狼の吼える夜に 03 —前哨戦—
誠司はヴァナルガンドに向かって駆け出す。それを合図に、ヴァナルガンドの目が、拳が、青白い炎に包まれる。
「はーはははっ! 行くぞ、セイジ!」
青白い炎の吐息を漏らしながら、ヴァナルガンドも身構えた。そして姿勢を低くし、彼女も誠司に向かって駆け出す。
ヴァナルガンドは拳を振る。距離がまだあるにも関わらず振り下ろされたその拳は、青白い軌跡を描き炎となって誠司を襲う。
それを走りながら横にかわした誠司は、すれ違い様に一太刀入れようと試みた。だが、ヴァナルガンドは人体の構造をこえた動きでその刃の下を潜り抜ける。
ヴァナルガンドは地面をこすりながら身体ごと振り向き、誠司に向かって再び駆け出そうとした。しかし、彼女は背後からの気配に反応し、身体の位置をずらす。
その直後、彼女のいた位置を三本の矢が続け様に通過した。レザリアだ。
戦いが始まる前は怖がっていた彼女も、いざ戦闘が始まると顔付きは完全に戦士のそれになっていた。さすがは『月の集落』随一の戦士と謳われるだけの事はある。
引き続き矢をつがえるレザリアを一瞥し、ヴァナルガンドは口元を緩ませる。そしてレザリアの射線と誠司を結ぶ様に位置どり、誠司に向かって駆け出した。
矢が避けられる——その可能性だけで、レザリアはヴァナルガンドの足元を狙うしかなくなっていた。胴体を狙って避けられてしまったら、誠司に当たってしまうからだ。
歯噛みをしながらも次々と放たれるレザリアの矢を、ヴァナルガンドはまるでステップを踏むかの様に軽くかわしてゆく。彼女にとって、どこを狙ってくるか分かっている矢をかわす事など造作もない事なのだ。
再び、ヴァナルガンドの青白い拳が誠司に向かって振り下ろされる。誠司はそれを紙一重で交わしながら、カウンターでの突きを狙う。しかし、それもまた人体の構造をこえる動きでかわされてしまった。誠司の服から焼ける匂いが立ち込める。
ヴァナルガンドは、その青白い炎を纏った腕で誠司をつかもうとした。だがその時、上空から風の気配を感じヴァナルガンドは大きく飛び退く。
直後、その場所に小太刀の一刀が空から降ってきた。莉奈だ。重力を乗せた死角からの一撃。それをなんなくかわされてしまった莉奈は、急ぎ上空へと退避する。
ヴァナルガンドはその莉奈に向かって不敵にほくそ笑み、拳を振った。そこから放たれた青白い炎は、莉奈に向かって飛んでいく。
「……ひっ!」
事前に対空攻撃があると聞かされていた莉奈は、すんでの所でその攻撃を躱す事が出来た。危なかった。少し髪の毛が焼けてしまったかもしれない。
その隙に三度誠司が駆け寄る。ヴァナルガンドに向かい振り下ろされる刃。そして、射線上から誠司が外れた隙を見て放たれるレザリアの三本の矢。
だがヴァナルガンドは誠司の刃を右手でつかみ、そして飛んで来る三本の矢を左手一振りでつかみ取る。ブスブスと燃える矢。
——そして、ヴァナルガンドは何もないはずの背後を蹴った。
——ドゴッ
確かな感触。そこには背後からの一撃を狙った、魔法で自身の姿を隠したニーゼがいた。
「……なん……で……」
——『姿を溶け込ませる魔法』。この魔法は姿や気配を断ち切る事が出来る、ニーゼのとっておきの魔法だ。魔法の効果中は魔力の消耗が激しいので、ここぞという時にしか使えない。
その魔法が破られてしまったニーゼは姿を現し、うずくまって咳き込んでしまう。
「ははは。娘よ、匂いまでは消せぬ様だな!」
楽しそうに笑うヴァナルガンド。彼女はつかんだ刀を誠司ごと投げ捨てる。誠司は空中で回転し、岩壁を蹴って無事に着地した。
そこに高速で飛来した莉奈がニーゼを掬い取り、ヴァナルガンドから距離を取らせる——。
「大丈夫、ニーゼ!?」
「……ケホッ、ケホッ。うん、さすが、強いね。でも、私達には手加減してくれてるみたい」
「……まあ、本気出されたら、少なくとも私は瞬殺だろうね」
再び交戦を始めた誠司とヴァナルガンドを見ながら莉奈は呟く。二人の動きは何とか目では追えているものの、あの中に無謀にも飛び込んでいく勇気はない。
——何かいい手はないものか。莉奈は必死に考えを巡らす——。
「はははっ! 楽しいな。セイジ!」
幾度となく振り下ろされる拳。辺りの地面には青白い残り火が燻っている。誠司の刃は先程から何撃かはヴァナルガンドを捉えているものの、未だに決定打はない。
「……そうだな。久しぶりだよ、この感覚は」
誠司もだんだんと息は上がってきてはいるが、その口元には笑みをたたえている。ヴァナルガンドはまだ本気を出していない。誠司の今のレベルに合わせてくれているのだ。悔しいが、リハビリとしてはありがたい。
ヴァナルガンドは誠司の振り下ろす刀を腕で弾き、レザリアの矢をかわす。空からは莉奈が隙を見て近づこうとするが、炎を放ち牽制をする。そこでヴァナルガンドは気が付いた。
(……一人、姿が見えんな。また姿を消したか?)
誠司にレザリア、そして空に浮かぶ莉奈の姿は確認出来る。ヴァナルガンドはもう一人の動向を探るため、注意深く匂いを探った。だが、ニーゼの匂いは感じられない。
(……ふん、風下にでも潜んでいるか。だが、近づいてくれば同じことよ)
ヴァナルガンドは消えた一人の事は意に介さずに、誠司に向かい駆けてゆく。その時だった。性懲りも無く上空から迫ってくる気配に気がつく。
(……空飛ぶ娘か。はん、何度やっても同じこと)
迫ってくる莉奈にヴァナルガンドは炎を放つが、莉奈は下降しながら大きく旋回してそれをかわした。そして地表付近まで来た彼女は、地面スレスレをヴァナルガンド目掛けて飛んでくる。
(……ほう、やる気か。受けて立とうぞ!)
ヴァナルガンドは拳を引き身構える。接近する莉奈。ヴァナルガンドは莉奈に向かって拳を——
「ん?」
——突然、莉奈が急上昇した。何がしたかったのだ。ヴァナルガンドは眉をしかめるが、そこで異変に気付く。
(……何だ、この匂いは!)
その匂いは彼女の軌跡、そして上から漂ってくる。急上昇した莉奈は、何かを袋からばら撒いた。辺りに香りが立ち込める。
それは、元の世界でいう所のラベンダーの花。ジャスミンの花。キンモクセイの花。いずれもこの世界に存在する花だ。
その色とりどりの花が、ヴァナルガンドの周辺目掛けて降ってくる。
(……一体何を……いや、まさか!)
ヴァナルガンドは莉奈の狙いに気付き、辺りを見回す。そして急いでその場を離れようとした、その時だった。
——ゴンッ!
「ぶっ!」
姿を隠したニーゼのフルスイングが、ヴァナルガンドの横っ面を叩く。さすがに斬る訳にはいかなかったので、剣の腹でぶっ叩いた訳だが——ヴァナルガンドは大きくよろめいた。
急ぎ体勢を立て直そうと距離を取るヴァナルガンドを見て、ニーゼは姿を現す。
「……これで……おあいこだね」
——彼女達は作戦を練っていた。潰すべきは『嗅覚』。その為に必要なのは『木に花を咲かせる魔法』。莉奈とニーゼは馬車の木造部分でたくさんの匂いのする花を咲かせ、それを袋に詰め込んだ。
そしてヴァナルガンドの嗅覚を麻痺させ、姿を消したニーゼが一撃を入れるという作戦だったのだ。
その作戦が上手くハマった莉奈は、ニーゼの横に降り立ちハイタッチをする。
「やったね、ニーゼ!」
「ううん、作戦を立てたリナのおかげだよ」
その様子を見て、まんまと嵌められた事に気づいたヴァナルガンドは——豪快に笑い出した。
「はーはっはっはっはっ、やるな娘らよ! 見事だったぞ! どれ、我も本気を出すとしようぞ!」
高笑いと共に、ヴァナルガンドが青白い光に包まれる。
いつの間にか二人のそばに近寄って来ていた誠司が、ニヤリと笑った。
「やるなあ、君達。さあ、ここからが本番だぞ」
「……え?」
やがてヴァナルガンドは登場した時と同じく、見上げる程の巨体な狼の姿となって莉奈達を見下ろすのだった——。




