狼の吼える夜に 06 —伝承—
戦いを終えた私達は近くの川で水を飲む。
ヴァナルガンドさんは私達に気を遣って再び人間形態になってくれたので、クロカゲとアオカゲも警戒を解いて美味しそうに水を飲んでいる。
「ぷっはー。生き返るう!」
戦いの最中は気にならなかったが、あの炎の中戦ったのだ。私達の喉はカラカラだった。冷たい水が身体に沁み渡る。いくらでも飲めるなあ、ゴクゴク。
だけど、そんな私達を横目にただ一人、誠司さんだけが何故か飲まずに川を眺めていた。
「なあ、ヴァナルガンド」
「なんだ、セイジ」
「ふと、私の国の伝承を思い出したんだが……この川は君の涎で出来ているのかい?」
「ブーッ!」
なんて事を言うんだ誠司さん。思わず吹き出してしまったではないか。レザリアもニーゼも目を白黒させている。クロカゲやアオカゲも一歩後ずさってしまったぞ。
その誠司さんの暴言に、ヴァナルガンドさんはため息をつき、首を横に振った。
「そんな訳なかろう。おかしな伝承もあるものだな」
まあ、今の人間形態のヴァナルガンドさんなら『ご褒美』と捉える人もいるかもしれないが——いや、いないか。
「はは、失礼。そう言えばこんな伝承もあったな。フェンリル——失礼、ヴァナルガンドは月を喰うとかなんとか……うろ覚えだがね。本当なら是非力になって欲しいものだが」
「我にその様な力はないぞ。全く、伝承というのは歪められて伝えられるものなのだな——」
ヴァナルガンドさんは呆れた声でつぶやく。誠司さんも苦笑いをする。
そりゃそうだ。現代知識を持つ私達にとって、月を食べるだなんてとんだ絵空事だ。ヴァナルガンドさんは続ける。
「——その伝承は我が息子、ハティの事だ。だが、月を喰うのではない。月の光を喰らうのだ。例えるなら、月蝕の様にな」
——訪れる沈黙。その場の誰もが動かなくなる。
誠司さんは信じられないといった表情でヴァナルガンドさんを見つめた。
「……そ、それは本当かね、ヴァナルガンド」
「ああ。今は大陸の方へ行っているがな。なんだ、彼奴の力が必要か?」
「あ、ああ……それが本当なら……是非……」
——不味い。言うまでもなく、ルネディへの対抗手段だ。月の光がなければ、ルネディを無力化する事が出来る。
そしてそうなれば、ルネディを殺せないにしても、誠司さんの実力があれば彼女を完封出来てしまうのではないか。
誠司さんの表情に光が差す。レザリアとニーゼの表情が輝く。そして——私の表情に影が差す。
「ふむ。久しぶりに会いに行ってみるかのう。ただ、連れて帰ってくるにしても数ヶ月はかかるぞ?」
「ああ……ああ……構わない、構わないさ!」
待て待て待て、落ち着け私。
仮にそうなったとしても、ルネディに絶対に姿を現さないように、見つかったら全力で逃げるように忠告すればいいではないか。
どっかのタイミングで彼女と接触してこの事を——そこまで考えて、ルネディ寄りの考えをしている自分に驚く。
私は誠司さんの、みんなの味方だ。それは間違いない。
ただ、昼間会話をした事で、その中にルネディも含まれてしまっている。どうすりゃいいんだ。泣きたい。
そんな私の葛藤を余所に、話は進んでいく。
「では、戻って来たら何らかの手段で知らせよう。ただし——」
そこまで言って、ヴァナルガンドさんはニヤリと笑う。
「なんだ、ヴァナルガンド。何でも言ってくれ。私に出来る事なら最善を尽くさせて貰うが」
「心配するな、ささやかな望みだ。セイジよ、我が彼奴を連れて戻ってきたら——」
ヴァナルガンドさんは私の方を見る。うっ、嫌な予感しかしない。
「——そこの娘、リナと再戦させてくれ。次は負けんぞ」
「ああ、お安い御用だ」
——おいぃーーっ! 私に聞かずに、何、二つ返事でオーケーしちゃってくれてんのよさっ!!
こうなったら仕方がない。私は引きつった笑顔でヴァナルガンドさんに答える。
「……よ、喜んで!」
負い目のある私はこう答えるしかなかった。辛い。誰か助けて……。
†
帰り道、馬車は夜目のきくレザリアが運転してくれた。ニーゼは疲れたのか、隣でぐっすりと眠っている。
誠司さんと二人——駄目だ、黙っていると色々と考えてしまう。私は半ば無理矢理に口を開いた。
「そう言えばさあ、誠司さん。なんでヴァナルガンドさんとの戦いに私達を巻き込んだわけ?」
うん、この話題ならボロが出ないはずだ。私からの問いかけに、誠司さんは「ああ」と言って答える。
「なに、君達に生き延びる力をつけて欲しくてね」
「ん? どういうこと?」
「君達は冒険者になっただろう? ゆくゆくは強い相手と戦う事もあるかもしれない。望む望まないは別としてね」
なるほど。誠司さんは私達に強敵を相手にする経験を積ませたかったんだ。
ニーゼが「私は冒険者じゃないよう……」とつぶやく。起きているのかと思ったが、どうやら寝言の様だ。器用なヤツめ。
誠司さんは続ける。
「それに『厄災』だ。ルネディだけならまだしも、もしかしたら他の『厄災』も生き返り、その戦いに君達が巻き込まれるかもしれない」
うっ、結局話はそこにいくのか。私は内心冷や汗をダラダラ流しながらも、平静を装って答える。
「……大丈夫、巻き込まれる前に逃げるよ」
「はは、そうしてくれると安心なんだがね。でも君は、私が戦えばついてきてしまうのだろう?」
「……まあ、ね」
そりゃそうだ。放っておける訳がない。
それに、今日ルネディの気持ちに寄り添ってしまったせいで、別の意味でも放ってはおけない。
「……どうした、莉奈。眠いのか?」
「ん? なんで?」
「いや、いつもだったら憎まれ口の一つでも叩くだろう?」
——鋭い。確かにいつもの私なら、『誠司さんが戦おうとしなければうんぬんかんぬん』とか返してただろう。
でも、鋭いけど、鈍感だ。別に私は眠くはない。
「うん、ごめん。ちょっと考え事してた」
「珍しいな、上の空なんて。なんだね、私に話してみなさい」
——くっそ、くっそ、話せる訳ないじゃん! ああもう、『ルネディ、戦う気ないみたいよ』なんて言えたらどんなに楽になることか!
でもここで不自然に誤魔化すのは良くない気がする。何か、何か——あ、そうだ。
「ねえ、誠司さん。『イターリャ』王国って知ってる?」
私は話題を変える意味でも、妖精王様がいたという国の名前を誠司さんに尋ねてみる。まあ別の星らしいし、話のネタにでもなればと思って聞いてみたのだが——
「ンッ!」
——誠司さんは吹き出した。
「なんだよー」
口を尖らせる私に、誠司さんは目を細める。
「いや、すまない。君の発音があまりにも素晴らしくてね。いや、しかし、まあ、知っていればその結論に行き着くよな」
「えっ?」
「んっ?」
何を言ってるんだ、誠司さんは。発音? 結論?
私が言葉を返せずにいると、誠司さんは首を傾げて私に告げる。
「なんだ? 君もそう考えたのではなかったのかね——」
誠司さんは私の目を真っ直ぐに見つめた。
「——『ルネディ』はイタリア語だ。そして、この世界に広がる中世ヨーロッパの街並み。つまり、イタリア共和国……いや、当時の『イタリア王国』からの転移者が存在していた可能性を」




