第二話 竜神崎のアトリエ
贋作を探しに来た緑はついに相手の隠れ家を突き止めた。
そこに襲撃を掛けようとした時に青柳が加勢に来た。
天堂が行く:第五部
第二話:竜神崎のアトリエ
緑が画廊の主人からもらった住所を頼りにやって来た所は、海岸べりに建てられた何かの配送物の管理事務所の様な所だった。
ここを貿易会社と偽り、その会社に勤めていると称した人物が、例の贋作を持って盛岡の画廊の所に売りに来た事になる。
何の変哲もない無人の建物だが、緑には一つ気になる事があった。それはその部屋の中を調べていた時に、クローゼットの扉の裏側に張り付けられていた花粉だった。
それは科捜研の見つけた例の贋作の顔料の中に含まれていた花の花粉と同じ種類の花の花粉だと言う事がわかった。
だから緑はあの贋作に関わった者がここにいたのだろうと判断した。しかも表からは見え難い所に張り付けてあると言う事は仲間にも見つけられては困ると言う事ではないだろうか。
するとこれは贋作を作った本人が意図的にあの花粉を贋作の顔料に練りこんだのではないかと緑は思った。
そしてここに導く為に。ただそれがここで製作されたのかどうかはわからないがここに痕跡を残したと言う事は何らかのヒントになると言う事だろう。
もしくはここと似たような環境の所か。それもこの花粉に聞いてみればわかるかも知れない。
つまりここを、またはこの周辺を探してくれと言う事ではないだろかと緑は思っていた。
勿論普通の人間にそんな事は不可能な事かも知れないが、緑になら可能だった。何しろ緑の嗅覚は犬のそれをも凌ぐのだ。
ただこれを残した本人もそんな荒唐無稽な事を期待していた訳ではないだろう。要するに警察犬にでも見つけてもらえればと言う事だったのではないかと緑は思った。
そう思いながら緑はその周辺を歩き回りながら匂いを嗅いでいた。
その時遠くから緑を監視する様に見つめている者達がいる事を緑はちゃんと認識していた。しかもその人数とその種類と位置に至るまで。
緑の超感覚を誤魔化す事は誰にも出来ない。しかし彼らは知らなかったのだ。緑がそう言う人間だと言う事を。
『倉庫の中の部屋に残っていた匂いと同じものがこの先にまで続いていますね。意識的に匂いが残る様にしていたのかも知れません。ならかなり頭の切れる人物の様ですね。ただそれは賭けに近いか事かも知れないとその人物も思っていたかも知れませんが』
と緑はそう思い、その匂いを辿って海岸縁から北の森林の方に向って行くと、驚いたように緑を見張っていた男達が慌てて緑の後を追い始めた。
その北側の森林地帯に人家はない。ただ雑木林があるだけのはずだ。しかし緑の目や鼻を誤魔化す事は出来ない。ここを通った人の気配や痕跡がある事を緑は敏感に感じ取っていた。
勿論普通の人間にはそれを見つける事は出来ないだろう。それは猟師と言えども難しい事かも知れない。それほど周到に痕跡を消されていた。しかし緑にはそれがわかるのだ。
緑はこの森林の奥に何かがあると確信していた。その時だった。緑の後をつけていた男達が緑の前後を挟むように現れたのは。
「お前ここで何をしてる」
「あなた達こそ何ですか。ここは私有地ではないはずですが」
「いいや、ここはある人の持ち物だ。直ぐに出ていけ」
「ほう、それは知りませんでした。町の登記所で調べてみなければなりませんね。所でこの奥にアトリエでもあるんですか」
「何だと。どう言う意味だ」
「いえ、絵の具の匂いがしたものですので」
「馬鹿な、お前は何者だ」
「これは失礼しました。私は画商です。掘り出し物の絵画を探しているものですので」
「そんな物がこんな所にある訳ないだろう」
「そうですかね、もしここが誰かの持ち物で、そこにアトリエがあるとしたら結構な掘り出し物があるかも知れませんからね。もしかしたらそれは贋作と言う可能性もあるかも知れませんが」
「何!やはりお前には死んでもらうしかないようだな」
そう言うなり二人の男は戦闘態勢を取った。正面の男は手甲鉤を出した。
これは昔の忍者の武器としても有名だろう。鉄で作られた熊手のようなもので先端は鋭く相手を切り裂ける様になっている。
後ろの人物は何やらS字形の様な両刃になった物の中央に穴が開いており、そこに指を入れてクルクルと廻していた。
「何ですかあなた方は。忍者ですか。ではここは忍者の里なんですかね」
「減らず口はそこまでにしておけ。今直ぐあの世に送ってやるよ」
「それは困ります。まだ仕事が残ってますので」
二人は少し訝っていた。俺達二人に囲まれてここまで冷静でいられる人間がいるのかと。
しかしそれもこの一撃で終わると正面の男が右手の鉤爪を振り下ろして来た。それを緑は左にかわしてさけた。
しかしそれは始めから計算済みで、そこに接近していた後ろの男の刃が緑の首を掻っ切ろうと待っていた。
始めからそう言う作戦だったのだろう。万が一に正面の攻撃が避けられても第二の攻撃で仕留めると。
第二撃が必要だとは思っていなかったがそこはプロだ。一切の可能性を潰した必殺攻撃だった。
それを緑は両方の攻撃を難なくかわした。「まさか」と男達は驚いた。今までこの二人の攻撃をかわせた者など誰もいなかったからだ。
「お前は一体何者だ」
「それはこっちが聞きたいですよ。こんな真昼間から人殺しですか」
「どうやらただ者ではなさそだな。画商と言うのも怪しいものだ。お前は何処の機関の者だ。まさか『SCU』か」
「へー『SCU』を知ってるのですか。ならあなた達はそれに敵対する組織の者達と言う事ですかね」
「益々生かして帰す訳にはいかなくなったな。覚悟しろ」
それからの二人は絶妙なタイミングで執拗な攻撃を仕掛けたがどれ一つとして緑には掠らせる事すら出来なかった。
超感覚を持った緑に並みの人間が何を仕掛けようとそれは蟷螂の斧の様なものだった。
視覚が、聴覚が、触覚が、いや臭覚さえもが全ての攻撃を予測し完全に回避していた。そしてただ回避していただけではなかった。
その都度の攻撃に対して相手の手首に手刀、もしくは四本拳と呼ばれる指の四指の第二関節を曲げたその先端で打っていた。
それほど大したダメージではなかった。しかしそれは徐々に蓄積され、とうとう腕すらも動かなくなっていた。
「どううですか。腕が動かなくなって来たでしょう。僕の攻撃はダメージを蓄積するんですよ。そしてそれは消える事はない。やがては筋骨すら壊します」
「な、何だと。そんな打撃聞いた事がないぞ」
「そうですか。それは残念ですね。まだまだ世の中の見分が足りませんね」
「待て、もしかして丹波篠山で我々の仲間をやったと言うのはお前か」
「ほう、そうですか。彼とあなた達は同じ仲間だったと言う訳ですか。ならこちらもあなた達をこのまま帰す訳にはいかなくなりました」
そう言うと同時に、緑の姿が忽然と彼らの前から消えた。そしてその後彼らが『闇』に落ちた事は言うまでもない。
緑は自分の持ち駒の『闇』を呼び出し、彼らにこの二人から情報を引き出せと命じた。そして残りの二名にはこの先の探索に当たらせた。
『社長への報告もある事ですから、今日は一旦は戻りますか』と緑はそこから踵を返して一旦町に戻った。
翌日天堂に報告を済ませた緑は、再びこの森林へ来ていた。もうこの先に関する情報も届く頃だろうと。
森林の中ほどまで来た時に緑は誰かの気配を感じて手にした物を投げた。
「わーっ。危ねーな全く。俺を殺す気かよ」
「何だ、青柳さんじゃないですか。どうしてここに」
「何だじゃね。それによ、普通は気配を感じたのなら俺のいた枝の上を狙うはずだろう。それがどうして着地した所におめえの手裏剣が飛んで来るんだよ。おかしいだろう。おめえは予知能力者か」
そう言う青柳も緑の投げた手裏剣を二本の指で挟み取っていた。どっちもどっちと言う所か。
「流石は隠密機動の隊長と言う所ですか。でもこれが赤城さんだったらその木諸共蹴り倒していたかも知れませんよ」
「全くだ。あのバカ力ならやりかねん。クワバラ、クワバラだ」
「で、何であなたがここに」
「いや何、社長がよ、おめえを手伝えと言うもんだから来たのよ」
「別に手伝ってもらわなくても僕一人で十分だと思うんですがね」
「まぁ、そう言うなって。何でも面白い連中を相手にしてるそうじゃねーか。俺も最近暇でよ。退屈してたんだ。だから遊びには丁度いいんじゃないかって思ってよ。なぁ、手伝わせろよ」
「仕方ありませんね。それにまぁ、隠密機動の隊長さんなら今回の仕事にはうってつけかも知れませんね」
「だろう。でどうなんだ。何かわかったのか」
そう言っていた所に昨日飛ばした『闇』が帰ってきた。
「遅くなりました。おぉ、これは青龍様もおいででしたか」
「挨拶はいい。それでどうだった」
「はい、確かにこの先にアトリエらしき屋敷がございます。その屋敷の前に二人、後に二人の護衛を置いています。屋敷の中には五名ほどの人間がいるようです」
「で、中の様子は」
「それが・・・申し訳ございません。入り込めませんでした」
「何だ、お前達ですら入り込めないとは、そんな凄腕がいると言う事か」
「いえ、青龍様。闘えば何とかなると思いますが、相手に知られずに忍び込むには、いささか厄介な相手が一人おりました」
「ほーお前達がな。それは面白そうな相手だな。なぁ緑龍よ」
「でもその相手は譲りませんよ」
「わかってるよ。これはお前の仕事だ。だが残りの連中は俺に任せろ。いいよな」
「わかりました。そう言う事にしておきましょう。よし、お前達もういいぞ。撤収しろ」
「はい、わかりました。ではこれにて失礼いたします」
そう言って『闇』達は消えて行った。
そして緑と青柳は『闇』達が言っていたアトリエの直ぐ近くまで来た。
「なるほど、確かにいるな。建物の前に二人、後ろに二人か」
「ですね。さてどうしますかね」
「どうもこうもねーだろう。倒しゃーすむ事だろう。それでよ、これを使えとさ」
そう言って青柳は二つの仮面を取り出した。
「社長がこれを使ってもいいと仰ったんですか」
「そうだ」
「なら話は簡単ですね。僕は前の二人を相手しますので、後ろの二人をお願いします」
「わかった。じゃーな」
そう言って青柳は嬉々として飛んで行った。これは今から暗殺者を相手に戦おうと言う人間の心情ではないだろう。
まるで遠足に行くような軽やかな足取りだった。ただし足音は全く立てなかった。流石は隠密機動の隊長だ。
館の前では家人を装った人物が二人、一人は花壇の花弄りをし、もう一人はピクニック用に置かれた椅子に腰を掛けて、あたかも日向ぼっこをしているように見えたがその目は鋭く四方を監視していた。
そこに仮面をつけた緑が現われた。
「何だ、お前は。強盗か。ここには金になる物などないぞ。怪我をしない内に速く消えるんだな」
「それはまた随分な言い様ですね。強盗など眼中にないと言う様な、普通の別荘の番人の言うセリフではありませんね」
「なら何だと言うんだ。お前は強盗ではないと言うのか」
「そうですね。強盗と言えば強盗かも知れませんね。あなた方の持ってる金ずるを返してもらろうと思ってますので」
「金ずるとは何だ」
「かって天才画家と言われた河野正二と言う人物ですよ。今ではしがない贋作師になってしまいましたが、それも好き好んでやっている訳ではないでしょう」
「成程そう言う事か。ならここから帰す訳にはいかないな。誰の差し金だ、吐いてもらおうか」
「それを聞きたいのはこちらの方ですよ。あなた方こそ一体何者です」
そう緑が言った時には、花壇にいた男もこの日なたぼっこの男の隣に来ていた。
「しかしお前も運が悪いな。俺達二人の前に現れるとはな」
そう言った時にその男は椅子からいきなりダッシュをかけて来た。しかしそれは囮だった。本当の狙いはその男の背中を飛び台にして空中から襲い掛かって来た花壇の男だった。
その花壇の男の手には円形の武器が握られていた。外側にも内側にも刃が付けられており切り裂く事も、また輪の中に手でも入れた日には切断されてしまうだろう。
その男が緑目掛けて襲って来た。その輪で緑の頭を断ち割ろうとしたが、空中に飛び上がった緑によってその手は空中で絡み取られた。
それだけではない。その時緑は相手の体に密着したまま空中で巴投げのように回転して一緒に落下し、緑の膝はその男の鳩尾にあてがわれたままだった。
その状態で地面に激突したのだ。その男が助かる見込みは一分もなかった。それだけではない。喉仏にも緑の指が押し込まれ、喉仏は完全に粉砕されていた。
しかもその空中を舞う姿はあまりにも美しかった。
「これで一人は片付きました。次はあなたですがどうしますか」
「き、貴様何をした。そんな技は見た事もないぞ」
「そうですか。それは認識不足ですね」
「まさか、お前か。昨日から連絡の取れなくなった仲間が二人いる。お前がやったのか」
「ああ、あの二人ですか。少し遊ばせてもらいましたが僕には少し役不足でしたね。あなたはどうですか。少しは僕を楽しませてくれますか」
その日向ぼっこの男は少し血の気が引くのを感じた。今までこんな感じを持った事など一度もなかったのにとその男は思った。これは俺の恐怖なのかと。
男は両手にサイの様な武器を握り果敢に緑に攻撃を仕掛けて行ったがそれは掠る事すらしなかった。
「口のきける人間は一人いれば十分ですからね。あなたはここで死んでもらいますか」
そう言った時緑は一本拳を相手の胸の中心、俗に「膻中」と呼ばれる所に突き入れた。それでその男は崩れる様にその場に落ち、そのまま息を引き取った。
緑は見かけによらず冷静な殺し方をする男だった。そして意識を館の裏側に向け、
『向こうも終わりましたか。流石は隠密機動の隊長ですね。相手に反撃のチャンスすら与えませんでしたか。これでは彼らはいつ誰にSCUやられたかもわからなかったでしょうね。それでは館の中の凄腕と言われる人に対面と行きますか』
そう言って緑は館の入り口に向って行った。果たして中で緑を待つのは誰なのか。また青柳はどうしようと言うのか。
まさに竜神崎で二匹の龍が渦巻いていた。
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