第二話 社員誘拐される
右翼の大物、田所総一郎は今度は天堂の所の誰かを攫って
脅迫しようと言う手を売って来た。
さて天堂はどうするのか。
その日の午後、皆昼食の時間が終わって各部署に戻って来たが、経理部の社員一人だけが時間になっても戻ってこなかった。
「与謝野君、笹沢君はどうしたのかね。まだ帰ってない様だが」
「そうですね課長。もう帰って来ても良いのですが」
「何処かに寄るとか言ってたかね」
「いえ、何も聞いてません」
「そうか、ではもう少し待ってみるか」
その時、受付の電話がなった。会社の代表者に繋げと言って来た。
「どちら様でしょうか」と受付が聞くと「お前の所の社員を誘拐したから代表者を出せ」そう言う内容だった。
その電話は直ぐに統括部長の先崎に繋がれた。
「私は統括部長の先崎と言いますがどなたでしょうか」
「社長はどうした」
「社長は今外出中ですので私がお話を伺わせていただきます」
「いいだろう。なら良く聞け。お前の所の社員を預かった。返して欲しければ1億円を用意しろ。そして警察には知らせるな。知れせるとこの女の命はないものと思え」
全くなテンプレの脅し文句だった。
「わかりました。ではまず確認させてください。何処の誰を誘拐したのですか」
「ちょっと待て。経理部の笹沢正美と言う女だ」
「では無事かどうか、声を聞かせてください」
その時電話口の向こうで助けて下さいと言う声が聞こえた。それを一緒に聞いていた課長の沢秋が間違いないとうなずいていた。
「わかりました。それでどうしろと」
「まず現金で1億円用意しろ。用意出来たらまた連絡する」
「1億円なら今ここにあります。何処に持って行けばいいのですか」
電話した誘拐犯の方が驚いていた。1億もの現金が会社にあるのかと。
「そうか、それならそれをカバンに詰めて、お前一人で持って来い。いいな一人でだぞ」
「わかりました。では今から出かけますので何処に行けばいいので教えてください」
あまりのスムーズさにこれまた誘拐犯が驚いていた。これでは当然警察に連絡する暇などない。本当に自分だけで取引するつもりなんだと。
「わ、わかった。それでは大阪埠頭の第○○桟橋よこの××倉庫の前まで来い。間違っても警察には知らせるなよ。この女の命がなくなるからな」
「わかりました。では今から向かいます」
そう言って先崎の方から電話を切った。普通こう言う場合は犯人が先に電話を切るものだ。逆探知を恐れて。
つまり逆探知も何も仕掛けられてないと言う事になる。この事に犯人はまた驚いていた。
まぁ時間的に無理と言えば無理なんだが、余りにも事が上手く運び過ぎてないかと言う一抹の不安さえあった。
当然犯人側は会社の地下駐車場に見張りを置いていた。何か小細工したらわかる様に。
先崎が1億円を入れたカバンを下げて駐車場に降りて来た。そして周りを見渡して、犯人から死角になる方の後ろの座席のドアを開けてそのカバンを置いた。
その隙にもう一人、経理課長の沢秋が後ろの座席に忍び込んでいた事は誰も気づかなかった。
そして車は走り出し大阪埠頭に向かった。当然駐車場に潜んでいた誘拐犯の一味も先崎の後をつけていた。
何もかもが余りにもスムーズに進み、返って疑問が湧くほどだった。
大阪埠頭の指定された倉庫の前に着いた時、前から黒服を着た二人の男達が歩いて来た。これはもう完全の普通の誘拐犯ではないと直ぐに分かった。
先崎はまた後ろの座席から現金の入ったカバンを取り出した。その時開いたドアに隠れて沢秋は姿を消していたが、この時沢秋は隠形の術を使っていたので周りの者達には沢秋の存在は認識出来なかった。
そして先崎は二人に導かれて倉庫に入り、そこで椅子に縛られている笹沢正美を確認した。
先崎はその場に1億円の入ったカバンを置いて笹沢の元に近づいた。普通はそんな事しないだろう。人質が解放されるまで金は手放さないものだ。それを先崎はあっさりと放棄した。
先崎の後ろにポツリと置かれた1億円のカバン。さー持って行ってくださいと言わんばかりだった。むしろそれを見た犯人達の方が唖然としていた。
「中身を確認しないのですか。1億円入ってるかどうか」
その言葉に犯人達の方が慌てて確認していた。確かに1億円は入っていた。
「ではこれで取引は終了ですね。そのお金を持って何処にでも消えてください」
この展開は犯人達も想像していなかった。
「ちょっと待て、お前おかしいだろう」
「何がです。あなた達は私の所の社員を誘拐し身代金を要求した。だから私はその金を持って人質と交換に来た。それで全て辻褄が合うじゃないですか」
「確かにその通りだ。しかし」
「身代金が手に入ったのに何か問題でもあるんですか」
これには流石の犯人達も答えようがなかった。
「では私が彼女を連れて帰る前に消えて下さい」
そう言って先崎は縛られていた縄を解き、その時にすっと彼女の首筋に指を触れて眠らせておいた。そして女性を両手で抱きかかえて車に連れて行こうとした。
これではどっちが犯人だかわからない。
「ま、待て」
「まだ何か」
「ああ、そうだ。この女で1億なら、お前が人質になれば5億は出るんじゃないのか」
「ご冗談を。私はそれほど安くはありませんよ。せめて100億と言ってください」
「な、なんだと」
犯人達は無言になってしまった。
こんな連中には関わっていられないと先崎はその女性を抱えたまた出口の方に向かった。その時二人の男が先崎の行く手を遮った。
「もう取引は終わったはずですが。まだ何か」
「このままお前を帰す訳には行かないんだよ」
「それこそ約束違反ですね。こちらは穏便に収まるように配慮したつもりです。これ以上の欲をかくと碌な事にはなりませんよ」
そう言った瞬間、先崎の足が霞のように一瞬消えた様に見え、また元に戻っていた。そしてそのまま先崎は歩いて表に向かった。そして一言。
「あとは任せます」と。
先崎の去った後には二人の男達が倒れていた。そして息をしていなかった。
その男達の死を確認した4人が、先崎を追おうとしたその前に仮面を付けた男が出現した。
「誰だお前は」
その男は何も言わなかった。そしてその4人もまた何も言えなくなってしまった。
その仮面の男は1億円入ったカバンを持って先崎の運転する車に乗り込んだ。その時にはもう仮面はつけてなく経理課長の顔があった。
それからしばらくしてあまりに連絡が遅いので、様子を見に来た田所の手の者が見たのは6人の死体だけだった。
だからと言って彼らは何もしなかったし、また何も出来なかった。ただ死体の始末をしただけだった。
この報告は田所にももたらされたが詳しい事は何一つわからなかった。これをやったのが先崎なのかそれとも彼の手の者なのか。
ただわかった事は向こうにも牙があったと言う事だ。そしてみな一撃で倒されている所から見て、天堂の所には相当な手練れがいると言う事がわかった。
一方天堂の方では何事もなかったと言う事で処理された。経理課員の笹沢正美は途中で気分が悪くなったので休んでいたと言う事になった。
またこの件を知っているのは天堂と先崎、それと経理課長、後は電話の交換手と言う事になるが、あれはいたずら電話だったと言う事で処理された。
実際に笹沢正美は無事に帰って来たし、会社に実質的な損害は何一つ出ていない。
後は誘拐された本人だけだが、本人も先崎が助けに駆けつけて来た以降の事は何一つ知らない。
だから誘拐犯達も悪い遊戯が過ぎたと反省して撤退したので全ては終わったと説明し、面倒だから気分が悪くなって休んでいた事にしてもらった。これで一件落着となった。
田所の所でも何がどうなったのか検証していたが、誘拐し身代金要求の電話を掛け、先崎が身代金1億円を持って車に乗り込み、埠頭に向かって出かけた所までは確認が取れていた。
しかも警察は一切関与していなかった。しかしそれ以降倉庫の中で何が起こったのかと言う事が一切わからなかった。
「どうやらわしはまだ過小評価しとったようやの」
「ご隠居、どういたします」
「まずは徹底的に天堂と先崎を調べるんや。計画はその後や」
「わかりました」
どうやら田所の心情は「急いては事を仕損じる」と言う事らしい。
そして徳川家康に習って、「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」と言う言葉が好きだと言っているが、同じ大阪なのに「鳴かぬなら鳴かせてみしょう時鳥」と歌った豊臣秀吉とは少し違う様だ。
しかし本心は「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」だろうと周囲の者達は言っている。
その後変わった事は何もなく至ってのんびりした日々が続いていた。そしてここに来てようやく先崎は、天堂にバー「Time Out」に誘われた。
先崎に取ってここに来れる事は至極の喜びだった。天堂社長と鳴海部長がよくここに来てる事は知っていたが、自分はとてもそんなレベルで付き合える人間ではないと思っていた。
それなのに天堂社長から声が掛ったのだ。
「先崎君、今晩空いてるかい」
「はい、予定は入っておりませんが」
「なら付き合わないか。今晩8時に『Time Out』で待ってるから」
先崎に取ってこの誘いは最高の褒美であった。先崎は余りに早過ぎてもいけないと思い、きっちり5分前に入り何も飲まずに待っていた。
8時に天堂が入って来て、
「何だ先崎君、何か飲んで待っていてくれたらよかったのに」と言った。
「社長より先に飲むなんてそんな事出来ません」
「あのさー、君ちょっと固過ぎないか。今では君はもう私の片腕なんだからさ。私も頼りにしてるんだよ。もっと自信を持ちなよ」と天堂も砕けて話しかけていた。
事実先崎は本当に良くやっている。かっての8人衆に勝るとも劣らない位だ。今の実質NO2は伊達ではないと天堂は思っていた。
そこにまた例の如く例の人物が現れた。
「なんや、なんや。新凸凹コンビの誕生かいな」
「違いますって。ああ、紹介しておきます。うちの統括部長をやってる先崎です。先崎君こちらは新地南署の吉田刑事さんだ」
「あんたかいな、新しい頭ちゅうんは。聞いとるで」
「あのー私は頭ではありませんが」
「まぁええがな。ほな乾杯しょうか」
こうしていつもの吉田ペースで飲み会が始まった。
「ところで聞いとるか、豊中が騒がしいそうやで」
「豊中と言いますと田所総一郎ですか」
「よう知っとるな。そうや、東京が落ちたさかいな」
「そうなると右翼の勢力図が変わりますかね」
「難しいな。田所の泣き所は東京みたいに裏社会をまだ掌握仕切れてないとこやろう。そう言う意味では次に狙われるのは相談役のお前ちゃうか、先崎よ」
「私ですか。私は何の力もない飾り職についてるだけですが」
「アホいいな、お前は実質的な大阪のドンやないか。昔は天堂やったけどな」
「裏社会の掌握ですか」
「そうや、それにあいつは目的の為には手段を択ばん奴やからな、気つけや」
「はい、ありがとうございます」
『そろそろこっちも準備しておくか』
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