第1節「魔力測定の屈辱」
朝の陽光が王立魔導学院の白い石造りの校舎を照らしている。
「はぁ……また今日も始まってしまった」
アリエス=グレイは、重いため息をついて校門をくぐった。昨夜の疲れが抜けきらない体に、制服のブレザーが重く感じられる。
「おはよう、アリエス!」
振り返ると、茶色の髪をポニーテールにまとめた少女が駆け寄ってきた。エリン=フォレスト。平民出身で、いつも元気いっぱいの彼女は、アリエスにとって数少ない友人の一人だった。
「おはよう、エリン。今日は年次魔力測定だったわね」
「そうそう!私、去年より少しは上がってるといいなぁ。アリエスはどう?」
アリエスは苦笑いを浮かべた。「私は……期待しない方がいいと思うわ」
年次魔力測定。それは王立魔導学院の一年生から三年生まで、全生徒が受ける最も重要な試験の一つだった。魔力の数値によってクラス分けが行われ、将来の進路も大きく左右される。
魔力測定は大講堂で行われた。壇上には巨大な水晶球が置かれ、その周りを複雑な魔法陣が囲んでいる。
「それでは、生徒番号順に測定を行います。まずは——」
教師のマクガバン先生が名簿を読み上げ始めた。
測定は生徒一人ずつ、壇上に上がって水晶球に手を触れるだけの簡単なもの。しかし、その数値によって生徒たちの人生は大きく変わる。
「ルカ=ヴァンデール!」
講堂がざわめいた。金髪碧眼の美しい少年が、優雅に壇上に上がる。彼は名門ヴァンデール公爵家の長男で、学院でも一、二を争う秀才として知られていた。
ルカが水晶球に手を触れた瞬間、眩いばかりの光が講堂全体を照らした。
「測定値……8247!」
講堂が歓声に包まれる。一般的に、魔導師として認められるのは1000以上。5000を超えれば一流、8000を超えれば天才の域と言われている。
「さすがヴァンデール家の御曹司ね」
「将来は宮廷魔導師確実よ」
生徒たちの憧れの視線を浴びながら、ルカは静かに席に戻った。その時、彼の視線がアリエスと一瞬だけ交差する。
なぜか、彼の瞳に複雑な感情が宿っているように見えた。
測定は続く。
「エリン=フォレスト!」
「はい!」
エリンが元気よく壇上に上がる。彼女が水晶球に触れると、穏やかな緑の光が広がった。
「測定値……1823」
「やったぁ!」エリンが小さくガッツポーズを作る。十分に立派な数値だった。
そして——
「アリエス=グレイ!」
講堂の空気が変わった。ざわめきが静寂に変わり、すべての視線がアリエスに注がれる。
彼女は立ち上がり、ゆっくりと壇上に向かった。心臓の鼓動が聞こえそうなほど静かな講堂。
(落ち着いて)アリエスは自分に言い聞かせた。(今年も適当に低い数値を出せばいい)
彼女が水晶球に手を触れた瞬間——
何も起こらなかった。
水晶球は完全に無反応。微かな光すら発しない。
「え……?」マクガバン先生が困惑の表情を浮かべる。「故障でしょうか?」
先生が水晶球を調べるが、異常は見つからない。
「もう一度、試してみてください」
アリエスは再び水晶球に手を触れた。今度は少しだけ、ほんの少しだけ魔力を込める。
かすかな光が水晶球に宿った。
「測定値……3」
講堂が静まり返った。その後、ざわめきが爆発した。
「3って……」
「測定器の故障じゃないの?」
「いや、去年も確か同じくらいだったような……」
アリエスは顔を伏せて席に戻った。しかし、その時——
「素晴らしい」
小さな声が聞こえた。振り返ると、ルカが静かに拍手をしていた。
「何が素晴らしいって?」近くの貴族の生徒が嘲笑を浮かべた。「あんな数値、魔導師失格でしょう」
「数値がすべてではない」ルカの声は静かだったが、どこか威厳があった。「魔法の真価は、数字では測れないものだ」
その言葉に、講堂の空気がまた変わった。
「ヴァンデール様がそうおっしゃるなら……」
貴族の生徒たちも、それ以上は何も言わなかった。
アリエスは驚いてルカを見つめた。なぜ彼が自分を庇ったのか、理由がわからなかった。
測定が終わり、結果発表の時間となった。
「それでは、来年度のクラス分けを発表します」
Sクラス(魔力5000以上):ルカ=ヴァンデールほか7名
Aクラス(魔力3000以上):35名
Bクラス(魔力1500以上):エリン=フォレストほか42名
Cクラス(魔力500以上):38名
特別クラス(魔力500未満):アリエス=グレイほか2名
特別クラス——それは事実上の落ちこぼれクラスだった。
「アリエス……」エリンが心配そうに声をかけた。
「大丈夫よ」アリエスは明るく笑って見せた。「私らしいじゃない」
しかし心の中では複雑な感情が渦巻いていた。
(このまま目立たずにいられるのはいいけれど……)
講堂を出ようとした時、再びルカが近づいてきた。
「アリエス=グレイ」
「は、はい?」
「君に興味がある」ルカの碧眼がアリエスを真っ直ぐ見つめた。「もしよろしければ、今度お話しする機会をいただけないだろうか」
周りの生徒たちが驚愕の表情を浮かべる。学院一の天才が、最弱の落ちこぼれに声をかけるなど、誰も想像していなかった。
「え、えーと……」
「無理にとは言わない。ただ、君には何か特別なものを感じるんだ」
アリエスの心臓が跳ね上がった。
(まさか、私の正体に気づいているの?)
「わ、私なんて特別なことは何も……」
「それを判断するのは僕だ」ルカは微笑んだ。「また明日、図書館でお待ちしている」
そう言い残して、ルカは去っていった。
「アリエス、すごいじゃない!」エリンが興奮している。「あのルカ様があなたに興味を示すなんて!」
しかしアリエスの頭の中は混乱していた。
ルカ=ヴァンデール。名門貴族の御曹司。学院一の天才。
そんな彼が、なぜ自分に興味を示すのか。
(もしかして……彼も「漆黒の盟約」と関係があるの?)
不安と期待が入り混じった複雑な感情を抱えたまま、アリエスの新学期が始まった。




