狼の吼える夜に 02 —ヴァナルガンド—
——フェンリル。莉奈は記憶を呼び起こす。それは確か、凄い力を持つ、狼の姿をした神話生物。そして——
「……フェンリルって……じゃあ、あれが美少女になったりするの?」
「?……君は何を言って……いや、そういう物語もあったな、確か」
誠司は「ふむ」と顎に手を当てる。
「なあ、ヴァナルガンド。君は女性の姿になったりするのかい?」
「——おい。せっかく出て来てやったのに、我を無視して何を言っているのだ」
「いやあ、すまない。久しぶりだね、ヴァナルガンド。最後に会ってから……二十年以上経っているかな」
「そうか。老けたな、セイジ」
「はは、よく言われるよ」
何気ない会話を交わす誠司。だがその一方で、エルフ達二人は身体を震わせ抱き合っていた。その様子に気付いた莉奈が、二人に話しかける。
「どうしたの、あなた達。えと……ヴァナルガンドさん?のこと、知ってるの?」
その問いに、レザリアは唾をゴクリと飲み込み口を開いた。
「知っているも何も……伝承として、その存在は語り継がれてはいましたが、見るのは初めてです。実在したんですね……」
「……ねえ、レザリア……私達、食べられちゃうのかな……セイジ様、もしかしたら私達を生贄に……」
「——おい。そこの娘らよ」
ガタガタと震えるニーゼの言葉が聞こえたのか、ヴァナルガンドが女性陣に話しかけてきた。
「人聞きの悪い事を言うではない。そもそも我は——」
「ひいっ! 申し訳ありませんっ!」
ヴァナルガンドに声を掛けられ、二人のエルフは平伏する。その様子を見た誠司は、やれやれとため息をついた。
「なあ、ヴァナルガンド。彼女らは私の知り合いだ、あまり怖がらせないでやってくれ」
「我にその様なつもりはないぞ。だが、ふむ、そうだな……」
そう言うとヴァナルガンドは少し思案した素振りを見せ、後、青白い光に包まれる。そして、光が収まったそこには——
「ふむ、こんな感じかな。これでどうだ、娘らよ。女性の姿を所望しているのだろう?」
——青味がかった銀髪。すらっとした肢体。透き通りそうな肌。人の女性の姿を形取ったその姿。
未だ光の残滓が残る羽衣の様なものを身に纏ったその姿は、まるでお伽噺の世界から出てきたかの様な幻想的な雰囲気を醸し出していた。
その姿を見た一同は、茫然と見惚れてしまう。
ヴァナルガンドはその反応に首を傾げるが、そんな中で莉奈は、彼——いや、彼女に駆け寄り、その手を取った。
「ヴァナルガンドさんっ!」
「な、何だ、娘よ」
「あなたは、私の、理想の女性像ですっ!」
「ふむ、なるほど。こういうのでいいのだな」
「バッチリ、です!」
呆気に取られた誠司は、どこで莉奈のスイッチが入ってしまったのかと不思議がる。だが、先程のやり取りを経ていたエルフ達は何となく思い当たる節があった。
そう、人間の女性を形取ったヴァナルガンドのその胸は——割と控えめに作られていたのである。
だが、その反応に満更でもない様子を見せるヴァナルガンドは、莉奈に口角を上げて頷いた。そして誠司の向かいに座り込み、胡座をかいて片膝を立てる。
「さて、セイジ。今日はどうした。また我を倒しに来たのか」
「ああ。と、言いたい所だが少し違う。その前に、ヴァナルガンド。なんだその座り方は。いい女が台無しだぞ」
「ふん、知るか。娘らが恐怖するからこの姿を形取ったまで。それとも男の姿の方が良かったか?」
そのヴァナルガンドの言葉に、莉奈は腕を交差させバツ印を作る。それを横目でチラリと見た誠司は、ため息まじりに首を振った。
「分かったよ。気遣いありがとう、ヴァナルガンド。それで、だ。今日訪れたのは他でもない。少しリハビリに付き合って貰おうと思ってな」
「リハビリ? どういう事だ」
「少し、命をかけた戦いをしなくてはいけなくてね。先日久しぶりに戦闘した時に痛感したんだ。私は衰えている。肉体もそうだが、何より、戦闘に対する勘がな」
ヴァナルガンドは「ほう」と、ニヤリと笑う。
「お前も結局、人の子だったという訳だな。面白い、付き合ってやろう。今日はノクスウェルやミランダはいないのか?あの時の戦いは愉快だったぞ」
「すまないね。ノクスはともかく、ミラは完全に現役を退いている。まあ、代わりといってはなんだが——」
そこまで言って、誠司は振り向き三人を見回した。話の流れから嫌な予感しかしない莉奈達は、引き攣った顔を見合わせる。
「——この娘達もなかなかのもんだぞ。舐めてかかると足元を掬われるかもな」
「ははは、そうか、これは楽しみだ! 思う存分やり合おうぞ、娘らよ!」
その言葉に、莉奈達三人は必死に腕を交差させてバツ印を作るのだった——。
†
「ちょーっと、誠司さん! 何、勝手に巻き込んでくれちゃってるのよ!」
のんびりと屈伸をし始めた誠司に、莉奈は食ってかかる。
「はは、君達も勉強させて貰いなさい。彼——いや、彼女と呼ぶべきかな。ヤツは強い。学べる事も多いはずだ」
そのヴァナルガンドは「いつでもかかって来い」と言い残し、今は少し離れた所で腕を組みながら、ニヤニヤとこちらを眺めていた。
「あの、セイジ様。わ、私達はどの様に動けば……」
ヴァナルガンドの視線に少し怯えながらも不安そうに尋ねるレザリアの問いに、誠司は皆を見渡して告げる。
「君達はとにかく、攻撃を喰らわない事を念頭に立ち回りなさい。加減はしてくれるとは思うが、下手すりゃ持っていかれるぞ」
「……そんなあ!」
ニーゼから悲痛な声が上がる。そんなエルフ達の肩を、莉奈は優しく叩いた。
「頑張ってね、二人とも。私、空から頑張って援護するから!」
「——ああ、言い忘れてた。莉奈、ヤツは対空手段もバッチリだ。そんな相手初めてだろう? 君が一番気をつけたまえ」
「……そんなあ!」
その莉奈の悲痛な叫び声を背にして、誠司は刀を抜き、ヴァナルガンドと向き合った。星の光が刃を照らす。
「では皆、そろそろ行くぞ。健闘を祈る」




