『父』と『母』の物語・別れ 16 —『父』から『娘』へ—
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サランディア王国城下街、ベッカー家。
ここの家の主であるノクスは、就寝の準備をしていた。
そんな彼の元に、愛妻ミラが娘の手を引いてやってきた。
「……ねえ、ノクス。なんか聞こえない?」
母親の足にピッタリとしがみつく愛娘のアナ。妻の言葉に、ノクスは注意深く耳を澄ました。
聞こえるのは、雨の音。今日一日中、降り続けている。明日は晴れるといいが——。
そんなことを考えながら耳を傾けるノクスだったが、雨の音以外には何も——
——ドン、ドン
——いや、確かに聞こえる。扉を叩くような音が。
ノクスとミラは、顔を見合わせて玄関の方へと向かう。こんな夜分に人が訪れることなんて滅多にないのだが。
「……ミラ、一応警戒しておけ」
「ノクス……気をつけてね」
警戒しながら鍵をあけ、扉を開くノクス。そこには——
「……セイジじゃねえか、どうした!?」
——夜の雨の中、外套を羽織ってたたずむ男女が二人。その男、誠司は苦しそうな表情でノクスとミラを見つめた。
「——すまない、ノクス、ミラ……彼女に……ヘザーに子供の育て方を教えてやってくれ……」
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ひと通りの事情を聞いたノクス夫妻は、誠司の願いを快く了承した。
ミラは涙を目端に溜めながら、ヘザーの手を握った。
「……あなた……エリスさんなのね……」
「……申し訳ありません。私はあなた達と知り合いなのでしょうか?」
「……ふふ、そうよ。あなたはね、私たちの家族を救ってくれた、とってもすごい人なのよ……」
ミラは自分の知っている育児の知識をヘザーに教え込んだ。
ヘザーは真剣に話を聞き、彼女の教えを吸収していく。
そして時は流れ、ある夏の日——
「ホギャアァァ、ホギャアァァーー」
——誠司が一瞬の光に包まれたかと思うと、そこには可愛らしい赤子が現れていた。
どうしていいか分からずに困惑しているヘザー。やってきたミラは優しく赤子を抱きかかえ、布に包んだ。
「さあ、ヘザーさん。あなたの子よ。教えた通りに、抱っこしてあげて」
「これが……私の?」
ミラから赤子を受け取ったヘザーは、恐る恐る、教えられた通りに頭と首を支えながらその胸に抱く。
最初は泣き叫んでいた赤子だったが——やがて、落ち着きを見せ始めた。
「ヘザーさん、話しかけてあげて」
ミラに囁かれ、ヘザーは赤子を見て、優しく語りかけた。
「あなたはねえ、『ライラ』。ライラっていうんですよ。
あなたを愛するセイジのために、
そしてエリスという人のために、
無事に産まれてきてくれて……
ありがとう……ございます……」
ライラはヘザーの胸の中でニコッと笑ったように見えた。
ヘザーは愛おしそうに腕の中のライラを見つめるのだった——。
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後記
ここに、私の覚えていることを出来る限り記した。
ヘザー。これが、君の人生だったんだ。
君が記憶を取り戻すことはないとは思うが、『エリス』であった時の君の人生を、覚えておいて欲しい。
そしてもし、私がいなくなった後でライラがこれを読みたいと願ったら、その時は見せてやってくれ。
君には押しつける形となってしまうが、どうかライラのことを、よろしく頼む。
ライラ
これを読んでいるということは、お父さんはもう君のそばにいないのかもしれないね。
今まで黙っていて悪かった。君のお母さんは、最初からずっと君のそばにいたんだよ。
でもね。これだけはハッキリと言える。
お父さんも、そしてお母さんも、君のことを本当に愛していたんだ。
お父さんがいなくても、君なら大丈夫。ヘザーと……君のお母さんと、幸せに暮らしなさい。
そして、私のことは忘れてもいいが、君には世界を救った、君のために世界を救った立派な母親がいたことを時々は思い出し、誇りに思って欲しい。
ライラ。いなくなってごめんな。
けどね、最後に一つ。
ライラ、お父さんは君のことを、愛している。
元気に、生きなさい。
鎌柄 誠司
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——少女は父の残した手記を読み終え、
涙を流す赤い瞳をそっと閉じた——
そして全てが狂ってしまった、あの『始まりの五秒』を思い返す——。
お読みいただきありがとうございます。
これにて第六章、長らく続いた誠司の過去編が完結となります。
そして大変お待たせいたしました。次章より本編復帰、赤い世界のライラへと物語は引き継がれます。
よろしくお願いいたします。




