『父』と『母』の物語・出会い 05 —エリス—
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それから数時間後。
家に戻ってきたエリスは、ひどく落ち込んでいた。
先ほどまでいた、ドワーフの集落での話が原因だろう。
私は腕を組み、うつむく彼女を見ながら先刻の話を思い返す——。
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「ねえ。でもマッカライさん。三ヶ月もここにいて大丈夫なの? 確かスドラートの担当だったよね?」
刀の礼金についてのやり取りを終え、雑談に移った時の話だ。エリスが不思議そうな顔でマッカライさんに尋ねた。
私とマッカライさんは、顔を見合わせる。
エリスが言っているのは、国の政策であった『各村へのドワーフ族の派遣』の話だろう。
だいたい春から夏の間、彼らドワーフ族の一部はサランディア国からの依頼で点在する村に派遣されていた。それは農具や漁具、猟具などの点検や修繕をするためにだ。
だがそれも、先代サランディア5世までの話だ。マッカライさんはつまらなさそうに口を開く。
「なんじゃ、知らなかったのかエリス。打ち切られたよ、サランディア王に。『そんなことに使う金はない』とな」
「……えっ……?」
明らかに困惑した表情を浮かべるエリス。私は肩をすくめて、彼女に説明した。
「そうなんだ、エリス。その話は私も耳にしている。どうやら今のこの国の王は、『無駄金』は使いたくないらしい。随分とご立派な政策だ、呆れて声も出ないよ——」
サランディア6世——デメルトロイという人物は、聞こえてくる限り、どうやら目先のことしか考えられない人物のようだ。
その場の利益を取るだけなら、誰にだって出来る。安易な増税、村々への支援の打ち切り、軍事費の削減——だがその結果、国家を待ち受けるのは間違いなく破滅の未来だろう。
彼の代だけなら、国家としての体裁を保てるかもしれないが——もしかしたらサランディアは、そう遠くない未来に終わってしまうのかもしれない。
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そして、今。
それまでの彼女からは考えられないほど落ち込んだ様子のエリス。私がどんな言葉を掛けようかと思案を重ねている時だった。
彼女がポツリと、口を開いた。
「……あのね、セイジ。私がこの国の後見人を任されてるって話、聞いてる?」
「……いや、初耳、だな」
「……うん。ちょっと事情があって、この国がおかしな方向に行かないように見守らなきゃいけないんだ……」
彼女の言葉を受け、私は考える。確かに『東の魔女』のセレスさんはオッカトルの指導者的立ち位置だし、『北の魔女』のハウメアという人はブリクセン国を統治している。
まあ『南の魔女』であるナーディアさんはそういった立場の人ではないが——『西の魔女』であるエリスがこの国に影響力を持っていたとしても、別に不思議ではない。
うん? 中央にある『魔法国』は誰が治めてるんだったっけ——と疑問が浮かんだが、今はエリスだ。
私は出来る限り彼女に優しく語りかけた。
「なるほど……つまり君は、今の国王が好き勝手やり出したことに責任を感じていると」
「……うん。6世が去年即位したのは知ってたけど、一年でそんなことになってただなんて……」
鼻をすする音が聞こえてくる。そんな彼女の姿を見て、私の胸が締めつけられる。
そうだ。私は勝手に『魔女』のことを凄い人だと思い込んでいた。だが——彼女たちも私たちと同様、悩み、苦しみ、傷つく、同じ『人』なんだ——。
私はたまらずに、彼女の手を握りしめた。
「大丈夫だ、エリス」
「…………セイジ?」
潤んだ瞳を私に向けるエリス。私は彼女を安心させようと、口角を上げる。
「なに。私のいた世界では歴史上、よくあったことさ。それでも……私たちの世界の人間族は、歴史を積み上げてきた」
「…………」
私の話を黙って聞くエリス。私は彼女を握る手に力を込めた。
「私が力になる、エリス。君が責任を感じているというのなら、なあに、私たちでひっぱだいてやればいいじゃないか、国王のケツを。だから、私を、頼れ」
「…………ふふ……ふふ、そうだね、セイジ」
彼女は目を拭い、微笑んだ。そして、優しく視線を握られている手へと移した。
「……でも、セイジ……手を握られるの、イヤじゃなかったの?」
「ンンッ!……まあ、イヤじゃないというか……人前だと恥ずかしいというか……」
「……よかったあ……悪いことしたかなって、ずっと気になってたんだあ!」
私の手を両手で握り、エリスはブンブンと上下に振る。気にしていたのか。
どうやら彼女は能天気なように見えて、いろいろと抱え込んでしまうタイプのようだ。
そんな彼女の一面を知ることができ——私は一層、彼女に惹かれていくのだった——。
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「——あのね。私、この国が出来た最初の方はね、街の方に住んでたんだあ……」
灯りの消えた寝室。窓からの月明かりがわずかに差し込む部屋で、ベッドに横たわっているエリスはそう漏らした。
床に敷いた布団の中で、私は彼女の話に耳を傾ける。
「……でもね、人間族の力でなんとかして欲しかったのに、みんな私に頼りっきりで……仕方なかったんだけど……それに、仲良くなった人間族の人たちも、みんなすぐに死んでいっちゃって……」
寿命の問題だ。魔族は人間族に比べ、十五倍程度の寿命を持っている。
「……エリス……だから君は、この森に……」
「……うん。みんなが私に頼りっきりにならないように。私が仲のいい人を作らないように……」
この二日間を共にした私には分かる。明るい彼女の性格だ。当時、それはもう皆と仲良くなったことだろう。
——そしてその彼らは、エリスを置いて先立ってしまう。
「……さっきね、セイジ言ってくれたよね。『私を頼れ』って」
「ああ」
「……私ね、嬉しかったんだ。今までは私が力になる立場だったのに、そんなことを言ってくれる人間の人は初めてで……」
「エリス……聞いて欲しい」
返事はない。だが、彼女が顔をこちらに向ける気配は伝わってきた。
「……私はね、『魔女』という存在を、私たちとは違う、聖人君子のような存在だと勝手に思っていたんだ」
沈黙。しばらくして、エリスは返事をした。
「……それで?」
「だけど、君とこうして話すことで分かった。魔女も普通に悩み、苦しみ、傷つく、一人の存在なんだと。だったら、私たちと一緒じゃないか。困ったことがあったら互いに助け合うのが、当たり前じゃないか?」
そうだ。オフィーリアさんは最期に言っていた。『出会いを大切にしなさい。困っている人がいたら助けてあげなさい』と。
私は彼女を、助けたい。
「……ねえ、セイジ。本当に……頼ってもいいの?」
震える声でエリスは問いかける。私は力強く返事をした。
「もちろんだ。私でよければ、いくらでも頼ってくれ」
「……ふふ、嬉しいなあ、嬉しいなあ……」
彼女が上体を起こす気配がする。私が薄目を開けそちらを見ると——エリスはベッドをポンと叩いた。
「……じゃあ、寒いから一緒に寝よ、セイジ。頼ってもいいんだよね?」
「ンッ!」
突拍子もない言葉に、私は思わず咳き込んでしまう。まったく、からかうのも——。
「……ダメ?」
「……いや、今晩だけだぞ?」
「やったあ!」
——私は、見てしまった。彼女の頬が、ぐしょぐしょに濡れているのを。
彼女は長い時間、一人でこの家に住んでいるのだ。話好きの彼女が、寂しい日々を、百年以上も。
私の中に芽生えた『愛おしい』という気持ち。それから目を逸らすことは、私には出来なかった。
「じゃあね、じゃあね、昨日の続き。もっとあっちの世界のお話、聞かせてよ!」
「はは。ああ、何が聞きたい? いくらでも付き合ってあげるよ……——」
私たちは語り合う。一つの布団で、互いに息のかかる距離で、何時間も——。
やがてエリスは寝息を立て始め、私の方はというと——あまり寝付けなかったことは、言うまでもない。




