『リョウカ』の物語 06 —『厄災』来たりて【裏】—
倒れ込みながら私を見上げる少女。私は固まったまま、動けない。
(……見ろ『義足の剣士』だ)
(……ああ、最強と名高い剣士様だ……この街に来ていたのか)
何事かと足を止めた人たちから、そんな声が聞こえてくる。
——『うん。前にエルフさんを助けた日に、サランディアでぶつかっちゃったの……』——
そうだ。確かにライラはそう言っていたことがあった。ここでなのか? この時間、この場所で本当に合っているのか?
——そしてここで『リョウカ』は、いったい彼女にどんな対応をした?
ライラは変わらず、上体だけ起こした状態で私のことを観察していた。まずい、私とライラは何年も一緒に生活してきたんだ。私が『私』であることがバレてしまう——。
困惑しながらも、私は心に従い、無言でライラに手を差し出した。
「本当に……ごめんなさい」
彼女は謝罪の言葉を口にしながら、私の手を取って立ち上がった。
ああ、ライラの手だ。私よりも小さく、暖かく、きれいな手。
——私だよ、私はここにいるんだよ——
そう告げたい気持ちを抑え込み、私は身を翻して無言で路地裏へと向かって行く。
「待って!」
ライラが追いかけてくる。お願い、お願いだから追いかけてこないで——。
私は裏路地に入り、『空間跳躍』で近くの民家の屋根へと移動した。
「え、いない……」
彼女のつぶやきが、風に乗って聞こえてきた——。
†
それから私は、そこで起こる一部始終を確認した。
人身売買の二人組に襲われるライラ。抵抗もせずに、おとなしく連れ去られるライラ。
その様子を、裏路地の角から唇を噛み締めながら見ているアナさんの姿があった。やがて彼女は、距離を置いて慎重にライラたちの後を追いかけていった。まさに私の聞いた通りの出来事が、目の前で繰り広げられていた。
私は息をつき、思い返す。
(……私の知らないところで、『リョウカ』はどう動いていた?)
今回は『運命』通りに事が運んだようだが、記憶をもっと引き出す必要がある。どんな些細なことでも、正確に。
私の絡んでいない、リョウカの『私』がとった行動——。
「……あっ」
一つ、思い出した。今回の件とは関係ないが、今のうちに種をまいておかなければいけないことを。
(……ありがとね、ライラ)
私は心の中で彼女に礼を言い、『空間跳躍』で移動した。
†
雑貨屋を訪れた私は、店内を物色し始める。
相手は異常な記憶力を誇る、この国の王『サラ』だ。絶対に目元まで隠さなければ、私が『私』だということがバレてしまうだろう。
そこにお目当てのものは——あった。
目の部分は丸い形状で、色ガラスが入っている。銅褐色のような燻んだ色合いをしたその仮面は、くちばしがあればペストマスクに近い印象を受ける。
こんなの誰が買うんだ——とも思うが、間違いない、『リョウカ』がつけていたものだ。はい、私が買います。恨むぞ、私。
仮面を購入した私は、物陰に隠れてそのマスクをつけてみる。息苦しい。暑い。蒸れる。口元を覆うマスクもつけているので、なおさらだ。
(……慣れるまで、時間がかかりそうだなあ)
私は意識を飛ばし、ライラの様子を覗く。屋敷の地下、下水道にある一室には、すでに誠司さんが現れていた。
「……ということは……」
意識を移し替える。『妖精の宿木』の一室では、この世界の『私』があたふたしているところだった。
(……急げよ、『私』……)
もうすぐ、日が落ちる。この後、街の外へ連れだそうとされるニーゼたちを『私』が助けることになるのだが、ここも一つの『運命の分岐点』だ。
こんな世界があった。
ザランたちに負け、そのまま連れ去られる私。
馬車の中で男たちに好き放題なぶられ、せめてもと噛みついた私は、男たちに殴り殺される。
——そして迎えるのは、赤い世界。
いざという時に介入は厭わないが、でも、『私』の持つ運命力ならそちらは大丈夫だろう。様子は見ておくが、ヘザーとレザリアが間に合うはずだ。
私は私のすべきことを、する。
私は息を潜め、ルネディの『影』が落ちるその時を静かに待つのだった——。
†
夜の帳が下り、しばらくして。
ルネディの影は、落ちた。
私は仮面を被り、サランディア城、サラの部屋へと跳躍した。
そこには——。
部屋の中に現れている、ルネディの『人影』。サラは困惑した様子で壁に背をつけていた。
『やあ、サラ王。失礼するよ』
「……え? あなたは?」
私は跳ね、サラの部屋のカーテンを閉める。月明かりの遮られた人影は、溶けるように消えてなくなっていった。
その様子を観察していたサラは、納得のいった表情で頷いた。
「やっぱり! 十九年前の影の『厄災』と、同じだったんだ!」
サラはうんうんと頷いている。まったく、この人は変わらないな——。
私は仮面の下で苦笑いをしながら、ギルドカードを差し出した。
『申し遅れてすまない。私は三つ星冒険者のリョウカだ。突然の訪問、失礼した』
マントを翻し、私は王に跪く。サラはキラキラした目で私の前にしゃがみこんだ。
「あなたがリョウカ! 名前、聞いてるよー。ねえねえ、どうしたの、急にあなたが現れたように見えたけど!? それに不思議、その喋り方、頭の中に声が響くみたい!」
『はは。今から説明するが——』
その時、私の意識に城の者たちが近づいてくる気配が引っかかった。私は急ぎ、立ち上がる。
『——すまない、緊急事態だ。街の人のところへ向かうとするよ。不敬で申し訳ない』
私の言葉を聞いたサラは、クスリと笑った。
「全然不敬じゃないよ。そうだね、街の人のことをよろしくね!」
『ああ、任せてくれ。ただ——』
私は仮面の上に、人差し指をかざした。
『——君を守る者たちから見れば不敬だと思われるかもしれないから、今日私が訪れたことはどうか内密に』
「任せて。私、口かたいから!」
鼻で息を吐きながら宣言するサラを見て、私の肩が揺れる。彼女の口は言うほどかたくはないが、まあそこは『運命』に任せるとしよう。
『では、失礼』
「また来てね! 来なかったら不敬罪にするから!」
『はは、必ず来るよ』
兵士を引き連れた重鎮たちが扉をノックする音が、部屋に響く。
サラがそちらに目を向けた隙に——私は『空間跳躍』で部屋から移動した。
——そう、この世界の『私』とのファーストコンタクト。その時はもう、目前に迫っているのだから。




