第103話 二つの背中
第六層はイベント会場として使用されるが、常設の店舗もある。
ここは、そんな一軒のバー。
物静かなマスターがロックのウイスキーを注ぎ、カウンター席の俺の目の前に静かに置いた。
ちなみに、これ一杯で三十万G。
日本のスーパーで売っている、ひと瓶千五百円くらいのものだ。
決してボッタクリではない……とは思いたい。
イベント開催時以外は、借地料がべらぼうだと聞いている。
だからというわけでもないが、店は賑わっているというほどではない。
それでも、各国の魔法使いが情報交換をする場としては、重宝されていた。
そして――
俺の横の席に、欧州SSRのクラリスが腰掛けていた。
彼女の目の前には牛乳。
これは十八万G。
いろいろと、おかしい。
俺とクラリスは、メールのやり取りではなく、直接会って話そうと、ここに待ち合わせたのだった。
切り出したのは、クラリス。
「うちのが世話になった。
第四層攻略……あの短期間でできると思っていなかったが。さすがだな」
俺は、ウイスキーに少し口をつける。
別に不味くはないが、熟成が足りない。
「いや、うちの連中の刺激にもなったからな。
別にいいんだけど……。
何か礼が貰えるなら、アリサの件を頼む」
欧州パーティの配信チャンネル開設。
アリサのたっての希望だ。
クラリスは、眉間に皺を寄せると、ため息をひとつ。
「……反対……は、できん。
そちらの顔を潰すわけにはいかないからな。
――仕方ない」
これは、アリサとの約束だ。
クラリスが信義を重んじる相手だということは把握済み。
俺が安堵していると、さらに言葉が重なる。
「それと世界樹。
うちの国も共同管理に入っているとはな。
そちらもありがたい話だ」
それについては、俺がどうこうではなく、精霊の決定だ。
だが、それを伝えても彼女の気は済まなかったようだ。
「ただ乗り……というのは性にあわなくてな。
これに見合う礼は、別の形で必ず」
そう言って、牛乳を半分ほど飲んだ。
いらない、とも言えない。
彼女がしたいようにすれば良いのだ。
そして、本題。
本日の俺の目的は、三つあった。
「あの世界樹の麓の遺跡だけど、何か分かったか?」
謎のピラミッドに、大量のオリハルコン。
オリハルコンのことは、既に情報共有していたが、彼女の意見もやはり非公表一択だった。
そして、現地での調査を依頼していた。
クラリスは学者でも何でもない。
だが、その魔眼能力のひとつはサイコメトリー。
物質や空間の記憶を読み取ることができる。
あの遺跡は、誰が何の目的で建造したのか。
その手がかりが分かるのでは、と期待していた。
二口目を飲むあいだ、俺の横でクラリスは静かに首を横に振った。
「断片的には、いくつか。
人々の暮らしが見えたな。
世界樹も、今ほどの大きさではなく……」
少しだけ、間が空いた。
「だが、肝心なところはまだ何も。
一体何者で、どうして滅びたのか。彼らはどこに行ったのか……情報が膨大すぎてな」
またもや、数秒の間。
「ただ……」
グラスを見つめる俺の横顔に、視線を感じた。
「私にはたいした学がない。
それでも、あの景色は――
歴史上のどの国の、どの時代の風俗とも、少し違う。
そんな気がする」
俺は目だけ動かして、彼女と視線を合わせる。
「まあ、ダンジョンだからな。
何があったところで、不思議でもないか。
……分かった。また情報があれば頼む」
そして、カバンを漁る。
「ついでと言っちゃ悪いんだけどさ。
こいつ、ちょっと見てもらえると助かる」
そう言って、遺跡で来奈が見つけた水晶の像をカウンターに置く。
頭に捻じれたツノがついた、悪魔の形に見えなくもない。
サイズは、500mlペットボトルくらい。
「何だ、これは?」
「それが分からないから、お願いしたいんだけどな……」
苦笑して、あらましを簡単に伝える。
最初は、なんてことのない少し変な形の像だと思っていたこと。
そして、それを視聴者プレゼントに出した時に起きた出来事……。
クラリスは、一通り聞き終わると、「ふーむ」と像を手に取った。
「審判のSSRか……。
私も聞いたことはない。どこの国の所属かも分からないな」
普通は、国家機密だからな。
最近はポンポン登場して、感覚が麻痺しているけれど。
「部屋のアクセサリーとして集めてます、という線も無くはないだろうけど。
配信ハックまでやらかす相手だからな。
何かある、と思っても不思議じゃないだろ?」
クラリスは軽く頷くと、像をじっと見つめる。
彼女の瞳が、淡い黄金の輝きを帯びる……。
そして、ポツリと「悪魔の心臓」と呟いた。
なんだ、その物騒な名称は。
俺が黙っていると、クラリスは言葉を継いだ。
「魔神――それも、相当格の高いやつのドロップアイテムだな。
私もこんなものがあるとは、初めて知ったが」
そして、さらに目を凝らして像を見つめる。
「こいつは、魔神アスモデウスのドロップアイテム……らしい。
どんなやつか聞かれても、知らん」
クラリスにも情報がないとすれば、よほど深層のモンスターなのだろう。
「で、このアイテムの効果は?」
単なるコレクションとも思えない。
何か秘密があるに違いなかった。
クラリスは、像をカウンターへと置いた。
ゴトリ、と重い音が静かな店内に落ちる。
「それだが……全種類コンプリートすると、魔界への扉が開く、だとか」
また謎ワード。
ダンジョン内の、どこかのエリアのことなのだろうか。
だが、クラリスの表情を見るに、それ以上のことを聞いても知らなそうだ。
とにかく、これは――
ただ事では済まない類のアイテムだ。
審判のSSRの本気度も相当なものだろう。
それが分かっただけでも、今後の交渉は有利に運ぶ。
「……ありがとう。
審判のことについては、何か分かったら共有するから」
クラリスは無言で頷いた。
像をカバンにしまい、姿勢を戻す。
場の空気が整ったタイミングで、クラリスが口を開いた。
「それで、エステルだがな……」
今回のメイン。
第三層で会った不気味な女、エステル。
死神のSSRにして、数年前に失踪したリュシアンの姉。
年末年始の冒険で、俺はすっかりリュシアンの保護者気分。
今では、彼の力になりたいとも思っていた。
ウイスキーのグラスを手に取り、耳を澄ます。
氷が、カラリと音を立てた。
「結論から言えば、足取りは途中で見失った。
第三層に、非登録の転移陣の痕跡があってな……
私がそこに辿りついたときは、既に消失していた」
アメリカのベアトリス大統領も、独自の転移陣を持っていたが。
俺の知らない技術か、アイテムなのだろう。
ダンジョン失踪者は、ダンジョン内にずっといるというわけでもないのかもしれない。
ひそかに、どこかの外の世界と通じている。
その可能性も出てきた。
クラリスは、話を続けた。
「第三層以外にもないかと思って、探索に時間がかかってな……。
いくつか痕跡は見つけたが。徒労だな」
乾いた笑い。
「だが、エステルに協力者らしき男がいる映像は見えたな。
他にもいるのかも知れんが……アジア系だ」
それだけでは、なんとも。
表情を崩さない俺に、クラリスは小さく肩をすくめた。
「あいにく、私にはアジア系人種の区別はよく分からなくてな。
日本人っぽい……とは思うんだが。
おそらく三十代かな。優男だが、油断ならない感じだった」
日本人にも、ダンジョン失踪者がいないわけじゃない。
ただ、俺が一度引退してから十年。
あまりそのあたりの情報には明るくなかった。
しかし。
予想はしていたが、協力者の存在。
加えて、独自の転移陣……未知の技術まで。
やつらの目的は、やはりダンジョンハック……だろう。
理由までは分からない。
俺たちも似たようなことを考えている。
だが――
協調路線が取れるとは思えない。むしろ、警戒すべき存在だろう。
これは、単なる勘だ。
しかし、冒険者としての、言語化できない経験知。
俺は、そいつに従うことにしている。
そして、思う。
今回の調査が途中で途切れたのは、むしろ良かったのかもしれない。
不要意に踏み込めば、最強の戦闘魔法使いと呼び声の高い彼女でも、足元をすくわれかねない。
唇をアルコールで湿らせる。
片肘をつき、グラスを手でもて遊びながら、あえて何気ない調子で言葉をかけた。
「なあ……。
エステルが相当な実力者だってのは、一度目にしたから知ってる。
単独調査は、やっぱり危険だろうな」
アリサやリュシアンを巻き込みたくはない。
その気持は分かる。
俺がクラリスの立場なら――
やはり、うちの三人を危険にさらすのは躊躇する。
自分一人で片をつけられるなら……それも、判断だ。
――しかし。
リーダーが一人で背負い込もうとしている。
自分たちが未熟なせいで。
その現実に耐えられるだろうか。
俺はクラリスの方へと顔を向けた。
「日本には、同じ釜の飯を食った仲間……って言葉があるんだ。ええと……」
少しだけ、適当な表現を探した。
「短くても、一緒に過ごした時間……成し遂げたもの。
そういう縁を大切にするんだよ。
アリサもリュシアンも、マルグリットも……もう俺たちの仲間だな」
言い切って、グラスの氷を回す。
「で、あんたにもしものことがあったら。
俺の仲間が悲しむんだよな……そいつは、勘弁だ」
彼女の澄んだ碧眼が、少しだけ揺れた。
リーダーとしての葛藤。
それは、分かる。
だから、これは提案だった。
「……次からは、俺に声をかけてくれないか?
あいつらにまだ言いたくないなら、それでもいいからさ」
背負うなら、背中は一つよりも二つ。
「足手まといにはならないと思うけどな……
いいだろう?」
クラリスは、一瞬だけ俺の言葉を確かめるかのような表情を浮かべる。
そして、柔らかく目を細めた。
「リュシアンに料理を教えてくれたそうだな。
ダンジョンで暖かい食べ物が出てくるとは、思っていなかった。
同じ釜の飯……仲間か……いい言葉だな」
俺は、こくりと頷く。
「ああ。それでもって、あんたも俺の仲間だ。
俺と山本先生が作り方を教えた飯を食ったんだからな」
小さな笑いが漏れる。
俺たちは、グラス同士を小さく合わせた。
澄んだ音が、静かな店内に溶けていった。




