第三話 ヒットマンの依頼主
綾香を狙ったヒットマンは間違って綾香を狙ったらしい。
本当の目標は誰だったのか。
ヒットマンは意外とライフルでは反撃して来なかった。やはり銃声を気にしたのだろう。
ここで大きな音を立てて周りに騒がれてはまずいと。やはりそこはプロのスナイパーだった。
その代わりこの男、用意周到と言うかサイレンサー付きの拳銃を持っていた。その銃で工藤に応戦して来た。
しかし工藤もまたプロだ。状況を考えて工藤も消音銃を用意していた。これがもし人里離れた場所なら気兼ねなく普通の銃で撃っていただろう。
そう言う意味でもこのヒットマンもまた一流の部類に入るのかも知れない。
しかし工藤もまたこういう銃撃戦に関してはプロだ。むしろプロ中のプロと言っても過言ではないだろう。
対面銃撃に関しては工藤の方が腕は上だった。伊達に「ブラック・タイガー」のコード名は持っていない。スナイパーと傭兵の差がここで出た。
逃走劇の揚げ句にヒットマンは足を撃ち抜かれ動けなくなってしまった。
まさかこのヒットマンもこの日本に銃撃戦のプロがいるとは思ってもいなかっただろう。今回は相手が悪かったと言う事だ。
動けなくなった所を意識を刈られ鳴海の所に連れていたかれた。
「で、どうするんだ。この男」
「そうですね。それは私の方で預からせていただきます。聞きたい事も色々ありますから」
「なぁ、あんた。俺が今何を考えてるかわかるか」
「さぁ」
「あんたの敵にならなくて良かったと思ってるのさ」
「私もです」
「よく言うぜ。ところで俺の仕事は?」
「そうですね。一応危機は去りましたし、どうやら誤認狙撃だったようです」
「何だそれは。人違いで狙撃されたって事か」
「はい、どうやそのようです」
「なら契約はこれで終了って事でいいんだな」
「はい、今日までの分はちゃんと入金させていただきます。また何かありましたらお願いするかも知れませんが、その時はまた宜しくお願いします」
「出来れば次回はない方がいいんだがな」
「そう仰らずに。ではまた」
この後このヒットマンがどうなったか工藤は知らないし知りたくもなかった。出来ればこの男とはもう関わりたくないとさえ思っていた。
この後このヒットマンは死体として発見された。そして押収されたライフルは狙撃された銃弾と弾痕が一致。銃についた指紋や素性からこの男が銃撃の犯人と断定された。
しかしこの男が何故殺されたのか。また誰に殺されたのか。その辺りの真相ははっきりしなかったが仲間割れの線で捜査が進められた。
そしてその時に同時に発見されたノートパソコンに入っていたメールからその発信元が突き止められ、東京の北区に縄張りを持つ猪本組と言うのが浮上し、どうやら麻薬絡みの事件と言う事になった。
その線上で浮かび上がって来たのが顧客でもあった歌手の是枝佳代だった。どうやら是枝佳代と猪本組との間に何某の揉め事があり、猪本組が口封じの為にヒットマンを雇ったが間違って神井綾香が狙われたと言う結論に達した。
そこには意識的に勘違いさせようとした是枝佳代の計略と彼女に力を貸していた情夫の九谷洋二の存在も浮かび上がった。
きつい取り調べで、先に九谷洋二が自白し是枝佳代の検挙へと至った。当然猪本組にも捜査の手が入り、組長の猪本は殺人教唆と麻薬取締法違反で逮捕された。
今回の事件で健気にも狙撃の恐怖にもめげずにその後も公演活動を続けた神井綾香に多くの声援が集まり神井綾香の評判は益々上がった。
ただ一つ警察でもわからなかったのは誰がヒットマンの死を報告し誰が殺したのかと言う事だった。
仲間割れと言う結論を出した警察でもその実行犯を捉える事が出来ないまま被疑者死亡のまま送検となった。
その影に鳴海の手が働いていた事など知る由もない。だからこの事件は完全に解決した訳ではなかった。
ただ一人、今回の捜査陣の中で鳴海を事情聴取したベテランの刑事のみが鳴海の事をまだ疑っていた。
ただ証拠も確信も何もないので今は泳がせておこうとその刑事安本は考えていた。
事件が解決して神井綾香の芸能活動は益々活発になって来た。要するに更に売れっ子になったと言う事だ。スケジュールももう分刻み秒刻みとさえ言われていた。
「あのさー近衛ちゃん。あたし、たまには休みたいんだけど」
「綾香ちゃん、それはわかるけど今が旬だよ。今の内に売っておかなくっちゃ」
「あたしは旬の魚じゃないんだからね。それに休まないと身体がまいっちゃうよ。ねー社長、何とか言ってよ」
「そうだね。綾香ちゃんだって生ものだし。出しっぱなしじゃ鮮度が落ちると言うものでしょう」
「しゃ、社長。社長がそんな事言ってどうするんですか。タレントは売れて幾らなんですよ。売れなければ直ぐに忘れられてしまうのがこの世界なんですよ」
「まぁまぁ、ここは一つ私に任せてください」
「そ、そうですか。社長がそう言われるのならお任せしますが」
芸能部門の実権は自分が握ってると思ってる近衛だが、この社長と面と向かうとどうしても引いてしまう。強く言えないのだ。
そこには格の違いと言うものが存在する。それは近衛も薄々と気づいていた。
そしてそれはこの会社の幹部達、各部門の課長達にも社長程ではないにしても同じ匂いがした。
どうしても逆らえないのだ。それは知識でとか経験でとか口でとか、そう言う次元ではない。魂の段階で勝てないと思ってしまう。彼らには何かそう思わせる雰囲気があった。
だから社長が任せて欲しいと言ったらそれに従うしかなかった。それがまたこの会社の方針だから。
そして近衛に取っても然程不満ではなかった。社長の方針で道を誤った事は今まで一度もなかったからだ。
そして給金も他より十分貰えていた。近衛はこの会社で働けて良かったとさえ思っている。
だから社長に逆らって首にでもなったら大変な事になる。それ位の常識はあった。
しかも社長は弁護士の資格を持っているし、医者の資格さえ持っていた。経理に関しても計理士の資格を持ち卓越していた。
更に古美術に関しては一級品の鑑定士だ。古美術部門でも大きな利益を上げている。会社経営に関して論争しても勝てる相手ではなかった。
ただ近衛は芸能部門に関しての知識だけは自信があった。その知識をフル稼働させて会社に貢献しようとしていたのだが少し熱が入り過ぎたかも知れないと少し反省していた。
翌日鳴海は銀座で青海が経営する高級クラブ『ネオ・ナビロン』に来ていた。
「あら、珍しいわね、天兄が一人で来るなんて」
「その天兄と言うのはやめませんか」
「いいじゃない。本当の事なんだから」
「まぁ良いです。今日は少しお願いがあって来ました」
「珍しいわね天兄のお願いなんて。なに」
「3-4日お店を休めますか」
「まぁ休めない事はないけど、どうして」
「実は神井綾香さんをバケーションに連れて行ってもらいたいのですよ」
「何それ、ああ、働き過ぎで弱ってるって事」
「そうです」
「いいわよ。私も少し休みを取ろうかなと思ってたとこだから。それで何処に行くばいいの」
「それは二人で相談して決めて下さい」
「了解です」
話があっさりと決まったのは良いが、鳴海は少し心配していた。それは綾香の事ではなく青海の事だった。
もし青海が見境もなく暴れたりしたら大騒動になってしまう。そこで鳴海は『闇」を監視に付ける事にした。
「天龍様、もし海龍様がお暴れになったら私達では止められません」
「それはわかってます。その時はこの私がお仕置きをすると言っていたと伝えてください」
「畏まりました」
しかしそれでも『闇』達は不安を隠しきれないでいた。それほど『闇』の三傑と言われる海龍は恐ろしいのだ。
ただ出かける前に綾香が心配事があると言い出した。今を時めく綾香は何処に行っても目立つ。旅行先で正体がばれるとファンに付きまとわれて休息にならないと言う。
そこで青海が一つのメガネを綾香に渡した。
「何これ」
「それはね、変装用のメガネよ」
「でもこんな物じゃ、正体が直ぐにばれるんじゃ」
「じゃー私が掛けてみるわね」
そう言って青海がそのメガネを掛けるとメガネばかりが目立って顔の輪郭がぼけてしまって人相がわからなくなった。
「凄いわ、青海さんの顔がわからなくなった」
「でしょう。これはね、人の意識をメガネに集めて周囲をぼかしてしまうのよ」
「いいわね」
「だからあなたの正体がばれる事はないわ。私の様な美人でもわからなくなっちゃうんだから」
自分で美人と言うのもどうかと思うが。
ともかく鳴海や『闇』達の不安を他所に青海と綾香は意気揚々と出かけて行った。
行き先は綾香の希望で金沢にした。金沢城を見、兼六園を散策して古き城下町を歩き、宿に戻っては温泉を堪能していた。
そしてここの旅館の食事も美味かった。この頃になってようやく綾香は昔の屈託のない、鳴海と初めて会った頃の綾香に戻っていた。
そして二人は正体がばれない事良い事に羽目を外してはしゃいでいた。そして普通こう言う時はテンプレでいかれた連中がちょっかいを掛けて来るものだが顔のわからない二人は見向きもされなかった。
「ねぇ、私達ちょっと無視され過ぎてると思わない」
「だけどここで正体をばらす訳には」
「そうよね。いいわ、あなたはそのままで。私がちょっと驚かせて来るから」
「ちょっと青海さん」と止めようとしたが青海は既にゴキブリ達の方に向かっていた。
ただ問題は青海が顔を晒す前に二人の若い女性が餌食になっていた事だった。
4人のガタイのいい若者達に取り囲まれた二人の女性は震えていたが誰一人として助ける者はなく、みな見て見ぬ振りをして通り過ぎて行った。
良くある風景だ。この日本では義侠心や正義感のある者はもういなくなっているのだろう。それがノホホンと太平楽を貪った反動でもある。
青海は自分が無視された揚げ句に自分よりも美で劣る二人に触手を伸ばされた事に少し頭に来ていた。
鳴海は知らなかった、この二人の旅がどんな事になるのかと言う事を。
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