前編
動画の「おすすめ」が汚染され始めている。と言うと大袈裟な響きだけれど、実際問題としてわたしのアプリ上に表示される動画がキャンプの象徴でもあるテントのサムネイルばかりになっているという話はちょっと由々しき事態なのかも知れない。こうなった切っ掛けは好きなアーティストの『ソロキャン』動画だった。『趣味はキャンプ』と公言しているその男性アーティストは、楽曲のキリリとしたMVの様子とは打って変わり不定期でアップロードされるキャンプ動画ではどこまでもリラックスした姿を晒している。
初めはその弛緩した顔にほんわかしながらキャンプ場の開放感に癒されていただけなのに、気付いたら他の有名人のキャンプ動画を漁ってしまって、ほとんど『プロ』のキャンパーと化している某タレントのチャンネルに登録してしまった辺りから汚染は劇的に進んでしまった。対応策としてなるべくキャンプに関係の無い動画を選択して視聴する事で一覧を『中和』しようと目論んだものの、ふとした弾みでタップしてしまった大ヒットキャンプアニメの新編予告動画から再び汚染は進行。気付いた時には推しアーティストの動画が上位に来ることが滅多にないような状態になってしまった。
『今更抵抗しても無理』と事態を悟ったキャンプ未経験者のわたしは職場の「アウトドア派」を自称する男性の同僚に、
「キャンプってやっぱり大変なのかな?」
とか、
「テントって相場は幾らくらいなのかな?」
など興味のあるところをアピールしてあわよくば『誘われたい』という感情を匂わせることにし始めた。ところがどっこい、その人はしっかり彼女持ちの上に仕事とプライベートは完全に分けたいという心情のタイプの人である事が徐々に判明。どう転んでも年齢の近いわたしが、
『じゃあ今度キャンプ一緒に行ってみますか!!』
と誘われる展開にはならなそう。そして少し切ないのは律儀なその同僚がしっかりテントの最新の相場をリサーチしてくれたレポートを満面の笑みで手渡してくれたこと。
「今度『キャンプの心得』をまとめたものを作成しますので」
付け加えてくれた言葉は心強いのかどうなのか。自宅に帰ってから一人静かにレポートを読み耽り、
『オススメのショップ情報』
という項目を目で辿りながら、<キャンプへの道は険しい>と感じ取ったわたし。車は所有しているから近場のキャンプ場にドライブくらいなら行ってこれるかもなぁなどという妥協案が脳裏に浮かんだ時、不意にスマホの通知が入る。
『こちら『パビリオン』というアプリをご存知ですか?』
それはあの同僚からのメッセージだった。耳馴染みのない単語の詳細を伺うと、キャンパー同士の情報交換に役に立つ総合掲示板型のアプリとのこと。そのアプリの中にはユーザーが実際に設営したキャンプ地の情報だったり専用ブログの投稿機能も存在して、キャンパーの間では非常に重宝されているという。彼は何だかんだでわたしの希望を汲んでくれようとしていた知り、人知れず感動。それはさておき、同僚が続けて送ってくれたメッセージにはこのような内容が書かれてあった。
『あるブログの中で初心者向けの『キャンプ体験』の参加募集がありました。事前にトラブルを回避する為に『パビリオン』をインストールしてユーザー登録した人限定になってるんですが、その開催地が近場のキャンプ場だったので、もしかしたらそれに参加してみたらいいんじゃないかと思いまして』
紹介されたアプリを説明文さえ読まずにインストール。その瞬間のわたしはどこか殺気立ってさえいた。念願が叶いそうなのだと思うと諸々の困難を軽々と飛び越えて行った印象。俊足でアプリの会員登録を済ませ、血眼になってそのユーザーのブログを検索する。幸い、かなり有名なキャンパーだからなのか上位の方に登場してくれて速やかに概要を確認できた。
『ワンポールテントの下から』の作者、さなぎ先生とキャンプ!』
というタイトルの記事がどうやら該当するらしい。その時まで『さなぎ先生』という名前に聞き覚えはなかったけれど、ネットで検索してみると界隈ではかなり著名な方で『ワンポールテントの下から』がまさにパビリオンに投稿された作品から書籍化されたものらしい。要チェック。
『ありがとうね、まだ募集してたから参加してみます!』
同僚にお礼を述べて、わたしの脳内では早くも『当日』のシミュレーションが始まっていた。
☆☆☆☆☆☆
喩えて言うのなら、それは憧憬にも似た想いの辿り着いた場所。普段は走らせる事のない道を愛車に突き進んでもらい、少し険しい峠を越えたその向こうにイベントが行われるキャンプ場は存在した。事前にキャンプ場の画像を見ていて想像していたのとは違い、「森」というよりは開けた土地という感じで近くには川も流れているようだし、広々とした敷地でBBQなんかをやったら最高ではないかと思えるような場所だった。駐車場も整備が行き渡っていて好印象。
<これなら存分にキャンプを楽しめそうだぞ!>
意気込むわたしと裏腹に駐車場に人気は少ない。それもそのはず。居ても立っても居られなくなったわたしはイベント一週間前に個人的に『下見』に来たのである。それには同僚からのアドバイスが影響していた。
『結構当日になって必要だったと思うものを持って来てなくて後悔するパターンってあるんです』
その言葉を間に受けて、この下見で当日必要なものをメモっておこうという魂胆。最初に感じていたのは時期的に秋も近付いている頃なので、当日の天気によっては吹き抜けてゆく風もあり得そうで防寒対策も必要かも知れないなということ。情報ではお風呂も楽しめて、炊事場も完備されている初心者向けのキャンプ場との事だったけれど、施設の人に事前に「見学を希望していまして」と電話していたのでその辺りもじっくり確認できそうだった。
早速フロントに向かい、中央に待機していた職員と思われる人に声を掛ける。
「あの、見学を希望していた者なのですが」
するとここで思わぬ答えが返ってきた。
「え?わたし、ここの職員じゃないですよ?」
「え?」
明るめのカラーの髪をしたわたしより少し年上に思われるその女性は、カジュアルな出立ちの中にもキャンプ場にそぐわしい色合いとか全体的な動きやすさが感じられるコーディネイトで、明らかにキャンプ場という特殊な空間に馴染み切って「場慣れ」している様子。下見だからというので完全な普段着のわたしとは全然違う。
「あ、今呼んできますよ。待ってて下さい」
そう言って気を利かせてくれた女性は軽やかにフロントの奥へ消えてゆき、すぐさま職員と思われる人を伴って戻って来てくれた。少し怖気付くような気持ちもあったけれど職員の男性に事情を説明すると、
「電話でご予約頂いた方ですね。それじゃあ、もしよろしければこちらの「たてはさん」とご一緒に見学なされてはどうでしょうか?」
と急な提案をされる。こちらの親切な女性は「たてはさん」という名前なのだと分かり、彼女から話を伺うと「わたしも下見なんですよ」と笑顔で答えてくれた。親しみを感じていた為わたしは提案を受け入れてたてはさんに同行してもらうことにした。