『父』と『母』の物語・異変 07 —満月の夜を越えて—
満月の夜を間も無く迎えようとしている、サランディアの街、夕刻時。
今は住民たちは皆家の中に引きこもり、その窓を固く閉ざしている。
兵士たちと住民たちの協力で、街中に『灯火の魔法』が貼り付けられている。
私はそんな街並みを城のテラスから眺めながら、妻の帰りを待っていた。
「セイジ、ただいま!」
背後から声をかけられる。エリスだ。
彼女は今日も妖精王の元へと出向き、エルフ族と連絡をとりに行っていた。満月の夜だから、細心の注意を払うようにと。
あとは先日話に上がった通信魔道具の件。実は元よりこの世界にも近いものはあるらしいのだが、例えるならトランシーバーのようなものらしく。だが、妖精王の魔道具を使えば長距離間通信も可能になるかもしれない、とのことだ。
もう一つ、彼女は『試してみたいことがある』とのことだったが——。
「そっちは上手くいったのか、エリス」
「うん! 明日になったらまたオッカトルに行かなきゃだね。それで、セイジの方は?」
「ああ。まあ私の方はただ、見てきたことを伝えただけだからな」
そう。私は各地の状況を共有した。サラに、執政官に、ノクス達に——。
さっそく今朝方から、防寒対策を万全にした兵士たちがスドラート方面へと向かっている。現状、出来ることは限られている。だがそれでも、国は決して見捨ててなどいないと領民達に『希望』を届けるために。
そして日没後——。
肩を寄せ合う私とエリスが見守る中、灯りだけが虚しく浮かび上がる深淵の闇は訪れたのだった——。
†
この夜。
月の集落のエルフ族の戦士、レザリア=エルシュラントは見た。森の中央部の方角に立ち昇る黒影を。
(……これは……)
彼女は物見台から飛び降り、漆黒の闇の中から襲いかかってくる『人影』をかわしながら屋内へと駆け込むのだった。
†
私は闇に包まれた街を眺める。
例えるなら、雲に覆われた新月の夜。
街の至る所に配置してある灯火は、周囲を照らしあげることなくただ光っているだけ。
私たちはただ、じっと夜が明けるのを待つ。
空に浮かぶ満月はその月光を、自分だけのものにしていたのだった。
†
翌朝。
満月の夜は無事に過ぎた。
だが一部、脆い建造物には破壊の跡があった。その中にいた者達は月の明かりが届かぬ位置で寄り添い、眠れぬ夜を過ごしたとのことだ。
ここサランディアもまた、『雪』や『砂』と違った脅威があると改めて実感する。それは直接的な『死』。月の出ている時間に表にいると、待ち受けているのはその未来だ。
私は深く息を吐き、エリスに声をかけた。
「じゃあ、エリス。オッカトルに向かおうか」
「……うん、そうだね」
†
オッカトルに着いたエリスは、さっそく作業に取り掛かった。
街の中央広場に結界を張って砂が入ってこないようにし、空間魔法で地面にプール程度の大きさの穴を開ける。
そして、『東の魔女』のセレスさんやマッケマッケ君、街の人達が見守る中——。
「——『空間を結ぶ魔法』!」
エリスが詠唱を終えると、出来上がったゲートから水が流れ出した。湧き上がる歓声。
ひと通りの処置を終え息をつくエリスの元に、セレスさんが駆け寄ってきて抱きついた。
「……エリス! 本当にありがとう!」
「わっ。いいのいいの、気にしないで! でも、これでひと安心だねえ」
そう。エリスは妖精王の元を訪れるついでに、西の森を流れる川に空間魔法を構築してきた。
ゲートを通り、エリスの作った穴に満たされていく水。余分に貯まった分はもう一つ構築したゲートから元の川へと排水されていく仕組みだ。
抱き合い喜びあう街の人たち。その笑顔をもたらしたのはエリスだ。私は妻のことを、改めて誇りに思う。
エリスは民兵や街の人たちに、使用上の注意や『浄水魔法』について説明をしている。
その様子を涙ぐみながら眺めているセレスさんに、私は声をかけた。
「やあ、セレスさん。体調はもう、大丈夫なのかな?」
「あら、エリスの。気安く話しかけないでくれる?」
「……え?」
私は固まる。聞き間違いか? いや——。
そんな困惑する私のことを、まるで汚いものでも見るかのように彼女は続けた。
「それにしても、エリスがまさかあなたみたいな下等な人間と結婚するだなんてね、驚きだわ。ああ、そうそう。下等って言うのは人間族全体ではなく、もちろんセイジ、あなただけのことよ」
「……待て。ずいぶんな口ぶりじゃないか」
彼女と私は、ほぼ初対面に近い。なのに何故こんなことを言われなくてはならないのか。しかし私の文句に彼女は飄々と返す。
「あら、怒ったのかしら。それは結構ね。これに懲りたらもう、私に話しかけるのはやめてくれるかしら」
「……ああ、言われなくても——」
と、私がその場を立ち去ろうとした時だった。何かが私の足元に転がってきた。
「フフ。では、ご機嫌よう」
口元を押さえ、彼女は身を翻す。私は足元に転がってきたものを拾い上げ、その場から駆け出した。
「……マジかよ、あの女……」
それは、元の世界でいうところの手榴弾的なもの。
私は皆から離れるように駆け、そして誰もいない方へと——
——チュドーン!
——その日、ケルワンの街の一角で小さな爆発が起きた。
被害0。いや、一人の男が煤まみれになって何やらぼやきながら煙の中から出てきたが——
「……ふざけんなよ、セレスぅ……」
——公式にはこの事件は、なかったことにされたのである。




