『父』と『母』の物語・出会い 02 —誠司とエリス—
——『いただきます』。日本特有の文化だ。
私はこの世界に来てからも、食事の前にはこちらの世界の言葉で『いただきます』と言うようにしていた。そうしないと、なんだか落ち着かないのだ。
その行為をを旅先で疑問に思う人はいた。しかし私は、その時にこう返すようにしている。
「いや、エリス。これは私の国の文化で——」
「……ふうん。どこの国?」
「ああ、ここから東方にある国だ」
「うん。なんていう名前の国なの?」
「『ヤマト』という国だが、知ってるかな?」
どうだ。彗丈と申し合わせた架空の名前だ。知るはずがあるまい。
案の定エリスは、宙を見上げ考え込んだ。
「ヤマト、ヤマト……聞いたことないなあ。ねえ、正確な場所はどこ?」
まずい。なんかグイグイくる。ここまで食い下がられるのは初めてだ。
「それは……言っても分からない小さな島国だから……」
「ん? それなら大丈夫だよ。私、地図持ってるから」
そう言って彼女はいそいそと立ち上がり、部屋の隅に置かれている黒いバッグから何かを取り出し戻ってきた。
そして食器を端に片付け、テーブルに地図らしきものを広げた。
「ねえ、どこ?」
ジト目で私を見つめるエリス。私の方はというと、内心冷や汗だらだらだ。
適当なところを指差そうと地図を眺めたが——そこで私は、あることに気がついた。
「……似ているな……」
「ん?」
思わず声を漏らしてしまう。この世界の全体図を見るのは初めてだが、なんかこう、配置こそ違えど全体の雰囲気が元いた世界に似ている印象を受けるのだ。
だが、今はエリスだ。気を取り直し、私は適当な場所を指で示した。
「……多分……ここいら辺だと思う。幼い頃だったから記憶があやふやで……」
「へえ。まだ小さかったあなたが、そんな遠くからどうやってここまで来たの?」
「うっ」
しまった。声を漏らしてしまった。そうだ、彼女はナーディアさんから私のことを聞いているんだった。ナーディアさんは私のことを、どこまで説明した——?
「……それは……」
言い淀む私を見て、エリスはため息をついた。そして——彼女はニンマリと笑い、地図を畳みながらこう言った。
「ごめんね、セイジ。誤魔化そうとするあなたが面白くて。ナーディアからあなたが『別の世界』から来た子だって聞いてるよー」
ズル。私は椅子から滑り落ちる。誤魔化そうとした私の苦労はいったい——。
私は眼鏡を直しながら彼女に頭を下げる。
「はは……すまないね。隠すつもりはなかったのだが、簡単に信じてもらえる話でもないからね。普段はこう説明しているんだ」
「なるほど、なるほど! わあ、本当に別の世界から来たんだあ!」
彼女は一転、パンッと手を合わせ目を輝かせた。
その様子を見て苦笑いをする私に向かって、彼女は身を乗り出して顔を近づけてくる。
「ねえねえ。じゃあ、セイジの世界の話きかせてよ! いいでしょ?」
「ん? あ、いや、夜も遅いし、夜営の準備もしないと……」
こんな夜更けに女性と二人きりというのはなんだか落ち着かない。まあ、ナーディアさんやジュリ君とかはノーカンなのだが——。
そのように体よく断ろうとする私の手を強引につかみ取り、彼女は満面の笑みを浮かべて言った。
「泊まってけばいいじゃん。それに、ご飯、ご馳走したよね?」
ふわっとした良い香りが、私の鼻をくすぐった——。
†
「——とまあ、その『スマホ』というものがあれば色々なことが出来るんだ。私の世界では、ほぼ全員が持っていたよ」
「そうなんだ、すごいなあ……」
うっとりとした様子で私の話に聞き入るエリス。
最初は女性として彼女を意識してしまっていたが、このように話しているうちに純粋に楽しくなってきた。
彼女の質問に私が答え、その私の言葉に彼女は「さっすがー!」「知らなかった!」「すごい!」「センスあるねえ」「そうなんだ!」と相づちを打ってくれる。
褒め言葉の『さしすせそ』を巧みに扱う彼女に、最初は気を遣われているのかとも思っていたが——どうやらそうではないらしく。
彼女はとにかく知的好奇心が旺盛なようだった。
次から次へとくる彼女の質問に、私は一つずつ丁寧に答えていった。
「——そっかあ。『科学』ってすごいんだねえ」
「いや、この世界の『魔法』の方がすごいよ」
「んー、そっかなあ。でも、確かに今さら魔法のない生活なんて考えられないかなあ……」
私の話を聞き、真剣に考え込むエリス。一つ一つの事柄について決して彼女は流すことなく、このように真面目に考えて受け答えしてくれるのだ。
(……いい人、なんだな)
私は目を細めながら、くるくると表情を変える彼女に見惚れてしまう。
——ああ、楽しいなあ……。
「ん? どうしたの、セイジ。あ、もしかして眠くなっちゃった?」
あくびを噛み殺す私の様子を見て、エリスは心配そうに声を掛けてくれた。
確かに、もういい時間だ。もう少し話していたかったが、頃合いかもしれない。
「すまないね。どうやら緊張が解けて、眠くなってしまったみたいだ」
「あっ、もうこんな時間なんだ! じゃあ、部屋用意するね!」
彼女は立ち上がり、パタパタと駆けていく。
(……一人暮らし、か……)
どういった事情があるのかは知らないが、話好きの彼女が一人で暮らしているのには何かしらの理由があるのだろう。
(……少しは楽しませて、あげられたのかな……)
やがて戻ってきたエリスに連れられて、私はリビングを後にするのだった。




