第三話 地獄谷の住人
あの誘拐事件から半年程が経った。
「そろそろええやろう。あれを呼べ」
「あれと言いますと、まさかあの地獄谷の連中をですか」
「そうや、今度はあいつらにやらせる」
「しかしご隠居、あいつらはタガが外れると手が付けられなくなりますが」
「その時は始末したらええやろ」
「はい、わかりました。では早速手配いたします」
その地獄谷の連中とは一体何者なのか。あまり良い響きではなさそうだ。これでまた天堂達に災難が降りかかる事になるのだろうか。
京都の貴船山の更に奥に彼らが地獄谷と呼ぶ所がある。田所の腹心と言われる匠気橘内は二人の部下を従えてそこに向かっていた。
その二人は重装備をしていた。重火器の携帯に砲弾チョッキ、まるで市街戦に出かける様な装備だった。それだけこれから行く先が危険な所だと言う事だろうか。
とても人が住めるとは思えない山奥に小さな集落があった。そこに十数人が固まって住んでいた。人でありまた人でない者達が。
彼らは亜門衆と呼ばれていた。何処から来た名称なのかはわからないが昔からそう呼ばれていた。
そして彼らは人にない特殊な能力を有していた。しかしそれは社会に取って有益な能力ではなかった。ただただ人殺しの為の能力だった。
基本的に彼らは自給自足だが一時期気候変動で凶作になり食料が尽き死にかけた事があった。そこを助けたのが田所だった。それを恩に思い彼らは田所の裏の仕事を引き受けていた。
しかし彼らには一つの欠陥があった。それは殺人狂の血だ。大量の血を見ると興奮して殺戮行為が止められなくなる。周囲にその対象がいなくなるまで。
だから余程の事が無い限り彼らを使う事はしなかったが、過去全く使わなかったかと言うとそうではない。
田所に取って邪魔な政敵などは彼らを使って葬って来た経緯がある。そして今回は彼らを天堂に向けようと言うのだ。
今回は彼らの中から4人が選ばれ大阪に向かった。ザンバ、ゲンガ、サイキ、ドンヨだった。それぞれに特殊な能力を持っている。
田所に指示された狙う相手は二人だった。天堂商会の社長の天堂と統括部長の先崎だ。彼らにはこの半年間かけて調べあげた天堂らの行動パターンが渡されていた。
ザンバとゲンガが天堂を、そしてサイキとドンヨが先崎を狙う事になった。
天堂は月に一度、奈良で行われる骨董品のフリーマーケットで鑑定の仕事をしていた。
鑑定そのものはただだ。一種の客寄せだがそれが意外な評判となって人が多く集まって来る。
費用は一応主催者から出るが、それほど出る訳ではなく、殆どボランティア近い仕事だが天堂は気持ちよくやっていた。
だから狙うチャンスとしては、その行き帰りと言う事になるが、天堂は車で移動するのでやはり奈良にいる間がいいだろうと言う事になった。
一方先崎の方はこれもまた月に一度四国に行く。それは園枝京造の月命日の為だ。
先崎にはもう誰も見内はいない。だからほんの少しの間だったがお世話になった園枝京造や恵子の事をまるで身内の様に思っていた。
だから月に一度、園枝京造の命日には四国を訪れ京造の墓にお参りしていた。勿論恵子もその日を楽しみにしていた。
しかし恵子はこの家業を継いだ時からもう堅気の人とは結婚出来ないと思っていた。
心の中では先崎の事が好きだったが半分は諦めていた。そこまで頑なにならなくてもいいと思うのだが、恵子とはそう言う性格の娘だった。
ともかく先崎もまた車で移動していたので、これもまた狙うとしたら四国にいる間が良いだろうと言う事になった。
それぞれの思惑を持って、それぞれがそれぞれの地に散らばって行った。
天堂は奈良で今日1日鑑定の仕事をしていた。ここでは骨董品の展示即売会もやっていたが天堂商会からの出品はなかった。
それは天堂商会の品物は全て値の張る物ばかりだったからだ。だから一般の人ではとても手が出ない。
そんな高い物が売れるのかと言う話だが、世の中にはそう言う物に目がなく、金は幾らかかってもいいと言う人種も多い。だから商売になる。
それなら高い物を売った方がいいだろうと言う事になるのだが、それにはまたそれで資金がいる。その点天堂商会には十分な資金があった。
通常このような所に持ち込まれる物はガラクタが多いのだが、たまに、それこそ本当にたまにだが掘り出し物が出る事がある。
今回も死んだ爺さんが持っていた物が物置から出て来たのでと言う事で持ち込んだ茶器が江戸時代初期の有名な品物だった為に500万円と言う値が付いた。
それここその夫婦は飛び上がらんばかりに喜んでいたん。たまにはこう言う事もある。だからこそ人が絶えない。
あーあー今日も良く働いたと天堂は催し会場を去ったが、普段天堂が働く姿を見た者はいない。
今日は何を食べるかなと考えながら歩いていた時に一陣の風が吹いた。苦みのあるまるで血の味がする様な風だった。
『ほーまだこんな感じを持った者がいたのか』
また風が後ろから吹き抜けようとしていた。その手に狂気を持って。もう3センチ深ければ天堂の頸動脈は千切り取られていたかも知れない。
その風をまとった男の指先はまるで獣の爪の様に尖っていた。その爪はコンクリートでも引き裂けただろう。
そしてその男の口には牙があった。獣の牙が。これもまた容易に人間を嚙み殺すだろう。この男は部分的に獣化する能力を持つ男だった。
『ほう獣化能力とはまた珍しい。まだ残っていたのかそんな者が』
天堂にはわかっていたのだろうか、これがどんなものなのか。
獣の敏捷さで襲い掛かる男、並みの人間なら避ける事など出来なかっただろう。しかし天堂にはその動きですらスローに見えた。
再び天堂の首筋を狙って伸びて来た爪の生えた手首を捉え天堂は投げた。しかもその動きの流れを加速させて。
並みの柔道家の投げならこの頑丈な体を持つ男には何の痛みも感じなかっただろう。
しかし天堂の投げは違った。体の中の気の流れを加速させて地面に打ち付けたのだ。この男は生まれて初めて痛みを感じた。それも頭に抜ける様な痛みを。
男はこれまた滅多にしない唸り声をあげた。それは闘争心のなせる狂喜と共に恐怖でもあった。
男は初めて慎重になった。今までこんな相手には出会った事がなかったからだ。
「お前は人語が解せるのか」
「俺は人だ」
「そうか人か。なら亜門衆か」
「何故それを知っている。そんな人間はもういないはずだ」
「残念だな。そんな姿でまだ生きていたとは」
「お前は何者だ」
「いいだろう。せめて安らかに休ませてやろう」
その瞬間天堂の姿がブレて消えた。そしてその男の頭もまた消えていた。天堂の手にはその男の頭が握られていた。
「これはお前に返しておく」
そう言って天堂はその頭を一つの木の陰に投げ返した。影だと思われた所から黒ずくめの男が現れた。
「お前は誰だ」
「なーこいつの名前は何と言ったんだ」
「ザンバだ」
「ザンバか。ならこれを持って帰って弔ってやれ。そしてもう人間社会には現れるな」
「何故だ、何故お前は俺達の事を知っている」
「古の禁忌の術を使った報いだ」
「何だそれは。お前は何を言っている」
「お前も早く帰れ」
「そうは行かん。恩には報わねばならん」
「お前の雇い主はそんなものではないぞ。所詮は使い捨てにしか思ってないだろう」
「かも知れん。しかし呪われた血を持つ俺達にはこんな生き方しか出来ん」
「空しい生き方だな。お前の名は何と言う」
「ゲンガだ」
「そうかゲンガか。ならお前もここで消えるか」
「出来るのかお前に。いや普通の人間に。もしかするとお前になら出来るのかも知れんな。不思議な気分だ。こんな気分のなったのは初めてだ」
そしてその男、ゲンガは影に消えた。そして次に現れたのは天堂の影からだった。
影から立ち上がったゲンガの指先が凶器となって天堂を貫こうとした時、天堂の『勁』が男の体を貫いていた。
男は影に消えた訳ではなかった。あれは一種の隠形の術だった。そして自分の体を周囲に色に合わせる一種のカメレオンの様なものだ。
しかし天堂には男の波動が読めていた。
「この様な『勁』の使える人間がいたとは。・・・まさかお前はあの古の『闇』」
そう言ってこの男もまたこの世を去った。
『俺の行動が知られてると言う事は、先崎も行動もまた知られてると言う事か。なら狙われるのは恐らくは四国でだろうな。良いだろう』
そう思って天堂は手を打っておいた。
先崎はいつもの様に休みを取って四国に出かけた。今回は車での移動だったので、大阪から神戸淡路鳴門道を通って高松自動車道を使う約3時間半ほどのルートを使った。
この日は快晴だった。久し振りに先崎もドライブを楽しんでいた。一人でのドライブも良いが二人でするドライブもまた良いものだなと、恵子と二人でドライブした時の事を思い出していた。
もしかすると先崎の中に恵子に対する淡い恋心があったのかも知れない。
それがこの月命日の旅行に突き動かしているのかも知れないと言う事は先崎自身知る由もなかった。
しかしこの楽しい筈の旅行が危険な旅行になるとは先崎も思わなかっただろう。天堂は敢えてこの事は言わなかった。
せめて行く時の楽しい気分位は味合わせてやりたいと思っていた。それに先崎位になればあの程度の相手、何とでも出来るだろうと天堂は思っていた。そうでなければ天堂商会のNO2の地位ではいられない。
『頼むぞ、先崎』
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