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第2節「最初の被害者」

 昼休み。

 特別クラスの三人は、いつものように中庭で昼食を取っていた。しかし、今日の雰囲気はどこか重苦しかった。


「マルク先輩の調子はどう?」エリンが心配そうに尋ねた。

「保健室にお見舞いに行ったんですが」ルカが答えた。「意識ははっきりしているものの、昨日の記憶が全くないそうです」


「記憶が?」


「禁書庫に入ったことも、本を読んだことも、全て覚えていないと」

 アリエスは黙って聞いていた。記憶の消失は、禁術書『闇夜の狂想曲』の典型的な副作用だった。この魔導書は、読者の理性を奪いながら、同時に記憶も曖昧にする。


「でも、それって変じゃない?」エリンが首をかしげた。「普通の魔力酔いで、記憶まで失うかしら?」

「確かに不自然ですね」ルカが同意した。


 その時、校舎の方から悲鳴が聞こえた。


「キャー!」


 三人は立ち上がり、声のする方向に駆け出した。校舎の一階、廊下の角で、数人の生徒が何かを囲んでいる。


「どうしたの?」エリンが息を切らして尋ねた。

「レイチェルが……レイチェルが変なの!」


 一年生の少女が震え声で答えた。人垣の中心に、レイチェル=ブルーム——二年生の優等生として知られる少女がいた。


 しかし、今の彼女は明らかに異常だった。

 虚ろな目で宙を見つめ、口からは意味不明な言葉が漏れている。そして、その全身からは昨日のマルクと同じような紫色の魔力が立ち上っていた。


「魔導書……魔導書が……呼んでいる……」

 レイチェルの呟きが聞こえる。


「誰か先生を!」

 生徒の一人が叫んだが、レイチェルが突然動き出した。

「魔導書……私を……選んだ……」


 彼女は廊下を歩き始めた。その歩き方は人形のようにぎこちなく、まるで何かに操られているかのようだった。


「レイチェル!」

 友人らしき生徒が声をかけたが、彼女は振り返らない。ただ、一直線に図書館の方向に向かっている。

「止めなきゃ」ルカが前に出ようとした。


 しかし、アリエスが彼の腕を掴んだ。

「危険よ」

「でも……」

「昨日のマルク先輩と同じ状態なら、下手に近づくと襲われるかもしれない」

 実際、レイチェルからは危険な魔力の波動が感じられた。彼女は『闇夜の狂想曲』の影響を受けている。そして、魔導書に呼ばれているのだ。


「先生方は?」エリンが周囲を見回した。

「授業中で、まだ気づいていないみたい」

 レイチェルは図書館に入っていった。そして、恐ろしいことに、他の生徒たちも彼女に続き始めた。

 まるで魔導書の魔力が、周囲の人々を引き寄せているかのように。


「これは……」ルカの顔が青ざめた。

「集団感染」アリエスが呟いた。


『闇夜の狂想曲』の力が強くなっている。一人だけでなく、複数の人間を同時に魅惑し始めたのだ。

「急いで先生を呼びに行きましょう」エリンが提案した。

「いえ」アリエスは図書館を見つめた。「それでは間に合わない」

 既に十人近くの生徒が、レイチェルに続いて図書館に入っていく。彼らの目は皆、同じように虚ろだった。


「私たちで何とかしましょう」

「でも、どうやって?」ルカが尋ねた。

 アリエスは考えた。ここで禁術を使うわけにはいかない。しかし、普通の魔法では『闇夜の狂想曲』の魔力には対抗できない。


「まず、魔導書を確保する必要があります」アリエスが決断した。「それができれば、魅了は解けるはず」


「魔導書って、あの危険な本のこと?」エリンが震えた。

「他に方法がありません」


 ルカは少し考えてから頷いた。「わかりました。僕も協力します」

「私も!」エリンも勇気を振り絞った。「みんなを見捨てるわけにはいかないわ」

 三人は図書館に向かった。


 しかし、彼らはまだ知らなかった。

『闇夜の狂想曲』が真の力を発揮し始めたとき、何が起こるのかを。


 そして、マリア先生が一体何者で、なぜこの魔導書を学院に持ち込んだのかを。

 図書館の扉の向こうで、紫色の光がますます強く脈動していた。


 まるで、獲物を待つ蜘蛛の巣のように。

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