりとも動かない。
ティナがゾンビたちに続いて前に出ようとするのを、俺は制した。
「待て。まずは、あれで出方を見よう」
……嫌な予感しかしない。
俺たちと餓鬼王との間はおよそ二十五メートル。
その中間あたりまでゾンビがノロノロと進軍。
やたらめったら撃ちまくる銃弾の何発かは餓鬼王の身体に当たっているようだが、ダメージを受けている様子はない。
相手はまだ動かない。
だが。やがて、異変は訪れた。
餓鬼王の正面の空間が、突然“開いた”。
見えない扉が、そこにあったかのように。
現れたのは、形容しがたい肉の塊。
スライムのような不定形で、べしゃりと床に広がり、うごめいていた。
「うわ……」
来奈が、引いた声を漏らす。
だが、すぐにいつもの調子に戻る。
「よく分かんないけど!
撃っちゃえ、撃っちゃえ!!」
ゾンビの銃弾が降り注ぐ中、肉塊が勢いよくジャンプするように空中に跳んだ。
次に、餓鬼王の身体の上で風呂敷のように広がると――
一気に身体を包み込んだ。いや、飲み込んだようにも見えた。
人型へと形を変えていく、不定形の肉……。
ゾンビたちは止まらず、じりじりと近づいていく。
すると、肉の一部が触手のように盛り上がり、ゾンビたちへと伸びて行く。
先端が球形に膨れ上がっていた。
――何が起きるんだ?
俺は敵の一挙手一投足を見逃さないように、注視する。
「……ねえ、あれ。唇に見えるんだけど」
ティナがぽつりと呟いた。
確かに、球形の中央は肉が盛り上がり、上唇と下唇を形成している。
……ように、見えなくもない。
触手がゾンビの一体に近づくと……。
唇の口角がキュッと上がった。
そして、不意にガバっと口が開かれた。
内側に人間の歯がびっしり生えている。唾液がネトリと糸を引く。
そいつは、唸り声を上げてゾンビの頭に食らいついた。
首から上を易々と食いちぎる。
首を失ったゾンビは、それでも銃を乱射。
それを皮切りに、触手は二本、三本と増えていった。
一斉に開いた口から、ゲラゲラと不快な笑い声。
次々と襲いくる肉の触手に。
頭から、足の先まで。
ゾンビは、食い尽くされていった。
いつしか、来奈の軽口が消えていた。
これまでのボスモンスターとは、明らかに違う異常性。
目を背けるような光景だが、視線を離すことができない。
腐乱した肉も、骨も、衣服も、銃器も……すべて嚙み砕いていく。
そこに、由利衣の緊迫した声がかかる。
「コーチ、貫通攻撃です!!
あのゾンビにも結界を張っていましたから!!」
結界を易々と突き破る捕食者か。
ますます危険なやつだ。
俺は素早く指示を飛ばした。
「桐生院、黒澤の結界に貫通妨害の魔力を流せるか?」
すぐさま、梨々花は由利衣の肩に手を置いた。
結界に付与を施していく。
手ほどきは、少しだけ。ぶっつけ本番。
だが、梨々花の魔法のセンスに賭けるしかない。
その間にも、ゾンビを食らいつくした触手は俺たちへと伸びていた。
村正の残像の刃を繰り出し、先端を斬り落とす。
だが、床に落ちた肉片は不定形に広がり、すぐに本体へと合流していく。
触手の先端は瞬時に再生された。
斬撃は……決め手にならないか。
「教官! いくよ!」
来奈が俺の横に並ぶと、キュレネに魔力を込めた。
左拳から衝撃波を撃ち出す。
一呼吸も置かずに、ハンドガンを抜いて連射。
触手が先端から削れていく。だが、相手の再生速度が勝っている。
そこに、追い打ちで青白い雷光が被さった。
梨々花の火炎弾も飛び、触手を穿っていく。
だが、押し返すのが精いっぱい。
餓鬼王の本体までは遠い。
それに、気になる傾向として、触手の数が増えてきている。
まっすぐ直線距離で伸びてくるやつもあれば、大きく迂回してくるやつも。
このままでは、迎撃が間に合わない。
「ティナ! 光属性の付与を頼む!」
指示を飛ばすと、ティナは俺の村正へと属性付与。
あいつもアンデッドなら、光属性が有効だろう。
そのままティナは、他のパーティメンバーへも光属性付与を施していく。
山本先生の矢が触手を貫き、餓鬼王へと迫る。
だが、別の触手に弾かれて通らない。
村正の斬撃も、クラリスのエクスカリバーも、迫りくる触手に刃が触れればその部分は浄化されていく。
問題は、浄化していく端から新たな肉が供給されて再生していくこと。
村正を振るう俺の左腕に、大きく迂回してきた触手の一本が食らいついて来た。
貫通妨害の結界で魔力を乱された歯は、由利衣と暁鶴の張った防御結界を破れない。
村正で切り落とすが、すぐに再生。
狂犬のように食らいついてくる。
来奈は動体視力でかわし続け、クラリスも未来視で予測位置にエクスカリバーを叩き込むことで対処できている。
だが、さらに数が増えようとしていた。
貫通妨害付きの結界も、いつまで持つかわからない。
前衛で押し返すことができなくなれば、確実に被害が出てくる。
――躊躇している場合じゃない。
俺は来奈へと声を張った。
「入江! 衝撃波で少しでもいい、押し返してくれ!
俺は村正を伸ばす!」
あの本体へ届く一撃を繰り出すしかない。
来奈は勢いよく返事をすると、キュレネを撃った。
クラリスのエクスカリバーから放たれた魔力の斬撃波が竜巻のように触手を押し返す。
ティナの雷光が放たれ、後衛からも火炎と魔力弾と矢が援護。
ほんの数秒だが、余白が生まれた。
俺は腰を深く沈めて、村正に魔力を込める。
残像の刃が伸びていく。
横一線に斬り払うように、腕を振りかけた……そのとき。
俺の前に、暁鶴がいた。村正の軌道を塞ぐように。
式神の感情のない眼と、視線が交差する。
ティナが「暁鶴!?」と声を荒げて駆け寄ろうとした。
だが、俺は手でティナを制する。
これには、何か意味がある。
「……あいつを斬るな、って言いたいのか?」
暁鶴は何も言わない。
だが、ほんの僅かに頷いた――気がした。
思えば、いろいろとおかしい。
あの拘束着の男が、謎の肉塊を呼び出して、そいつを鎧のように纏わせている。
そういう解釈もできるが。
そうじゃないとしたら?
俺は由利衣に声をかけた。
「黒澤。あの拘束着の男と、後から出てきた肉の魔力は同質なのか?」
由利衣は「え?」と、一瞬戸惑うが。
簡潔に索敵結果を報告。
「……ええと、魔力反応は違います」
そして、ハッとしたような声。
「あの黒い服のモンスターですけど、少し暁鶴の魔力に似ているかも」
俺は暁鶴の目を見て、言葉をかけた。
「あの拘束着の男は餓鬼王じゃない……。
そういうことだな?」
暁鶴はくるりと振り返ると、触手へと向かってスーと滑るように移動していく。
たちまち集中攻撃に合い、体中が抉られていく。
「ちょっと! どうしたってのよ!!」
ティナの悲痛な叫び。
暁鶴は光の粒となり、ティナのスマホへと吸い込まれていった。
慌ててスマホアプリを確認するティナ。
「再召喚可能まで、十二時間……
よかった。消えたわけじゃない」
ホッと息を吐いた。
一方の俺は思考を回す。
今の行動にも、きっと意味はある。
あの自己犠牲にも似た行為は、なんだ。
そこに、魂を逆なでされるような声が響いた。
「……わせろ」
――なんだ?
触手に生えた口が一斉に叫ぶ。
「喰わせろ」
「喰わせろ」
「喰わせろ」
「喰わせろ」
「喰わせろ」
「喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ喰わせろ!!!!!!」
地獄から湧いて出てきたような、おぞましい旋律。
その場の全員が凍り付いた。
餓鬼王の本体。
それはこの肉塊なのだろうか。
「教官! とっとと斬っちゃってよ!
これ、ヤバいって!!」
来奈の、焦りを隠さない声。
だが、梨々花の声が飛んできた。
「先生。餓鬼の供養は、彼らの望みを叶えること。
それが攻略のポイントですよね」
梨々花は世界樹の杖に魔力を込める。
触手と俺たちの間の床を突きぶり、ぴょこんと芽が生えた。
「リズさん、一緒にお願いします」
リズはこくりと頷き、右手に魔力を込める。
芽はスルスルと成長し、瞬く間に大木へと成長。
その枝に熟した果実をつけた。
リズの瞳が黄金色に輝く。
「たくさん食べてくださいね。
お腹が空いているのは、つらいですから……」
餓鬼王は次々に果実を食らう。
そして、梨々花とリズは手を取り合って果実を生み出していった。
――やがて。
餓鬼王は光の粒へと変わっていく。
ティナが吸魂符をかざすと、吸い込まれていった。
リズは、優しい顔でその様子を見ていた。
「満足していただけたようで、本当に良かったです。
お腹いっぱい。これに勝る幸せなんてないですから」
そして、俺へ儚げな視線を投げかける。
……次の展開は分かりすぎるほど分かっていた。
「大将。私、もうお好み焼きの舌になっているんです。
豚玉に、餅チーズ明太、イカにタコにエビ。それにミックス……
事前リサーチは、ばっちりですから。
全部いただけますか?」
俺は、はあーと息をつく。
「まあ、おかげで助かったからな。
広島風もいっとくか?」
リズの瞳が輝きを増した。
「それは、リサーチできていませんでした。
私の研究も、まだまだ甘いですね」
……何の研究だか知らないが。
餓鬼王が消えた後に残された、拘束着の男を横目に見ながら。
俺の頭は、晩飯のメニュー構成を組み立てていた。




