『父』と『母』の物語・二人 03 —売国奴—
——会談は進む。
ヘクトールが望むのは、サランディアの『武力』。
『厄災』の力で国力が弱まったブリクセンやオッカトルを、少数精鋭であるサランディアの騎士団、兵団を動員し、武力で叩くという寸法だ。
話を聞いたデメルトロイは疑問を口にする。
「……しかし、ヘクトール卿。『厄災』の力とやらで放っておいても滅ぶのだろう? なぜ、わざわざ武力行使を……」
その疑問に、ヘクトールは鼻を鳴らして答えた。
「フン。デメルトロイ王、貴公も見たくはないか? あの小娘……ハウメアの絶望する表情を」
「……まあ、な」
確かに『厄災』の力で国家存亡の危機に立たされ、その上で味方だったはずのサランディアに攻め込まれれば、彼女の絶望する様子は想像に難くない。
デメルトロイとてハウメアには思うところはあるのだ。引きこもりのクセに、偉そうにしやがって——。
そして見返りとして提示された『不老不死』。これはどうやら自らが『厄災』という存在になることで、不老不死、更には自然現象を操れるという絶大な力が手に入るらしい。
もしその力があれば、世界を支配化に置くのも不可能な話ではないのかもしれない。
ただ——『本当にそんな力があるのだとしたら』、だが。
「……ヘクトール卿。魅力的な話だが、どうにも信じられん。何か証明はできないのか?」
「まあ、疑うのも無理はない。ただ、実験は成功している。私の国に来た時にその成果を見せてあげよう」
「……ふむ」
腕を組み、深く考え込むデメルトロイ。その様子を見たヘクトールは、彼に告げる。
「では、決まりだな。ひと月後、君を迎えに来る。それまでに——」
「待て、ヘクトール卿。まだ決めたわけでは……」
「おやあ?」
ヘクトールはほくそ笑む。
「まさかここまで聞いておいて、断われるとは思ってないだろうね?」
デメルトロイの背筋に冷たいものが走った。もしかしたら俺は、すでに取り返しのつかないことを——。
「……も、もし断ると言ったら……?」
デメルトロイは上擦らせた声でヘクトールに聞き返す。その問いにヘクトールは、つまらなさそうな顔をして答えた。
「その場合は、か。君は不慮の事故で死に、愚かな大衆が望んでいる通り、君の娘のサラ王女がこの国を治めることになるだろうな」
「……貴様ぁっ!」
声を上げたのはヒンガスだ。それまでそばに控えていた彼は、剣に手をかけヘクトールへと詰め寄る。
だがそれよりも早く、ヘクトールの従者ニサの剣がヒンガスの前に突き出された。
「……くっ!」
「落ち着きなさい。ここは国のトップ同士の会談の場。私たちが感情を表していい場所ではない」
「——彼女の言う通りだ。ヒンガス、下がれ。そしてヘクトール卿、すまなかった。無礼を許して欲しい」
頭を下げて謝罪するデメルトロイを、ヘクトールは手で制す。
「私は構わないよ、デメルトロイ王。さて、では一応答えを聞かせてもらおうか」
「……答えか」
そう。そうなのだ。ヘクトールの言う通り、愚かな民衆は、まだ年端もいかぬサラの即位を望んでいるというのだ。俺の、俺の国なのに——。
デメルトロイは覚悟を決め、答えた。
「俺のやることにケチをつける国など、もはやどうでもいい。卿の言う通り、世界だ。そこで俺は、俺だけの理想郷を築いてみせる」
「よく決断してくれた、デメルトロイ王。いや、世界の王よ——」
ヘクトールは両手を広げ、優しげな笑みを浮かべる。
「——では、ひと月の間に君にやっておいて欲しいことを説明しよう。それが終われば君はもう、世界の王だ」
†
会談を終えたヘクトールとニサは、人目のつかない裏口を通って城をあとにする。
やがて街の外へと出た二人は待機させていた馬車へと乗り込む。もう大丈夫だ。ニサは息をつき、ヘクトールに話しかけた。
「上手くいきましたね、ヘクトール様。でも、よいのですか、『魅惑の魔法』を使っておかなくて」
ニサのいう『魅惑の魔法』。対象の心を奪う魔法。今、彼女自身にも掛けられている魔法。
ヘクトールは窓の外の景色を眺めながら答える。
「あれは万一魔法が解かれた時に、私に辿り着かれてしまう。その点、『忘却の魔法』なら安心だ。同意した部分だけを都合よく消せるのだからな」
そう。ヘクトールはデメルトロイとヒンガスに唱えた。『あの場でのヘクトールたちと『厄災』の存在』を対象に、忘却魔法を。
これでもし、独白魔法である『微睡み伝える魔法』を使われたとしてもヘクトールに辿り着かれることはない。
「さすがはヘクトール様。余計な口出し、申し訳ありませんでした」
「よい。しかし楽しみだな。待っていろ、ハウメアよ……飼い犬に喉を食い破られる姿、楽しみにしているぞ」
楽しそうに肩を揺らすヘクトール。そう、彼のトロア地方を巻き込む『実験』は、まだ始まったばかりなのだ——。
†
意識を取り戻したデメルトロイとヒンガスは顔を見合わせる。
ここは貴賓室。先ほどまで誰かと話していたが、それが誰だか思い出せない。
だが——何を話したのかは、覚えている。
「……よろしいのですか、王。国を売り渡すなど……」
「……もう後には退けん、ヒンガスよ。なに、私についてくればお前も支配者側に立てるのだぞ?」
ゴクリと唾を呑むヒンガス。まず、その為には——。
「……では、王。あの『頼まれごと』を……」
「ああ。あの時言われた『頼まれごと』を果たさなくてはな」
あの時の、何者かの言葉が脳裏に蘇る。
——『その時に兵を動かしやすいように、正義感を振りかざすような人物は排除しておいてくれ。特に、力を持った者を』
デメルトロイとヒンガスは、真っ先に心に浮かんだ男の名を口にする。
「「——ノクスウェル・ベッカー」」
王は何かに取り憑かれたかのようにつぶやいた。
「……奴は邪魔だ……排除する」




