『父』の物語・冒険 12 —月見酒—
「…………ォォ……オオー……ン」
喉を貫かれ、ゆっくりと崩れ落ちるヴァナルガンド。
背中から飛び降りた誠司が、彼の喉元へと向かう。
「……ああ、かなり深いな。ヴァナルガンド、少し我慢してくれ」
誠司は大剣を引き抜き、魔素が立ち昇る傷口に回復薬をぶっかけた。
「……グ……グ……グオオオオォォォォンンッッ!!」
ゴロゴロと転がり身悶えるヴァナルガンド。この世界の回復薬は直接かけると沁みるのだ、ものすごく。
その様子を心配そうに眺める三人だったが、やがてヴァナルガンドはヨロヨロと立ち上がった。
「……やるな、三人とも……見事な、連携だった……ぞゴボッ」
「もう! 無理して喋らないの!」
血を吐き出すヴァナルガンドにミラが回復薬を取り出して近寄り、口を開けるように促す。
ヴァナルガンドは言われるがままに口を開け、ミラが垂らす回復薬を飲み込んだ。
——この世界の回復薬は、経口摂取をすれば別に沁みることはない。
だが。飲み込んだ回復薬はヴァナルガンドの喉の内側の傷を通過したようだ。
「…………〜〜〜〜ッッーー〜〜!!」
再びゴロゴロと転がるヴァナルガンド。まあ、ちょっとやり過ぎた感もあるが、それはお互い様だ。
三人は顔を見合わせ、無事、この強敵に勝利できたことを実感し、微笑み合うのだった。
†
「ふう。しかし我が人の子に土をつけられるとはな。正直、舐めてたぞ」
「……ヴァナルガンド……もう大丈夫なの?」
ここは先ほどの戦場の近くにある小川。喉の渇きを潤しにきた三人と一匹は、互いの健闘を讃えあう。
しかし誠司は、眼鏡を拭きながらため息をついた。
「……いや、私の刀は折れてしまったがね。ヴァナルガンド、君が転がるからだぞ?」
「仕方なかろう。それほどノクスウェル、お前の一撃は効いたぞ。フハハハハハハッ!」
あの喉笛への一撃を思い出し、ヴァナルガンドは愉快そうに笑う。顔を洗ったノクスは、ブルブルと水を振り払った。
「まあ、俺にはそれしかねえからな。あの状況まで持っていってくれた、ミラやセイジのおかげだ」
「ハーハッハッ! 確かにあれは見事だった。してやられたぞ!」
先ほどの連携だ。
昨晩やられた厄介な三つ目の遠吠え対策を、三人は事前に話し合っていた。
三人の得意とする分野を取り入れた連携。上手くハマればヴァナルガンドにひと泡吹かせられるだろう。三人はその動きを、昨晩のうちに何回も練習した。
まあ、ここまで上手くいくとは思っていなかったが——これもひとえに、ノクスの並外れた膂力のおかげだろう。
「どれ、少し休んだら再戦するか!」
「いや、私は得物がなくなってしまったからね。残念だが今回はお開きだ」
「……むむ、そうか」
誠司の返答にションボリとするヴァナルガンド。ミラが不思議そうな顔で尋ねる。
「ねえ、ヴァナルガンド。そもそも何であなた、そんなに戦いたいの?」
「フハハ、愚問だぞ、ミランダ!——」
ヴァナルガンドは口端を上げて答えた。
「——強い者がいたら、戦ってみたくなるのは当然だろう?」
その言葉にうんうんと頷く男二人。ミラは昨晩のやり取りを思い出してしまい、なんだかムカムカしてきて——ポーチからチョコレートを取り出した。
「……ああ、もう! 全部溶けちゃってんじゃない!」
「……ま、まずいセイジ! お前さんチョコレート持ってねえか!?」
「……いや、ある訳ないだろう」
三人の喧騒の声とヴァナルガンドの笑い声があたりに響く。
そうして三人と一匹のささやかな懇親会は、満月が真上にくる頃まで行われることになるのだった——。
†
「よし! では頼んだぞ、セイジ。楽しみにしているからな!」
「はは、あまり期待しないでくれ。まあ私もたまには顔を見せるよ」
持ち込んだ酒を飲みながら、誠司はヴァナルガンドから『特殊個体:ヴァナルガンドの討伐』の依頼を引き受ける。
彼を楽しませることが出来る冒険者が現れればそれでよし。例え勝てなくとも神狼とも呼ばれる存在と戦う経験は、冒険者にとってきっとプラスになることだろう。
ヴァナルガンドは月を見上げため息をつく。
「……我が人の姿をとって街へ行ってもいいのだが、人の世は息苦しくてのう」
「ん? ヴァナルガンド、君は人の姿になれるのかい?」
月見酒を洒落込む誠司に、ヴァナルガンドは口元を緩めて答えた。
「まあ、な。人の世に溶け込んで暮らしていた時期もあったぞ。大昔の話だがな」
「……ああ、なるほど。君が獣人族の始祖というのは、その時の……」
「……フン。そういうことだ」
ヴァナルガンドは静かに月を眺める。その様子から何かを感じ取った誠司は、ヴァナルガンドに盃を差し出した。
「一杯、やるかね」
「……すまぬな、今日はいい。なあセイジよ……なぜ人の子は、すぐに逝ってしまうのだろうな」
「……さあ、ね。なんでだろうな」
盃の中で月が揺れる。二人は夜空を眺めながら、ポツリポツリと会話を重ねるのであった——。
そして少し離れたところでは、ノクスとミラも岩壁に背を預けて月を眺めていた。
「なあ、ミラ」
「なあに? ノクス」
「お前さん……騎士団、退団しねえか」
不意を突かれた言葉にミラは驚き、ノクスの横顔を覗き込んだ。その瞳は月を真っ直ぐに見据え、純然に輝いていた。
「……どういうこと、ノクス。私じゃ……副団長はムリってこと?」
そのような立場を望んでいなかったとはいえ、ミラも今まで必死に努力してきたのだ。それはただ、彼のそばにいたいという一心で。
今日だってノクスの力になれるよう頑張ったのに——ミラは平静を装いながら、震え出しそうな拳を強く握りしめた。
ノクスは変わらず、月を見ながら話し続ける。
「……今回は何とかなった。だがな、今の王である限り俺たちはこれからも危険な任務に駆り出される。もしかしたら、いつか……いつか取り返しのつかねえことになるかもしれねえ。だから……今のうちに、さ」
「……そ。ありがとう。心配してくれたのね……——」
彼の言わんとしていることが分かり、安堵するミラ。よかった。それならまだ、私は彼の隣にいられる。
「——でもね、ノクス。拝命したばかりの副団長を理由もなく辞任してしまったら、余計に父の立場が悪くなってしまうわ。だから諦めて、我慢——」
「理由? ないなら作っちまえばいいじゃねえか」
ノクスはミラに顔を向け、視線を合わせた。ミラが小首を傾げていると、彼ははっきりと告げた。
「俺と結婚しろ、ミラ。理由なんざ、それで十分だろ」
月明かりに照らされた彼の顔は、初めて見るほど真剣で。ミラは目をパチクリさせ、聞き返してしまう。
「……結婚? それって……私がベッカー家に入るってこと?」
「家柄の違いは分かってる。でもな、騎士団を円満にやめるためには……ああ、クソ、違うな」
ノクスは頭をかき、ミラの肩に手を置いた。
「俺と一生添い遂げてくれ、ミラ。必ず、幸せにしてやる」
きっぱりと繰り返された彼の決意を聞き、茫然としてしまうミラ。そんな彼女の反応を見て、ノクスは不安そうな表情を浮かべた。
「……すまねえ。嫌……だったか?」
ようやく我に返ったミラは——困惑している彼の表情を見てクスリと笑った。
そして目を閉じ、唇を彼の方へと差し出した。
「ん」
「……どうした。チョコはついてねえぞ」
「……バカ」
月明かりが祝福する中——、
ミラは少しだけ口を尖らせて、ノクスの顔に飛び込むのだった。




