第二話 天堂組
吉岡の娘、貴代美は無事パリに向かって飛び出した行った。
ここまでくればいいだろうと、
天堂は自分の本当の正体を吉岡に話した。
自分も同業のやくざだと。
それを聞いた吉岡は、天堂組がどんな組で、
どんなしのぎをしてるのかを調べ出した。
貴代美は1年間の努力が実り、晴れてフランスに旅立つ事になった。貴代美のパティシエへの道を反対していた父親の吉岡も天堂の説得に負け、可愛い我が子を旅に出す決心を固めた。
しかしドーターコンのこの父親にとってそれはどれほど身を切られる思いだった事か。普段の豪胆さからは想像も出来ないほどの狼狽ぶりだった。
貴代美は関西の伊丹空港から飛行機に乗って東京で乗り継ぎフランスのパリに向かう事になった。3-4年は帰って来ないかも知れない。
伊丹空港には父親の吉岡とその一門、それと天堂が見送りに来ていた。貴代美は空港が騒がしくなるから、一門は連れてこないでと言ったがどうしてもと組員達がついて来た。それだけ貴代美はみんなに慕われていたと言う事だろう。
あの豪胆な吉岡がこの時だけは線が細く見えた。
「お父さん、何うなだれてるのよ。これでもう一生会えなくなる訳じゃなし、直ぐに帰って来るからさ」
「お前はそう言うけどな、わしゃ寂しいんや」
「ほんと情けないわね、それでも一家の親分なの、しっかりしてよ」
「そうですよ、おやじ」
「うるさいわ!お前らにわしの気持ちがわかるか」
こんなやり取りの末、やっと貴代美は伊丹空港を飛び立って行った。
貴代美を見送った後、吉岡が天堂に食事でもどうかと誘ったので、天堂も少しでも吉岡の気持ちが和らぐのならと承諾してついて行った。そこで色々と雑談をし、食事が終りかけた頃、天堂が一つの事を切り出した。
「吉岡さん、実は話しておきたい事が一つあるのです」
「なんですか、天堂はん」
「今までは誤解を招いてはいけないと思って黙っていたのですが、こうして貴代美さんもフランスへ旅立った事ですからもういいかと思いまして。実は俺は堅気ではないのです」
「何どすって。ほならわしらと同業やとでも」
「そうです」
その時一瞬吉岡の周りで殺気が沸き上がった気がした。
「俺は大阪にある天堂組と言う組の組長をやってます。ただし9人ほどの吹けば飛ぶような小さな組です。とても吉岡さんの所とは比べ様もありません」
「ほんであんたは何処の組の系列なんや」
「何処の系列でもありません。一本どっこでやってます」
「あほな、今日日そんな小さな組が一本どっこでやっていける訳がないやろう」
「ないやろうと言われても事実ですから。お疑いなら調べてみてください。今日はご馳走していただき本当にありがとうございました。では俺はこれで失礼いたします」
そう言って天堂は引き上げて行った。
「おい、後であの男の言うた事、本当がどうか調べとけ」
「はい」
この時の吉岡は骨太で豪胆な組長の顔に戻っていた。
しばらくして京都で
「おやじ」
「どうやわかったか」
「はい、天堂の言うた事はみんなほんまでした。組員は8人。天堂を入れて9人です。何処の傘下にも入ってまへん。確かに一本どっこを貫いてるようです」
「そんな小さい組でよう一本どっこが貫けるもんやんの。それでシマは何処や」
「それがとんでもないとこですねん」
「とんでもないとはどう言う事や」
「それがキタの新地を含む一角なんですわ」
「なんやと、大阪の一等地やないか。そんなとこ、一本どっこで守れる訳がないやろう」
「そうなんですけど、一応守っとるようです」
「そんなもんよっぽどのバックがついてるか、その組が特別か。しかしたった9人の組が特別である訳がないしな。どうなっとるんじゃ」
「どうします、おやじ」
「そんなもん決まっとるわ。実際にこの目で見てみるしかないやろう」
その日京都の吉岡組組長の吉岡が急に大阪の天堂組の天堂を訪ねて来た。何でも娘の礼だと言って多額の礼金を持って。
天堂は、何もそこまでしてもらわなくても、俺は大した事は何もしてないと断ったのだが、どうしても受け取ってもらわなければ困ると引き下がらなかった。
まぁ、親と言うよりも、親分としての面子もあるのだろうと、天堂は素直に頂戴しておく事にした。
そして少し雑談をした後、吉岡が天堂のシマを見せて欲しいと言うので、天堂が頭の鳴海を紹介し、吉岡もまた頭の田崎とその連れを紹介し合ってシマを案内した。
天堂のシマは決して広くはないが、大阪では屈指の繁華街、キタの新地を抱えている。吉岡は、こんな小さな組が、どうすればこれだけのシマを守れるのか、その秘密が何処にあるのか、暴いてやろうと目を皿のようにして探してみたが、何もそれらしいものは見当たらなかった。
実はこの天堂のシマでは、ここの夜の街のどの店も、またどの商店街のみかじめ料も、天堂組では取っていないのだ。
そんな事でしのぎが成り立つのかと不思議に思えるのだが特に困った様子はない。むしろ組としては裕福な方だ。それと言うのも株や政治家や大手企業に対する融資とかの経済分野でしのぎをしていたからだ。
特に株では仕手戦や、買収を含めた大口の金融投資をやり、機関投資家ですら一目を置く大口投資家になっていた。勿論天堂と言う名前は使ってはいない。フロント企業を使った投資ではあるが、その投資額は数百から数千億とさえ言われている。
そんな資金を天堂は一体何処から仕入れているのか全ては謎だが、金融界では恐れられている存在ではある。
さして広くはないが、歩いて回るとなるとそこそこに時間がかかるので主だった所だけを案内した。その所々で、商店街の店主や店員から親し気に挨拶を受けている天堂や鳴海を見て吉岡は驚いていた。
「天堂はん、あんたは町の人からえらい慕われてるんやな、びっくりしたで。今時そんなやくざもんはもうおらんと思うとったのに大したもんや」
「そうですか、うちみたいな小さな組では町の人達との繋がりが大事ですから」
「そうは言うてもな、中々実行出来るもんやないで。ほんま大したもんや」
「そうでもありませんよ。ところでお腹は空きませんか。こんな小さな狭い所ですが、すごく旨い鉄板焼きの店があるんですよ。ご一緒にいかがですか」
「肉かいな。たまにはええな。ほなご馳走になろうか」
「わかりました。鳴海、予約を入れてくれ」
「わかりました」
そして時間を潰しながら天堂と吉岡は「仲吉」よ呼ばれる鉄板焼きの店に入った。そこでは天堂は常連だった。店の者の天堂に対する扱いは最高級のものだった。
そこで二人はテーブルに着き、その左右に鳴海と田崎がついた。吉岡の連れの者は表で待っていた。
「いやー天堂はん。ほんまに旨いなここの肉は、口の中に入れた途端とろけよる。これならわしの口にも合うで」
「そうですか。喜んでいただけたらシェフも満足でしょう。ところで良かったらこの後一杯行きませんか」
「ええんかいな、なんや悪いな、こっちが礼に来てるのに逆に接待されてるみたいで」
「そんな事はありませんよ。ここはうちのシマ内ですから、まぁ、任せてください」
「ほな、よろしゅう」
そう言う事で今度はみんなでキタの新地に繰り出した。ここには新地で一番と言われる超高級クラブの「クラリオン」がある。
ここは天堂の馴染みの店でもあり、天堂はここの常連だった。そしてママの「知恵」とも気安い。それは客と店のオーナー以上の関係の様に思えた。
ここは天堂のシマだ。だからと言ってこの店を天堂組で尻もちをしている訳ではない。何か揉め事があれば店にいるフロアマネージャーが全て処理をしていた。
ここのマネージャーは強い。やくざの10人や20人が束になって掛かって来ても足元にも及ばないだろう。
そんなマネージャーを天堂はこの新地の各店に配置していた。彼らは天堂の息の掛かった者達だったがこの事実を知る者はいない。
だから表向きのやくざの尻もちはいらないのだ。しかも堅気のマネージャーが処理した方が暴れたやくざは罪が重くなる。
それにこの「クラリオン」は顧客に大物代議士や府警の幹部も多くいるので、他のやくざ達も迂闊には手を出せなかった。
「いらっしゃいませ天堂様、お久しぶりですね」
「そうだな。こちらは私の客で吉岡さんとおっしゃるんだ。宜しく頼むよ」
「かしこまりました。ご案内いたします。どうぞこちらへ」
この店には特別席と呼ばれる他の席からは切り離された個室があった。言ってみればビップ専用の席だ。
政財界の大物達や府警の幹部達がよく使う。天堂の顔を持ってすれば使えない事もないが、やくざ風情が使う所ではないと天堂は心得ていた。
「天堂はん『クラリオン』の名前は聞いとったが、まさかあんたがここでも常連やったとは知らんかったで」
「たまたまですよ」
「そうかいな。しかし噂通りの立派な店やな」
「いっらしゃいませ。ママの地恵と言います。今後ともご贔屓の程宜しくお願いいたします」
「あんたがここのママさんかいな。別嬪さんやな。びっくりしたで」
「ありがとうございます。天堂さんのお知り合いですか」
「ああ、兄弟分みたいなもんや。よろしゅうな」
「吉岡さん何言ってるんですか、そちらは大先輩じゃないですか」
「まぁ、ええがな。そう言う事にしとこ。娘の事もあるしな。そう言うたら娘が働いとったんはここやったんやな、ママさん」
「こちらは貴代美ちゃんのお父さんだよ」
「そうだったんですか。貴代美ちゃんは本当によく働く良い子でしたよ。お客さんにも人気がありましたからね」
「ほんまかいな、あの子がな・・信じられんな」
ママもあの事件の事は知っていたがこの父親には話さない事にした。でないとドーターコンのこの父親がそんな事を知ったら、今からでもあのホステスを殺しかねないからだ。
「ところであそこにいるのは確か民政党の・・・」
「ええ、幹事長の吉秋さんです」
「何で民政党の幹事長が大阪に。相手は?」
「関西経済連の副会長の大崎さんですわ」
「副会長の大崎ね」
「それがどうかしたんか、天堂はん」
「いや、別に、さー吉岡さん飲みましょう」
そう言って天堂はわからないように地恵に目配せをした。調べておけと。
「天堂はん。おおきに。今日はほんまにご馳走になってもうてもし訳ない。今度はわしに一席設けさせてくれんか。約束やで、ええな」
「はい、わかりました」
「よっしゃ。ほなまたな」
そう言って吉岡は京都に引き上げて行った。
「どうでした。おやじ」
「いや、びっくりしたで。ええしのぎしとる。あれはやくざの手本やな」
「そうでっか」
「わしゃ益々惚れたで、天堂に」
翌日「Time OUT」でまた天堂と鳴海がグラスを傾けていた。
「なぁ、鳴海、ちょっと頼みがある」
「何ですか」
「あの吉岡だがな、少し調べてみてくれないか」
「吉岡の何を調べればいいんですか」
「そうだな、吉岡組を取り巻く状況とかかな」
「なるほど好きになりましたか、吉岡が」
「まぁな」
その後数日して、約束通り天堂は吉岡に招待されて京都に出向いて行った。ただ出かけに天堂組の事務所でちょっとした揉め事があった。
天堂が一人で行くと言ったのに鳴海が共を連れて行けと言ったのだ。
「そんな面倒なものいらんだろう。俺一人で十分だ」
「そうもいかんのですよ。一応建前や面子と言うものがあるので」
「そんなものどうでもいいだろう。大事なのは中身だろう」
「ところが組のトップを裸で表に出すのは組の恥とか言いましてね。部下が責められる」
「何だそれは。くだらん」
「確かにくだらないんですがね」
「ならやめりゃいいじゃないか」
「確かに。ただ今回は向こうの玄関先まででいいのです」
「なんだそれは」
「実はちょっと気になる事がありましてね。黒田を連れて行ってもらって、黒田には京都から亀岡に向かわせようと思ってます」
「亀岡に何かあるのか」
「まだわかりませんが」
「そうか、お前が気になると言うのなら何かあるのかも知れんな。わかったそうしよう」
黒田は天堂を吉岡の玄関先まで送りその後亀岡に向かった。吉岡邸の玄関先で天堂は
「天堂組の天堂だが吉岡さんに呼ばれてきたので取り次いではもらえないだろうか」と言った。
驚いたのは番をしていた組員の方だった。まさか共連れもなくたった一人で来るとは想像もしていなかった。
組員の一人は慌てて奥に駆け込んでいった。一応今日天堂が来るとは告げられていたのだろう。そして一人が天堂を案内した。
「よう来てくれはったな天堂はん。連れはどないしたんや、一人やと聞いたが」
「玄関までは送らせたんですが、少し用事が出来ましたのでそちらに向かわせました」
「そやけど護衛もなしでええんかいな」
「大丈夫ですよ。俺の様な小さな組の組長なんか狙う者はいませんよ」
「小さい言うてもな、あんたの組のシマは宝の山やからな。誰かて喉から手が出るほど欲しいやろう」
「さーどうですかね」
吉岡は天堂を京都でも老舗の懐石料理の店に案内した。流石は京都を代表する店だ。
その店構えから接待まで配慮が行き届いていた。そして出てきた料理がこれまた手の凝った流石は京料理と言わしめるものだった。
「吉岡さん。今日は本当においしいものを食べさせていただきました。おいしさだけではなく料理の中に歴史の重みを感じますね。流石は京料理です」
「いや、天堂はんにそう言うてもろたらわしも鼻が高いわ。ほな次行きましょか」
そう言って二人は京都の花街に繰り出していった。ここもまた京都では一流と言われるクラブだった。
「お前らは表で待っとれ。わしと頭だけで行くさかいな」
「けどおやっさん、大丈夫ですか」
「なに言うてるんや。天堂はんはたった一人で来てるんや、わしがぞろぞろ引き連れて行くなんて、そんな情けない真似が出来るか、ええな」
「はい、わかりました」
そう言って吉岡は頭の田崎だけを連れて天堂と共にクラブ『サザンカ』に入って行った。
しばらく楽しい一時が続いていたがその時急に一か所が騒がしくなった。客の一部が騒ぎ出した様だ。何が不満だったのかよくわからないがともかく従業員を相手に揉めている。
ここは吉岡のシマではないが地回りが来るまで待ってはいられないと頭の田崎が収めに行った。すると今度はその田崎を相手に喧嘩を始めた。
相手は二人だった。二人とも髪は短め、動き易そうなゆったりとした黒い上下の服を着ていた。勿論堅気には見えない。やくざっぽくは見えるが天堂にはまた別の姿が浮かんでいた。
天堂はその様子を見ていてどうも様子がおかしいと思った。そうか仕組んだのかと。
天堂が手近の灰皿を投げたのとその一人が懐から拳銃を抜くのがほぼ同時だった。そしてその灰皿は田崎に狙いをつけた拳銃を持つ手に当たった。その為狙いが外れ田崎は肩に弾を受けただけで致命傷には至らなかった。しかもその銃は消音銃だった。
相手はそれ以上田崎には構わずに二人で組長の吉岡の所に一直線に向かって来た。その動作を見て天堂はプロだと見抜いた。
二人が吉岡の前に立ったのとその前に天堂が立ちはだかったのがほぼ同時だった。当然二人は拳銃を構えて確実に急所に狙いを定めていたがそれが撃たれる事はなかった。引き金を引く前に二人は宙を舞い床に落ちた時には二人とも気を失っていた。
天堂は周りに騒がないように言い、そして安心させ警察に連絡するように指示した。それから店にある救急箱を借りて田崎の手当てをした。
弾は肉を抉っただけなので思ったほど重症ではないようだ。しかしもし天堂の投げた灰皿が相手の手に当たってなければ確実に田崎の心臓は撃ち抜かれていただろう。
これ以上ここにいては第二第三の襲撃があるかも知れないのでともかく引き上げる事にした。もし警察が何か聞いてきたら吉岡本家まで聞きに来てくれと言い残して。
「天堂はんおおきに。あんたがおらんかったらわしは死んどったで。そやけどあんた大したもんやな。どうやったんたあれは。成程一人でも出歩ける訳や」
「昔習った古武術ですよ。それよりも家の固めと頭の治療をしませんと、仮の手当てはしておきましたからこれ以上悪くなることはないと思いますが」
「そうやな、警察もおっつけやって来るやろうから闇医者と言うのはまずいやろう。一応ちゃんとした病院に連れて行こう。おい、誰か連れて行ってやれ」
「はい、わかりました」
「ところであれは何やったんや、天堂はん」
「恐らく吉岡さんを狙ったヒットマンだと思います。それもプロの」
「プロかいな、ただの鉄砲玉とは違うんか」
「そうですね、ですから警察でも口は割らないと思います」
「そうやろうな。そうなるとこっちで誰が飛ばしたか探らんといかんな」
「そうですね、誰か心当たりは?」
「多すぎてわからんわ、ははは」
「そうですか、なるほど、ははは」
「それでな、今度の事であんたの器量がはっきりわかったんや。今後わしはあんたの事を兄貴と呼ばしてもらうで」
「何を言ってるんですか吉岡さん。この世界ではあなたの方が大先輩じゃないですか。それに前にも言いましたが私の所は一本どっこですから」
「それはわかっとる。そやからこれはわしとあんたとの心の盃や」
「それなら言いますが兄貴だけはやめてください」
「そうか、どうしてもあかんか。しゃーないな。それなら兄弟分だけは譲れへんからな。ええな」
「まったく、あなたと言う人は。わかりました。好きにしてください」
「そうか、わかった。ありがとさんやで」
こうしてここで天堂と吉岡の心の強い絆が改めて結ばれる事になった。
ただ今回犯人が捕まった事で吉岡の組員達は安堵に包まれていた。それが罠とも知らないで。
応援していただくと励みになります。
よろしくお願いいたします。