第五話 綾香狙われる
鳴海は久し振りに新宿に来ていた。
そう言えばかってここで半分潰した組があったなと思っていた。
その組はまだあった。そして随分と変わっていた。
そんなとき、綾香のゴルフコンペのコンパニオンの仕事が入っていた。
ただそこで飛んでもない事が起こるとは鳴海も想像しなかった。
この日鳴海は久しぶりに新宿に出て来ていた。
ここしばらくは支社の開設に新しい部署の立ち上げ、それに実際のタレント達の営業に業界内の会合や付き合いと今までやった事のない仕事で息をつく暇もなかった。それに今までの古美術の仕事も疎かにはしていなかった。
更には金融部門と不動産部門も作った。それらも軌道に乗せようと色々と試行錯誤している所だった。
そして鳴海の獅子奮迅の活躍でどうにか会社としての体裁が出来て来たと言う所だった。
この辺りで一息と言う事で今日は1日のんびりするつもりでいた。しかしのんびりするにはこの新宿は少し似合わない所だ。
なのに何故鳴海はこんな所に来たのか。それは一つの引っ掛かりがあったからだ。丁度鳴海が北海道に行く前日にこの新宿に一泊した事があった。
そしてその時ちょっとした事でやくざと揉めて、鳴海は一つの組を潰した。いや完全に叩き潰した訳ではないが、組員達全員を完膚なきまでに叩き伏せた事があった。
ただしそれはその組の全員と言う訳ではなかった。恐らくは半分位だろう。その時組事務所にいた全員だ。そして組長に頭も。
あれから大分経った。しかしあれは言ってみれば彼らの自業自得だ。そんな事は放っておけば良かったのだがただ一つ点穴の事が気になった。
その時鳴海は天堂がよくやる様に、その組の組長と頭に点穴を施したのだ。さてあれからどうしてるだろうかと鳴海は思った。
もしかしたらもうやくざを廃業してるかも知れないなと。それならそれでいい。町の人達には良い知らせだろうと思っていた。
それを確認する意味も含めてもう一度その組事務所に行ってみる事にした。確かあれは南新宿にある神原組と言ったはずだ。
その場所に行ってみると今でも同じ「神原組」と言う看板が掛けられていた。特にフロント企業の形態も取ってないようだ。昔ながらの組事務所と言う感じがする。
そしてその入り口に立ってドアの把手に手を掛けた。以前は確かここには鍵が掛かっていた。今はどうかとノブを捻ってみるとあっさりと開いた。
「ほー鍵はかけてないのか」と鳴海は思い中に入ってみた。
事務所の作りは以前と何も変わってはいなかった。しかし何か感じが少し違う様に思われた。
その最たるものは組員の態度だった。普通知らない者が入って来たらそれなりに反応して警戒か威圧にかかるだろう。
ところがそれがなかった。不思議な事だ。一人の組員が「どちら様でしょうか」と言った。特に脅しを掛けている風もない。
ごく普通に話していた。ただそこはやはりやくざだ。威圧が全くないと言えば嘘になるだろうがきっちりとそれを押さえていた。
余程躾をされたんだろうなと鳴海は思った。そしてそれは札幌の川澄の家を思い出させた。
「組長に会いたいのですが」と鳴海が言うと、「どちら様でしょうか」とまともな返事が返って来た。
「以前にここに殴りこんで来た者だと言えばわかってもらえると思うのですが」
「何だと、てめぇー。いえ、失礼しました。ちょっとお待ちください」
その言葉は相当なプッレシャーの上で紡ぎ出した言葉だろうと言う事が容易に窺い知れた。
しばらくしてその若衆は「どうぞこちらへ」と鳴海を案内した。そこには依然と変わりない組長の神原がいた。いや、変わりないと言うには少し語弊がある。
以前はもっとでっぷりしていたはずだが今ではその贅肉はそぎ落とされていた。しかし両腕はだらりとしたままだった。そしてその横には頭の曽根浜も立っていた。
「お前さん、お前さんだよね。あの時の人は」
組長はそう言った。
「覚えていてもらえたんですか。私の事を」
「そりゃ忘れるもんかね」
「それは今でも根に持っていると言う事ですか」
「それはないと言ったら嘘になるだろうさ。しかしな、俺は変わったんだよ。あんたのお陰でな」
「変わったのですか」
「おやじはな、あんたにこんな体にされてから、色々考えられて自分の生き方を変えなさったんだよ」
「ほーそれはまた」
「あんたにゃわかんねーだろうけどよ。どんだけ苦労して自分を変えなさったか。俺達が涙が出るほどにな」
「それがこの事務所の雰囲気が変わった理由でしたか」
「なぁ、あんた。俺達ちゃやくざだ。それは分かってる。だから今まで散々悪い事もしてきたさ。だがわかったんだよ、あんたのお陰でな。
こんな体になって何が大切かって事がよ。娘が孫が、それにまたここ者達がこんな俺にも親切にしてくれやがる。そう言う事がよ。ただ俺はよ、ずーっとやくざをやって来た。
だから今更堅気にゃーなれねーさ。だからってまっとうな人間にもな。だけどよ、せめて堅気衆に迷惑をかけねーやくざにゃなれるんじゃねーかって思ってよ。
そう言う意味ではあんたに感謝してるくらいさ。ちょっと遅かったかもしれねーがな」
「そう言う事ですか。わかりました。では今回は特別と言う事にしましょう」
そう言って鳴海は組長と頭の腕に触れた。するとまるで嘘のように腕が自由に動くようになった。
「長い間動かさずにいましたので筋肉が少し萎縮しているでしょう。しばらくはリハビリが必要でしょうが直ぐに元通りになるでしょう」
「あんた、治してくれたのかい、俺達の腕を」
「その腕があなた方に見合うかどうかはあなた方次第です。もし昔と同じ過ちを犯す様なら私がもう一度ここを訪れると思ってください」
「教えちゃくれねえか、あんたの名前をよ」
「私の名前は鳴海と言います」
そう言って鳴海はその組事務所を後にした。
「鳴海さんかい。ああ、覚えとくよ。感謝するぜ」
「おやじ」
「ああ」
鳴海は神野組を振り返りながらこう言った。
『さて、あの組はこれからどうなりますかね。こんな世知辛い世の中です。無事に生き延びていければいいのですが。ただだからと言ってまた昔に戻ったらまた潰さなくてはなりませんがね』
やはり鳴海は鳴海と言う事か。
その後鳴海は会社に戻った。特にする事もなかったので部屋で書類の整理でもしようかと思っていた。
そして鳴海が会社についてみると、鳴海の部屋の前で綾香が腰に両手をあてて鳴海を睨みつけていた。
何事かと鳴海が、
「どうかしたのですか、こんな所で」
「何言ってるの社長。今日は何の日だか覚えてる?」
「何の日と言いますと」
「あっ、やっぱり忘れてる。今日はあたしが参加するゴルフコンペの日じゃないのよ」
「ゴルフコンペ? あっ、そう言えばそんなのがありましたね」
「ありましたねじゃないわよ。社長は一緒に行くって約束したわよね」
「しましたかね、そんな事」
「ったくー。知らないとは言わせないからね。行くよ社長」
「行くって今からですか」
「決まってるじゃないの」
「浜口くーん」
「すいません社長、連絡しようとしたんですが携帯がつながらなくって」
「そうでしたか、それは申し訳ありませんでした。私の方で携帯を切っていたようです」
コンペに行くと行っても鳴海がゴルフをする訳ではないので着替える必要はなかった。
要するに綾香の付き添いの様なものだった。一応プロダクションの社長として。
今日は千葉の方にあるカントリークラブで、あるスポンサーが開催するコンペだった。そこにイベントの顔として綾香が招かれたと言う事だった。
最近綾香はゴルフもやり出してそこそこに良い成績を出していた。
そこには綾香と、綾香のライバルと言っていいもう一人の歌手、是枝佳代が参加していた。それと九谷洋二、新進気鋭の若手俳優だ。
テレビ局としては「若手俳優を奪い合うライバルの歌姫二人」みたいな構図で押さえたかったのだろう。
だから鳴海は枠外の人間だ。ただテレビの枠内に収まらない様に後ろから彼女達について回るだけだった。
何もこんな事ならわざわざ私が来る事もないだろうと鳴海は思ったが、そこはスポンサーあっての業界だ。スポンサーとの橋渡しとして鳴海の顔は必要だった。
みんなが9番ホールに差し掛かった時だった。綾香のティーショットの番になりグリーンに立った。
その時鳴海は一瞬の殺意を感じてグリーンに飛び出し綾香にかぶさる様にして綾香をグリーンに押し倒した。
その時綾香の頭の上を何かが飛び過ごした。それは正に銃弾だった。そしてその銃弾は反対側の松の木にめり込んだ。
銃声がしなかった事から恐らくは消音器を使ったのでだろう。しかし狙撃されたと思われる茂みからの距離を考えると使ったのは普通のライフルではなく狙撃用のライフルだと思われた。
つまりそれは相手がプロだと言う事を物語っていいる。
始めはそこにいる者達には何が起こったのは全くわからなかった。いきなり綾香に会社の社長が抱きついたのかと思ったほどだった。
しかし鳴海が直ぐに警察に連絡するようにと言ったので、みんなは何かとんでもない事が起こったのだとびっくりした。一番びっくりしていたのは綾香だった。
「社長、一体何なの?。なんでいきなり私に抱きついて来たの」
「まぁ、それなら良かったのですがね。少し事情が違います。どうやら君は誰かに狙われたようですね」
「狙われたってなに?」
「銃で狙撃されたと言う事です。警察には連絡しましたのでともかくクラブハウスに戻りましょう」
そう言って鳴海は綾香を庇う様にしてクラブハウスに引き上げた。
その後警察が来て現場検証の結果、やはり狙撃されたと言う事が判明した。
松の木にめり込んでいたのは5.56ミリ弾だったので、鳴海は一目見て恐らくM16だろうと推測した。
綾香が狙われたと言う100%の証拠はないが、やはりあの状況では綾香が狙われたと見るのが順当かも知れない。
その後クラブハウスで事情聴取が始められた。最初に聞かれたのはやはり鳴海の行動だった。
誰も狙撃だとは気づかなかったのにどうしてわかったのかと言う事だった。
まさか気のセンサーに反応したとは言えないので、向こうの茂みで何か光るものが見えたのでももしかしたらと思って綾香を庇ったと言ったが、それがどうして銃だと思ったのかと言う詰問が続いた。
「それとあなたはあの後直ぐに警察に連絡を取られたそうですね。どうしてですか。あの時点では誰も射撃の音を聞いてません。なのにどうして射撃されたと分かったのですか」
「反対側の松の木の皮が弾けるのを見ましたのでね」
「それだけでですか」
「それとその松の木を確認しました。あれは恐らく5.56ミリ弾でしょう。なら狙撃銃と言う事になりませんか」
「ちょっと待ってください。何故あなたにそんな事がわかるのですか」
「私は医者でもあるのです。そして戦闘地域で医療業務についていた事がありましたので」
「それでそう言う事に詳しいと」
「はい」
「で、あなたはあの神井綾香が所属するプロダクションの社長でもあると言う事ですね」
「そうです」
「ではお聞きしますが、神井綾香に最近何か変わった事とか、誰かと揉めていると言う様な事は聞いてませんか」
「特にありません。ましてあのような方法で命を狙われるなんて事はないと思うます。あれはどう考えてもプロの仕業でしょう」
「私達もそう考えています。では全く心当たりはないと」
「はい」
「そうですか、どうもありがとうございました。ただまたお聞きする事があるかも知れませんので、その時はまた宜しくお願いします」
「承知いたしました」
「重さん、どう思います」
「あの社長か、ちょっと落ち着き過ぎてないか」
「そうですよね、自分の所のタレントが狙われた。しかも狙撃などと言う方法で。なのにあの落ち着き様はちょっとおかしいですよね。それに銃の事についても知り過ぎてませんか」
「いや、銃の事と言うよりも狙撃と言う殺しそのものの事をよく知ってるみたいだな。戦場で医療業務についていたとは言っていたがな」
「そうですね、一応要注意人物ですかね」
「そうだな、マークしておいた方がいいだろうな」
「わかりました」
せっかく軌道に乗り出した鳴海の新しい会社にいきなり暗雲が立ち込めてきたようだ。
鳴海はこれをどう捌いて行こうと言うのだろうか。
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