「それぞれの」 02 —エリス、ジョヴェディ—
†
トロア地方中央南部、元魔法国、岩肌の剥き出しになった更地——。
ゲートを潜り抜けてきた女性は、大きく伸びをした。
「……んー、ふう……。ここはあの時のまんまだねえ、ジョヴ爺」
彼女から遅れてゲートから出てきた老人は、短く鼻を鳴らす。
「……フン……ええのか? 今はこんなことしている場合じゃなかろう、エリス」
「ん? もしかして、いやだった?」
ことの発端は、魔女の家で茶をすすっているジョヴェディにエリスが持ちかけたことに始まる。『私と戦う約束してたよね?』と。乗り気ではないジョヴェディを、無理やり引っ張ってきた形になるが——
「……無理して戦いに付き合うというのならば、ワシはそれを望んでおらん。憂いをなくし、その上で万全のお主と——」
「ジョヴ爺、変わったねえ」
腰をかがめ、エリスはジョヴェディの顔を覗き込んだ。彼は軽く、目を逸らす。
「……ワシは……変わってはおらん」
「ふーん、そ。じゃあさ、その憂いをなくすために私と戦ってよ」
エリスはピョンと立ち上がり、くるりと白い杖を回す。娘、ライラが使っているものと同じ杖だ。
杖を真っ直ぐにジョヴェディに向けるエリス。その顔は実に晴れ晴れとしていて——その表情を見ていられずに、ジョヴェディは目を伏せた。
「……順番が逆じゃ。訪れるであろう『大厄災』、その前に怪我でも負うたらどうする」
「へえ! ジョヴ爺、私に怪我させることができると思ってるんだ!」
ピク。ジョヴェディの眉が動いた。
「……ぬかせ。ワシが本気になれば、お主とてただではすまん」
「ふふ、やってみなよ。別に『厄災』の力使っても、いーんだよ?」
煽る、エリスは煽る。彼女の真意を測りかねているジョヴェディだったが、大きくため息をつき、魔法の詠唱を始めた。
「…………——————」
「——『空刃の魔法』!」
先に紡がれたエリスの空刃が、ジョヴェディの腕を切り落とした。彼はそれをチラと横目で見て、杖をエリスへと向ける。
「……なぜ、逃げん。これが『爆ぜる光炎の魔法』だと気づいておろう」
パチパチと大気が震えだす。それを見たエリスは、慌てて両手を上げた。
「きゃー、怖い、逃げなきゃー」
パタパタと背を向けて駆け出していくエリス。いったい何だというのだ。ジョヴェディは再び深いため息をつき、魔法を解き放った。
「——『爆ぜる光炎の魔法』」
目の前で起こる爆発。エリスは十分に離れた。あの位置なら巻き添えもないだろう。
まったく、これでは全然ヒリつかない。約束を果たしてくれようとするのは嬉しいが、こんな茶番は望んでいない。今となっては、もしエリスに何かあったら燕やライラに顔向けができない。
——のう、リョウカ。ワシがお主の代わりに、『白い世界』とやらを必ず……——
爆炎の中から、魔力の高まる気配が伝わってくる。ジョヴェディがハッと顔を上げると——
「——『空弾の魔法』」
——その場所から土煙を巻き込み、巨大な空気の渦が飛んできた。
ジョヴェディの半身が抉れ、弾き飛ばされる。
土煙が晴れた中、その中心にいるのは不敵に笑うエリスの姿だった。
「……ぐっ、何故……」
「ふふ。ライラの記憶から拝借しちゃったんだ。『光を防ぐ魔法』だって。ねえ、ジョヴェディ——」
エリスはビシッと杖を向ける。
「——『身を守る魔法』くらい掛けといた方がいいんじゃない? あまり私を、ガッカリさせないで?」
ジョヴェディの目が、輝きを帯び始める。そうか、やはりエリスだ。エリスでなくては。憧憬の存在、エリスは今、ここにいる。
ジョヴェディは身体を再生させ、杖を構えた。
「……ククッ。あまりワシを舐めるなよ、小娘が」
「おっ? 本気でやる気になってくれたのかな?」
まるで茶化すようなエリスの物言いを聞き、ジョヴェディの口角が上がった。
「……無論!」
†
やがて、日もどっぷりと落ちた頃——。
魔女の家のゲートを潜り抜けて、二人は帰ってきた。
「お帰りなさーい!」
庭で魔法の練習をしていたライラは気配に気づき、てててと駆けよっていく。少女は屈託のない笑顔で二人に尋ねた。
「ねえ、ねえ! どっちが勝ったの?」
その言葉に、エリスとジョヴェディは顔を見合わせて笑いあった。
「お母さん、負けちゃったよー。ジョヴ爺ね、本当にすごかったよ」
「……フン、何を言う。お主がワシを消滅させる気で来ていたら、負けたのはワシの方じゃった。ライラよ、お主の母は強かったぞ」
「そうなんだー。私も見たかったなあ、その戦い!」
ギュッとエリスに抱きつくライラ。その娘の頭を撫でながら、エリスはジョヴェディに微笑んだ。
「どう、ジョヴ爺。少しは気が晴れた?」
「……そういう事だとは思っとったが……お主、ワシを焚き付けたな」
「あは、バレてたか。ごめんなさーい!」
ペロリと舌を出すエリスを、ジョヴェディは優しく見つめた。
「すまんのう、エリスよ。ワシはもう大丈夫じゃ。いつまでも落ち込んでおったら、リョウカに笑われてしまうわい」
「そうそう。あなたは私たち魔法使いの『憧れ』なんだから、そうでなくっちゃ。元気だしてね、魔法の大先輩!」
ポンポンと肩を叩くエリスの言葉に、ジョヴェディは笑みを浮かべながら目を伏せる。
——そうか。今のワシは、皆にとって『先導者』なんじゃな——
やがてライラはピョンピョンと飛び跳ねながら、二人の手を握った。
「ねえねえ、お母さん、ジョヴお爺ちゃん。お願いがあるの!」
「ん、どうしたの?」
「なんじゃ、ライラ」
少女は二人の師を、キラキラとした目で見つめた。
「——私の魔法の練習に付き合って!」
夜は更け、また朝は来る。
束の間の平穏の中、魔女の家の日々はゆっくりと流れていくのだった——。




